向上心

 

 

 

 

 

 

「おい。聞いたか?」
「あれだろ、宍戸さんがレギュラー復帰したって言う…」
「そうそう!」
「マジで!?」
「何か、すっげぇ特訓してたってよ。で、いきなり滝さんに試合挑んで圧勝したって話だ」
「それだけじゃねぇよ。跡部さんも監督に口添えしてくれたから復帰出来たって聞いたぜ」
「すげぇ! それってさ、部長も認める実力ってことかな?」
「え…。でもさ、滝さんはただのとばっちりじゃねぇ…?」
「あ…」
「だよなぁ…。俺もそう思うし」
「試合って言っても、練習中のものだろ?」
「公式戦で負けた訳じゃないのに、滝さんがレギュラー落ち?」
「そうらしいよ」
「…滝さん、可哀想じゃね?」





 総勢二百名を越える氷帝学園中等部の男子硬式庭球部は、大雑把に計算しても、一学年に七十人ちょっとの部員数ということになる。
  これだけの人数がいれば、噂の発生も広がり方の早さも半端ではない。

  一度レギュラー落ちした宍戸が、練習中に滝に試合を挑んで勝利し見事にレギュラー復帰した日から、すでに三日。
  あの日から、滝は無断で部活を休んでいる。
 あれから、放課後はこうしてぼんやりと、グランドの端に広がる草っ原に寝ころんで空を眺め続けていた。
  今、宍戸と顔を合わせれば嫌味な言葉しか口を出ない気がしたし、宍戸の復帰に手を貸した跡部の顔をまともに見る自信も無かった。

  悔しいとか腹立たしいとか色々な感情が沸き上がるが、それらを何とか払い除け、とにかく頭を冷やしたかった。
  今後、どうやって自分はこの状況から這い上がるべきか。冷静に考える時間が欲しかったのだ。




 あの出来事から五日という時間が過ぎた日の事だ。
  滝は学食で耳にしたテニス部員と思われる生徒達の会話から、自分を取り巻く環境がかなり不穏な空気になっている事に気が付いた。

  なぜ、そんな事になるのか、さっぱり意味が分からない。

  これは、宍戸と滝の問題だと思っていたのに。いや、滝一人の気持ちの問題であったはずだ。
  宍戸に「本当にこのままで終わるつもりか」と喧嘩腰で問いただしたのは、他ならぬ滝だったのだから。
  宍戸は、散々悩み抜いた末に、己の欲する答えを導き出したのだろう。だから、あの日、本気の闘争心でもって滝に勝負を挑んできた。

  実力的にはほぼ互角。レギュラー入りをした時期も同じ。そのせいか、常にお互いを意識してきた。跡部は別格として、それ以外でライバルという名称がしっくりいくのは、お互いの存在のみだった。そう思っていた。 なのに、いつの間にか、部の中では宍戸と鳳が悪者で、滝が同情の対象となっていた。

――何だ、それは。

  苛立たしげに足を速めて、滝は廊下を歩いていく。

――僕が可哀想?

  なぜ、何も知りもしない連中から同情されなくてはいけない。
  同情を向けられるほど自分は落ちぶれて見えるのか?
  苛立った足取りで訪れた場所は三年一組の前。
  苛立ち任せにドアを開けると、鋭い目つきのままに目的の人物の姿を探した。 窓際の真ん中辺りの席にいつもの顔ぶれが揃っている。 ドカドカと激しい足取りで教室の中へ入っていく。
  先に気付いたのは、向日だった。明らかに機嫌の悪い顔をした滝に気付き、僅かに表情を強ばらせた。

「滝……」
「ん? おお、滝やないか。どないした?」
「アーン?」

  向日の呟きに、忍足と跡部も気付く。 そんな反応もお構いなしに、滝は三人のいる場所に近付いた。
  怪訝そうな眼差しが向けられるのも気にせずに、跡部の前で立ち止まる。 気持ちを落ち着ける事ができないまま、滝は、椅子に座ってふんぞり返っている跡部の胸ぐら掴み上げた。
  思いがけない行動に、周りがぎょっとした顔をする。

