試合会場で

 

 

 

 

 

 

 

 中学校硬式庭球、秋大会。
 地区大会で個人戦が開始されたその日は、真夏日並に残暑がきつかった。
 あまりの暑さに、午後を過ぎる頃には選手達も無駄なおしゃべりをしなくなっていた程だ。

 そんな中、異様なテンションで元気にプレイするのは今まさに試合中である氷帝学園の芥川慈郎だった。相手選手がなかなかのプレイヤーだったらしく、突然ハイテンションになった芥川は所構わずはしゃぎ始める。
 こうなると、とにかく無駄な動きが増える芥川に、この秋から新部長となった跡部がフェンス越しにヤジ紛いの声を掛けて窘めていた。

「余計なことやってねぇで試合に集中しろ、この馬鹿っ」

「あっはっはっは。悪りぃ悪りぃ」

 ちっとも反省した様子がない口調で跡部に向かって芥川は謝るが、そういう行動を止めろと言ってんだと益々跡部は怒鳴る。
 案の定、審判から「芥川君、早くコートに戻りなさい」と注意された。

 監督命令で芥川の監視に付けられた跡部は、始終イライラしっぱなしだった。
 夏の大会で好成績を残した跡部は、推薦で都大会直行なので都大会開始までは試合が無い。それを良いことに監視の仕事を任されてしまったのである。
 忍足や向日、宍戸などはそれぞれの試合を抱えている為に、呑気に他人の面倒など見ている暇は無いと言って逃げてくれた。

 大はしゃぎで試合を続ける芥川を眺めながら、溜息と小さな笑みが同時に零れる。
 人の苦労も知らないで、本当に楽しそうにテニスをしてくれるものだ。
 今やってるこの試合だって、試合開始直前に滑り込みで間に合った状態だった。

 常に目を光らせていたつもりなのに、気が付いた時には芥川の姿が消えていたのだ。それが、芥川の試合が開始される十五分前の出来事である。
 さすがの跡部も血の気が引く思いだった。
 ずっと隣にいると思っていたのに、いないのだ。
 いつからいないのかさえ分からない。

「あの馬鹿、どこ行きやがった!?」

 試合放棄で不戦敗なんて事だけは絶対避けなくてはならない。

 公式戦ではないにしろ、過去に二度ほど芥川は試合放棄をやらかしてくれているのだ。おかげで、毎度毎度試合に同行する者は気が気ではない。

 探し始めて十分経過。
 シングルス第一回戦、第二試合開始は五分後だというアナウンスが流れ始める。

「ジロー! どこだー!?」

 芥川が出るはずの試合が、この第二試合であった。

 本日は平日である。都大会、関東大会ともなれば試合に出場するレギュラー以外の部員も応援に来るのだが、地区大会ではレギュラー以外は学校で授業を受けることを優先させられていた。おかげで、芥川の面倒を一般部員に押し付けることも出来ず、こうして部長の跡部が走り回る羽目に陥っているのである。

「ん? 跡部か? どうした血相変えて?」
 必死の跡部にのほほんとした声で誰かが話しかけてきた。苛立った仕草で振り返れば、見知った少年がそこにいた。
「アアン? 手塚かよ。何でお前がここにいやがる?」
 地区が違うはずの青春学園テニス部の新部長の姿に、跡部は訝しげな表情で聞き返した。
「ああ、俺達の地区大会は通りを挟んだ向こうのコートで行われているんだ。青学の試合は午後からなんでな、ちょっと散歩だ」
「そうかい。悪いがこっちは急いでんだ。じゃあな」
「困り事なら、手を貸すぞ?」
「頼めるもんなら頼みたいが、お前、うちの部員の顔知らねぇだろ?」
「部員を探してるのか?」
「ああ。とにかく、時間が無いんだ。じゃあな」

 そう言って別れを告げようとしたまさにその時、「まもなく第二試合を開始します。選手の方は東第三コートへ――」というアナウンスが聞こえてきた。

 跡部は頭を抱え込み、呻き声を上げた。
「だあああーっ。あンの馬鹿っ」
「っ!? ……あ、跡部。お前、大丈夫か?」
「間に合わねぇっ!」
 滅多に見られないような跡部の狼狽えっぷりに、手塚はどうしたものかと途方に暮れる。

 このままでは、芥川はこの秋大会を一回も試合をすることなく終わってしまう。せっかく個人戦シングルスの選手として登録され出場する機会を得たというのに、初っぱなから不戦敗で終わりである。

「ジローっ!!」
 やけくそで叫べば、「ウス」と返事が返ってきた。
 慌てて周辺を見回せば、茂みを掻き分けて樺地が芥川を抱えて姿を現した。
「かばじー…」
 この時ばかりは、本気で樺地の姿が天使に見えた。感動のあまり樺地に抱き付ついてキスでもしてやりたい衝動を覚えたが、それはさすがにやめた。
「ウス」
「お前、本当によくやった」
「ウス」

