テニスの神様
「無茶ばかりする…」
激戦と言いうに相応しい試合展開を見せている二人の選手を見つめながら呟く。
「君は今、楽しいのかい? それとも苛立たしい?」
本人には決して聞こえるはずもない問いかけを口にする。
「本当に無茶ばかりするね」
タイブレークに次ぐタイブレーク。照明落下というアクシデントが起こっても試合を続行する。無茶苦茶もいいところだ。両選手とも体力の限界だろう。
見ていて鳥肌を覚えた、そんな試合だった。
見ているだけなのに、異様なまでに疲れてしまうような試合だった。
君は今、楽しいかい?
――生憎と、俺様はテニスで食っていく気はねぇよ。
いつだったか、そんな言葉を発していたことをこんな時に思い出す。
テニスで食っていく気はない。プロ入りを目指す気は無いという意味合いで言った言葉だろうことは分かっていた。
――ま、適当に大会には出続けるだろうがな。
それでも、テニスは絶対に捨てないと、そう言っていると解釈している。
君は本当にテニスが好きだよね。君がテニスを愛してるのか、テニスが君を愛してるのか。
そんなことを感じるようになったのはいつのことだったろうか。
周囲は騒然となっている。そんな周囲から隔絶されたように、僕は妙に冷静な気分でその場に立ち続けていた。頭の中は冷え切っていた。
騒ぎの原因はコート上の二人の姿だ。コート上では、両選手が倒れ込んでいる。先に立ち上がった方が勝利となるらしい。
手塚と戦ってからだよね、時々だけど君が苦しそうにテニスをする姿を見せるようになったのは。
良くも悪くも最大の宿敵を見付けてしまったのか。
益々テニスから離れられなくなるね。
あれ以来、取り憑かれたように戦うことに没頭することが増えているようで、本当に心配になるんだ。
テニスだけで生きていく気は無いと言いながら、決してテニスから離れることが出来ない君。いつか、その重荷にギャップに潰されるんじゃないかって。
いらない心配かな。君なら、案外器用にやってのけるのかもしれない。実業家とスポーツ選手の二足のわらじなんてあっさりとやってのけるかもしれない。
でも、心配になるんだ。
君が本当にテニスを愛してることを知っているから。
テニスの神様というものがいるのなら、お願いだ、何があっても決して彼を見放さないでくれ。
なんて乙女じみた願いだ。そう思っても、願わずにはいられないんだ。
いつも、余裕気に楽しげに、時に挑戦的な態度で威圧的な態度で、相手を見下すような態度でテニスをプレイする君の姿が好きだったんだよ、僕は。
越前リョーマの向こうに見える手塚の影、そのさらに後ろに見えるサムライ南次郎の影に、君は苛立ちを覚えている?
越前と戦ってるはずだったのに、いつの間にか越前の向こうに見える男達を相手に戦わされているようだ。
不思議な試合? 酷い試合?
どちらだろうか。
跡部。君は本当にテニスが好きなんだよ。勝つことの喜びを本当の意味で理解しているんだよ。
跡部…。
君の無様な姿なんて見たくないな、やっぱり。
文句は後で幾らでも聞くよ。でも、これだけはどうにも譲れないらしい。
悪いけど、邪魔するよ。
試合は越前の勝利で終わった。
意識を失った跡部に越前が勝ち誇った顔で近付いていく。ぶっ倒れるまで試合してたのに、元気なもんだな。
越前の行動に、周囲から上がる悲鳴。怒声。
樺地が動こうとするのを、軽く制してコートに飛び込んだ。
コートを横切り、跡部を背に庇い、勢い任せに土下座をしていた。
唖然とする越前とコート周辺の人々。
「やるなら俺の髪を切ってくれ」
叫ぶようにそう言う。驚きつつも越前はバリカンを構えて見せる。
「ふーん。じゃあ、遠慮無く…」
バサリと髪が落ちるかと思えば、パラパラと幾本の髪が舞い落ちるだけだった。
あれ?
