迷子

 

 

 

 

 

 

 やっとの思いでひしめき合う人混みから抜け出した跡部は深々と溜息を吐いた。
「ウス」
「ああ、頼む」
 二人の間では会話として成立しているらしい遣り取りを交わして樺地が跡部の側を離れる。その後ろ姿を見送りつつ、跡部はもう一度大きく息を吐き出した。

「何なんだ、この殺人的な量は…」

 そうぼやく声すらも疲れ切っている。

 夏休みも残すところ二週間という時期、テニス部仲間に夏祭りに行こうと誘われた。あまりそういう場所に馴染みのない跡部は興味本位で承諾してしまったのだが、来て早々に後悔した。
 まともに露店を見る事も出来ないほどの混雑ぶりなのだ。
 祭りの通りから少しでも離れればこんなにも閑散としているのに、通りに一歩でも足を踏み入れれば途端に祭りの喧騒に巻き込まれてしまう。揉みくちゃもいいところだ。

 街灯の光が辛うじて届く位置にあるベンチに跡部は気だるげに腰を下ろす。

「あー、気分悪りぃ…」

 完全に人酔い状態である。

 数メートル先の祭りの賑わいから視線を逸らし、跡部は座ったまま頭上を振り仰ぐ。そこから見上げる夜空は幾つかの星が見える程度のものだ。仕方の無いことだとはいえ、都会の明かりのおかげで僅かしか星を見ることが出来ない事が少し寂しく思える。
幼少時に滞在していたドイツの地方都市で見上げた夜空は、怖いほどに星が見えたことを思い出す。天の川と呼ばれる、眩しく輝く星の群れもそこで見た。
「何が天の川だ…」
そんな感傷的なことを考える自分に気付き、自嘲気味に呟いた。
こういう場違いな場所にいるせいで、らしくない事を考えてしまうのだと、苦々しく笑う。

「樺地のやつ、遅せぇな」

 跡部の為に自販機で何か冷たいものを買ってくると言って側を離れた樺地がまだ戻らない。
 この人の多さにさすがの樺地も苦戦しているのだろうか。
 そんな取り留めの無い事を考えながら視線を地上に戻した跡部は、ようやく自分のことをまじまじと見詰める少女の姿に気付いた。

「……あぁん?」

 まっすぐに跡部に視線をぶつけてくる少女。年の頃は四、五歳くらいだろうか。

「見惚れるのはいいが、ぼやっとしてるとすっ転ぶぞ」

「……」

 そう声を掛けてやれば、少女は驚いたように一瞬全ての動作が固まってしまった。

 跡部のように腕力に自信のある男ならともかく、こんな幼い少女が祭りの賑わいから外れた場所にいるのはあまり感心出来たことじゃないだろう。

「こんなチビが一人でほっつき歩きやがって、危ねぇな」

 まだ跡部を見詰めている少女が跡部のぼやきが理解出来ずに小首を傾げる。可愛らしい仕草だ。妙な趣味のおっさんが見たら速攻で連れ去りそうな可愛らしさだろう。

 マジで危ねぇだろ、これ。親はどうしたんだ。

 そう思いつつ周囲に視線を向けるが、辺りは跡部と少女の姿以外は見当たらない。

「ねぇ、ママどこ?」

 無邪気な問いかけが跡部を尚いっそう疲れさせた。

「やっぱり迷子かよ…」

 面倒くせぇなと跡部はまた溜息を零した。

「ねぇ、ママはぁ?」
「……知らねぇよ」

 考え無しに感情のまま動くから、幼い子供は苦手だ。樺地の妹や芥川の妹たちは慣れもあって平気だが、基本的には子供嫌いと言って良い。

 あー、面倒くせぇ。

 そう呟き掛けた時、少女が不安そうな仕草で跡部の袖を掴んだ。
「パーパ?」
「あぁん?」
「パーパ、まぁちゃんのママいないよ?」
「誰がパパだ!?」
 反射的にそう怒鳴り上げてしまう。
 そのドスの利いた声に少女の体がびくりと震えた。見る間に涙が溢れてくるが、少女は必死に堪えようと大きく息を吸い込む。しかし、涙は止まらない。
「ふ、ぅぅ…ううー」

