※土方さんの過去捏造が甚だしいので、苦手な方はお気をつけください。
夜明け前 1
「沖田隊長の名前って、嫌味なくらいに完璧だと思いませんか」
道場脇に張り出された紙を眺めながら隣に立つ男が呟いている。
沖田は「誰だったか?」と数瞬考えた後、沖田自身が率いている一番隊に所属することになった隊士の一人であることに思い至った。思い至ったが、依然、名前は思い出せない。
仕方なく、目の前にある各部隊名とそこに所属する隊士たちの名前が記された紙に視線を戻す。
「漢字の意味を考えると、凄いですよね。もう嫌味ですよね」
独り言なのか沖田に向けて言っているのかさえ判断が付かないが、気になり出すと気になって仕方がなくなるので会話に乗ることにした。
「何でィ。嫌味なくらいに完璧って意味わかんねぇぜ?」
「字がです」
「あ?」
「沖田総悟の総悟って字です。総てを悟るっていう字を当ててるところがです」
「良い名前だろ。文句あんのかィ?」
「いえね、その容姿でその性格でしょう。そこに総てを悟るという意味の名前が付くんですよ。これはもう大物になるか 名前負けのどっち―――」
淡々とした口調で大真面目に話し続ける平隊士に豪快に回し蹴りを食らわした沖田は、何食わぬ顔で後方を歩いていた山崎に声を掛ける。
「おい、山崎」
「はい?」
呼ばれたので一応沖田の側までやってくる。そこで山崎は、沖田を始め多くの隊士が道場前に集まっている意味を知っ た。
「何事かと思えば、隊編成の紙がここに張り出されていたんですね」
「お前知らなかったんで?」
「知らなかったといいますか、忘れてました。これでも、すでに色々と忙しい身なもんで」
山崎の監察方筆頭兼副長助勤という役職は早い内から本人に告げられていた。この隊編成にも山崎の監察としての意見が数多く取り入れられているのだ。そのことを知っているのは、幹部クラスの人間のみであり、その一人に沖田も入っているはずである。
「それで、何か用ですか?」
「何かって?」
「隊長が俺を呼び止めたんじゃないですか」
「おお、そうだ。こいつが俺の名前をベタ褒めするもんだから、お前にも聞かせてやろうかってな」
ベタ褒めしたことにされてしまった隊士は、まだ回し蹴りの衝撃から回復していない。沖田は手近な隊士を捕まえて「 邪魔だから、向こうに寝かせとけ」などと宣っている。
「名前って、何の?」
「だから、俺の」
「沖田総悟って名前ですか?」
「そう。総てを悟るっていう字で書くんだぜィ。格好良いと思わねぇかィ」
「はあ、言われてみればそうですね。格好良いかどうかは知りませんが」
山崎は素で何かと失言の多い男である。時々、わざとやっているのかと思うこともあるが、未だ謎のままだ。
「名前負け」に続いて「格好良いかどうか知りません」とも言われる結果になった沖田はよほど腹に据えかねたのか、山崎に八つ当たりのように言う。
「お前の名前はまた変わってるが、家が破産したときにでも付けられた名かィ?」
「失礼なっ。この山崎退の退って名前はね、きっとですね、こう、いつ何時でも冷静でいろっていう、一歩下がって物事を見定めろっていう意味が込められてるんです。きっと。そう思うことにしているんです!」
「ただの思い込みじゃねぇかィ」
「思い込みでも思い込めば本当っぽくなるかもしれないじゃないですか」
「っつうか、それ、近藤さんが言ってた言葉じゃねぇかよ」
「そうですよ、局長がそう言って俺を慰めてくれたんですよ。羨ましいでしょ、局長から名前の意味を貰ったんですから 」
そう言った途端、山崎は沖田の跳び蹴りをまともに食らっていた。
「隊長ぉぉぉ! ホント、八つ当たりは副長だけで勘弁してくださいよ。何でいつも俺に当たりますか!」
「山崎のくせに生意気だから」
「山崎のくせにって何ぃぃぃ!?」
沖田と山崎の遣り取りを側で聞いていたらしい十番隊の隊長を務める巨漢が堪りかねたように笑い出していた。そのまま十番隊隊長は後ろを振り返り、
「名前といや、副長の名前にも興味が沸きますな」
と言う。
その発言に周囲の隊士達が一斉に飛び退いた。海が割れるかのように土方の前に道が開けてしまった。この一瞬で半分以上が逃げ去ってしまっている。
