※ 弟・小次郎の死の話。捏造甚だしいのでご注意。
鬼を食らう竜
奥の殿の廊下に片倉小十郎はいた。座敷の手前で座り静かに待機している。
座敷には今、若き主である伊達政宗が母と弟と向き合うようにして座っていた。三人の前にはそれぞれ器が置かれ、その中には政宗の母の手製という菓子が盛り付けられている。
母は穏やかな優しい眼差しで嫡男である政宗を見遣っていた。
政宗の表情は些か緊張気味に見えた。無理もないかと、小十郎は内心で溜息を吐く。政宗の元服から後、顔を合わせれば容赦無く喧嘩になるような日々なのだ。
そして、先代である父の逝去以降、母子の仲はますます混迷を極めているように感じられた。
「兄上、お食べになりまぬか?」
母の愛を一身に受けて育った政宗の弟・小次郎は無邪気に屈託無く話掛ける。政宗はそれをうるさそうに睨むとすぐに視線を逸らした。小次郎は困ったように寂しそうに小さく笑うと自分の菓子を口へと運ぶ。
兄弟仲のぎこちなさも相変わらずだ。
この兄弟に罪は無い。何が悪い訳でもない。ただ与えられた境遇のせいでこういう関係に成らざるを得なかったのだ。
病から右目を失った兄。母からの愛を失い疎まれて育った兄。
兄の代わりというように母に溺愛され育った弟。一身に愛情を注がれて育った、穏やかで疑うことを知らない気質の弟 。
政宗も、弟が憎い訳ではないのだ。疎ましく思っている訳でもない。それでも、素直に可愛がることは出来なかった。
小十郎には二人供が不憫でならないときがある。小次郎の真っ直ぐな気質は、この気性の激しい母親の側に置き続けるのは勿体ないとさえ思えることも。
――才能の飼い殺しだな。
小十郎は思う。
そうは思うが、しかし、伊達家を取り巻く環境が未だ不安定な時期である。城内にいてさえその命が脅かされかねない今の政宗を思えば、小次郎に情けを掛ける暇は無い。
小十郎が生涯を掛けて仕え、守ろうと決めたのは政宗ただ一人。
その誓いを違える気は一切無い。
政宗の為ならば、小次郎を手に掛けることになっても、おそらく小十郎に躊躇いは生まれないだろう。小十郎にとっての主、政宗とはそれほどの存在と言えた。
そして今、その大事な主を守る為にはどうすべきか小十郎は思案し続けていた。
日頃の気性が激しく、気に食わない事にはとことんまで嫌ういつもの姿が鳴りを潜め、異様なまでの穏やかさで政宗を見詰める母の姿が、返って小十郎に不気味さと一抹の不安を与えてくるのだ。
政宗が疱瘡を患い右目を失明した翌々年に誕生した次男の存在によって、政宗から母の愛は遠退いていった。母は次男の小次郎を大げさなほどに可愛がった。
そのせいで、家中に家督を継ぐべきは小次郎ではないのかと噂が広まったのも事実だった。
それに伊達家ではほとんどが次男が家督を継いで来たという流れもあるのだ。政宗が元服した際に名乗ることになった 通称名が「藤次郎」というのもその為である。
小次郎が継いで何が悪い。そう思う者が出てきてもおかしくなかった。
そう思わせる根拠の全てが政宗の母の言動から来ているのであれば、尚更であった。
今までも散々と文句を付けては政宗を困らせてくれた母である。
このような穏やかな状況など、信用出来るはずもなかった。
それでも、政宗は母を慕おうとするだろう。
出来るだけ早く、この母子の茶会を終わらせて政宗を外へと連れ出したい。そう思うのに、なかなかそのように運ばない。
「政宗様。菓子を召し上がるな」
そう口の中で呟く。あれは危険だ。そう小十郎の勘が訴えていた。
「藤次郎、食べぬのか? 母の作った菓子をそなたと共に食すのはいつ以来かの」
あくまでも穏やかな母。その隣で屈託無く菓子を頬張る小次郎。
「政宗。如何した?」
疱瘡を患い右目の光りを失うまで、弟が生まれるまでは確かに政宗にも向けられていた母の優しい笑み。その後、二度 と向けられることが無くなった優しい笑み。それが今、目の前にあった。
政宗は、徐に自分の前に置かれた器から菓子を手に取った。
ずっと欲しいと望み、恋い焦がれていたものが、今、目の前にあった。
何故、今なのか。このような形でしか、もはや得ることは叶わないのか。
