ウェイト
そろそろ屋外で昼食を取るのも辛くなってきたなと、忍足は空を見上げながら思う。
数日前まではまだ夏なのかと言いたくなるような暑さが続いていたというのに、気付くと気候はすっかり秋のものへと変わっていた。
一気に気温も湿度も下がった事で、呑気に構えていたら風邪などを引き込んで体調を崩しかねないだろう。
そんなことを考えながら、隣で衰えることを知らない食欲を見せ続けるテニス仲間に目を向ける。
視線の先にいるのはダブルスでペアを組んだ向日である。向日は忍足の視線などまったく気にすることなく持参している弁当に続いて昼休み前に買っておいた菓子パンを食べていた。
部活も引退し、一時的な休息期間に入っているおかげで体を動かす量が減ってしまった現在、以前のような食欲は無くなってきている忍足は感心を通り越して呆れた心境に陥り掛けていた。
本当に、この小さな体のどこにこれだけの量が収まるというのか。
呆れの対象は向日だけに収まらず、向かいに座る元部長にまで及ぶ。こちらも、向日同様に変わらぬ食欲を見せてくれている。
斜め向かいの宍戸も忍足と同じ事を思っていたのか、同じような面持ちで同じように跡部を見つめていた。
――宍戸は俺と同じでまともや。運動量と食事量がちゃんと比例しとる。
高等部に上がってもテニスを続けるメンバー達は、引退した今でも日々の基礎トレーニングは欠かさずにこなしていた。しかし、それでも部活に出て体を酷使しまくっていた時に比べれば確実に運動量は減っているはずだ。なのに、この二人の食事量は変わることがない。
何より恐ろしいのは、この食事量にも係わらず体型がまったく変化していないことだろうか。
――何で、これで、この体型を維持できとるのかが謎や。
「あ? 何だ?」
忍足の遠慮の無い視線に気付いた跡部が鬱陶しそうに顔を顰めた。
「いや、ほんまによう食うな思うて」
「これでも足りねぇくらいだぜ」
「まだ食えるんかい。ちょお、ほんまに大丈夫なん? 自分、おかしないか?」
「どこもおかしくねぇよ」
「まあ、跡部と向日が外見に似合わず大食いなのは幼稚舎の時から知ってっけどよ、でも、やっぱ、妙な感じに見えるよな」
跡部と忍足の遣り取りを聞きながら宍戸がぼそりと呟く。
その呟きに忍足は脱力気味に溜め息を零した。
幼稚舎の頃からこんな調子で食べていたというのか、この二人は。
まあ、岳人は育ち盛りの腕白少年でも通りそうなので、大食漢でも可愛いらしいと思えなくもない。しかし、跡部はそういう単語とは一番対極の位置にいそうな風貌なだけに、どうにも妙な気分に陥る。
本当にことごとくイメージを覆し続ける帝王様だ。白馬の王子様な外見でチンピラまがいの言葉使いに始まり、華奢に見える体付きのくせしてパワー重視のテニススタイルなどなど、外見と中身が一致しないこと甚だしい。
この光景を跡部様と黄色い声を上げながら日々追い掛けてくる女子連中に見せたらどんな反応を示すだろうか。
イメージと違うと嘆くか、意外性があって素敵と言うだけか。
跡部が何をしてもきゃあきゃあ言っているような少女達相手では「食欲旺盛な跡部様も男らしくて素敵」となるのがオチかもしれない。
――こんなん考えるだけ無駄やな。
「なんで、そないに食って太らへんの…?」
「太らねぇから食ってんだろうが」
馬鹿な事を聞くんじゃねぇという大威張りな口調に忍足は「ああ?」と疑問の声を上げた。
「太らへんから食うってなんやねん? 女のストレス発散じゃあるまいし。意味分からへんわ」
「だから、太らないから食ってるっつってんだよ。バカが」