「跡部! 僕って可哀想なの!?」
「あ? 何だって?」
「だから、僕は可哀想なのかって聞いているんだよ!?」
「悪いが、言ってる意味がまったく判らねぇ…」

  胸ぐらを掴まれたままの体勢でありながら、跡部はまったく臆する事無く冷静に聞き返していた。

「ちょお落ち着き」
  そう言って、忍足は滝の手を包み込むようにして宥める。 忍足の声と手の熱とで、怒りが急速に冷めていくのを感じた。
 力が抜けて、跡部の胸元から手が離れる。解放された跡部は、乱れた制服を簡単に直し、そのまま座り直した。変わらず、態度は偉そうであった。

「宍戸はどこ?」
「隣のクラス」
「いなかった」
「じゃあ、知らね」

  無言のまま、滝は跡部を睨む。

「俺を睨んでも仕方がねぇだろ。宍戸の行動なんか、一々把握してねぇよ」
「探すの手伝って」
「アーン?」
「手伝って!」
「何で俺に言うんだよ」
「部長だから」
「関係ねぇだろ」
「関係有るでしょ」
「どこが」
「宍戸の復帰に口添えしたの、跡部でしょ」
「……それと何の関係が有るんだ」
「大有り」
「お前が宍戸を探す理由は―――」
「ごちゃごちゃうるさいな! 良いから、手伝いなよ!」

  言い捨て、止めようとする忍足と向日に反論も許さず、滝は跡部の腕を掴んで教室を出た。





「おい。どこまで行く気だ?」
「宍戸が見つかるまで」
「俺を引きずって探すより、手分けした方が効率良くねぇか?」
「手分けして別々に行動したら、跡部は探すの止めるだろ?」
「そりゃな」
「だったら、一緒に探す」
  そう言ったきり、滝は押し黙って歩き続ける。仕方無さそうに、滝に腕を掴まれた状態の跡部も大人しく歩き続けた。

  二階の渡り廊下に差し掛かった頃、仰々しい溜息と共に跡部は再び滝に声を掛ける。
「おい。何をカリカリしてんだよ?」
「別にカリカリしてないよ」
「してるだろ」
「してない!」

  子供の喧嘩か、これは。

  跡部が立ち止まっても滝は歩き続けようとする為、跡部はほとんど引き摺られていく状態となる。呆れ切った様子で跡部は頭上を振り仰いだ。

  レギュラーという地位に就く以上、無様な負け試合は許されない。それが監督のやり方で、氷帝のテニス部のやり方でもある。
  ただ、負けたら即レギュラー落ちというのは、語弊があるだろう。 事実、去年の新人戦に於いて、跡部は負けを味わった。ただし、それは準決勝という場所で、試合内容も際どい接戦を繰り広げながらの敗北であった。
 負けても尚、その実力を周りに知らしめる結果となった試合。 だから、跡部は今こうして、テニス部の部長という地位に就いている。
  負けたら即レギュラー落ちではなく、レギュラーという地位に不相応な負け方をするからレギュラーから外されるのだ。

  数週間前、宍戸は都大会での試合で準レギュラー達を前にして、無様な試合を晒した。 己の実力を過信し過ぎたが故に、相手の実力を見抜くことも出来ないまま惨敗となった。
  宍戸一人を責める気になれなかったのは、部長としての責任感からだろうか。
  あの敗北の原因は、跡部のオーダーミスもあるはずだ。誰もそのことに触れることはなかったが、それは明らかだろう。
  不動峰を無名校だと高を括って、満足に情報集めをしていなかった。

  己の力を過信し過ぎていたのは、俺の方ではないのか。

  その苛立ちと罪悪感からか、跡部はレギュラー落ちした直後の宍戸と激しい言い合いの後、殴り合いの喧嘩までしてしまっている。
  忍足達が外部に漏れないように上手く誤魔化してくれたおかげで、何のお咎めも無しで済んだのだが。

