バースディ・パーティー

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井には、豪奢なシャンデリア。 足下にはふかふかの真っ赤な絨毯。
 艶のある木枠にガラスを填め込んだ扉を開ければそこに純白のバルコニーが現れ、その向こうには手入れの行き届いた美しい庭園が広がる。
 西洋貴族の館をモチーフに造ったという某一流企業の社長の別荘である。

「景吾、楽しんでいるかい?」
 シャンパンの入ったグラスを片手に、ぶらぶらとパーティー会場を歩いていた跡部景吾は、その声にゆっくりと振り返る。そこには、各企業の社長や役員達との談話も終わったらしい父親の姿があった。
 薄く笑みを浮かべ、跡部は無難な答えを返す。
「ええ、それなりに」
「こういうパーティーに出席するのも久しぶりだな」
「そうですね」
「お前が中学に上がってからは、誕生パーティーすら開かなくなったからな」
「すみません」
「謝ることでもないだろう。お前の誕生日はいつもテニスの大会前だったからな。練習を優先させて当然だ」
 跡部の誕生日である十月は、新人戦に向けての予選の真っ直中でもある。その為、家で呑気にパーティーなど開いている余裕もなかったのが実情だった。
 しかし、中学三年である現在、部活も事実上は引退しており、秋の新人戦に参加する必要もなくなった。高校に上がれば、またテニス三昧な日々が訪れるわけだが、それまでは、一時的な静寂の中で過ごせることとなる。
「どうだろう、今年は家でお前の誕生パーティーを開いてみないか? この数年、まともに祝ってやれていなかったことだし」
「すみません、父さん。そのことで、少々お願いしたいことがあるのですが」
「何だ? お前から要望を申し出てくるのは珍しいな」
「まあ、ただの思い付きですけど。一度やってみたかったことがあるんです」
「良いよ、言ってごらん」
 久しぶりに息子からお願い事をされて、父親は嬉しそうにしている。 余程な事が無い限り相談を持ちかけてくることもなく、ほとんどの事は自分一人で考え解決してしまう息子を、父親は誇らしく思うと同時にやはり少し淋しくも感じていたのだ。
 そんな父親の様子に息子は微笑し、それから久しぶりの「お願い事」を口にした。










「それで、これが今年の跡部の誕生日パーティーの代わりってこと?」
「まあ、そんなとこだな」
「随分とまぁ、メルヘンなことするじゃねぇか」
「跡部のイメージからかけ離れ過ぎだっつうの」
「別荘買い付けてドラッグ買って乱交パーティー、なんていう貧相な発想をしなかっただけマシだろうがよ」
「うわっ。頼むから、そういう単語をさらっと言うなや。聞いとるこっちがビビるわ」

 跡部の誕生日である十月四日の午後。もうじき陽が暮れるという時刻。
 氷帝学園中等部の元テニス部の面々は、某遊園地前のバス停に集まり気怠そうに雑談をしていた。

「しっかし、今日の跡部は面白かったよなぁ」
「うるせぇな。他人事みたいに言うんじゃねぇよ」
「女子も必死だよね。今年が中学で迎えられる最後の誕生日だからねぇ」
「高等部に上がっても、たいして顔ぶれ変わらねぇだろうが」
「女の子はそういう区切りとかに拘るんだよ」
「んな拘りで、一日中追いかけ回されるこっちは迷惑だってんだよ」
 今日の学校での出来事を思い起こし、跡部が顔を顰める。
 毎年恒例の様になってきた跡部様バースディ騒動。学園側も跡部に同情的なのがせめてもの救いと言えた。
 いつも以上に熱気に満ちた女の子の集団。我先にと跡部にプレゼントを持ってくるが、如何せん数が多すぎて跡部にも対処出来ない状態である。その為か、途中から恐ろしい程に殺気立ってくる女の子達。
 さすがに身の危険を感じた跡部は、潔く逃走に移った。
 それから、全校舎を使っての追い掛けっこの始まりである。 一対百五十くらいの差での追い掛けっこであった。
 全力で走ること、二時間。
「捕まったら最期って気がして、本気で逃げたぜ」
 人間の集団暴走ほど怖いものはないと、改めて思った十五歳の誕生日だった。