政宗は薄く笑う。何かを吹っ切ったようなそれでいて悲しさを纏う笑みに小十郎は思わず腰を浮かせる。右手は刀を掴 んでいた。奥の殿にも近侍にのみ帯刀は許されている。
政宗は菓子を一口で平らげた。
「政宗様!」
小十郎は思わず声を荒げて立ち上がる。
「何事です。下がりなさい。家臣ごときが無粋な真似をするでない」
座敷に踏み込もうとした途端、一喝されてしまい小十郎は一瞬、躊躇した。
政宗は無表情に菓子を咀嚼し続けている。ゆっくりと噛み砕いた菓子が嚥下されていく。
「無礼は承知です。失礼致す」
そう言い、小十郎は座敷に踏み込んだ。あの菓子を吐き出させねば。ただその一心のみで動いていた。
その時、小十郎が座敷に踏み込んだとほぼ同時に、外廊下に面した障子戸が開き伊達成実が雪崩れ込んできた。
「政宗ぇぇぇぇ!」
と叫びながら。
「成実殿!? 何故、ここに…」
「無礼者どもめ。何のつもりじゃ!」
「政宗…いや、殿! こんな気分の悪い所からさっさと出るぞ」
「無礼も大概に致さぬか、成実!」
「殿! 出るぞ!」
政宗は答えない。呑気なというほどゆっくりした動作で茶を啜っている。
「筆頭! いい加減に…、!?」
「政宗様!」
「兄上!?」
政宗の手から茶碗が滑り落ちる。そのまま政宗は胸元を掻きむしるようにして呻き、体を折り曲げるようにして蹲った 。
「政宗様ぁぁ!」
小十郎は政宗を抱き抱えると、即座に廊下を駆けた。
極秘で別室にあらかじめ用意させていた水桶から水を汲み出し問答無用で政宗に飲ませる。無理矢理に流し込む。吐き 出させる。水を飲ませ吐き出させる。ひたすらそれを繰り返した。
座敷に残された成実は、怒りに満ちた目を政宗の母に向けた。しかし、政宗の母は驚く様子も取り乱す様子も見せなかった。
「まったく騒々しいことじゃ」
そう言い捨てて立ち上がると、座敷から退出していく。半ば呆然としていた小次郎の手を引いて、母は座敷から姿を消 した。
「政宗様。お気を確かに」
かなりの量を吐かされて、ぐったりしている政宗に小十郎は必死に呼びかける。
気は失っていないようで、政宗は力ない目で小十郎を睨んでいた。
「母君様とのお茶の席を邪魔したことはお詫びいたします。されど――」
「……じゃ、ねぇ」
「は?」
「そうじゃ、ねぇ」
「何がでございます」
聞き取ろうと耳を政宗の口元に近づけようとすると、渾身の力で髪を掴まれ、挙げ句に頭突きを食らわされた。
「…!?」
「何が、お気を確かに、だ…。強引に、水を、入れやがって。お前が、殺す気か」
「いや、それは、仕方なかったと申しますか…」
かなり痛かった頭を思わずさすりながら小十郎は慌てて弁明する。
しかし、その先の事は政宗は聞いてはいなかった。小十郎に支えられた体勢のまま今度こそ気を失ったのである。
「処置が間に合って何よりだった」
「胃の洗浄も薬飲ますのも終わった。命に別状は無いってさ」
安堵の表情で呟いた鬼庭綱元に、成実が現状を確認するように口を開いた。
綱元は静かに頷いて聞いてくれる。
「今回のは、今までみたいな悪ふざけじゃねぇよ。洒落になってねぇよ。綱兄、おれさ、本気でお方様を怖ぇなんて思っ ちゃったよ」
「武勇を誇る成実が怖いとな?」
「お方様は、倒れた筆頭見ても、すっげぇ冷静でさ。もう冷徹の域だよ、あれ」
部屋の隅っこで膝を抱え込むようにして座り込んでいる成実を綱元は無表情のまま眺めやった。
政宗の居室である。部屋の中央に敷かれた布団の上で政宗は眠っていた。傍らには小十郎が張り付いている。
「小十郎。状況を詳しく聞かせろ」
綱元の呼びかけに小十郎は軽く頷く。
成実のいる部屋の隅に移動して、あの場での母君の様子、小次郎の様子、そして、政宗の行動、表情の一部始終を小十郎は思い出せる限り話した。
聞き終えて、綱元は天井を仰ぎ見て息を吐き出す。
「本当に小十郎と成実の予感が的中してしまったな」
お茶の誘いがあった時から最悪の事態を考慮して、出来る限りの用意はしていた。我慢出来ずに成実が乗り込んできたのには驚いたが。
「筆頭の様子から見ても、確かに洒落にならない事態ではあるな」
「本気で、殺す気だったよな、あれ」
「政宗様を別室へ移す時に垣間見えたが、お方様は穏やか過ぎるほど穏やかなお顔をされていた」
