抽選会

 

 

 

 

 

 

「あー、暑いー。何で全国大会の開催地は東京って決まったのに、抽選会は神奈川な訳ぇ? 遠いし、暑いしー」
「千石、うるさい。暑い暑いって連呼するな。聞いてるこっちが暑くなるだろ」
「暑いもんは暑いんだよぉ。南ぃ、何とかしてー」
「出来るかっ」
「何で俺付いて来ちゃったんだろ?」
「知るかよ。お前が勝手に付いて来たんだろ」
「あー。あーつーいー」
「だから、お前うるさい」

 神奈川県某所にある立海大付属中学校の敷地内。全国大会の組み合わせを決める抽選会の会場である大教室前。

 抽選会の開始までまだ三十分近くもある為、ばらばらと集まってきた各地の学校代表者達は中に入って待機する者、ロビーで時間を潰す者、興味本位で大教室の周辺をうろついてみる者と、かなり好き勝手な行動を取っていた。
 ちなみに、会場内はまだ冷房が利いていない。そろそろ冷房を入れるつもりでいるのか、全ての窓を閉め切った中は蒸し風呂に近い状態になっている。
 外にいようが中にいようが、暑さを凌ぐのに苦労するという事態が生じていた。

 山吹中の部長である南とただの付き添いである千石は、会場内には入らずに風通しの良い日陰を探し、こうして意味の無い会話を交わしながら時間を潰しているのである。

「おやぁ? あれは氷帝の…!」
「千石、頼むから大人しくしててくれ。知り合いを見付けたからって、いちいちちょっかいを掛けに行くなよ」
「あっとべくーん!」
「って、俺の話も聞けよ…」
 氷帝学園中の部長を見付けたらしい千石は、楽しげに大声を上げて駆け出して行く。
 はあ…と溜息を一つ吐いて、南も歩き出した。日陰から出た途端、凄い熱気が襲ってきて思わず顔を顰めてしまう。

 大教室の入り口手前で氷帝の跡部と樺地の二人を千石が引き留めていた。何て言うか、千石が跡部をナンパしてるっぽく見えるのは、千石の軽い印象を与えがちな外見のせいか、男のくせに綺麗な顔立ちの跡部のせいか。
 屋外にいる人々の視線を集めてしまうほどに、妙な光景に写っている。はっきり言って、周りから浮きまくっている。

「やあ、奇遇だねぇ」
 呑気な千石の声。それに続くのは、いつも通りに不機嫌な跡部の声だ。
「アーン? 何でお前がいるんだよ?」
「そりゃあ、僕のラッキーで良いクジを引くためだよー」
「お前が? 山吹はお前が代表だったか?」
「部長は俺だから…。千石は勝手に着いてきただけだ」
 跡部まで俺の事を忘れているのかとちょっと落ち込みそうになりながらも、南は何とか笑顔を作りながら答えた。
「ああ。お前だったな、山吹の部長は。ええ、と…」
 本気で忘れられていたようである。本格的に落ち込むべきかもしれない。
「南、さん…です」
 跡部の斜め後ろにひっそりと控えていた巨漢がそう跡部に耳打ちするのを、南はしっかりと聞き取っていた。俺のこと覚えてくれていたなんて、何て良い奴なんだ。名前覚えてないけど。
「そういや、そんな名前だったか」
 今までに何度も試合会場で顔を合わせてきたし、会話だって普通に交わしてきたはずなのに。何で思い出せなかったのだろうと考え込みそうな勢いの跡部を見て、益々悲しい気分になってきた。
「ほらー、やっぱり南は地味でしょう!」
 何故か勝ち誇ったように千石が言ってくれる。無性に腹が立ったので、とりあえず千石の足を思いっきり蹴飛ばしてやった。「ひどいよ!」と大げさに騒ぐ千石を放置して、南は跡部に向き直る。