「宍戸をけしかけたのは、お前だって?」
  校舎を出たところで強引に滝の手を振り払ってから立ち止まり、跡部はそう話しかけた。
  振り返った滝は、皮肉めいた笑みを浮かべている。
「跡部も、宍戸と大喧嘩したって?」
「馬鹿に制裁を加えてやったまでだ」
「宍戸がレギュラーから外れることが、腹立たしかったんだろ?」
「アーン? てめぇこそ、自分でけしかけておいて、その相手に負けてりゃ世話ねぇよな」
「……痛いとこを突くのは止めて欲しいな。まだ、立ち直ってないんだから」
「あいつの直球思考は判ってるくせに、何でけしかけるような真似をした」
「情けない宍戸を見てると、酷くムカついてきたんだから仕方が無いだろ。…常識外れな特訓をして、その直後に、試合形式で力を示してくるなんて思いもしなかったけど」
「馬鹿か、お前。…それで、無様に負けてお前がレギュ落ちかよ」

 沈痛な顔で滝は押し黙る。 跡部は苛ついた動作で壁に寄り掛かった。

 壁の向こうからバタバタと騒がしい足音が複数聞こえてくる。こちらに向かって走ってくるようだが、何事だろうか。
  その足音が急に止まると同時に、跡部の寄り掛かっていた壁の真横の窓が開き、女生徒が顔を覗かせた。

「うわっ」

  驚いてその場から離れる跡部を、女生徒は捕まえようと腕を伸ばしていた。
「ちょっと、跡部! 何逃げてんのよ!」
「驚かすんじゃねぇ」
「それどころじゃないって。あんたのとこの部員が校舎裏に連れて行かれてたよ!」
「ああ?」
「それ、どんな奴だった?」
  滝が女生徒に詰め寄る。驚いた女生徒が思わず後退りすると同時に、別の女生徒が顔を覗かせ説明の補足をしてくれた。
「あれ、絶対に宍戸くんだったよ。間違いないよ」

 その言葉を聞き終わるより早く、滝は全速力で校舎裏目掛けて駆け出していた。
 跡部も慌ててその後を追い掛ける。

「ちょっとぉ、お礼くらい言って行きなさいよ!」

 背後で怒鳴っている女生徒に、跡部は軽く片手を挙げることで返事をした。





「校舎裏って、また古典的な」
「他に人目を避けられる場所が無いのも事実だけどね」
「もしかして、お前が宍戸を探してた理由って、これか?」
「まぁね。実力も無い癖に僻みは一人前の平部員がさ、鳳や宍戸を狙ってるっぽいこと言ってたから」
「自分を蹴落とした奴のために、必死で奔走するなんざ、てめぇもおめでたい頭してんな」
「跡部と違って、僕って人情味溢れるから」
  しれっと宣う滝を軽く睨みつけてから、跡部は角の向こうの様子を伺った。
  この角を曲がれば、すぐに宍戸のいる校舎裏と呼ばれる空間に出られる。

  宍戸と彼を取り囲む平部員たちは、まだ、言い合いをしているだけのようだ。

「お前らがとやかく言う問題じゃねぇんだよ」
「てめぇ、滝さんを汚ねぇ手で蹴落として、よくそんなことが言えるな」
「試合をして勝っただけだろうが」
「レギュ落ちした奴は、大人しく部を出ていけよ」
「てめぇに指図される覚えはねぇ」

 そんな遣り取りが行われているようだが。
  どの辺りになったら出ていくべきか。タイミングを計るのが難しそうである。

「乱闘になりそうだったら、僕が出るから。跡部は、絶対に出て来ちゃ駄目だよ」
「あん?」
「部長自ら、暴力事件に参加したら大変だよ。大会出場停止か、最悪、廃部になるよ。だから、跡部はあくまで仲裁役でいて貰わないと」
「ちっ。面白くねぇな」
「我慢してよ。それが、責任職ってやつでしょ」
「何か、中間管理職の気分だな」
 そんなことを言っていると、角の向こうが険悪な空気になってきた。
 ガツっという音が響く。

