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 土方が生まれた時、すでに父親は他界していたと聞く。母親もまた土方が三歳の時に病に倒れた。
 その頃はおかしな病が流行りだしていた。見たこともない症状に対処法は全く見つからず。庶民は恐慌状態に陥っていった。

 後に天人によってもたらされたウイルスだと判明するのだが、その頃はまだ天人の存在は明るみに出ていなかった。

 土方が七歳の時、天人と呼ばれる者の存在が公にされた。その天人の一種族が江戸城に大砲をぶち込んで開国を迫ったというのは有名な話だ。そして、そこから後に「攘夷戦争」と名付けられる戦いが始まったのである。

 幕府が国を挙げて抵抗したのは僅か二年足らず。あまりの戦力差に幕府はあっさりと降伏。そのまま不平等な条約を結び続ける。

 それらに反発、対抗して、侍たちは戦いを止めなかった。各地で抵抗運動は起こり続け、各地で戦闘は激化していった 。

 開戦から十数年後、幕府による廃刀令の断行によって敗戦へと持ち込まれるその時まで、侍たちは戦い続けたのである 。

 

 

 土方は近藤と同じ武州の生まれである。この武州という土地は御料所(幕府の直轄地)であるが、江戸に近いということもあって他所の御料所に比べても少々変わった気質を持っていた。

 どこよりも御料所であることを誇りに思い、武士、農民に関係無く必要となれば武器を取り将軍様をお守りして戦うという考えが浸透している武士気質の盛んな土地だった。そのため、この地方では農民、商人の間でも剣術の稽古が当たり前のように取り入れられていた。

 土方の生まれ育った村と近藤の生まれ育った村は、山を挟んではいたが位置的には隣村くらいの距離だった。十五歳の時、土方が生まれ故郷の武州で暴れまわっているところを近藤と出会い拾われるわけだが、もし、攘夷戦争の影響を受けることがなければ二人はただの剣術好きな若者としてもっと早くに普通に穏やかな友人として出会い日々を過ごしていたのかもしれない。そんな可能性もあり得たかもしれない、そんな距離感だったのだ。二人の生まれた土地は。

 しかし、土方が七歳の時に攘夷戦争は勃発し、穏やかな少年時代など無縁と言える状況に突入していった。


 開戦から2年後のことだった。幕府が天人を迎合したその年。
 その日は、朝から妙な静けさがあったように思う。兄姉たちも怪訝そうに空を見上げることが多かった。
 よく晴れた空を見上げながら姉の一人が「嫌な感じね」と呟いていたのを覚えている。そして、「嫌な感じ」を抱いたまま夜を迎えた。

 なかなか寝付けない夜だった。静か過ぎて落ち着かない、そんな印象だった。
 夜更けになって兄姉たちが騒ぎ出したことで土方も身を起こした。傍で眠っていたはずの姉の姿が無い。そう思った途端、その姉の八重が部屋に飛び込んできた。そして、土方を抱きかかえ奥の部屋へと駆け込む。

 何事だと問おうとする口を塞がれた。

 長兄が逃げろと裏戸を示した。長兄は刀を抜いていた。穏やかな性格の、土方に句作や三味線、笛などを教えてくれた教養のある兄だった。それだけに、その長兄の姿は衝撃的なものだった。

 八重に抱えられ、土方は外へ逃げ出す。そして、納屋へと押し込められた。

 納屋に入る直前に火を放たれる屋敷の姿が見えた。兄を呼ぼうとしたが、それさえも姉の手によって塞がれた。

 意味など判るわけもない。
 なぜ? と素朴な疑問を抱く暇もない。
 ただ、痺れたように動きの鈍った頭に浮かぶことは、長兄のことだけだった。土方が懐いていた、土方と八重を逃がすために時間を稼いでくれた長兄は、盲目だった。

 長兄は、どうなったのだろう。他の姉兄たちはどうしたのだろう。

 逃げる時間も場所もない状況下で、ただ、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。八重は藁や他の道具を不自然に見えないように動かしながら土方を隠そうとしてくれていた。

「泣いちゃ駄目」

 そう耳元で囁かれる。ぎゅっと抱きすくめられる。

 納屋の外を足音が通り過ぎる。やり過ごせたかと思ったとき、納屋の戸が蹴破られた。
 しかし、二人がここにいることを判って蹴破ってきたのではないらしい。いないことを確認するように辺りを見回してるのが判る。