「ん? そういや、跡部は視力悪かったか?」

「は? 南、何言ってんの?」

 何故か、妙な反応を示したのは足下で蹲っている千石だった。

 跡部は千石の反応など綺麗に無視して南にのみ返事をする。

「悪くねぇよ」
「え? それ、伊達か?」
「伊達」
「へー…」
 眼鏡を掛けた跡部を見るのは初めてだ。物珍しさからマジマジと見詰めてしまいそうになる。
 跡部に良く似合う、上品だが洒落た印象を与えるデザイン。細身のフレームの色は艶消しシルバーというやつだろうか。
 やはり、眼鏡もブランド物なんだろうなぁとか考えていると、いきなり背後から誰かが話しかけてきた。

「そんなところで何をしている」

「うわっ、びっくり!」

「む。この程度で驚くとは、たるんどるな」

 立海大付属中の真田がそこにいた。

「うるせぇな。そういうお前は何してんだ? ああ?」
「見て判らんか。手伝いだ」
 抽選会が行われている学校の生徒という理由で、色々と用事を言い付けられているのか。
 そんなに威張って言うことでも無さそうだが、真田は当然だという態度である。何をするにも自信に溢れた態度は、跡部と通ずるところがありそうな気がした。
 思っても口に出すことは決してないが。

「せいぜい頑張りな」
 そう言って跡部は真田から視線を外し、気怠げに壁に寄りかかる。

「さっきの質問に答えを貰っておらんが、お前達は何をしている?」
 再度、真田は同じ質問を口にした。
 中へ入らずに入り口付近でウロウロする生徒が多いのを不思議に思っていたら、顔見知りの千石や跡部達まで同じように中へ入らずにその手前で立ち止まっているのだ。会場を提供する学校の生徒であれば聞きたくもなるだろう。
「会場さ、暑いんだよねー。ねぇ、真田君。早くクーラー入れてよ」
「暑いだと? クーラーはすでに入っているはずだ」
「全然利いてねぇんだよ。お前も中に入って確認してこいよ」
 おかしいと訝しむ真田に相変わらず怠そうな口調で跡部もそう言う。
「暑さに耐えられぬお前達がたるんでいるだけじゃないのか?」そう言いながらも、真田は係りとしての仕事もあって中へと入って行った。

 数分後、用事を済ました真田が汗だくで出てくる。
 あまりの姿に千石が驚いた顔を向けて来た。
 中で抽選結果を記すホワイトボードの設置をやってきたらしい真田は、信じられんとばかりに怒っていた。

「まったく、クーラーを入れたつもりで入れ忘れたなどと、どういう了見だ!?」

 千石や跡部の言うとおりで、中はまさに蒸し風呂だったようだ。

 あまりの暑さに真田はまず二階の機械室へ乗り込んでいったという。
 機械室はきちんと冷房が入っており、非常に過ごしやすい室温が保たれていた。
 そこに待機する係員を怒鳴りつけ、速攻で冷房を入れさせた。とはいえ、この広い会場全体が冷えるまではそれなりに時間も掛かる。真田は暑さを我慢して、滝のように流れる汗もそのままに作業をこなす意外にどうしようもなかったようである。

「あと五分程待ってから入ると良い」

 汗を拭いながら、真田は千石達に向かって教えてやる。

「そりゃ、ありがたい。外もいい加減暑かったよ」

 ヘラヘラと笑って礼を言う千石の横で跡部は無反応のまま。そんな跡部の代わりに樺地がそっと頭を下げた。

 眼鏡を掛けた跡部の姿に、一瞬、真田が珍しいものを見たというように動きを止めたが、すぐに踵を返した。

 着替えて出直してくるとぶつぶつ言いながら、真田は部室棟のある方角へと向かって歩き去る。


 日陰にいるとはいえ、やはり暑いものは暑い。
 無口になる南を余所に、暑くとも元気を失うことのない千石は場を盛り上げようと奮闘していた。

 

 

 