「自分の説明がおかしいだけやないかい。頭悪すぎなんは跡部やっちゅうねん。バカバカ言うなや」
「るせぇ」
「ああもう。せやから、何で太らへんから食うのか意味が分かりませんて、跡部様」
そう聞くも、2パック目になる牛乳をストローで一気に飲み干す跡部は当然ながら無言だった。
――無視かいな。
忍足のぼやきなどに興味も無い跡部は、飲み終えた牛乳パックを丁寧に畳み始める。ついでに向日が適当に放置しているパンの袋なども一緒に回収して手元の空いたビニール袋に入れていく。
忍足が知る限り、跡部はゴミをその辺に投げ捨てるということを一度もしたことがない。
基本は粗雑で大雑把なのだが、妙なところで細やかな神経の使い方をする男である。何だかんだと言っても、結局は育ちの良い上流階級のお坊ちゃまなのだろうが、それをぶち壊す言動が多すぎるのも確かだった。
――だから、何でそないに言動がちぐはぐなんや…。
盛大に叫びたい気分になり始めていた忍足に、宍戸が寝転がりながら声を掛ける。
「こいつ、体質的に太りにくいんだよ。それどころか、油断するとすぐ体重も落ちるしな」
「なんや、それ」
「だから、こいつがやたらと大食いな理由だよ」
「いまいち理解出来へんねんけど?」
「こいつの理想とする体型は樺地なわけ」
「はあ…」
スポーツをする人間であれば、樺地や鳳の体格を理想的と思うのは、まあ、理解出来る。
忍足も筋肉質とは言い難い体型なだけに、パワー勝負に持ち込まれたらかなり苦しい試合展開をする羽目に陥ることもあるぐらいだ。その度に、もうちょっと筋力が付かないものかと考えてしまうこともあった。
「つまり、ウェイト増やしたいから食うとるっちゅうんかい」
「さっきからそう言ってんだろうが」
「自分の説明じゃ意味分からんわ、アホ」
「はっ。救いようのねぇアホだな」
「じゃかあしい。自分のこと棚上げして偉そうに言うなや」
「俺、跡部の言ってること分かるぜ! どんだけ食っても筋トレしてもさ、贅肉が付かなねぇから筋肉も付きにくいんだよなぁ!」
跡部と忍足の低次元の遣り取りに向日が勝手に割って入ってきた。
どれだけ食べても贅肉にならないとは、日々カロリー計算をしつつ食事をこなしている女性に聞かせたら羨ましがるよりも怒りを買いそうな話だと忍足は思う。
ようやく食事を終えたらしい跡部が、屋上の鉄策にもたれ掛かりながら向日に皮肉った笑みを向けた。
「お前は、単純に燃費が悪いだけだろ。それだけ食っても動けるのはせいぜい二時間程度か?」
「うるせぇよ! もうちょっとは動けるぞ!」
向日の反論の仕方に、「燃費が悪いというところは認めるのか」と忍足は苦笑する。それから、軽く宍戸に視線を向けた。
「それ言うなら、宍戸かて細身やん? 跡部や岳人と似たようなもんとちゃうんか」
「俺はわざと絞り込んでいるんだよ。無駄な筋肉を付けて動きが鈍らないようにな」
「くそくそっ。絞り込むだけの肉が付くんだから、良いよな!」
「まあ、絞り込みのやり方を間違えれば単にガリガリになるのがオチだろうがな」
「絞り込むまで行けねぇからって僻むな僻むな」
確かにその通りなのだろう、少々不満げにしながら跡部は口を閉ざした。珍しく宍戸が優位に立っているらしい。
「はあ…。なんか知らへんけど、脳天気に見えていろいろ考えとるんやなぁ、自分ら」
「脳天気って何だよ! だいたい、侑士こそ俺らみたいに食わないといけないんじゃないのか? 一番ガリガリじゃん」
「スレンダーて言うて。千の技を駆使する俺にはこのスタイルが一番安定しとるからええねん」