 一応、確認だ。そう声が聞こえ、適当にザクザクと突き刺していく音を聞いた。その音も時期に遠ざかる。今度こそやり過ごせた。そう思った次の瞬間、乾いた爆発音が数回。それを最後にやっと足音が遠ざかる。

 八重が土方をきつくきつく抱き締める。

 今の音が銃声であることは土方にも判った。八重の体が重い。
 悲鳴を上げようとも口は塞がれる。

「泣いちゃ駄目」

 そう繰り返すだけの姉の声。

 土方は自分の指先が小さく震えていることにようやく気付く。ぎゅっと両手を握り締めれば、指先がひどく冷たかった 。自分の指じゃないみたいに思えた。感覚が鈍っているのか。
 その小さな両手を姉が包み込むようにして握ってくれた。そして、ゆっくりとその手の中に硬く重いものが握らせられる。

「トシ坊、よく聞いて。夜が明けたら、これを持って山の方へ逃げるの。良い?」

 反応を示さない土方に構うこと無く姉は囁き続ける。

「夜が明けるまでは、絶対に動いては駄目。夜が明けたら、逃げ道は絶対に出来るわ。だから、夜明けと同時に山の方へ逃げなさい。里を避けて山伝いに逃げるの。良いね」

「あ、姉上は…?」

 やっとのことで声を出した土方の頭を八重は撫でてくれる。

「大丈夫よ、大丈夫」

 そう囁く声に力は無い。

「姉上…?」
「だいじょう…ぶ、よ」
「あねうえぇ…」
「泣いては、駄目。夜明け…まで、我慢なさい。夜明けまでの、我慢…よ」

 声から力が抜けていくのが分かる。握ってくれている姉の指先が冷たくなっていく。

「トシ坊、大丈夫よ。お前は逃げるの。お前が一番幼いんだから、お前は生きなくては。兄上が持たせてくれた、これ、 手放しては、駄目、よ」

 耳元でずっと「大丈夫よ」と囁き続けてくれた姉の声が聞こえなくなったのは、いつの事か。

 嗚咽を押し殺し、姉の体の下で身を竦めていた土方は、戸板の隙間から差し込む陽の光に顔を上げた。

 冷たく、固くなった姉の体の下から這い出て、納屋の壁板の隙間から外の様子を窺った。今のところ、人の気配は無いようだった。

 横たわる姉の姿を振り返り、零れ落ちそうになる涙を必死で拭った。

――泣いては駄目。

 姉の声が頭に木霊する。

 握らされた小刀と金子(きんす)の入った包みを抱きかかえ、土方は納屋からそっと抜け出した。山の方へと数歩行きかけて、立ち止まる。
 夜明けと同時に山へと逃げろと言われたが、やはり、兄姉たちをこのまま置いてなどいけないと思ったのだ。
 しかし、幼い子供の力では何もどうすることも出来ないようにも思えた。

 それでも、何がどうなったのか、それだけでも確かめたくて土方は焼け落ちた屋敷へと足を向けた。

 玄関口だったと思われる場所に横たわる男の姿を見つける。長兄だろうことは、すぐに分かった。すでに事切れていることも。
 屋敷から目を逸らし、周囲を見渡す。
 無残なまでに破壊され、焼き払われた家々の姿。ここが、今まで暮らしていたあの村の姿なのか。目の前にあるのは、 ただの荒野でしかなかった。

 なぜ、こんな目に遭わねばならないのか。
 いったい、何が起きたというのか。

 長兄の元へ近付こうとしたそのとき、不意に人の話し声が聞こえ、土方は身を竦ませた。

 里を避けろと言った姉の言葉を思い出す。

 今、この状況下で出会う人間は誰も信用してはならない、そう思えということなのか。
 兄姉たちをこのまま置いてなどいけない。でも、今は身を隠すしかできないのか。
 命を懸けて逃がそうとしてくれた兄姉のことを思うと、今は身を潜めるしかないのか。