「何やってやがる、てめぇ」
うわー。マジでヒーローか、こいつ。
越前の手を意識を取り戻した跡部が掴んで押さえていた。そのまま越前の手からバリカンを取り上げる。
「このぐらい、てめぇで出来んだよ」
無表情のままそう言いながら、何と、自分で自分の髪を刈り始める。
あーあ。自分でやっちゃうか。
器用に丸坊主を避けるようにして刈っていく。本当に妙なところで器用だよね。
「これで文句はねぇだろうがよ」
そう言って、いつもの人を喰った笑みを浮かべてみせてバリカンを放り投げる。
「…まあ、いいけど」
自分で刈れなかったのが悔しいのか、微妙に坊主になってない跡部の髪が気にくわないのか、越前は何とも釈然としない顔のまま頷いていた。
その越前の背後にいつの間にか手塚と大石が立っていた。いつもの無表情だけど、何か纏うオーラが怒ってるように感じる。
「越前!」
「うわっ。部長」
「えーちーぜーん!!!!」
「…大石副部長まで」
「何をやっているのか分かっているのか、お前は!」
「ちょっ…! 痛いッス!」
大石が越前のこめかみを拳でぐりぐりとやり始める。怒り方がもの凄く子供扱いなことに、青学サイドは爆笑の渦だ。
「おい、大石。そのくらいで勘弁してやれ。元々は俺様が言い出したことだぜ」
「…跡部がそういうなら」
「何それ」
やはり不満そうな越前。
勝ったのに勝った気がしないって感じか。最後まで跡部に良いところを持って行かれ続けてるね。お気の毒。
なんて暢気に笑ってたら、跡部が驚きの声を上げていた。久しぶりに聞いたよ、跡部が本気で驚いた声。
「な?! 樺地、てめぇ、何やってんだ!」
「ウス」
「ウスじゃねぇ!」
跡部が放り投げたバリカンを樺地が拾い上げて自分の髪を坊主頭に刈ってしまったのだ。
しかし、樺地は声を張り上げる跡部の方を見ようともしない。どういうつもりか、ずっと越前を見つめている。越前は、見事な坊主頭になった樺地を眺めて「分かったよ。もういいよ」というように肩を竦めてみせた。
跡部一人を坊主にはさせないということか、越前の跡部に対する不満をかわす為なのか。両方だろうか。
樺地らしいね。
跡部は勝手な樺地の行動が許せないらしいけど。
「樺地! 勝手な真似してんじゃねぇぞ!」
「ウス」
「だから、ウスじゃねぇ!」
「これは、譲れま…せん」
樺地は引き下がる様子もない。それどころか、若干短くなった跡部の髪をふわふわと撫でて目を細めている。何か、猫を撫でてるイメージ?
後方で忍足が噴き出すのが聞こえた。
「樺地…!!」
取り乱しまくった跡部の声が響き渡り、宍戸やジローの笑いまで引き起こしてしまったようだ。
とてつもない激戦をやり抜いたはずなのに、跡部も越前も本当に元気だね。
樺地の手を振り払い、ベンチ脇まで下がってくる跡部。
「ったく…」
呆れたように溜め息を吐くその背中に僕はそっと声を掛ける。
「跡部」
「あん?」
「楽しかった?」
「……まあな」
にやりと笑うその顔に、心の突っかかりが少しだけ取れていく。
「しかし…」
「え?」
「あいつも難儀な奴だな」
「…あいつって越前かい?」
「ああ」
ベンチに座ることはせず、軽く腰に手を当てて空を見上げる仕草をした。しばらく一緒に空を見上げていたら跡部が再び口を開いた。
「途中から、あのチビが見えなくなっていた」
「……うん?」
「試合中盤辺りからか、手塚の影がちらつき始めたんだ。始めは俺の執着が見せてるのかと思ってたがな、どうもそうじゃないらしい。後半、サムライってぇの? あれが見えた。あれはあいつの親父か? 越前南次郎だっけか。その影が見えて、その内、誰と戦ってるのか分からなくなってくるくらいに影が重なっていった」
「…うん」
やはり、跡部は肌で全ての感覚で越前の中に潜むものを感じ取っていたんだ。
跡部は空を見上げた状態のまま動かない。しばらくの沈黙。
「ああいうのを天才って言うんだと思う?」
僕は陳腐な質問を口に乗せてみる。
「さあな。俺様は天才よりも努力家のつもりだが。あいつは、どうだろうな」
「跡部は天才じゃないんだ」
「違うさ」
「跡部様が謙遜するなんて、めっずらしいねぇ」
「俺様は宿敵に恵まれてるからな。努力家の特権よ」
「宿敵に恵まれてるねぇ。それって、手塚?」
「ああ。次点で真田に幸村もかな」
「なるほど」
同期のプレーヤー達を跡部は的確に評価してるらしい。
空を見つめたまま目を細める。
「あのチビにとってのライバルは、あのチビの中にいる手塚の影と親父の影だけだろうよ。あいつは、あのままのテニスを続ける限り、永遠に影だけを追い求めて戦い続けることになりそうだな」
「ライバル…ね」
「生憎と、俺も手塚もあのチビのライバルにはなりえねぇからな。導き手にはなってもな」
「何か、あのおチビちゃん、これからが大変そうだねぇ」
視線を下ろし、跡部はふっと息を吐き出した。哀れむというわけではないのだろうけど、どことなく悲しげというか優しげというか。
「永遠に独り…か」
ぽつりと呟いたその言葉が、重く響いて聞こえた。
2007.10.5
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跡部坊主話、原作の方で色々と設定が変わっていって厄介なことになってきてます。
OVAでの跡部断髪話を元に。そのOVA見てないんですけどね(爆) 話だけ聞いてるので、そこから勝手に色々と捏造。
この話、何が言いたいの? というツッコミは無しでお願いします。 原作が何が言いたいのか分からないんで、それを元に書いてる私も何かよく分からなくなってきてます。(笑)
滝視点の跡部話だったのに、気が付けばリョーマさんについての話にすり替わってるし。
原作での跡部の髪はヅラか地毛か、で、かなり考え込んでしまった自分が笑える。というか、空しい。とりあえず、ヅラということで、刈りました。
コミックスで短髪での登場シーンの修正がされていない以上、一度は短髪になってると判断して。
なんつうか、私としては当初のリョーマさんはこういうイメージで行くのかなぁ行ったら面白いなぁ、と思ってたことを思い出したので。天才故の苦労、みたいなね。
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