 滝が立ち上がった。

「僕が行ってから、十分経ったら止めに来てね」
「十分ねぇ…」
「それ以上だと、相手の安全を保証する自信はないからね。頼むよ、部長」
「……柔な外見の癖に凄いこと言ってくれるじゃねぇの」
「僕ってさ、こう見えて気性は荒いんだよね」
「知ってる」
「本気で怒っちゃうとさ、加減の仕方を忘れそうになるんだ」
「それも知ってる」
「だから、十分経ったら止めてよね」

 にっこりと微笑みながら言う滝に、跡部は諦めたようにヒラヒラと手を振ってやった。





 滝が割り込み、言い合いが更に激しくなったようだ。

「あ、あの…」
「よう、樺地。どうした?」
「こちらに、跡部さんが行くのが、見えたので…気になって…」

 突如現れた樺地に、跡部はいつもの人を食ったような笑みを浮かべてみせた。

「ちょうど良いところに来たな。お前に持ってきて欲しいもんがあるんだが―――。」

 跡部の発する言葉に、樺地は些か驚いた様子をみせたが、それ以上の抵抗は見せずに素直に立ち上がった。
「急げよ」
「ウス」
 短く返事をし、樺地は校舎の方へと歩き去って行った。

「宍戸さ―――っぐわ」
 必死の形相で駆け付けてきた鳳に、跡部は躊躇い無く足払いを掛けて転ばせた。
「跡部さぁん。酷いですよぉ」
「次から次へと、何なんだ、お前らは!?」
「だって、三年の教室に行ったら、宍戸さんが複数のテニス部員に囲まれてどこかに行ったって聞いたから…」
「よくここが判ったな」
「樺地が、ちょうどこっちから歩いて来るのが見えたんで、まさかと思って…。やっぱり、宍戸さんがいるんですね!?」

 立ち上がって角を曲がって行こうとする。その襟首を掴んで、跡部は無理矢理に鳳を座らせた。

「何するんですか!? まさか、跡部さんもグルとか言いませんよね?」
「後、三分だけ我慢しろ」
「え? 三分?」
「いいから。三分だけ黙ってろ」
 腕時計を見詰めながら、跡部は言う。
 妙な威圧感に押されて、鳳は黙り込んだ。

 角の向こうでは、滝と平部員との怒鳴り声が響いている。
 宍戸の声が聞こえないようだが、もしかして、早々にノックアウトされたのか。それとも、滝の怒りに気圧されて大人しくしているだけなのか。

「君たちに同情される覚えはないよ」
「でも、滝さん。そいつのせいで、滝さんはっ」
「レギュラーを奪いに行く勇気も根性も無い奴に、とやかく言われる筋合いもないね」
「な、何で? だって…」
「宍戸と試合したのは僕。けしかけたのも僕だし、負けたのも僕なんだよ! この場で宍戸を殴って良いのは、僕だけなんだよ。君らは、僕の屈辱に便乗して憂さを晴らしているだけだろう!」
「そんな言い方!」
「頼みもしないことを勝手にやって、恩を売ろうとでも言うのかい?」
「何だよ!? 俺らが、滝さんの屈辱を晴らしてやろうって思ったんじゃないか!」
「それが、余計なお世話だって言うのが判らないのか? 誰が頼んだよ? 僕がいつ、宍戸の事を嫌いだって言ったよ?」
「だって、普通はそう思うでしょう!」
「憶測だけで判断するなって言ってるんだ!」
「…何だよ。ふざけんなよ!」
「だいたい、あんたがあんな負け方をしなければ、俺たちだってこんな気分になりゃしなかったんだろうがっ!」