「ウス」
 先に中へ入り、冷房の利き具合を確かめていた樺地が戻ってきた。
 頷き、跡部は寄り掛かっていた壁から離れる。
「もう入っても問題ないぜ」
 千石と南に向かってそう言ってやれば、二人は驚いた顔をしてその場に突っ立っていた。
 これ以上は付き合う気もないとばかりに、そんな様子の二人に構うこともなく跡部は樺地を伴ってさっさと中へ入って行く。

 跡部と樺地が去った後、千石が感心しきった面もちで声を上げた。

「今、樺地君は「ウス」としか言わなかったよね?」
「ああ」
「なのに、跡部君は普通に言葉を返してたよね?」
「そうだな」
「あれで、どうして会話が成立出来るのかな?」
「さあな」

 それでも、暑さですでに疲れている南は、どこまでも素っ気ない返事しかくれなかった。

 

 

 

 抽選会開始まであと五分。
 会場内は、各校の代表者たちが顔を揃えている。

 中央付近の席に腰を下ろした跡部は、掛けていたサングラスを外し制服の胸ポケットへ仕舞った。
 薄いグレーが入ったレンズは、一見しただけでは色が入っていると気付かないようなものだ。実際に南も普通の素通しの眼鏡と思っていた様だし。千石だけは、薄く入った色の存在に気付いていたようだが。
 このサングラスは、学校での授業中でも堂々と掛けていたりする。いちいち突っ込まれたり説明を求められたりするのが面倒なので、わざと気付かれにくい色のサングラスを選んでの着用だ。
 この程度でも、少しは眩しさが違うのでやはり手放せないなと思う。
 跡部がこのサングラスを掛けるのは、反射が眩しくて黒板が見え辛い時など数が限られている為、滅多に樺地が目にすることはなかった。
 そのせいか、今日の樺地はどこか楽しげで、暇さえあれば跡部に視線を向けてくる。
「これがそんなに珍しいかよ」
「ウス」
 その返事すら楽しげな響きがあった。

 

 

 

 抽選会終了後、そこに居合わせた生徒達は我先にと急ぎ足で出口へ向かっていた。会場内は携帯電話の使用が禁止なので、外に出て掛ける為だった。抽選結果を少しでも早く部員達に知らせたいと誰もが思っているのである。
 当然の様に、出口は混雑してしまう。それでも言い争いなどは全く起きる様子は無い。出口付近で足止めを食らっても、皆静かだった。むしろ足止めされたことを良いことに、無遠慮な視線を後方付近の座席に向けていた。

 遅れて登場した青学の手塚の姿に、誰もが意識を持って行かれていた。

 まさか、本当に全国大会に間に合わせてくるとは。
 こんな所で、彼の復活を目の当たりにするとは、思いもしなかった。

 そんな驚きと羨望の入り交じった奇妙な感情が大教室内に渦巻いていた。


 跡部は混雑を避ける為に、他の者達よりも遅れて席を立つ。跡部が動いたことを確認した樺地が数瞬遅れで席を立った。
 のんびりした歩調に合わせて樺地もゆっくりと歩く。
 同じ頃合いに青学の手塚と大石も席を立っていたようで、出口で丁度顔を合わせる形になった。
 一瞬だけ視線が合ったが、どちらも口を開くことはなかった。
 ドアを押し開けロビーに出ると、外の眩しい光が差し込んでいて跡部は目を細める。
 胸のポケットからサングラスを取り出してゆっくりした動作で掛けた。
 隣から「ほう…」という感心したような声が聞こえ、視線だけを向ける。

「お前も眼鏡を掛けるのか?」

 珍しく興味津々な手塚の眼差しに気付き、跡部は怪訝そうに眉を潜めた。

「生憎と、度は入って無いぜ」
「何だ、伊達か」
「だったら何だってんだ?」
「うむ。面白いほどに印象とは変わるものだな」
「ああ?」
「日頃からそうしていれば、お前でも十分にまともに見えるぞ」
「………」
 絶対に使うべき言葉を間違えているだろう手塚に、跡部は何とも言い難い奇妙な表情を浮かべて向き直った。
 手塚の斜め後ろにいた苦労性な青学の副部長は、焦った様子で口をパクパクとするものの何一つ言葉として出てこなかったようだ。