隊士達のあまりに露骨なリアクションに土方は思いっきり顰めっ面を作った。
「…そこまで避けるか」
「土方さん、いたんですかィ。こっそり盗み聞きなんざ悪趣味でさァ」
わざと嫌そうな表情を作って沖田が声を掛ける隣で、山崎は「気配も足音もしなかったよ、この人…」とうわごとのように呟いていた。
土方は気怠そうな動作で煙草の煙を空に向けて吐き出し、
「名前が何だって?」
と十番隊隊長こと原田に向かって質問を投げかけた。とりあえず、沖田や山崎の戯れ言は無視するようだ。
「沖田隊長や山崎みたいに名前に当てられている漢字に意味が込められているのかという話ですわ」
「ああ?」
「局長なんか、まさに局長って名前じゃねぇですか」
怪訝そうに土方は眉を潜める。いまいち話の内容が掴めていなかった。
「局長の名前って、勲か?」
「そう、勲。勲という漢字が持つ意味は高貴な力、手柄、功績とかでしたな」
「ああ、そういう話か」
「頭悪ぃな、土方さんは。さっきからそう言ってんじゃねぇですかィ」
「てめぇはまったく説明してねぇだろっ」
横から茶々を入れる沖田に一喝してから、土方は「それがどうしたよ?」と聞く。
「それだけの話でさァ」
何でもありやせんぜ、という口調で言う沖田の横で原田が「それで、副長の名前が気になったんですな」と言った。
原田の言う意味が掴めなかったのか、沖田を始め周囲にいた幾人かの隊士達の頭に「?」マークが浮かんでいるかのような妙な沈黙が舞い降りた。
原田はそんな沖田を横目で見遣りながら、
「気になりませんかい。名前に数字が入ってる奴ってのは大抵は誕生の順番を表すもんでしょう」
「順番ってぇのは、一郎とか次郎ってことかィ」
「そうそう。で、副長の名前は普通に考えると十四番目という意味になるわけだ」
「……」
「…え?」
「十四?」
「え?」
さすがにそれは多いだろ、と皆は言いたいのだろう。
「いやぁ、前々から気になってましてな。読み方が先でそこに漢字を当てたのか、それとも順番を表す意味で漢字を当てたのか、と」
言われてみれば、というようにその場にいる隊士達の視線が土方に集中し、土方は鬱陶しそうに顔を顰めた。短くなっ た煙草を地面に落とし靴底でもみ消しながら、
「見たままの文字通りの意味しかねぇよ、この名前には」
面倒くせぇという態度で吐き捨てるように言って、新しい煙草を口に咥える。
「見たままってぇのは、十四という漢数字の意味と思って宜しいんで?」
原田の問いに返ってくるのは顰めっ面のままの沈黙。その沈黙は肯定と取って良いと原田は判断したらしい。
「するってぇと、えらく大家族ですなぁ」
原田の面白がるような言葉に周囲の隊士たちがどよめいた。
「えぇぇぇ? マジで?」
「副長、十四人兄弟ッスか!?」
さっきまでの萎縮ぶりはどこへやら。一気に隊士達が盛り上がる。驚きというよりも、単純にウケているようだった。
別に名前でウケなど狙いたくもない土方は、益々不機嫌な顔になる。
「俺ぁ、元々は百姓出だぜ? 兄弟多いのも珍しくもねぇだろうよ。俺のガキの頃ってのは生存率も低いしな」
「生存率…」
山崎がぼそりと呟き、土方は苦々しい笑いを浮かべる。
「実際、家にいたのは八人兄姉だったしな。残りの六人は幼くして死んだり戦に駆り出されたりって話だ」
八人でも多いよ、とは思うが、それ以上にあまり冗談にすべき話ではなかったようで、原田は苦笑いを浮かべつつ軽く謝罪した。その場に居合わせた平隊士達も急に居心地が悪くなったようにいそいそとその場から離れる。
考えてみれば分かることだった。ここにいる者で幸せな家庭環境を持った者など少ないだろうことを。
「ま、長年の謎が解けて俺は満足ですがね」
謝罪はしたものの、原田は至極ご機嫌だった。
「長年の疑問だぁ?」
「近藤局長の道場にいる頃から気になって気になって仕方がなかったんですぜ。あんた、昔は今以上に取っ付きにくい空気醸し出してたしな。聞きたくても聞けず仕舞いだ。それが今頃解決。いやぁ、すっきりしたぜ」
そんな原田に土方は「アホか」と呟く。
「しかし、驚きでさァ。マジで十四番目の男子という意味だったとはねェ。単純明快な名前もあったもんだぜィ」
