色事についての色気の無い話

 

 

 

 

 

「ご苦労だった。今日はもう下がれ」
「はっ」
 上座に座る主君・政宗に向かって鬼庭綱元は平伏した。
 近江との調停の為にその地へ赴いていた綱元は二月の後、帰郷を果たした。その報告をたった今、政宗にし終えた所である。
 綱元がもう一度頭を下げ立ち上がろうとしたところに、声色を主君から平常のものへと変えた政宗の声が掛かる。
「で、土産は?」
 綱元は政宗の砕けすぎる物言いに眉根を寄せ小言を言いかけたが、政宗は素知らぬ振りで「土産だ土産」と催促するので、諦めたように頭を振った。
「頼まれておりました笛は京に立ち寄った折に無事に手に入れました。後は、まあ、他愛の無い土産が少しばかり」
「OK, 後でそっちに行く」
「かしこまりました」
 そう言って、今度こそ綱元は退室した。


「綱兄ぃ! おっかえりー! 土産!土産! 京の土産!」
 そう叫びながら駆け寄ってくるのは、主君・政宗の一歳下の従弟。名を伊達藤五郎成実という。
 成実を迎えるように立ち止まり振り返った綱元は、成実が飛び付こうとする寸前に細見の体からは想像の付かないほどの強烈なボディブローを放った。
「―――……っ」
「先に言うべき言葉は無かったか、成実?」
 腹を押さえ呻く成実を冷厳な眼差しで見つめ、綱元は冷厳に言い放つ。
「……長旅、ご苦労でございました、綱元殿」
「宜しい」
「…土産。頂戴」
 政宗と成実の幼い頃から礼儀作法などを教える役を担っていた綱元は、型通りの挨拶をした後、懲りずに土産を催促する成実を眺め、はぁ…と溜め息を吐いた。
「逞しいというのか。その性格は、まったく…」
「伊達の血じゃない?」
 しれっと成実はまだ廊下に這い蹲った体勢のままに減らず口を叩く。綱元も飽きずに溜め息を零した。
「ちゃんと、日保ちのする京菓子を選んで持ち帰っている。後で詰め所に来るといい」
「やった!」
 上体だけを起こした体勢で、成実は歓声をあげる。はぁ…と綱元は三度目の溜め息を吐いた。