「しかし、あいつら遅せぇな…」
 暇そうにバス停のベンチに座り、跡部は空を振り仰ぐ。
「部活を早めに切り上げるって言ってたんだけどな」
 宍戸がそう言い、携帯を開いて時間を確認すると同時に、隣に立つ滝の携帯が軽やかなメロディを奏で始めた。
「あ、日吉からメール。ええと、『今、部活が終わりました』ってさ」
「今終わっただとぉ!?」
「続きがあるから。『監督のご好意により、俺と鳳と樺地は監督の車で一緒にそちらに向かいます。二十分くらいで着く予定』だって」
「監督の車ぁ?」
「どういう風の吹き回しだよ?」
「珍しいこともあるもんだねぇ」
「部活を早めに切り上げられなかった詫びのつもりか?」
「へぇ。監督でもそんなこと気にすんのかよ」
 本人がいないと、結構好き勝手なことを言っているものである。
 跡部は、先程と変わらない体勢のまま、空がオレンジ色から紺色に変わっていく様を眺めていた。その隣では、あまりに暇過ぎたのか、芥川がすでに熟睡していたりする。

「ところでさ、何でこの代わり映えしないメンバーなのか、聞いても良いか?」

 芥川を押し退けて、何とか座るスペースを作ろうと悪戦苦闘しながら、向日がそう尋ねてきた。
 それに対して答えたのは、跡部ではなく忍足であった。

「あのな、岳人。考えてみ? 跡部がクラスメイトに声を掛けたらどうなる思うてんねん。絶対、私も俺も状態で、仕舞いには三学年全員をご招待なんてことになってまうで」
「だよな。大所帯で動くのは、部活だけで勘弁って感じだぜ」
 忍足の言葉に宍戸までもが同意を示す。
「そやろ。せっかく跡部名義で貸し切ってくれてんのに、しかも、園内施設の使用料は全て只! こんな美味しい企画に日頃たいした付き合いもしてへん連中に来られてみ、めんどくさい混乱が起きるばっかで何も楽しめへんで」
 出来る限り少人数で、そして、全員が顔見知りの方が問題なく楽しめるし独占もできると忍足は力説する。

「あー、なるへそ。すっげぇ納得。跡部も、ちゃんと状況考えて行動できたんだな!」

 あまり褒められた気がしない言葉を頂いてしまい、跡部は僅かに眉を顰めた。

「説明してくれるのは構わねぇんだが、お前らに言われると、無性に腹が立つのはなんでだろうな?」
「あ? 何?」
「なんやねん、それ。ひどい言いようやわ」

 そんな他愛もない会話で暇を潰していれば、いつの間にか待ち人達の到着時間になっていたようだ。
 夕日を反射させながら、バス停の前に見覚えのある黒塗りのセダンが停まる。

「あ、監督の車」
 向日が呟くと同時に、助手席のドアが開き樺地が降りてきた。続いて、後部座席のドアが開き日吉と鳳が降りてくる。
「遅くなりました」
 そう言って、軽く頭を下げる日吉。 跡部は無言で頷き、それから、榊の車へと近付いた。後輩達をわざわざ届けてくれた礼を言うためである。
 ウィンドウ越しに短い会話が行われた後、榊がいつものジェスチャーをするのが見えた。それに対して、跡部が軽く会釈をする。それから、跡部は車から離れた。
 跡部が歩道に上がったことを確認した後、榊は車を元来た道に戻し、颯爽と帰っていった。

「なんつうか、いちいち派手だよな…」

 宍戸の呟きに、皆が心の中で頷いたことだろう。

「なあ、さっきのあれ。監督に『行って良し』って言われたのか?」
「言われたな」
「監督関係ねぇのに、何でこんな時まで行って良し?」
「関係無くも無ねぇだろ」
「え、何? 監督も参加すんの?」
「監督だから監督だろ?」
「はぁ?」
 向日の質問に跡部は実に適当な調子で答えて続けている。

 景吾様、と跡部家の執事が呼びかけてきた。それを見た跡部は皆を振り返り「そろそろ時間だな。付いて来な」とそう言って、入場口へと歩き出す。
 時間にして五分程度。入口には、係員の者がすでに待機しており、跡部を見るなり軽く会釈した。
「中にも従業員や警備員がおりますので、ご安心してお楽しみ下さいませ」
 係員は入口ゲートを手で示し、お入り下さいと一礼する。
 頷いて平然と入っていく跡部と、相変わらずな無感情な外見のままに付いていく樺地。その後を控えめな態度で宍戸と鳳と滝が続き、忍足と向日は、眠ったまま起きる気配の無い芥川を二人がかりで背負いながら何とか園内へ足を踏み入れた。 日吉に至っては、何で俺がこんな茶番に付き合わされるんだと言わんばかりの表情で最後尾を歩いている。
 そんな後ろ姿を見送っていた係員は、全員が園内に入場したことを確かめた後、静かに入口ゲートを閉め、貸し切りと記された札を掲げた。

