※ ゲーム後半のネタバレしてるので、未クリアの方はご注意を。
12月3日
「こわ…いよ…。おにい…ちゃん、おとう…さん」
小さな手から力が抜け落ちていく。
苦しそうに顔を歪めて。
「…菜々子?」
恭弥の口から掠れた声が零れる。力無い小さな手を、それでも握り絞める。強く。
「菜々子…? 菜々子!」
心電図の波形が平坦な、一本線のものとなり、無情な機械音を鳴り響かせる。
それが意味することを理解したくはなかった。
病室のドアが開き、叔父の遼太郎が駆け込んで来たのが分かったが、顔を上げることが出来ないでいた。菜々子から目を逸らすことなど出来なかった。
小さな手をただ握り続けた。
「…なな…こ…?」
愕然とした叔父の声。続いて入ってきたらしい仲間たちの悲痛な声。
その全てが酷く遠かった。
まだこの手はこんなにも温かいのに。なぜ、目を開けてくれない。
菜々子の手を離す事が出来ないままの恭弥の頭は酷く混乱していた。そして、頭の一部では酷く冷め切っていることも感じていた。
「菜々子…」
沢山のコードが付けられた小さな体は、もう動く気配を見せてくれない。
「…菜々子。守るって言ったのに、約束したのに…。ごめん」
低く掠れた声が出る。
それでも、涙の一つも零せないでいる自分に吐き気がした。
どのくらいそうしていたのか。数分か、数十分か。
「先輩! 先輩!」
病室の外から大声で呼ばれ、顔を上げる。
目の前には変わらずに横たわる菜々子の姿があるだけだった。
「先輩!」
あの声はりせか。
ようやく、そう認識した。
何かあったのだろうか…?
菜々子から手を離し、病室の外へと足を向ける。外ではりせと完二と直斗が青ざめた顔で立っていた。
「大変なの、先輩! 堂島さんが生田目のとこに行ったかもしれないって! 生田目のやつ、この病院に入院してるみたい!」
りせの声が頭に届くが、その意味を理解するのに時間が掛かる。
頭の中が暗闇に包まれる。頭が酷く重い。
生田目…だと…?
動かない恭弥の代わりに完二が足立刑事を問い詰めているのが目に映る。
足立が「教えられるわけないだろ」と叫びながら完二から逃れようと藻掻いている。
「どうして黙っていた…?」
驚くほどに低い声が零れ出た。
驚いた様に陽介がこちらを振り返った。
「部屋はどこだ?」
通常ならない声音に千枝までも振り返るが、気にもならなかった。
教えられないよ、そう言う足立を完二が締め上げるようにして生田目の病室を聞き出していた。
足立をそこに捨て置き、聞き出した生田目の病室へと駆け出した。
先に辿り着いていた遼太郎が軽く騒ぎを起こし、警官の目が生田目の病室から逸らされる。
何て警備の甘さ。
奥から聞こえる大きな物音。何かが落ちるような音。
顔を見合わせ、そして、全員で病室へと駆け込んだ。
開け放たれた病室の窓。その窓の下に蹲る生田目。
怯えたように震える続ける男の姿。
「ちがう…ちがう…。救ったんだ…ちゃんと、救ったんだ…」
譫言のように繰り返される言葉。
長い沈黙。
逡巡する皆の気持ち。そして、陽介が、動く。
「お前は、どうする?」
どう、する…?
「こいつを、テレビに落とせば、それで終わりだ」
落とす…?
「ただ、落とす。それだけだ」
千枝と雪子の批難めいた悲鳴。激しい怒りに満ちた陽介の声。
怯え、震え続ける生田目の姿。
動かなくなった、菜々子の姿が脳裏に浮かぶ。
……菜々子。
どうしたら、君を、救えた…?
「お前は、どうするんだ?」
陽介の低い声。闇を見つめた声。深い闇に閉ざされる、陽介の声。
どう、したい…?
……菜々子。
『お兄ちゃん、大好きー』
……菜々子。
「ちがう…ちがう…」
繰り返される生田目の言葉。
寂しさを押さえ込んで、精一杯に笑ってみせていた、幼い少女。初めて、真っ直ぐに笑みを向けてくれたように思えた。あの時。
『お兄ちゃん、大好き』
…菜々子。
あの、今にも壊れそうな一生懸命な笑顔が浮かぶ。
祈るように、目を瞑った。
今、何を見定めないといけいない?
今は、何を決断する時なのか。
どうするのが、一番、最善と思える道に繋がる…?
