天は青く

 

 

 

 

 

 

 

「担架を持ってきて!」

「大丈夫ですか? 意識は? 呼吸は?」
「意識はありません。呼吸は正常です」

「担架急いで!」

「頭は打ってないね?」
「たぶん…」

『――救護室へ、男子生徒一名、至急運びます』
『了解しました』

「どいてください。運び出します」
「出入り口付近の人避けお願いします」
「判りました」


 ざわざわと周囲が騒がしい。
 ざわめきに混じって聞き覚えのある声も聞こえている。妙に堅い声でそれでも淡々と答えているのは忍足だろう。

 何て声を出してやがるんだ、あいつは。

 そんな事を思っていると、不意に視界が正常に戻った。

 見えるのは、突き抜けるような青。目も眩むような青だけがあった。
 泣きたくなる程に、そこから見る空は高かった。手も届かない程に。

 ゆっくりと視界を巡らすと、自分の事を上から覗き込む忍足と樺地の姿が目に入った。
「跡部…。大丈夫か?」
 そんな忍足の声に答えずに樺地に目を向けた。樺地は、跡部を気遣う様にただ静かに見詰め返してくる。

 何があった?

 頭がぐらぐらして、目眩を起こしそうだ。
 一度堅く目を閉じる。数秒間そのまま動かず、それから再び目を開くと、跡部は地面に手を付き上体を起こした。
 その行動で、ようやく自分は倒れていたのだと理解した。
 鈍った思考回路が正常に働き始める。
「…試合」
「終わったよ」
 静かに答える忍足に真っ直ぐに視線を向けた。忍足はそれ以上は何も言おうとはせず、視線を逸らすこともしなかった。言いたくても言葉として出てこないのかも知れない。

 いつもの癖で髪を掻き上げようとして、その違和感に気付いた。
 自分の周囲を見れば散らばった金茶色の髪がある。
 再び頭に手をやり、かなり短くなった髪を認めた。

「やりやがったな、あのチビ」

 苦々しい笑いと共に口を衝いて出る言葉。

「ムカつくよね。短くても似合ってるし」

 声がする方角に目を向ければ、跡部がチビと呼んだその少年が立っていた。今まで試合をしていた相手だ。

 跡部は怒ることなく、ただ呆れた口調で呟く。
「刈るにしても場所を考えやがれ。テニスコートを汚すんじゃねぇよ」
「……」
「何だ、その顔は。同じように手塚に怒られたか?」
 嫌味ったらしい笑いを浮かべて小柄な少年を見上げた。少年は不服そうにしながらも反論せずに跡部を見下ろしていた。

 他愛もない遣り取りに小さく笑いが零れる。悔しいようなスッキリしたような、複雑で妙な気分だ。

 終わったのだと、今更に理解する。

 中学最後の夏が、たった今、終わったのだ。

 担架を持って待機してくれている救護班の人間に向かって、もう大丈夫だ、担架は下げてくれと伝えた。
 驚き、心配気に気遣おうとする周囲の人間達を制して、跡部は立ち上がった。
「救護室には、この後自分で行きます。ご心配かけてすみませんでした」
 自分の為にかなり慌ただしく動いてくれていたらしい会場の係員達に向かってそれだけを言って、跡部はコート中央を目指して歩き出す。
 ネット前に選手整列をするまでは、試合は終わらない。終われない。
 自力で最後まで立ち続けてやる。
 それが跡部景吾としての意地とプライドだった。



 選手整列と礼を終えてから、跡部はふらつきながらも今度はコート脇を目指して歩き出した。
 目指す先は監督がいる一角。
 完全に疲労から回復していないのだろう、気を抜くと倒れてしまいそうだった。
 いつでも跡部を支えられるようにと、樺地が一定の距離を保って跡部の後を行く。

 跡部の動きに気付いた榊は、ゆっくりと立ち上がって跡部を迎えた。
「跡部」
 一呼吸置いてから、跡部は口を開く。
「団体戦優勝をあなたにプレゼントするという約束、果たせませんでした」
 いつになく真面目な調子で言う跡部に、榊は穏やかな面持ちで軽く首を振った。
「お前からは十分過ぎる程のものを貰っている」
「それでも、俺は果たしたかった」

 伝統ある氷帝テニス部というものを根底から覆し、日陰で腐敗していた空気を豪快にぶち壊して、そして、跡部がその手で一から創り上げた今のテニス部。やりたい放題と言われたくらいに、好き勝手に改造したテニス部。
 周囲から氷帝学園のテニス部ではなく、跡部率いるテニス部として呼ばれ続けた事は、揶揄でもなく比喩でもなかったのだ。
 それが出来たのも、跡部を信頼し跡部の破天荒な言動を容認してくれた監督のおかげだった。
 だからこそ、優勝の二文字をこの人に贈りたかった。
 しかし、それは、跡部の代では叶えることは不可能となってしまった。
 現実というものは、本当に甘くない。

 表情を引き締め、跡部はゆっくりと頭を下げた。

「三年間、ありがとうございました」

 それは、静かでありながら、本当に良く通る声だった。

 その声に弾かれたようにして部員達が駆け寄って来る。

「監督…」
「跡部…部長…」

 声を震わせ口々に呟く部員達。

 宍戸が跡部の傍らに立ち、無言のままに頭を下げた。それを合図としたかのように、皆が一斉に頭を下げる。

「…ありがとう、ございましたぁっ!」

 目の前で展開する予想していなかった光景に、榊は感慨深げに目を細めた。
 本当に、お前達は手の掛かるやんちゃ坊主だったよと、榊は跡部達の入部当初を思い出しながら心の中で呟いた。
 教え子達一人一人を見詰めていけば、頭を下げたまま泣き出してしまい、顔を上げられなくなってしまった鳳を向日が小突いているのが目に入る。
 つい笑い出しそうになるのを、榊は慌てて咳払いで誤魔化した。
「跡部。これ以上の無理はするな」
「はい。ちゃんと救護室には行きます」
 そう返事をして、跡部は集まってきた部員達を振り返った。
 感極まって泣き出す部員達をじっと見詰める。
 その中で、絶対に泣くもんかという気迫で前方を睨み続けている日吉の姿が目に入った。思わず微苦笑を零す。
 その日吉の頭を軽く叩いてから、跡部はコートから出て行った。
 これ以上動くのはかなり危険と感じたのか、樺地がさり気ない動きで跡部のフォローに回っている。

 日吉は叩かれた頭をさすりながら、半ば唖然として跡部の背中を見送ってしまった。

 思わぬところで跡部らしい気遣いを受けてしまい、日吉は殊更泣きたい衝動に駆られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006.5.5
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全国大会、青学対氷帝戦・S1決着直後。

自己救済のつもりで書いたんだけど、あまりスッキリしなかった。
そのせいですごい半端な感じだ…。むしろ、余計に寂しくなってきた。(アホ)

取り敢えず、私が気になってそのおかげでイライラしていた所は跡部の言動で突っ込みを入れさせてみました。(お前は原作に喧嘩売ってんのか;)
跡部が坊主は別に良いんだ。その過程に問題というか突っ込みどころが多すぎるんですよ! もう、突っ込まずにはいられない。
テニスコートの中で刈るな!とか、手塚も怒れよ、とか色々ね(笑)
それ以前に無意味すぎた照明落下もあるけど。何の意味があったんだ、あれ…。

あの展開のおかげで、落ち込んで立ち直るまで1ヶ月掛かりました(笑)

話のテーマは単純に、跡部は部長としての仕事を最後まで全うしようとする生真面目なところがありそうなので、出来ればコート内で意識を回復して欲しいなぁという願望。

 

 

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