「うるっせぇよ。ほっとけや」
これ以上戯れ言に付き合ってられるか、と踵を返す。そこに、ふと思い到ったように山崎は声を掛けた。
「あれ、副長。何か用があってここまで来たんじゃなかったんですか?」
ぴたりと止まる足。本当に用が有りながら用件に触れることなく立ち去るところだったようだ。
「危うく忘れるとこだったじゃねぇか」
「土方さんも年ですねィ。もうボケが出て来やしたか」
「やかましいわ。誰がボケだ。だいだい、てめぇを探して来たんだよ。近藤さんが呼んでんだ。さっさと行けや」
「近藤さんが? 何の用でィ?」
「てめぇのデタラメな始末書についてだよ」
「デタラメって何ですかィ。あんなに真面目に書いたのに」
「あれのどこが真面目だ。だいだい、てめぇもくだらねぇことで近藤さんの手を煩わしてんじゃねぇよ。直接近藤さんとこに持っていくなっつってんだろうが。何でも先に俺に提出しやがれ」
「へいへい。今度からそうしまさァ」
お座なりな態度でひらひらと手を振り、沖田は近藤がいるだろう執務室がある建物へと向かって歩き去る。
「ったく、あいつは」
ぶつくさと文句を言いつつ、土方も沖田の後を追って執務室へと向かった。近藤と共に、というよりも、沖田にはどうしても甘い近藤に代わって近藤の隣で説教をする為だろうことは、誰の目にも明らかだった。
普段なら、土方が直接説教をして終わっているところを、沖田がうっかり近藤の手元に書類が行くようにしてしまったせいでこういう形になってしまったのである。
さすがに近藤もその手に取って直接見たものを「仕方ないな」と笑って済ませることも出来なかった。
今までのような、道場主とそこの食客という簡単な関係では片付けられない。それぞれに立場というものが出来てしまった。今後ももっとそういう立場というものが増えていくだろうことは沖田にも理解出来ている。
役職を持つというのは、そういう面倒事やしがらみが増えるということでもあった。
それでも、自分たちはこの道を選んだのだ。
気を付けよう、と沖田は提出先を間違えたことにだけ反省した。
近藤の手前、悪ふざけをすることもなくきちんと真面目な始末書を書き上げた沖田は、隊士たちの寛ぐ大広間に足を向けた。小腹が空いたので、茶菓子でも無いかと探しに来たのである。
丁度、山崎が緑茶を淹れているところだった。テーブルには上司の差し入れと思われる煎餅が置かれている。
「山崎、俺にも茶ぁくれィ」
「はいよ」
返事と共に山崎が沖田用の湯飲みに緑茶を注いでくれる。
沖田は煎餅の盛った皿を手元に引き寄せると一枚掴み取った。噛み応えのありそうな煎餅だな、と思う。その煎餅をバ リバリと噛み砕きながら沖田は先程の遣り取りを何とはなしに思い返していた。
「十四人、ね…」
そんな大家族だったのか。
姉と二人だけ。それも、早くに両親を亡くしていた為、親族と呼べるのは本当に姉一人だけという沖田には大家族など想像も付かない。
鬱陶しいのか賑やかなのか。開国に伴う混乱期という時代が時代だけに、大変なだけだったのか。
「昔、あの野郎は、家族なんざいねぇっつってたように思うんだがな」
その家にいたという八人の兄姉たちはどうしたというのだろう。今まであの男の身の上なんかに興味も無かったから、 聞いたこともなかった。
「いないんじゃないですかね、ご家族は」
山崎が緑茶の入った湯飲みを手渡しながらそう言った。
「なんでィ。何か知ってんのかィ?」
「いえ。副長って、盆、正月に休みを取ることも無ければ、どこかに手紙を出す様子も一度もなかったな、と思ってただけで」
確かに。言われてみればその通りだ。
盆に休むとすれば、近藤の道場の先代の師匠の墓参りに近藤のお供として行くときくらいだった。
土方個人の里帰り、もしくは墓参りは一度もないのでは。少なくとも、沖田は見たことがない。
「参る墓も無いってかィ」
「かもしれませんねぇ」
山崎は何を知っているのか。自分だけ蚊帳の外みたいな気分に腹が立つが、今更あの男の身の上について知りたいなどと思うのも癪で、苛立ちを誤魔化すように乱暴に煎餅を噛み砕き続けた。