ゆっくりと、息を吸い込む。冷静になれ。
まだ、確かめてないことが沢山あるはずだ。菜々子が何故こんな目に遭ったのか、真相をまだ聞かされていない。確認しきれていない。
何故、菜々子がこんな目に遭わなければいけない。
それを聞き出すまでは、楽になんかさない。
「待て、陽介」
「待てるかよ!」
悲しみに満ちた、深い闇が見える。激しい怒りが渦巻く。
それを上回る自分の中のどす黒い闇。
「なんで菜々子ちゃんがこんな酷い目に遭って、こいつがのうのうと生きていられるんだよ!」
そうだ。それを聞き出すまでは、楽にさせない。
陽介の優しさの籠もった怒りが、恭弥に光りを見せる。道を示す。
まだやることが残っているんだ。
「落ち着け!」
日頃、出すことのない大きな怒鳴り声。びくりと静まり返る室内。思わず苦笑が零れた。
ゆっくりと、周りを見回す。
困惑に満ちた仲間たちの眼差し。
「まだ、確かめ切れてないことがある」
「そんなこと言ってる場合かよ! チャンスは今だけだ!」
「分かってる。確かめて、それでも生田目が許せないと思えたら、その時は、俺がこの手で始末を付けるよ。この手でね」
その時は、テレビなんかに落とさない。そんな簡単に終わらせない。
「………」
「―――」
「……」
お前、何言ってんの? そんな声が聞こえてきそうな眼差し。
誰も声を出せないでいる。真っ先に沈黙を破ってくれるのは、やはり陽介だった。
「…っとに、呆れるほど冷静な奴だな、お前」
「……うん。おかげさまで。いつでも冷静でいろって、誰かさんに約束させられたからね」
「…へっ」
場を引き締めるのも、緩めるのも、全て陽介の力なのだと、改めて思う。
ほっとした空気が病室に満ちていた。
直斗が静かな口調で生田目に語りかけていく。
そして、怯えから幾分立ち直ってきた生田目が、ゆっくりと今までの経緯を語り出した。
決断は、間違えていなかったのか。
今でも分からない。ただ、生田目をテレビに落とすことを思い留まったことは正解だったのだろう。
それでも、今でも分からない。
俺は、本当にちゃんと道を選べているのか。
いつも、不安に駆られる。
心肺停止になっていた菜々子が、奇跡的に息を吹き返したと聞いたのは、生田目から聞ける限りのことを聞き出した後のことだった。
そして、その日、クマが姿を消した。
酷く疲れた一日だった。一日があり得ないくらいに長く感じた日だった。
気を遣い、自分の家に来ないかと誘ってくれる仲間たちに礼と別れを告げて、一人帰宅する。
――おかえりなさい、お兄ちゃん。
もうどのくらい、あの言葉を聞いてないだろう。
この家に住んで、もう八ヶ月以上。馴染んできたつもりだったのに、やはり他人の家なのか。酷く余所余所しく感じられた。酷く寒い。寒々しい。
足早に自室に上がり、ソファに寝ころぶ。
仰向けになり、天井を見つめるが、
「腹減ったな…」
でも、動くのも億劫だった。 とはいえ、明日からもまた、やることが山積みだろう。
「何か、適当に口に入れるか」
仕方ないと、自分に言い聞かせ、のろのろと階下に降りる。
冷蔵庫の中身は、買い物に行ってないせいで何一つ代わり映えしない。
遼太郎と菜々子が入院してからは、ずっと愛家などで食べて帰っていた。一人分だけの食事など作る気が起きなかっ た。
冷凍庫を覗けば、まだ火を扱うことが危ない菜々子の為に、好きなときに白飯も食べられるようにと、炊いた日に余 った白飯をラップに小分けして包み氷らせていたものが数個見付かった。
「これで良いか…」
とりあえず、何か食べておけばいいだろう。
電子レンジで解凍させながら、流しに向かいコップに水を汲むと一気に飲み干した。そこで初めて酷く喉が渇いていたことに気が付いた。
恭弥はそんな自分の状態に呆れ、苦笑を零すしかなかった。
解凍し終えた白飯をラップのままテーブルに置き、開く。握り飯にするくらいすれば良いのだろうが、それすらも面倒臭かった。
そんな時、インターホンが鳴る。
こんな時間に誰だ? そんなことを考えるよりも先にガラガラと玄関の引き戸が開かれていた。
「ちわーす。ジュネス宅配サービスでーす」
「……は?」
聞こえてくるのは馴染み過ぎた程に馴染んだ、聞き慣れた男の声。