「面白いものだな。優等生のようだ」
「ようだ、じゃなくて優等生なんだよ、俺は」
「ほう。そうだったのか?」

 呆れるべきなのか怒るべきなのか、判断が付けがたく、跡部は押し黙ってしまう。

 手塚以外、誰も動けず、誰も言葉を発せられない沈黙が舞い降りていた。

 しかし、先に沈黙を破ったのは跡部の大仰な溜息だった。

「お前な。久しぶりに顔を合わせていながら、言うべき事はそれだけか? ああ?」
 少しだけ驚いたような表情を浮かべた手塚は、跡部の言わんとすることの意味をしばらく考え、それからふっと表情を和らげた。
「それは失礼した。久しぶりだな、跡部」
「……」
 相変わらず、本当に会話のし難い男だった。
「久しぶり、だな…」
 一応、跡部もそう返すが、この妙な虚しさはなんだろうか。
 そもそも、そんな言葉を交わしたかった訳ではない。

 苛立った様子で黙り込んでしまった跡部から光の眩しい外の景色に視線を移し、手塚は軽く目を細めた。

 手塚の視線を追うように、跡部もサングラス越しにその景色を見詰める。

「お前の、左―――」
「氷帝とは、もう一度正面からぶつかりたいと思っていた。今回、それが叶って嬉しく思うぞ」

 今、一番気になる言葉を発しようとした跡部を無意識に遮って、手塚はのほほんと言葉を紡ぐ。

「……」

 いきなりそんなことを言われて、何と返せば良いのか。
 その言葉は、跡部達氷帝学園の部員が言うべき言葉のはずだろう。

「しかし、連絡は急だったと聞くが、お前達はそれまでもちゃんと練習をサボらずにやっていたんだろうな?」

 こういうのを、世間では天然と呼ぶのだろうな。

 跡部の苛立ちや葛藤など、一切の負の感情に構う様子もなく、手塚はただ純粋に今目の前にある現実だけを受け止めているらしい。

 跡部は少しだけ吹っ切れたように、いつもの皮肉めいた笑みを唇の端に乗せた。

「当然だろう? 俺様を誰だと思ってやがる。必ず、お前ら青学を倒して優勝をこの手に頂くぜ」

「うむ。それは頼もしいな」

「―――……」



 どこまでも噛み合わないマイペースな手塚の発言を、跡部は完全に聞き流すことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.11.20
************************************

千石視点で書こうと思ったけどやっぱり跡部視点になりました、みたいな視点の定まって無さです。
次から次へとキャラが出てくるけど、皆さらっと素通りな感じで(笑)

単純に「眼鏡を掛けた跡部」を書きたくて思いついた話なんですけどね。
近視、乱視、遠視。色々と調べたのですが、授業中だけ掛けるとしても眼鏡が必要なほどの乱視とか近視って、結構大変な状態なんだな、と思いまして。
跡部の技の数々がマジで視力良いだろうと思えるものばかりなので、コンタクト説も却下で。
結局、眼鏡は諦めました。


私の中の手塚はこんな感じだったりします。
どこまでもマイペースな天然部長。
絶対に会話は噛み合わないと思う。
跡部は、日頃は口数の少ない淡々とした性格のような気がする。で、テニスコートに入るとスイッチが切り替わるんだよ、きっと(笑)
一気にテンション上げて、あのド派手なパフォーマンスを披露。
根っからの舞台役者気質。


それとも、マジで四六時中ハイテンションな躁状態なのでしょうか…?(それこそ、京極堂のエノさん並の変人なのか?)

 

 

戻る