 

 

「今夜は、俺様による貸し切りだ。存分に遊ぶと良いぜ」
 園内の巨大マップが設置されている場所で立ち止まり、跡部は言う。そして、芝居掛かった動作で腕を掲げ、指を鳴らした。
「イッツ・ショータイム!」
 それを合図としていたのか、絶妙なタイミングで打ち上がる花火。
 ここまでするかと、呆然、唖然のメンバー達。
 そんな周りの反応などお構いなしに、跡部は満足げに花火を見上げている。

「相変わらず、アホみたいに派手好きやなぁ」
「アホは余計だ。秋に見る花火も乙だろうが」
「まあ、そやな。ところでな、ちょお聞いてもええか?」
「あん?」
「誕生日に遊園地貸し切るっちゅう発想は跡部らしいけど、それが何でこの遊園地なん?」
 跡部なら、大手の有名どころを貸し切りそうなイメージがあるだけに、この中規模な遊園地を選んだのは意外に思われたのだろう。
 忍足の言葉に、跡部は皮肉めいた笑いを浮かべる。
「こういう庶民派の遊園地に一度来てみたかったんだよ」
「…またそういう言い方しよる。そんなとこがめっさ腹立つっちゅうねん」

 最後の花火が打ち上がったらしく、キラキラとした残像と共に、辺りに静けさが舞い戻る。

 忍足は呆れたように微苦笑を浮かべ、跡部の横顔を眺めた。部活中や授業中には見られない、いたずら好きの子供のような表情をそこに見付ける。何を企んでいるのだろうか。

「で? 本当の目的はなんやねん?」
「アーン? 遊園地を貸し切ることに決まってんだろ」
「素直やないなぁ。お前が貸し切ってまで遊びたい思うたら、絶対にとんでもないお祭り騒ぎを起こすやろ」
「俺はそこまで非常識じゃねぇぞ」
「充分非常識やで」
「……」

 失礼極まりない発言を連発してくれる忍足を跡部はうるさそうに睨み、それから、背後の巨大マップに目を向けた。何かを探しているのか、じっと見詰めている。と、その背中に芥川が勢いよく飛び付いてきた。まったく、いつ起きたのか。

「あっとべぇ! メリー・ゴー・ラウンドの場所判ったか?」

 芥川を背負う体勢のまま、跡部は巨大マップに激突した。咄嗟に両手で支えようとするも、背中の芥川の重みに耐えきれず、額を強かに打ち付ける。

「ジロー、テメェ…」
「あはははは。悪りぃ悪りぃ」

 跡部の怒りに気付いたらしく、急いでその背中から飛び降りる。
 素早い動きで跡部との距離を置くと、それから、また同じ質問を繰り返した。

「それで、メリー・ゴー・ラウンドは?」
「中央の噴水の横だ」
「うっしゃ! 行こうぜ」

 乗る気満々な芥川の様子に、忍足が怪訝な顔をした。

「何で、メリー・ゴー・ラウンド探しとるん?」
「俺と樺地と跡部で乗るんだぜ!」
「は?」
「その後は、コーヒーカップな!」
「はあ?」
「ってことで、行こうぜ、樺地、跡部!」

 乗るのか? 跡部が?

 意味も状況も飲み込めていない忍足を置いて、芥川は跡部と樺地を引っ張ってメリー・ゴー・ラウンドがあると思われる方角へ向けて歩き去った。

「侑士ー。何やってんだよ?」
「ああ、岳人か」
「何だよ、俺で悪いのかよ」
「いや、そういう意味やあらへんねん」
「ま、そんなこと、どうでもいいや。なあ、俺たちも乗りに行こうぜ、メリー・ゴー・ラウンド!」
「はい?」
 何で、向日までそんなことを言い出すのだ。
「あのな、何でメリー・ゴー・ラウンド?」
「ジロー達が乗りに行くって言ってたからさ、俺たちも行こうぜ! 面白そうじゃん」
「あんなん、おもろないやろ」
「こんな時しか乗れねぇってジローが言ってたぜ」
 確かに、こんな時しか乗れないだろう。
 休日の家族連れの多い中、小さな子供に交じって回転木馬に跨る勇気は、忍足にだって無い。だからって、わざわざ貸し切ってまで乗るものなのか。
 そんなことを考えていたら、向日がさらに大きな声を張り上げていた。
「おーい。宍戸ぉ、長太郎ぉ。お前らも行かねぇ?」