 あーあ。泣くな、これ。

「…ふぎぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「はぁ…」
 我慢し過ぎて奇妙な声を上げてしまう少女を、跡部はただ溜息を吐いて眺めた。
「ママぁぁぁ! ママぁぁぁ、どこぉ?」
「俺が知るかよ」
「ママー!!」
 怯えながらも跡部の袖を離すことなく、少女は泣き続ける。
「うわぁぁぁぁん」
「はぁ…」

 樺地、遅せぇな。

 傍らで泣き続ける少女を慰めることもせず、跡部は樺地の帰りをぼんやりと待ち続けていた。




「ウ、ウス?」
 人混みを泳ぐようにして歩き、必死の思いで缶ジュースを買ってきた樺地は目の前で展開する奇妙な光景に困惑した。

「お前、どっから来たんだよ」
「あっち」
「名前は?」
「まぁちゃん」
「………」
 話にならないとばかりに跡部が脱力している。
 その跡部に少女は涙でぐずぐずの顔のまま質問を返していた。
「パパはどこから来たの?」
「だから、パパじゃねぇ」
「……――」
「泣いても慰めてやらねぇぞ」
「うー…」
 一瞬の沈黙。
 その一瞬の沈黙を狙って樺地は声を掛けることに成功した。
「あ、あの…。跡部、さん」
「ああ、樺地か。遅かったな」
「すみま、せん」
「構わねぇよ。それより、それ寄越せ」
 樺地の手にあるスポーツドリンクの入った缶を跡部が示すと、樺地は素早く差し出した。
 よほど喉が渇いていたのか、開けるなり一気に飲み干す。
 見事な飲みっぷりに少女もぽかんと見詰めていた。

「さて、行くか」

 立ち上がると同時に右方向にあるビン缶専用のダストボックス目掛け空き缶を放り投げた。綺麗な放物線を描きながら、空き缶はダストボックスに納まる。
「すっごーい」
「ウス」
 見事なコントロールに少女が感嘆の声を上げ、樺地がどこへ行くのかと疑問を投げかける。

「このチビの親を探す。樺地、肩車してやれ」
「ウ、ウス」
「ぅひゃあっ」
 いきなり現れた大男に持ち上げられた少女が恐怖に近い声を上げた。
「そこから親を呼べ」
 泣き出しかける少女に跡部がそう声を掛ける。
「ふぇ? ママ、探すの…?」
「そうだ」
 この混雑の中、総合案内所に行くまでに親と擦れ違う可能性も高いのだ。入れ違いほど面倒なことはない。だから、同じ案内所に行くにしても探しながら行った方が効率が良いだろうという単純な考えからだった。


 百九十センチある樺地の肩に乗って母親を探す少女の姿はとにかく目立ちまくった。すっかり注目の的である。
 おかげで少女の母親はあっさりと見つかった。
 跡部と樺地に向かって何度も頭を下げる母親の横で能天気に跡部に手を振る少女が言う。

「パパー、またねー!」
「だから、パパじゃねぇ!」

 どう見てもまだ十代の少年に向かって「パパ」発言をしてくれた娘に、母親が慌てた様子で少女の使う単語の意味を説明していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006.8.1
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何かテンション低いな…。
ギャグに持ち込む勢いが無いよ。
書きたいものを幾つかすっ飛ばしてる気もするので、思い出したら書き直しているかもしれません。

どうも、私の中の跡部は女性や子供に泣かれても慌てもせず慰めもしない奴のようですね…。
相手が勝手に泣き疲れるか気が済むかして泣き止むのを待って、それから「気は済んだか?」もしくは「落ち着いたか?」などと言いそうなタイプだ。
淡白なのか冷たいだけなのか…。

 

 

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