 その言葉を最後に会話が途切れたようだった。あとは、互いに殴り付ける痛そうな音が響き渡った。

「ウス」
「か、樺地ぃ…」
 泣きそうになりながら、鳳は戻ってきた樺地を見上げた。
「樺地持って来たか?」
「ウス」
「よし。あと、三十秒か。…樺地、鳳。それ持って付いてこい」
「ウス」
「あ、はい!」

 残り三十秒をきっちり待ってから、跡部は角を曲がり、争いの場へと出ていく。

 宍戸と滝の二人で八人を相手にしていたようだ。
 すでに、滝によって五人が伸されていた。

「お前ら、何をしている?」

  ドスを利かせて呼びかける。

「関係ないやつは引っ込んでなっ」
「うるせぇな、誰だよ!」
「あ? 何で、跡部がここにいるんだよ!? 関係無い奴は引っ込んでろ!」

 見事な反発ぶり。喧嘩が収まる様子もない。 そして、跡部と気付いていながら文句を言ってしまった宍戸。その言葉が一番頭に来たようだった。
 しかし、部長自ら喧嘩をするなと滝に釘を刺されたばかりである。殴りたい衝動を何とか抑え込み、跡部は右手を高らかに掲げて指を鳴らした。

「ウス」

  それを合図に、樺地は遠慮無く手にしたバケツの中の水を辺りにぶちまける。
 慌てた鳳も樺地を真似てバケツをひっくり返し、宍戸や滝も含めてその場にいた全員に水を掛けてしまった。
 いきなりずぶ濡れにされた宍戸と滝、そして、喧嘩の相手であったテニス部員八名は、呆然とした顔で静まりかえっていた。

「ま、お前らの気持ちも判らないでもない。今回の件は、俺で止めておいてやるよ。監督と学校には報告しないでやるが、部活を続けるかどうかは、てめぇらで考えな」

 濡れたままの八人は、跡部に気圧されたように一度だけゆっくりと頷く。

 今後、彼らの姿を部活の練習で見ることは無いのではないかと、鳳は感じた。
 それほどに、淡々と話す跡部の姿は怖いものだった。

――跡部さんって、静かに怒るタイプなんだな。今までも部活中に怒鳴ってたことがあるけど、あれって本気で怒ってなかったんだ。

 ずぶ濡れの宍戸と滝を眺めながら、鳳はそんな場違いのことを考えていた。

「おら、行くぞ」
 宍戸に軽く脛で蹴りを入れてから、跡部は歩き出す。
 樺地、鳳も続き、唖然としたままの宍戸を滝が引っ張って校舎裏から出た。
 そこでようやく、滝が文句を言う。
「ひどいなぁ。僕にまで水掛けることないじゃないか」
「ウス…。すみま、せん」
「俺様の仲裁を聞かないからだ」
「聞かなかったのは、宍戸だろ」
「どっちもだ」
「っつうか、何でお前らがここにいるんだよ!?」
「情けない宍戸君を助けに来てあげたのに、その言い方は無いんじゃない?」
「貴重な休み時間を割いてやったんだ。有り難く思いな」
「だから、何でここにいるんだって聞いてんだろうが!」

 噛み合わない会話を続けながら、跡部達は部室へと向かって歩き続けた。







「つまり、あいつらが俺を狙ってるって気付いたから、わざわざ探し回って来てくれた、と?」
「そう。感謝してよねぇ、この優しい滝君にさ」
 芝居掛かった仕草で滝がそのような事を言う。その隣で跡部が小馬鹿にした表情を浮かべた。
「俺は、その巻き添えを食っただけだぜ。まったく、こんな馬鹿の為にいい迷惑だ」

 宍戸と滝は、濡れた制服を簡単に洗った後、部室の隅に干していた。
 乾くまでの間は、ジャージでも着て過ごすしかないようである。 こんな格好で授業を受ける気もせず、午後の授業はさぼることにしたようだ。跡部も授業に出る気が削がれたと言って、部室に籠もっている。
 ただし、二年生である鳳と樺地は問答無用で強制的に教室へ帰らせた。