 

 

「それで? 何で、みんな揃ってこんなもんに乗ってんだよ?」
「俺が知るかい」
「いいじゃんか。おもしれーよ、これ」
「宍戸さん。何か気持ちが和みますね」
「あ? そ、そうかよ…」
「俺まで乗ることないでしょう。何で、いつも俺を巻き込みますか」
「いいじゃない。こういうのんびりしたのも面白いよ」
「あははははは。何か楽しいかもー」
「ウス」
「眠くなるな、これ…」

 メリー・ゴー・ラウンドに辿り着くまでの間に、向日が片っ端から声をかけてくれたおかげで、宍戸、鳳、滝、日吉までもがメリー・ゴー・ラウンドに乗る羽目になってしまっていた。
 訳の判らない理屈に押されて、拒否出来なかったというのが正しいかもしれない。滝が面白がって「乗ろう、乗ろう」と言いだし、鳳も「何か、楽しそうですね」と脳天気なことを言い出したおかげで、意地になってまで拒否し続ける雰囲気ではなくなっていたのだ。 そして、遊園地に入って一番に、全員でメリー・ゴー・ラウンドに乗ることとなってしまったのである。

 軽やかなメロディと共に、ゆっくりと回転し始める。
 向日は茶色の子馬に、その前にある茶色の背の高い馬に忍足が跨っていた。忍足の右斜めにある、マーメイドと思われる物に宍戸と鳳が座っている。その前方には白馬二頭が馬車を引く形のものがあり、その白馬に芥川と樺地が跨っていて、跡部は、その後ろの馬車の部分に腰を下ろしてふんぞり返っていた。日吉と滝は、これは何の動物なのかと問いたくなるような、不可思議な生物に乗っている。

 楽しむ者。早く終わってくれと、俯いたままでいる者。どうでもいいという態度で開き直る者。メロディに合わせて呑気に揺られている者。
 反応は、それぞれであった。


「次、コーヒーカップな!」
「どれだ?」
「向こうにある、あれ!」
「よし、次はあれだな。行くぞ、樺地」
「ウス」

 メリー・ゴー・ラウンドから降りるなり、芥川が次に乗るものを指定してくる。
 しかも、跡部も普通に了解していた。

「俺は、もう付き合わねぇから!」
 宍戸はそう言って、後退る。
「そうですね。それじゃ、俺たちは別の所に行きましょうか?」
「おう。そうしようぜ」
 明らかにほっとした様子で宍戸は返事をしている。それから、背後の忍足を振り返り、
「俺ら、ジェットコースターに行くけど、お前どうする?」
「俺もそっちのがええねん」
「あ、俺もそれ乗りてぇ!」
 ということで、宍戸、鳳、忍足、向日はジェットコースターに乗るべく、場所を移動する。

 日吉は滝に引きずられて、跡部達のいるコーヒーカップへと連れて行かれていた。
「だから、俺は乗りませんって」
「こういう機会は滅多にないんだよ。せっかくだから、乗っておこうよ」
「滝さん一人で乗ってください」
「冷たいなぁ、日吉は」
「冷たくて結構です」
「あ、タッキーとヒヨも乗るんか? 俺と一緒のに乗ろうぜ!」
 いきなり現れた芥川の乱入で、日吉の抵抗も虚しくコーヒーカップ行きが決定となる。
 跡部と樺地、芥川と滝と日吉の二グループに別れて、コーヒーカップに乗ることに。
 跡部と樺地は緩やかな回転に任せて、のんびりと座っている。芥川のいるカップは、芥川が中央のハンドルを目一杯に回してくれるおかげで、恐ろしい回転を見せていた。
「ジロー! 回し過ぎだって!」
「ああ、もう、好きにしてください」
「あはははは。おもしれー!」

 年齢と共に外見が大人びてくると、この手の乗り物には乗りたくても乗りにくい雰囲気になってくるものだ。人の多い中、小さな女の子たちに混じって体格の良い男が乗っていれば、どうやっても浮いてしまうだろう。だからこそ、こういう時は日頃乗る機会の無いものに乗っておくのが面白れぇんだよ、そう跡部が言っていたらしい。

「確かに、貴重な体験ではあるねぇ」

 呑気な声で滝は呟いていた。

 

 

 

「なあ、跡部ってさ、結局メリー・ゴー・ラウンドとコーヒーカップ以外に乗ってなくねぇ?」
「そうだと思うよ」
「え? そうなの?」
「俺らがジェットコースターとかに乗ってる間、ずっとここで樺地と何か食ってたじゃん」
「何しに来たんだ、あいつ?」