「なんだ、戻っていたのか」
「今し方な」
 近侍の詰め所として使われている部屋に入れば、血の繋がりは無いのに周囲から義兄弟扱いをされてしまう男が声を掛けてきた。その男は文机に向かって何か書状でも書いているようだった。
 政宗が幼少期の頃から傅役を勤めてきた片倉小十郎景綱である。綱元と共に政宗と成実の教育係を担ってきた男だ。良くも悪くも付き合いが長く、余計な事まで知られている仲だった。
 本人達は結構本気で馬も合わないし仲が悪いと思っているが、成実辺りに言わせるとそれなりに仲良いよなぁ、となる。
「ご苦労だったな」
「ああ。ご苦労だったよ」
「それはご苦労なことだ」
 意味の為さない嫌味寸前な言い合いを開始しようとした所に、襖がスパーンと勢い良く開いて成実が飛び込んで来た。
「仕事終わらせてきたぜ! 土産、土産! 綱兄ぃ、土産!」
「……」
「……」
「え? 何?」
「いや…」
「…何でもない」
 奇妙な空気に気付いた成実が尋ねるも、二人は頭を振っただけだった。
 あっさりと気分を切り替えてしまう成実は、手を出して「土産」とこれで何度目になるか分からない催促をした。
「成実、これで良いのだろう。出立前に、お前がしつこく催促していた京菓子だ」
「うわぉ! マジで手に入れてくれたんだ! やったね! 言ってみるもんだなぁ。京の甘味ってやつ、一度食ってみたかったんだよ」
「二箱あるから、一箱は筆頭の分だからな」
「わかってますって! 後、年寄り方には言うなってんでしょ」
「分かっているなら、お前も、もう少し遠慮というものを覚えてくれないか。政に関係ない土産は買って帰るなと親父殿にうるさくいわれているんだ、私は」
「でも、律儀に持ち帰ってくれる綱兄ぃって優しいよなぁ」
 京菓子の入った箱を眺めながら、心の籠もっていないぞんざいな礼を述べる成実に綱元はやはり溜め息を吐く嵌めになった。
「その様子だと、政宗様にも何か頼まれているようだな」
 文机に向かったまま、何か書き続けている小十郎が顔も上げずにそう話し掛けてくる。
 この問いかけに、綱元は非情に不愉快そうに眉根を寄せた。
 綱元の不愉快だという空気を感じ取ったのか、小十郎がやはり顔も上げずに「何だ?」とだけ聞いてくる。
「腹立たしい事に、お前絡みの土産を頼まれていてな」
「ほう。勿体ない話だ」
「全く。勿体ないにも程がある。わざとお前のために三流品を用意しようかと思ったりもしたが、筆頭が悲しまれるか怒り心頭になるだけだからな。仕方なく、上等な物を手に入れてやったんだ。感謝して戴こうか」
「それはそれは。政宗様に礼を述べさせて戴こう」
「――…」
 文机の上の書状から顔を上げることなく口だけを動かす小十郎に、綱元はまだ何か言おうとしたが、ふと何か思い出したように別の荷物の紐を解いた。
「忘れるところだった。小十郎、堅物のお前に土産だ」
「ああ?」
「京で流行りの書物だ。くれてやる」
 訝しがる小十郎に向かって、綱元は土産だという書物を二冊、何故か丁寧に手渡した。
「何だ?」
「堅物のお前への土産だ」
「……」
 訝しがりながらも、小十郎は手渡された書物をパラパラと流し読みして、そして、顔を引き攣らせた。
 綱元は、用は済んだとばかりに自室へ下がる為に荷物を片付けている。
「これのどこが、土産、だ!」
 怒りの形相で小十郎は渡された書物を綱元へ向かって投げつける。綱元は軽く躱し「もちろん、堅物の小十郎の為の嫌がらせの土産に決まってるだろう」と楽しげに宣ってくれた。
 渡されたもう一冊を見ても、やはり小十郎が眉をひそめる内容のものだったようで、それも投げつけるがやはり躱された。
「何なに?」
 と興味津々でそれに飛びついたのは成実である。小十郎が慌てて止めるのも聞かずに成実は書物を手に取った。綱元も「お前が見ても仕方が無いぞ」と言うが、それも聞かずに書物を開いていた。
 そして、ざっと中身を見て、成実は「うは〜」と間の抜けた声を上げて固まってしまった。
「だから、お前用じゃない。読むな。ほら、小十郎、大事に仕舞っておけ」
「誰が大事に仕舞うか! 悪ふざけも大概にしろ!」
「都では流行なんだそうだ。上方の知識として仕入れておけ」
「余計な知識は無用だ!」
「Ah? 珍しく賑やかじゃねぇか」
 ぎゃあぎゃあ言い合ってる所に、タイミングが良いのか悪いのか主の政宗が顔を覗かせる。そして、壁際に落ちていたもう一冊の書物を手に取った。小十郎の情けない悲鳴にも素知らぬ顔で。
「何だ? 春画か? いや、春画、じゃねぇな…?」
「政宗様! そのような物、ご覧になりませぬな!」
 小十郎の悲痛な訴えもこういう時は無視される。好奇心の方が勝るらしい。