 芥川を見つられた安堵感でしばし動きが鈍ってしまう。そこへ、気遣わしげに手塚が声を掛けてきた。

「跡部、急がなくていいのか? 彼なのだろう、お前が探していた部員というのは。試合がそろそろ始まりそうだぞ」
「そうだった! 走るぞっ」
「ウス」
「手塚っ。暇してんなら、手伝え! これ持って一緒に来い!」
「えっ!? あ? ああ…。これ、これ持てばいいのか?」
 完全に跡部の勢いに呑まれた手塚は、驚きつつも跡部から押し付けられた荷物を抱えて彼らの後を追った。

 跡部は走りながら芥川のバッグを開けて、ラケットやリストバンド、タオルなどを出していく。
「樺地、ジローのジャージ脱がせ! 下にユニフォーム来てるから構わずやれ」
「ウス」
 走る樺地に抱えられたまま着替えさせられる芥川は、今も半分夢の中。

 東第三コート前に着いた時、すでにコールが始まっていた。

「氷帝学園、芥川慈郎君。いませんか? 氷帝、芥川君? 氷帝学園はいませんか? いないようでしたら不戦――」

「氷帝、芥川います!」

 勢い余ってコートを囲うフェンスにしがみつくようにして止まった跡部がコート内に向かって叫ぶ。
 全力疾走の甲斐あって、ギリギリセーフのようだった。
「…早くコートに入って。今度から時間厳守でお願いしますよ」
「すみません」
 謝るのは全て跡部である。

 芥川はようやく目が覚めてきたらしく「樺地、ありがとな」などと呑気に笑っていた。

「さっさと行って来い! これで負けたら承知しねぇぞ!」
 甲斐甲斐しくラケットを持たせてやったと思えば、跡部は芥川の背中に蹴りを入れるようにしてコート内に押し込んだ。
「分かってるって! 跡部、あんま怒んなよなぁ」
「誰のせいだ、誰の!?」
 どれだけ跡部が怒鳴ろうとも全く堪えた様子の無い芥川は、寝惚けた足取りでフラフラと歩いていく。

 一仕事終わったという安堵感からか、跡部はその場にへたり込みそうになる。その腰に樺地の腕が巻き付き支えた。
 跡部を抱えたまま樺地は近くにあるベンチに腰を下ろす。

「ありがとう、ございます」
 荷物を持って一緒に走ってくれた手塚に、樺地はそう言って頭を下げた。
「困ったときはお互い様だ」
「ウス。すみま、せん」
「気にするな」
「ウス」
 彼らの荷物をベンチ脇に下ろし、手塚は座ることはせずにコートに目を向けた。このまま氷帝の試合を見て帰るのも悪くないと思ったらしい。

「ありがとよ。助かったぜ」
 やっと、焦りによる呼吸の乱れが落ち着いたらしい跡部がそう言った。
 手塚は一瞬自分に言っているとは思わずに聞き流しそうになった。
「おい、手塚。てめぇに言ってんだぜ?」
「なんだ、俺に言っていたのか。お前の口から礼などというものが聞けるとは思いもしなかった。すまん」
「俺だって礼くらいは言う」
「そうか」
「ああ」

 相変わらず、会話の成立し難い相手である。

 自分のペースを貫き通す手塚を横目に、跡部は溜息を吐く。
 それから、視線を前方へと戻した。今は、目の前で繰り広げられる試合に意識を集中させるべきだ。

「ネットプレイは見事なものだな」
「ふん。本気になったジローはあんなもんじゃないぜ」
「ほう」
 いずれは敵対する相手だと判っていながらも、優れたセンスを持つ者には潔いまでの賞賛の言葉を与える手塚に、跡部は彼の器の大きさを垣間見た気がした。
「ネットプレイなら、ジローの右に出る者はいないぜ」
 誇らしげに語る跡部。

 コート内では、相手選手がそれなりに強いと分かった途端に芥川のテンションが切り替わり、「すっげぇ!」「かっちょE!」「跡部、見て見て!」と大はしゃぎしていた。

 それを見た手塚が軽く眉を潜める。
「しかし、試合中にあの態度は感心しないぞ」
「勝てばいいんだよ、勝てば」
 余裕な笑みで跡部は言い返す。
 そんな部長同士の余裕ある会話が交わされてるところに、バッコーンという間抜けな音が響いてきた。続いて「あれ〜?」という芥川のお気楽な声が響き渡る。

「…………あンの馬鹿」

「うむ。ネットプレイは繊細なものだが、フォルトは豪快だな」

 頭を抱える跡部の隣で、手塚は大真面目に芥川の放ったサーブに付いてコメントをしてくれた。



 芥川の放ったサーブは、見事な場外ホームランになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006.2.4
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本当は立海の幸村と会話をして欲しかったんですが、どう考えても試合会場で顔を合わせる事が出来るのは関東か全国の場しか無いので、諦めて手塚で行きました。

青学の部長は自ら走り回る事もなく、そういう雑用全ては副部長を始め他の部員達がしそうなんですが、どうにも氷帝にはそういうことをやってくれそうな人が樺地以外にいない気がした。
私の書く跡部は、カリスマ部長にも関わらず地味に仕事をこなしてます(笑)

ジロさんの無邪気なテニスは良いですね。

 

 

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