「だから、メリー・ゴー・ラウンドとコーヒーカップに乗るために決まってんだろ」

 振り返れば、ホットドックを手にした跡部が立っていた。

 散々遊んだ後の小休憩。 皆でホットドックやお好み焼きなどを注文し、食べているところである。

「はあ? それだけ? せっかく貸し切ったのに、それしか乗らねぇの?」
「この後、観覧車にも乗る予定だ」
「いや、だから…」
「お前、何の為にわざわざ貸し切ったんだよ?」
「だから、メリー・ゴー・ラウンドとコーヒーカップと観覧車に乗るためだよ」

「……」

 本気で言っているのか、こいつは。

 皆の目がそう言っているようだった。

 跡部は、何食わぬ顔で手にしたホットドックにかぶりつく。
 離れたテーブルには樺地と鳳と日吉の二年生たちがたこ焼きをつついていた。

 その時、ゴーッというジェットコースター特有の騒音が斜め上を駆け抜けて行く。
 全員がここで何かを食べていると思っていただけに、皆が驚いて音のする方角を見上げた。誰が乗っているのかと思いきや、そこに榊の姿を見付け、またも驚くことになる。
「か、監督…?」
「帰ったんじゃなかったのかよ!?」

 皆が狼狽えている横で、跡部が呑気にジュースをかき混ぜながら呟く。

「あの人も、本当、マイペースだよなぁ」

 マイペースとかいう問題か?
 宍戸はそう突っ込みたかったが、口には出せなかった。

 

 

「皆、楽しんでいるようだな」
 跡部と樺地以外の者達がまた再びジェットコースターなどに乗りに行った直後、榊がふらりと姿を現した。
「好き勝手にやってますよ」
 驚く様子もなく、跡部は平然と返す。
「夏の大会の慰労会も出来ないままだったからな。他の者達にも丁度良い気分転換になったのではないか?」
「だと良いですが」

 夏が終わってからずっと、苛立ちを伴う無気力感から抜け出せないでいた当時のレギュラーたち。
 三年の引退と同時に部長職を引き継いだ日吉もまた、言い知れぬプレッシャーに押し潰されないように、本当に必死で部を支えて立ち続けていたようだ。
 歴代の部長の中で一番過酷な引き継ぎ方をしたのは日吉かもしれないな、と跡部は思う。
 ある意味、時代そのものを作ったと言える跡部から部長を引き継ぐということの重さと、全国出場への経緯の特異性とその結果と責任。
 それら全てを背負っての部長となるのだ、日吉は。
 しかし、跡部にはこんな状況でも敢然と立ち続けられるのは日吉しかいないだろうと思っていた。思っていたから、試合結果がどうであれ、最後まで日吉を部長に推したのだ。
 あのいっそ清々しいまでのハングリー精神は、他の者達にも良い意味での影響を与えるだろう。
 樺地は表舞台に立ち脚光を浴びるよりも主力でありながらサポートに徹する方が実力も才能も発揮できるタイプだと思う。鳳は、この状況下ではあの優しい温厚な気質がむしろ足を引っ張るだろう事が容易に想像できる。むしろ、樺地同様にサポート役に徹した方が実力が発揮出来ると思われた。
 ただ、あの三人の関係を保つバランスは、端から見ていても気持ち良いくらいに完璧だった。
 今年は、特例で副部長を作るのも有りかもしれない。近い内、監督に進言してみようか、そんな事も考えてみたりする。

「あーとべー!! 観覧車ー!」

 散々、向日達と遊びまくったらしい芥川がこちらに向かって走ってくる。

 それに気付いた榊は静かに微笑し立ち上がった。
「監督は影ながら見守るとしよう。羽目を外しすぎて怪我だけはしないように」
「判ってます」
 軽く会釈して跡部は立ち去る榊を見送った。

 

 

 

「マジで、野郎だけで観覧車に乗るかよ?」
 色鮮やかに点灯する観覧車を見上げながら、宍戸が呟く。隣で鳳が「俺は別に平気っスけどね」と言ったことは無視した。
「なぁんか、今日の目的が読めてきたわ」
「俺も」
 観覧車を見上げながら忍足が呟けば、滝も同様に頷いた。
「え? 何?」
「どう見ても、目的は判りきってるでしょ」
「日吉は始めから気付いとったんかい?」
「普通に考えて、それ以外無いと思いますが?」
「だったら、早よ教えんかい」
「嫌ですよ。余計な事を言えば、絶対に跡部さんに睨まれますから」
「だから、何の話だよ?」
「あー、なんや。俺ら、ほんまにただのおまけっちゅうことかい」
「むしろ、自然なシチュエーションを作る為に利用されたって感じかな?」
「だぁかぁらぁ! 何の話をしてんだよ!?」