「おお、梵。それ、すんごくね? ちゃんと絵が入ってんだよ」
 そう言って、十代後半の若者二人は一緒に一冊の書物に見入ってしまっていた。
「これ、あれか? 上方で流行とかいってる、なんか大名の嗜みとか言われ出してる、ええと、衆道?」
 小十郎が片手で顔を覆った。
「うはー。これが噂で聞くあれッスかぁ。じゃあ、これ、手習い本ってやつ? なんか色々図解されてるぜ」
「…さすが、筆頭はご存じでしたか」
「いや、話程度でな。今川のおっさんだっけか。茶会なんかで呼ばれた時に自慢話で聞かされた」
「……それはそれは。近い内に今川は斬って捨てねばなりませぬな」
 冷徹な声音で綱元が呟き、小十郎が両手で顔を覆い呻いた。
「なあなあ。これってさ、下の奴、苦しくないわけ?」
 無邪気な成実の問い掛けに、政宗も至極真面目に答えようとする。
「さぁな。俺もやったことねぇし。どうなってんだろな?」
「そのような事、真面目に思案なされないでください」
 嘆きに近い小十郎の言葉に、政宗と成実は振り返る。
「小十兄ぃはこの手の事も知ってんの?」
 疑問を口にしたのは成実だが、政宗の目も同じ事を聞きたがっているのが分かる。
 思いっきり顔を顰めた小十郎は、もう一冊を手にしたまま持て余したようにバサバサ振りながら綱元を指し示した。
「このような土産を選ぶほどですから、綱元が詳しく存じ上げているかと。よく、誘われていると耳にも致します故」
 これには綱元も形相を変える。
 しかし、綱元が怒りの反撃をする前に成実が食いついてしまった。
「綱兄ぃ、誘われんの!?」
「Oh…、それは初耳だぜ。そうなのか、綱元?」
「誘いが多いに関しては否定はしませぬが。ただし、詳しくはございませぬな。誘いを掛けてくる輩は全て叩き潰しておりますので」
「へぇ…」
 どうやら、綱元にとっての触れてはならぬ事柄だったようで、あまりの鬼気にさすがの成実も逃げ腰になってしまった。
「しかし、上方では『大名の嗜み』なんだろ?」
 なぜか、しつこく食い付いてくる政宗。
「政宗様…。とりあえず、この話題から離れてください」
「ご興味がお有りならば、それなりの色小姓を選んで参りますが」
 頼むから忘れてくれと願う小十郎と、興味あるなら用意するぞと言う綱元の声が被った。
 成実が吹き出して、そのまま笑い転げる。政宗は真面目顔で思案していた。
「うーん。…試すのは良いとして、やっぱ駄目でしたじゃ、その小姓は悲惨極まりないことになるんだろ?」
「そうですなぁ。一度、登城しておいてお払い箱では帰る場所も無くなりましょうか」
「そいつは可哀想すぎるな」
「ですから、何故にそこまで執着しますか、この話題に!」
「Ah-? 興味沸いたからだろ?」
 あっさりと一言で済ませてしまった政宗に成実が「格好良い、殿!」などとよく分からない感嘆をし、小十郎は頭を抱えてしまった。
 どうするかねぇ、という風情で政宗はバサバサと書物で扇いでみせる。
「じゃあ、出来るかどうかは手近なところで試してからですか、筆頭?」
 成実の提案に、政宗は愉快そうにニヤニヤと笑った。
「え? 何? 俺、何か変なこと言った?」
「シゲ。お前、自分の発言の意味、ちゃんと理解出来てんのか? Do you understand?」
「は? え? 何を?」
「手近で安全といや、お前らくらいなんだけどね、俺にとっては」
「はいー!?」
 素っ頓狂な声を上げる成実を眺め、政宗はますます愉快そうに笑った。
「確かに。色小姓は若い見目の良い者と相場が決まっているらしいからな。この中では、成実が妥当ですかな」
 有り難くないことに、綱元まで成実を候補に推してくれる。
「ぅえぇぇぇえええええ??? そ、そそそそれは、どう考えても、俺が、下ですよね?」
「お前、主君を組み敷く気か?」
「無理無理無理無理無理!!!!! あんな痛そうなの、俺、絶対、無理!!!!」
 物凄い勢いで後方に飛び退いた成実を見遣り、政宗は声を上げて笑った。
「お、俺を相手に選んだら、本気で出奔してやるからな!!」
 絶対に出奔してやるぞ!と必死になって喚く成実を眺めつつ、
「んなことで出奔されたんじゃ困るな」
 と、綱元と小十郎に目を向ける。
「では、この件はとりあえず無しということで」
 綱元は、政宗の手から書物を取り上げると、再び小十郎の手に乗せた。二冊を丁寧に重ねて。
 しつこい、と小十郎が再び投げ返そうとするが、投げればまた政宗と成実の手元に行き渡ってしまう事に思い当たり、渋々受け取ったまま大人しくする。
 その様子に綱元が実に愉快だという表情で笑ってみせた。小十郎は更に眉間の皺を深くしていった。