「お前さ、男一人っつても戸締まりくらいしとけよな。玄関の鍵開いたままだぞ」
言いながら勝手に上がり込んできたのは予想を裏切ることなく陽介だった。
「何事…?」
「だから、お食事の宅配サービスでございます」
執事か何かのように恭しく一礼してみせる陽介。
「お前の事だから、あのまま何も食わないで寝そうだからさ、宅配サービスしてみた」
惣菜などが入ったジュネスの袋を陽介が掲げて見せてくれた。それから、テーブルの上の食べようかと思っていた解凍したての白飯を見遣り、思いっきり眉を寄せる。
「…飯食おうとしてた姿勢は褒めてやるが、せめて、なんかさ、器に入れようぜ!」
思いっきり嘆かれてしまった。
テーブルに大仰に手を付き盛大に溜め息を吐かれる。
「なんでそう、面倒見良いくせに自分の事になると無頓着かねぇ」
「一人だし、洗い物増やさないで良いかな、と」
「うわー! もう、主婦だよその発想! さすがオカンだよ!」
「誰がオカンだよ…」
言いながら、自然、口元が綻ぶ。
いつ以来か、こんなに気持ちの安らぎを感じる夜は。夜がこんなにも優しいものだと感じたのは、本当に久しぶりだった。
「やっぱ、来てみて正解だったぜ。クマは帰って来ねぇし、お前は沈みまくってるし。俺もう心配で死にそうですよ」
ぶつぶつと言いながら陽介は袋から持ってきた総菜を出し始めた。
惣菜たちはまだ暖かいようで、その香りが食欲をそそる。
疲れてはいたが、それ以上に本当に空腹だったのだと、改めて認識してしまう。今日で何度目になるか分からない苦笑が零れてしまう。
「美味しそうだ」
「あたぼうよ。ジュネス惣菜売り場の人気商品だぜ。並べれば十分足らずで売り切れる人気商品! 俺のジュネス従業員相談役の特権で売り切れる前に確保してもらったんだぜ。感謝しろよー」
口調とは裏腹に、優しげに笑む陽介。
その陽介の明るい声に、救われる。
「それは貴重だな。じゃあ、遠慮無く食べさせてもらおうか」
「おう。食え食え。この俺に感謝して食えよ」
「うん」
「……うん、て。何いきなり素直に返事してんの、お前」
「俺はいつでも素直だよ」
「うそつけ。腹黒大王が」
「うわぁ。ひどいなぁ」
「あーもういいから、とりあえず食おうぜ。俺、腹減って死にそうなのよ」
「うん」
「いや、だから…。なんか調子狂うな、おい」
「…美味しそう」
並べられた惣菜を見つめ、小さく呟く。
菜々子が戻ったら、その時は、この人気商品というやつを買って一緒に食べよう。そんなことを思い描く。
「ちょっと、何? もしかして、優しさで涙出そうってか?」
「………」
「え? 図星? ちょっと止めて。俺、慰めるのとか苦手だから泣かないで、お願い」
本気で言ってくれてる陽介の頭を叩いて黙らせてから、恭弥は二人分の箸を取りに食器棚に向かった。
たった一ヶ月程度の事なのに、懐かしく感じる暖かさ。
今は、一時的に家主たちが不在でも、それでも、いつでもこうあってほしいと願う場所だった。暖かく人を迎い入れてくれる、そういう空気を持ち続ける家なのだ。
近い内に退院してくるだろう遼太郎と菜々子を、今度は自分が「お帰り」と言って迎える為にも、守らねばならないこの空気。
「ホントにさ、惚けてないで食べようぜ、お願い」
陽介の情けないまでに縋り付くような口調に笑いが零れた。
選択肢は、間違えていなかった。
ようやく、そう思うことが出来た。
あの時、テレビに落とす選択肢を選んでいれば、きっと陽介も一緒に闇を背負うことになっていた。陽介のこの声を、闇へと沈ませずに済んで本当に良かったのだと、この時、心の底から思えた。
タイムリミットまでの残された時間はあと僅か。
必ず、全ての決着を付けてみせる。
決して、心揺らぐことなく。
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09.9.6
菜々子の「おかえりなさい、お兄ちゃん」が聞けなくなった11月中旬から12月下旬までを、こんな妄想をして乗り切りました。
寂しすぎたよ、あの期間。(涙)
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