「本気で、殺す気、だったよな…。殿を…」
叱られ怯えた子供の様に体を縮こませて成実は繰り返した。
綱元は、眉間に皺を刻み深く息を吐く。
対処、処遇をどうするか。慎重に決めねばならない。相手は政宗の母なのだ。
側近の三人が沈痛な表情で黙り込んでいるところに、掠れた声が聞こえてきた。
「政宗様!」
小十郎が大慌てで傍らに駆け寄ると、うるさいと顔を顰められた。
「如何されました。ご気分はどうです?」
政宗は小十郎の問いかけには答えずに、もう一度、今度ははっきりと先ほどの言葉を声にした。
「今回の事は、お前達は、手を出すな。俺が始末を、付ける…」
「梵…」
「……」
「政宗様。どうなさるおつもりか」
「俺が、始末を付ける…」
政宗は天井を見つめたまま、ただそう繰り返した。
俺が始末を付ける。
確かに、己の意志で己の口でそう言った。だが、心の片隅にまだ迷いがある。執着がある。
始末を、付けねば。
斬れるのか、母を。
迷うな。見苦しい執着はいい加減に捨てろ。
葛藤ばかりが繰り返す。
政宗は、居室の中央に鎮座し、じっと目の前に置いた太刀を見つめていた。
毒を盛られた翌日である。
始末を付けるなら、今日以外に無いだろう。
いつもなら、政宗の側を片時も離れようとしない小十郎も、今日は遠ざけてある。体調が優れないから、しばらく一人で寝かせろ、と。
小十郎はいないが、部屋の外には当然のように小姓が控えているだろうけれど。
目を瞑り、大きく息を吐き出す。
太刀を掴み、立ち上がる。
外で、声がした。
「兄上様。宜しいでしょうか」
その声は、弟の小次郎のものだった。
予想外な訪問者に政宗は目を見開く。
何故、今、ここに小次郎が来る?
訝しみながらも、政宗は「何用だ?」と答えた。
「お話がしとうございます。どうか」
一瞬の躊躇いの後、政宗は「入れ」とだけ言った。自分でも情けなく思えるほどに、声が掠れそうになった。
ゆっくりと襖が開かれ、優しげな面持ちの小次郎が姿を見せた。その表情には悲しみと疲れが見え隠れしていた。
「何の用だ?」
素っ気なく言い捨てるように政宗は言う。
小次郎は、腰に差していた刀を外すと傍らに置き、政宗の前で正座した。
「兄上。今回の件、この小次郎は存じておりませなんだ」
「何だ、命乞いか? 母上を売ってでも助かりに来たか?」
小次郎が言い終わらない内に政宗は蔑む声音で吐き捨てた。
「いいえ。母上をお止め出来なかったのは、この小次郎の罪。どうか、母上をお許しになってください。母上は、ただ、 最上の兄上様を心配するあまりに、あの様な凶行に出たのです」
「伊達家の当主を毒殺しようとした罪を、見逃せと?」
「いいえ」
「Ah?」
「お優しい兄上のことでございます。きっと、今の今まで悩んでおられたのでしょう?」
「馬鹿かお前は」
「昨日の件、小十郎たちは薄々勘付いていた様子。兄上も予感はあったのでしょう?」
兄の言葉には一切答えず、小次郎は淡々と話す。
「分かっていながら、それでも母上を蔑ろにもできず、母上のお作りなった菓子というだけで、食べる振りをするだけで も良かったのに、全てお食べになられた」
切なげな微笑を浮かべて、小次郎は視線を下に向けた。
「…毒殺の現場を押さえる為の振りかもしれねぇぜ?」
小次郎は首を振る。
「それでは、尚更、食べる振りをして倒れれば良いだけのこと。母上を疑いたくなかった兄上の優しさでございます」
「Shit! 俺を馬鹿みたいに言うじゃねぇか!」
「兄上様はお優しいと、この小次郎は存じております。まだ幼かった頃、雪の積もった庭で遊んでくれました」
「ガキのすることに意味なんかあるか。だいたい、お前は何が言いたい!?」
「兄上に母上を斬らせとうありませぬ。親殺しの罪を着て欲しくはありませぬ」
「はぁ?」
「されど、このまま見過ごせば、母上はもっと暴走するやもしれませぬ」
ふぅっと小次郎は息を吐き、目の前に立つ政宗に視線を向けた。
「どうか、ここで小次郎をお斬りください。小次郎を斬ることで、此度の母上をお許し願えませぬか。小次郎を斬れば、 十分に周囲への見せしめ、威嚇にもなりましょう」
「…What?」
こいつは何を言っている?