「それで…。何故に、こうなりますか」
「Ah? だから、興味沸いたから」
 はぁ…と小十郎は溜め息をこれ見よがしに吐いてやる。政宗が露骨に顰めっ面を作ってくれる。
 政宗の寝室。敷かれた布団。その上に向かい合って座る二人。
 二人の間に置かれているのは、昼間に綱元が土産と称して持ち帰った例の手習い本。
「ですから、それで、何故に、この小十郎になりますか」
「他に、頼めそうな人材が思い付かなかった」
「お好みの色小姓を選ぶと、綱元も仰っておりましたでしょう」
「色小姓はいいんだけどよ。まずは、出来るかどうかの確認を――」
「ですから、それが、何故に小十郎を――」
「だから、他に後腐れ無さそうで、問題無さそうなのが思い付かないんだよ」
「ですから、――」
「Stop! Stop! とりあえず、まずはこの本の中身の意味を教えろ」
「……」
 はぁ…と再び小十郎の溜め息。
「何だよぉ…」
「本を片手に夜伽の実戦でもされるおつもりか…」
「やっぱ、実戦…じゃねぇとわからねぇっつうことかよ」
 なんでそこまで興味津々なんだよ!と大声を張り上げたいのを小十郎は必死に堪える。その小十郎の目の前では、本を片手に、ということにならない為にか本を読破し丸暗記しように掛かっている政宗の姿があった。
 真剣そのものにも程がある。その凄まじいエネルギーを少しで良いから政務にも傾けて貰えないだろうか、などと思いたくもなるというものだ。時刻 はすでに夜半を過ぎているのだから。
 なんでこんなところでこんな話に徹夜で付き合わされているのだろうか、自分は。
「あの、政宗様…?」
「慣れるまでがすっげぇ辛そうだな、これ」
「それは、まあ、そうでしょうな」
 思わず打ってしまう相づち。
 そして、程なくして、仕組みは理解した!とばかりにばんっと本を閉じる政宗。これから戦にでも向かうのか、という気迫で小十郎を見遣ってくる。
「よし、小十郎。そこに寝ろ!」
「――……と申しますか、小十郎は下限定でございますか」
 つい、反論したくなるのも仕方がないというか。こんな阿呆な形で衆道の実験台にされるのは、さすがの小十郎とて御免願いたいのだが。
「……お前、主君を組み敷く気かよ」
「…それはそれで、背徳的で楽しいかもしれませぬな」
「what? マジかよ」
「冗談でございます。そもそも小柄で見目の良い者が好まれると言われますのに、小十郎の様な無骨な者を政宗様はお抱きになれると?」
「Uh-huh. …いや、見ようによっちゃ、小十郎は十分にsexyだぜ?」
「どこをどう見れば、そのセクシーとやらになりますか…」
「大丈夫だ。うん。大丈夫大丈夫。やろうと思えばいける」
「そのように自らを追い込めてまですることでもございませぬ!」
「あー! ほんっとにウダウダうるせぇなぁ、お前は!」
「何ですか、その言いぐさは」
「だから、とりあえず試させろって言ってんだろうが」
「とりあえずでやられて堪りますか」
「shit! 命令に逆らうか!」
「そのような馬鹿げた命令を断じるのもまた元傅役の勤めかと」
「……なんだよぉ。馬鹿馬鹿言いやがって。一回くらいさせろよ。存外にお前もガード固いな」
「政宗様こそ、いい加減に諦めてください。そして、本当に興味がお有りでしたならば、改めてきちんと選び直し下さい」

 そう言ったところで、閉じた障子戸越しに薄明かりが見えてきた。日が昇り始めたようだ。

「………」
「………」

 二人で一晩中、向かい合って座ったまま不毛な遣り取りをしただけで終わってしまったらしい。
 今日は、昼前から評議がある。

「……」
「……」

 二人して、このまま寝不足を抱えて、重臣たちとの会議に臨まねばならないのは確実のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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09.7.22

タイトル通りに色気の無い話で済みません。 なんか色々ホントにすみません。

とりあえず、成実に「手を出したら出奔してやるー!」と言わせたかっただけで始まった話。

書いても書いてもオチも見付からなければ着地点すら見付からないという体たらく…。

土産の笛はどこ行った… (忘れてた)