しかし、思考は昼間の土方から離れない。忌々しいと思うが、浮かぶのは、名前に付いて聞かれたときの、あの一瞬だけ見せた無防備に呆けた顔。きっと誰も気付かなかっただろう、本当に一瞬だけの変化。
何故、そんな些細な仕草に自分は気付いてしまうのか。
「クソッタレ」
舌打ち混じりに沖田は吐き捨てる。あの男の事で思考が占領されるなど、本当に忌々しい限りだ。
意味無く湯飲みを睨み付けたまま、ひたすら煎餅を噛み砕いた。
しばらく山崎も暢気な風体で煎餅を囓っていたが、不意にその動作を止める。
「…以前、ですけどね。俺も気になることがあってちょっと調べていたんですよ」
その言葉にぴくりと沖田の肩が震えた。思わず顔を上げそうになるのを辛うじて押さえた。何を? と言う代わりに視線だけを送る。
「副長、生まれは局長と同じ武州だと小耳に挟んだことがあったもので。武州といっても、領土は広いですからね。山を挟んだら村同士の行き来が無くても不思議はないそうですから。子供時代であれば、尚更、接点なんて無かった可能性もありますよね」
無言のまま、沖田は頬杖を付き、視線を開け放たれた障子の向こうへと向けた。
山崎は言葉を一旦切ると、沖田の様子を伺うように見詰めた。沖田が僅かでも動く素振りを見せればそこで話は終わるつもりでいた。でも、沖田は動かない。無言は先を促す空気すら伴っていた。
小さく息を吐き出し、山崎は言葉を続けた。
「武州での土方姓というのはけっこう知れた存在なのはご存じでしたか? 天人が来る、開国する以前までの話ですけどね」
沖田は緩慢な動作で二枚目の煎餅に手を伸ばした。
重い話になりそうだな、興味なんざ持つべきじゃなかった。
そんな言葉が脳裏を掠める。しかし、この場を立ち去る気にはならなかった。よくない傾向だと思った。
「戦火をまぬがれ僅かに残った貴重とも言える資料からは、当時の呼び名でいう村方三役の一つである名主か組頭をしていた家だったことが推測されますね」
バリバリと沖田は煎餅を噛み砕き続けた。しかし、やはり、立ち去る素振りを見せることは出来なかった。
自分が立ち上がれば、そこで山崎の話も終わっただろうに。やはり、よくない傾向だ。
「攘夷戦争の初期、真っ先に攻撃対象になったのは、江戸の都ではなくその近辺の地域だったそうです。兵糧の元を絶つのが目的だったのでは、と憶測が飛んだそうですが。その時期にね、焼き討ちにあった村が幾つもあるんですよ。村役人、町役人の屋敷のみを襲撃するケースもあれば、村一つが丸々消されるようなケースもあったとか。どちらの命による焼き討ちだったのか、不明のままだそうで。どちらも否定してますからね」
バリッと煎餅を噛み砕く音がいやに大きく響く。山崎の元からはずずずっと茶を飲み干す音。
「俺が知り得たことは、それだけなんですけどね」
何がそれだけなんだ、とも言わず。
沖田は黙々と煎餅を噛み砕き、山崎は「仕事に戻ります」といつものへらへらした顔に戻り立ち上がった。
やはり、興味など抱くべきではなかったか。
バリバリと沖田はひたすら煎餅を噛み砕き続けた。
続きます。
08.1.2
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「銀さんと土方さんは似てる」(印象が?)とかしょっちゅう言われてるし、なんか、家族とか故郷とか無さそう? と思ってしまったことからこんな発想が。
捏造甚だしくてすんません。
柳生編やミツバさんの話に出てくる過去シーンを見てると、土方さんだけどうもバックグラウンド見えないなぁとずっと思ってまして。
近藤さんや沖田は生まれとか家族とか実家とかがはっきりしてそうなのに、 土方さんだけそれらが見えないというか。
ここでの土方家イメージは史実の土方(歳/三)さんのご実家と歳/三さんのお姉さんが嫁いだ佐藤家をごちゃ混ぜにしてたりします。
半端に史実ネタを混ぜてくんなってね(苦笑)
そして、これに「俺は用 心 棒シリーズ」の浪人のイメージが混じってくる、と。(爆)
っつうか、考えてた以上に長くなりそうなんですが、これ。
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