 必ず戻ってくるから。そう呟き、土方は山に向かって駆け出した。

 全てが恐ろしくて、土方は震えながら一夜を山中で過ごした。その日、焼けた村から人の気配が消えることはなかった 。
 じっと息を潜め続けた。一日、二日と時間だけが過ぎる。しかし、今の自分に兄たちを弔う手段が見当たらない。どうしようかと考え続けた結果、土方は山越えを決めた。

 半日ほど歩いたところで宿場町と思われる場所へ出た。
 こんな近くに宿場町があったのかと、驚く。村と村との距離が想像していたよりも近いらしい。

 奉公に出される前だったから、土方は自分の村の外のことをまだよく知らなかった。

 こんな近くに、このように人の行き来の多い賑やかな場所があったのか。しかも、こちら側は何の影響も受けていないように見える。

 なぜ、土方の村だけが襲われた。誰の仕業だというのか。

 しかし、考えたところで今の土方に何が分かるわけでもない。それよりも、今は腹を満たしたかった。何でも良いから食べたかった。体も神経も疲れ切っていた。

 歩くのも限界に近かったので、目に付いた近場の茶店を選び、軒先に並べられた長椅子に腰を下ろす。

 金の勘定の仕方は兄姉たちに仕込まれていたから、持たされた金子の価値も使い方も承知している。無駄使いはしない 。小刀は手放さないし、持っていることを周囲に悟らせない。そう自分に言い聞かせる。

 薄汚れた格好のまま茶店に入ると、店主が「坊やは一人かい?」と聞いてきたので適当に「奉公先から家に帰る途中だ 」と答えた。以前に兄たちが話していた内容を覚えていたのでそれを使ってみただけだった。茶の代金はあるから平気だと伝えれば、安堵したのか、店主が気を使って裏に井戸があるからそこで足と顔を洗っておいでと言ってくれた。なので 、遠慮なく井戸を借りた。

 焼け払われた村から逃げ出し、山の中を歩き回ってすでに二日半。その間、まともに食事も水浴びもしていない。着物もぼろぼろだ。
 ジャバジャバと顔と足を洗い、ついでに頭から水を被った。全身が埃まみれで気持ち悪かったのだ。

 乾くまでその辺をうろついていようかと思っていると、店の娘らしき人物が声を掛けてきた。「弟のお古で良かったら 」と着物を差し出してくれたのだ。
 彼女の弟も奉公に出ているそうで、土方の姿を見て放っておけない気持ちになったらしい。だましてるようで少々気が引けたが、今は親切に甘えようと着物も拝借させてもらった。

 とにかく、あの村の生き残りだと分かってはまずいらしいことは、この二日間で十分に思い知っていた。幼い土方が危機感を覚えたほどのことだった。

 あの状況下で土方が鮮明に記憶しているのはただ一つ。村に火を放った者たちの姿が、天人と呼ばれる地球外の人類ではなく、明らかにこの国の人間と同じものだったことだ。
 夜明けと共に村にやってきた者たちは、生存者がないかどうかを確かめていた。生存者を捜しているのではなく、生存者がいないことを、確認していたのだ。

 なぜ、そこまで徹底する必要があるのか。

 十にも満たない幼い頭で分かるはずもなかった。

 情報が少ないまま考えるだけ無駄か。そう思いもう一度顔を洗った。

 見繕いを終え、茶店へと戻ると店主が団子と茶を持ってきてくれた。
 甘いものが好きなわけではないが、今は何でも良いから腹に入れたかった。
 腹が空きすぎて味なんか分からないかと思ったが、団子はちゃんと甘かった。茶の渋みがその甘さを抑えてくれるので何とか食べられた。

 子供のくせに甘いのが苦手なんて変わってるなぁ、そう笑う兄の声が脳裏に蘇る。

 団子を食しながら、長兄が好んだ味だったことを思い出す。姉たちも甘味の類は大好きだった。外出した折は、必ず甘味ものの土産があった。

 今頃になって、嗚咽が零れ出てくる。本当に恐ろしかった。悲しかった。寂しくてたまらない。

 もう、あの家には帰れないのだろうか。

 必死に声を押し殺し、溢れ出る涙を拭いながら、団子を口に運び続けた。団子は、涙が混じって塩辛い味になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 まだ続きます。

08.5.5
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よく考えたら、アップしてる今日という日、土方さんの誕生日じゃん。
誕生日にこんな話でごめん…。