 まったく疑問に答えようとしてくれない友人達に、向日の苛々が爆発する。

「うるせぇぞ、向日」
「なんだよ? だったら、宍戸、お前が教えろよ」
「俺に判るわけねぇだろ」
「っとに、馬鹿だな、お前」
「てめぇに言われる筋合いはねぇ!」

「あ、あの…。落ち着きましょう、二人とも」

 おろおろと鳳が両者の間に入って宥めようとする。

「あ、何? 今の侑士達の言ってた意味、鳳は判ったのか?」
「ええと、たぶんですけど…」
「だったら、早く教えろよな!」
「はい。す、すみません…」

 あまりの剣幕に、思わず謝ってしまう鳳だった。

 

 

 ゴンドラが丁度一番上の部分に到達したようだ。
 観覧車に取り付けられたイルミネーションがチカチカと色を変え、跡部の顔をそれぞれの色が照らし出す。
 跡部は興味深げに眼下の町並みを見下ろしていた。 跡部と向かい合わせに座っている樺地は、何となく彼の顔を見続けるのも悪い気がして視線を落とす。視界の隅に金髪の癖っ毛が見えて、思わず笑ってしまった。
 せっかく観覧車に乗っていながら、ゴンドラの座席で爆睡する芥川。何の為に観覧車に乗っているのか判ったものじゃない。

 視線を前に戻せば、跡部と目が合う。

「他にやってみたいことは無かったのか?」

 そう問われて、樺地もようやく今日の跡部の行動の意味を理解した。
 芥川が間に入り、芥川の意志に振り回されているように見えていた為に今まで確信が持てなかったが、恐らく、全てが前もって打ち合わせされていた行動だったのだろう。

「ウス」

 ここで礼を言うのもおかしいだろうし、まず、礼を言われるのを跡部は嫌がると思われた。
 適切な言葉を、樺地は知らなかった。何か言わなければいけないと思うが、何を言えばいいのか判らなかった。

「そうか」

 樺地が返答に窮している内に、跡部はそう呟き、視線をゴンドラの外に向けてしまう。ただ、その目が笑っていたように思えたので、少なからずほっとした。

「覚えて、いたのですね…」
 ようやく出た言葉はそれで、視線を樺地に戻した跡部はニヤリと笑っただけだった。

 やはり、自分はお礼を言いたいのだと思う。しかし、確実にその言葉は拒否させるだろう。
 どうすれば、自分は喜んでいると伝えられるのか。 感情表現の乏しい己が、これほどに虚しく思えたことはなかった。
 俯き、じっとゴンドラの床を見詰める。思考は、自分の幼少時代に戻っていた。

 彼が、今度乗ろうぜ、そう言ってくれたのは、樺地の妹が幼稚園に入った年の出来事だったと記憶する。
 幼い頃から樺地は体格の良い少年だった。幼稚舎の高学年の頃には、すでに身長が百八十センチ近くもあり、どこに行っても小学生には見られなかった。良くて高校生。時には大学生に間違われることもあったほどだ。
 体格の良さに加え口数の少ない物静かな性格も手伝って、益々大人びて見られていた。周りから、自分だけがひどく浮いている気がしたものだ。
 幼い頃、同じ年頃の子供達が遊園地で大はしゃぎするのを、ぼんやりと眺めてばかりいた。
 自分が同じように遊ぼうとすると、周りの子供が驚いてしまうことを知っているから、出来る限り、子供の遊び場には近付かないようにしていた。厳つい大人が子供の遊び場に入り込んだように錯覚されるのが、辛かったのだ。
 そんな樺地の行動を両親は、大人っぽい性格だから子供の遊びに付き合わないだけなのだろうと思っていたようだった。 その中で、唯一、樺地を年下扱いしていたのが跡部だったわけで。

 一度だけ、樺地の家族みんなで遊園地に遊びに行くというとき、跡部も一緒だったことがある。
 幼稚園に入ったばかりの妹が、両親の手を引っ張って駆けていくのを後ろからゆっくりと見詰めていた。
 メリー・ゴー・ラウンドにコーヒーカップ。ミラーハウスや観覧車。 妹と同じくらいだった頃、自分から乗りたいという言葉を口にすることが出来なかった。子供らしくはしゃぐ機会など、永遠に無いだろうと思った。
 はしゃいで手を振る妹に手を振り替えしていると、隣に立つ跡部が言った。