 会話が途切れ、宍戸は居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。

「今度の関東大会、ダブルスで出るんだって?」
  そう切り出したのは、滝の方だった。
「あ、ああ…」
 パートナーは鳳。
 元々、滝と組んで試合に出ていた鳳に、自分は身勝手な無茶苦茶な特訓に付き合わせてしまったのだ。そして、その挙げ句に鳳のパートナーであった滝を引きずり落とした。
 鳳にも、かなりの葛藤があったのではないのかと、今頃気が付いた。

 今頃気付くなんてな。遅すぎだろ。

「俺、激ダサだな…」
「今まで気付いてなかったのか? 鈍いどころじゃないね」
「おい…」
 あまりにきつい突っ込みにさすがの宍戸も言いよどむ。そんな宍戸を滝は無表情に眺めていた。それから、ふっと薄く笑みを浮かべた。
「ま、宍戸は団体戦しか残ってないんだし? せいぜい頑張るといいよ」
「………滝?」
「準レギュに落とされたんだよね、僕。それも、Aクラス。驚いたよ、レギュ落ちを宣告された身としては思い掛けない好待遇でさ。……これも跡部の差し金?」
 言いながら滝は跡部に視線だけを向けた。跡部はソファに寝転がったまま答えない。静かに何も無い天井を眺め続けるだけだった。
 滝は軽く肩を竦めて宍戸に向き直る。

「だから、宍戸と違って平部員まで落ちてるわけじゃないんだよね」

 柔らかい笑顔でそう言い続ける滝。

 その笑顔はむしろ、穏やかと言われる滝にとってのポーカーフェイスと等しいものだと知っているだけに、宍戸は対応に窮する。
  励まされているのか嫌味を言われているのか貶されているのか、全く判断が付かない宍戸は助けを求めるように跡部を見遣ったが、やはり跡部は無反応を通してくれた。

「忘れてないと思うけど、僕、個人戦がまだ残ってるんだよ。シングルスで関東大会まで勝ち残ってるから」
 その滝の言葉にようやく反応を示した跡部は、寝転んだままの体勢で宍戸に対して非常に意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
「個人戦を都大会緒戦で敗退したお前と違って、俺も萩之介も個人戦は順調に勝ち上がっているんだぜ?」
「跡部は、後、ダブルスと団体戦にも出るんだろ?」
「ああ、そうだ。宍戸と違って忙しくて堪んねぇよ」
「う、うるせぇな。自慢なら他でやれよ」
「ま、都大会でいきなり青学の不二に当たった宍戸のくじ運の悪さには同情するけどね」
「だから、うるせぇって言ってんだろうが! 俺のくじ運なんざ放っとけ」

 声を荒げてそんな事を言いながらも、宍戸は今この場でこんな風に言葉を交わす滝の本音がどこにあるのか見付けることが出来ず、密かに困惑し続けていた。

「団体戦、絶対に勝てよ」
 いきなり真顔に戻り、滝がそう呟いた。
「言われるまでもねぇよ…」
 驚きつつも、何とか平常心を保ちながら宍戸はそう言い返す。

 滝は、どのような思いでこの言葉を発しているのだろうか。忍足や向日から単細胞だとからかわれる宍戸には計り知れない心情に思えた。

 それでも、今は全力を出し切り勝利をこの手に掴むことが、今の自分に科せられた役目だと思った。

 俺の、俺達のテニスはまだ終わってはいない。夏前に引退なんかして堪るか。
 絶対に皆で全国に行くんだ。

 誰が相手でも、俺は絶対に勝ち続ける。俺は俺のやり方で上に上り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.7.10
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重いシチュエーションをいかに軽いノリで書けるか、がテーマだったり。


宍戸が自分よりも弱い選手を相手に力を示したと思いたくないので、宍戸の為にも、滝は個人戦で勝ち上がれるくらいに強い選手だと願いたい。



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