今ここで、自分を斬れだと?
「何を、くだらねぇ――」
「小次郎は、些か疲れました。家督だ、天下だと言って、やることは親類どうしでの争い、殺し合い。この奥州は戦乱を 避ける為に婚姻による縁を結んできたと聞き及んでおります。今となっては、奥州はほとんどが親族になるというではあ
りませんか。なのに、未だ、戦乱は収まりませぬ。母上の故郷である最上とも争ってばかり。そのせいで、小次郎は兄上とも対立しそうな羽目になっております」
「だから、俺が天下を取って、この乱世を終わらせてやると――」
「でしたら、尚更のこと。小次郎をここでお斬りください」
「……」
「小次郎は、もう疲れたのです。私はただ昔のように兄上を遊びたいだけなのに。母上の思いも分かります。されど、も う、親族で、同族で殺し合うのは見とうございませぬ」
「自分が何を言っているのか、分かってんのか、てめぇ」
政宗の地を這うような声にも小次郎は怯えることなく真っ直ぐに見つめてくる。
「どうか、兄上。母上の代わりに小次郎を斬ることで、先にお進みください。父上も兄上ならばこの奥州を束ねられると 、そう思ったからこそ家督をお譲りになられたのでございましょう?」
「Shit! ふざけたこと抜かすのも大概に――」
「兄上様! 今は鬼になられよ! そして、その鬼をも飲み込む竜となり、どうか、この奥州の真の覇者とおなりくださ い! この狂った世をお鎮めください! 父上が望んだように…!」
「―――」
小次郎の剣幕に押されたように、一瞬、政宗は言葉に詰まる。
ふっと呆れたように小次郎は笑った。
「…本当に、兄上はお優しい。甘いと申すのでしょうか」
そう言いながら、傍らに置いた刀を手にし、立ち上がる。
「斬る名目があれば、斬ってくださりますか」
「ふざけっ……」
言うが早いか、小次郎は抜刀し斬りかかってきた。反射的に政宗も抜刀する。抜刀と同時にその刃は、小次郎の右脇腹 から左肩を深々と切り裂き抉っていた。
斬り掛かっておきながら、小次郎は一瞬で刀を下げて政宗に斬られるのを待ったのだ。
脱力して崩れ落ちる体を政宗が片腕で抱き留めた。
「な、んだと…!?」
「小次郎は、もう、疲れました…」
「ふざけんな、てめぇ」
「どうか、奥州の覇者に」
「まだ言うか!」
「親殺しは、この乱世でも重罪、ですが、兄弟での、殺し合いは、日常で、起きておりますから…」
「小次郎!」
もう言うことは無いとばかりに、小次郎は口を閉ざし目を閉じた。後は、このまま命が尽きるのを待つとばかりに。
「小次郎!」
「政宗様! 如何なされた!?」
小姓から異変を伝えられたのだろう、小十郎が走り込んでくる。そして、政宗の手にある血に塗れた太刀と斬られ力な く政宗の腕に寄り掛かっている小次郎の姿を見て、大きく目を見開いた。
「…俺が、斬った」
「は、」
小十郎は通常と変わらぬ声で返答をする。
「当主である俺を毒殺しようとした、その見せしめだ」
「承知しました」
「母上は、咎め無しに、した」
「御意にございます」
「見せしめ、だ…」
「政宗様。どうか、お気を確かに。小次郎様をこちらへ」
小十郎の声に、政宗はやっと顔を上げた。のろのろと小次郎を小十郎に引き渡す。
小十郎は、小次郎をそっと横たわらせると、小姓を呼びつけ、綱元と成実を呼びに行かせた。それから、自分の羽織を脱ぎ、小次郎に掛けてやる。
小次郎はすでに事切れていた。
「政宗様、堂々となさいませ。小次郎様の為にも」
「―――」
半ば放心したように片膝を付いたままの政宗は、驚いたように小十郎の顔を見た。
「小姓の者からは、小次郎様からこちらへ参られたと聞いております」
ただそれだけを言って、小十郎は立ち上がる。
バタバタと走ってきた成実と綱元を迎える為らしい。
「梵! 大丈夫か!」
「殿、お怪我は!?」
口々に問いかけてくる側近を見遣り、政宗はどうにかいつもの皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。
上手く笑えていただろうか。
その後、小次郎の死を知った母の動揺、悲しみ、怒りは凄まじいものだった。しかし、それを機に政宗に毒を盛る素振りは見せなくなっていた。