「お前は乗らねぇのか?」

 びっくりして跡部を見詰める。

「自分は、こういうの、不釣り合い、ですから…」
「乗りたいと思ったことは?」
「え…。あ…」
「俺も、ロンドンでこういうのに乗ったことあるけどな、結構面白いぜ」
「そう、ですか…」
「今度、乗ろうぜ」
「え…」

 何気ない会話。その場しのぎの会話だと思っていた。
 この時の樺地は、まともな返事すら返してなかったのだから。

 もう五年前の話だ。
 それは、この遊園地での出来事だった。

 

 

 景色がゆっくりと地上に近付いていく。

「あの…」
「あん?」
「楽しかった、です…」

 やっと出てきた言葉は、そんな陳腐なもので。でも、跡部に伝えるには充分だったようだ。
 ニンマリと笑い返し、彼は降りる用意を始めた。

 自分の誕生日に他人の願いを叶えようとする酔狂さ。しかし、そういう予想外な行動を取るのが跡部という人物という気もした。

 本当に、面白いことを考える人だと思った。

 

 

 

「跡部! 最後にホラーハウスに行かねぇ?」
 観覧車から降りてきた跡部達を捕まえて、向日がそんなことを言ってくる。
「アーン? 何でそんなもんに――」
「行く行く! おもしろそー! 樺地も行こうぜ!」
「…ウ、ウス」
 いつの間に目覚めたのか、芥川が大はしゃぎで賛成の意を表してくれた。向日はそれを全員の意見として受け止め、さっさとホラーハウス目指して歩き始めている。
「……」
 結局、跡部が一言も反論出来ない内に決定されてしまったらしい。

「先に侑士達も行ってんだよ。早く行こうぜ!」

 向日の発言に、跡部は面倒臭げに眉を顰める。

「お化け役って、人間がやってんの? すっげぇ、おもしろそうじゃん!」
「だろだろ! ここは行っておかないと損だぜ!」
「…あいつらの考えそうなことくらい、予想が付くんだけどな」
 そんな跡部のぼやきは、向日と芥川のハイテンションさに掻き消されてしまっていた。

 騒ぐ向日と芥川を先頭に跡部達はホラーハウスへと向う。
 無言のまま歩き続ける跡部に向かって、向日が冷やかすように言った。
「何だよ、跡部。もしかして、怖いんじゃねぇの?」
「お前らがどんな格好で出てくるのか考えていただけだ」
「げっ」
 すでに自分たちの行動は読まれているようで、向日は一瞬顔を強ばらせた。それから、誤魔化そうとするかのように他愛のない話題でおしゃべりに興じ始める。
 観覧車から歩くこと三分程度か。建物の造りからして、すでに恐怖を感じさせてくれるホラーハウスの入口に到着。
 入口脇のカウンターの係員に入る人数を告げて、跡部は向日を振り返った。
「お前、先頭な」
「ちょっと待てよ、ひでぇだろ、それ」
「なんだ、怖いのかよ?」
「んなわけあるかよ!」
「じゃあ、行けよ」
「うあ〜…最悪ぅ…」
 お化けは全て人間が演じているおかげで、かなり怖いと評判のホラーハウスである。
 前もって打ち合わせしているとはいえ、跡部を連れてくる役目の向日には、誰がどこで待機しているのかまでは聞かされていない。はっきり言って、無茶苦茶怖かったりする。

 入口から数歩進んだところに、黒の分厚いカーテンが掛かっており、これを潜って中に入れば、そこからはもうホラーワールドということだ。

「ほら、早く行け」
 跡部に背中を押されて向日は無理矢理カーテンを潜らされた。
「うげぇ。真っ暗じゃん」
「当たり前だろ。だいたい、お前が入りたいって言ったんだろうがよ」
「そうだけどさ…」

 入ってすぐには、お化けも出てこないだろうということで、呑気に会話をしていると、向日の目の前にいきなり顔が浮かび上がった。

「ぎゃああああっ」
「おわっ」
 よくよく見れば、芥川が自分の顔を下から照らしているだけである。
 入口の前でいやに大人しくしているなと思っていたら、どうやらカウンターで懐中電灯を借りていたらしい。
「ジ、ジロー! 何やってんだよ、お前は!」
「あっはっはっはっは! ガックン、驚いた?」
「思いっきりビビったじゃねぇか!」
「俺は、向日の声に驚いたぜ」
「ウ、ウス…」
 お化け屋敷でさえ芥川に掛かればただの楽しい空間になってしまうのか、入り口付近での躊躇いの空気はだいぶ薄れて来ていた。

 軽口を叩きながら、足を進めて行く一行。
 見た目以上に中は広いようで、結構な距離を歩かされた様に思う。未だ、誰とも出会っていないのが気になった。まだ、先は長いのだろうか。

 芥川と騒ぎながらもゆっくりとした歩調で進む向日に、跡部が後ろからじれったそうに蹴りを入れた。

「押すな、跡部!」
「遅せぇんだよ、テメェは」
「だったら、お前が先に行けよな」
「断る」
「何だよ、それー?」
「良いから、さっさと行け」
 そんな言い合いを始めた途端、足下がいきなりぶよぶよしたものに変わる。向日が悲鳴を上げ、芥川が面 白がってぴょんぴょんと跳ね回った。
「オーソドックスな造りだな」
 呑気に内部の観察をしている跡部の隣で、樺地がおろおろと足を進めていた。

 生暖かい風が吹き付けてくる。館内に流れる効果音がおどろおどろしいものに変わっていた。
 パターンとしては、そろそろ出てくる頃だろう。 そう思った矢先、曲がり角を曲がった途端に誰かにぶつかった。それは、いきなり向日の首を絞めるようにして伸し掛かってきたようである。

「ぎゃあああああ」
「うわっっ」

 向日が悲鳴を上げ、その声に芥川が驚いている。

 その背後からも白い着物を着た誰かが出てきて、跡部に触れようとした。その瞬間、跡部は上体を沈め、反射的に足払いを仕掛ける。
 着物を着たそれは、素早い動きでかわしたかと思えば綺麗な動きで後方に飛び退いた。動きからいって、日吉と見ていいだろう。
 案の定、「どこに、ホラーハウスでお化けに攻撃する人がいますかっ!?」と怒鳴ってきた。

「気安く触んじゃねぇよ」

 日吉の抗議などどこ吹く風で、額に掛かる前髪を払い退けている。

 どうやら、一箇所に集中して脅かす作戦を取っていたようで、まるで、ゾンビ映画のようにわらわらと出てくる。

 向日はぎゃあぎゃあ言い続け、芥川は面白がって笑い出していた。

「あーあ。もう少しこっちの意気込み汲んで驚いてくれへんかな」
 お岩の扮装をした忍足が呆れた声でそう言ってくれた。
「怖くないもんに、どうやって驚けっていうんだよ」
「驚いてくれとるのは、岳人だけっちゅうのも虚しいやんか」
「つまんねぇことばっか思い付くからだ」
「せっかく、最後に今日の主役の跡部を驚かしてやろう思うたのになぁ」
「無駄骨だったな」
「俺らからのプレゼントや思うて、素直に受け取ろう思わんか、普通」
「こんなプレゼント、いらねぇよ。なあ…」
 そう言い掛けて、背後の樺地を振り返る。
「樺地?」
 呼びかけにも応えず、微動だにしない樺地。

「ありゃぁ。樺地、もしかして意外と恐がり?」

 異変に気付いた他の者達も恐る恐る近寄ってくる。

 心配そうにおろおろしている長身のお化けは鳳のようだ。

「おーい?」
 芥川が樺地の目の前で手をヒラヒラと振ってみるが、反応無し。

 居心地の悪い、ピリピリとした空気が辺りに漂い始めている。

「ええと、とりあえず、みんなこっから出よか?」

 忍足が無理矢理に明るい調子で仲間達を振り返った。隣の跡部が恐ろしいオーラを醸し出していることに、かなり焦っている様子だ。

「テメェら…」

「か、樺地。頼む、気が付いてくれ!」
「だから、こういう馬鹿な真似は止めとけって言ったんだよ」
「おーい、かばじぃ?」
「樺地、頼むから、跡部が爆発する前に起きてくれないかなぁ」

 見た目が思いっきり化け物な仲間に囲まれた樺地は、益々固まるしかなかった。

 そして、跡部の怒りが益々激しくなるのは、目に見えて明らかである。



 十月四日の夜は、まだまだ長く続きそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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'05年に跡部アンソロ本に書かせて頂いたものです。サイトに再録です。
本の中で私の話が一番浮いてた記憶だけがあります。空気読まないアホな話を書いてすみませんでした(==ゞ

サイト用に加筆したことからタイトルも変更してます。

 

 

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