ただし、今まで以上に母子の仲は苛烈になってしまったが。
小十郎は細かい経緯は一切聞こうとしない。聞く必要は無いということか、政宗が話すまで聞くつもりは無いだけか。
「なぁ。小十郎…」
縁側に出て夕涼みをしていた政宗は、中庭で草木の手入れに精を出している小十郎に呼びかけた。
「如何されました?」
手入れを中断し、律儀に政宗の元まで戻ってくる。
政宗は小十郎に視線を合わせることなく、じっと夕暮れの空を眺めている。小十郎は、手ぬぐいでざっと衣服に付いた土埃を払うと、「失礼を」と言って政宗の隣に腰を下ろした。次の言葉をのんびり待つことに決めたらしい。
空は、夕暮れの橙色から夜の紺色へと変化していく。
政宗はその様をただ眺めていた。
小十郎が茶でも淹れようかと思い始めた時、政宗が呟くようにぽつりと言った。
「奥州の、真の覇者になれって、言われた。小次郎に」
政宗の視線は変わらず空に向けてある。
「小次郎に言わせると、俺は優しい兄上だったらしいぜ」
なぜだか、自嘲じみた笑いと共に言う政宗を、小十郎は心配そうに見つめた。空だけを見つめる政宗は、そんな小十郎の様子にも気付かない。
そのまま黙ってしまった政宗をしばらく見つめてから、小十郎はゆっくり口を開いた。
「過去にですが、幾度か小次郎様とお話をさせて頂く機会がございました」
その言葉に、政宗が弾かれたように小十郎の顔を見つめた。沈黙が先を促していた。
「小次郎様は、元服後の名前が気に入っておいででした。兄上が下さった名だと申されて。伊達家は「宗」の字を受け継ぐ事が多いのに、ご自分に も政宗様と同じ「政」の字を使った「政道」という諱を与えられたこと、伊達家が縁起担ぎで次男を意味する名前を付ける習慣通りに、ご自分にも「小
次郎」という通称を与えられたことが、誇りであり、兄上の愛情だったと、誇らしげに申されておりました」
「……」
「小次郎様は、政宗様がお好きでございました。優しい兄上様だと」
聞きようによっては、それは政宗を責めているようにも聞こえたかもしれない。政宗も、自虐的な笑みを浮かべる。
「そんな優しい小次郎を、俺は、斬ったんだぜ」
「されど、それが、小次郎様の選ばれた道、願いでございましたのでしょう?」
「――……っ」
衝動的に泣き出しそうになるが、寸前で堪えた。
絶対に泣いてはいけない。小次郎の為に泣くことはまだ許されない。
唇を噛んで耐えた。
「小次郎様は、政宗様に何を託されたのですか?」
夜風が優しく吹き抜ける。
いつの間にか、夜が訪れていた。
「お寒くありませんか」と小十郎が自分の羽織を政宗の肩に掛ける。
あの時も、小十郎は自分の羽織を掛けてやっていたな、と思い出す。
政宗は、今度は星が瞬く空を見つめながら、ぽつりぽつりと、あの時の遣り取りを話し始めた。
小十郎は静かに聞き入ってくれていた。
話して楽になりたいわけではなかった。ただ、どうしても、小次郎は優しい武将だったと誰かに記憶しておいて欲しかった。それだけだった。
毒殺の容疑で断罪された形になったが、小次郎は本当に優しい気性の弟だったと、誰でもいいから覚えておいてほしかった。
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09.3.18
バサラ政宗は、基本、みんな良い人、が似合うよね〜みたいな。「新選組!」の芹沢暗殺の話みたいな感じで。(笑)
弟・小次郎の事を調べていたら、穏やかで優しい気性だったと伝えられているとあって、すごく驚きました。
捻くれてないのか、小次郎!? あの環境で優しい性格に育ってたのか、小次郎!? ということから出来た話だったり。
ちなみに、小次郎の死は謎が多く、政宗に斬られたというのは江戸時代に作られた話では?という説もある。それ以前に、年齢自体というか、存在自体も謎な方。
挙げ句、本当に弟はいたのか?な説まで出てくる始末。
小次郎の年齢も、政宗の1歳下、7歳下、11歳下、と説が多すぎます…。何者なんだ、小次郎。
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