太りにくい、痩せやすいという体質も世間一般では羨ましいことになるのだろうが、スポーツをする人間には不利な条件となってしまうらしい。
とはいえ、しかし、跡部の理想が樺地とは、これまた予想外なことだ。あそこまで鍛えたいと思っていたとは本当に意外である。
「なんや、跡部は樺地みたいのがええん?」
「一度はあんくらいの筋肉付けてみてぇと思わねぇか? 力だけで叩きのめせる試合っつうのも、面白そうじゃねぇか」
「まあ、男子テニスはパワー勝負みたいなところがあるんわ確かやけどな。せやかて、俺は樺地みたいな体格は遠慮したいわ」
「ああん? 樺地のどこが気に入らねぇってんだ?」
「別に気に入らんとかやのうて…」
「確かにな、あんだけの体があれば鍛え甲斐もあるかもなぁ。俺も、時々だけど、長太郎のパワーが羨ましく思えるしよ」
跡部の発言に宍戸までもが同意を示すものだから、忍足は本気で呆れた表情を浮かべてしまった。
「なんやねん、自分らそろってマッチョ志望かいな」
――俺らがやっとるんわテニスっちゅう紳士なスポーツであって、格闘技やなかったと思うんやけど…。
「でもよ、樺地はなぁ。もう少し絞っても良さそうじゃねぇか?」
「鳳はタッパがあるだけで大して筋力付いてねぇだろ。あいつこそもう少し鍛えさせろ」
「タッパだけじゃねぇぞ、あいつ。マジで馬鹿力だぜ」
「樺地のパワーには勝てねぇだろうよ」
理想の筋力の話をしているのか、単なる後輩自慢なのか判りかねる会話を始める跡部と宍戸を横目に、忍足は本気で溜め息を零した。
真面目に話を聞いているのが阿呆らしくなってきた。
「樺地のどこがええんか、よう判らんなぁ…」
「てめぇら、樺地を馬鹿にしてんじゃねぇぞ」
「そないなことあらへんて。何で、樺地が絡むとマジに怒るねん、自分は」
耳ざとい跡部に対して大袈裟に「怖い怖い」と言って忍足は向日の傍らに避難する。その忍足を邪魔と言わんばかりの態度で押し退けながら向日はまだ菓子パンを食していた。どれだけの量を買い込んでいるのか。
「お。かふぁじ」
パンを頬張りながら向日が声を上げる。
「あん?」
「なんだ、長太郎もいるじゃねぇかよ」
三人の視線を追って眼下を見れば、グランドでサッカーを始める二年生の姿があった。
鳳と樺地も珍しくクラスメイトの誘いに乗ってサッカーに参加するようだ。樺地と鳳はそれぞれ敵チームに分かれているらしい。
「樺地も鳳もセンターフォワードかいな」
審判をする生徒が合図を発すると同時に試合開始。
「長太郎―! ぜってぇ勝てよー!」
止せば良いのに、宍戸は屋上から大声で鳳に声援を送ってやる。その声に反応した鳳がキョロキョロと声の発生位置を探そうとしてしまい、仲間の送ったパスを顔面に受けてしまった。
「ぎゃははははははは。ダッセェ!」
向日が笑い転げ、宍戸は片手で顔を覆う。
向日の爆笑する声で三年生達が屋上にいることに気付いた樺地が跡部に向かって軽く会釈した。
「樺地! 油断して鳳みたいなぶざまな真似すんじゃねぇぞ!」
跡部の声に樺地は力強く「ウス」と頷いた。
「樺地〜。何かそれ酷いよ〜」
鳳の情けない抗議に今度は申し訳なさそうに「ウス」と返事をしている。
「やっぱり、樺地の方がパワーも素早さも上だな」
「馬鹿言え。長太郎の方がスマートに決まってんだろうが!」
結局は後輩自慢がしたいだけなのか、この二人は。
そんな事を思いつつ、忍足は樺地と鳳のサッカーという珍しい光景を眺めた。
傍らで跡部と宍戸が尚も声援合戦を繰り広げ、明らかに二年生のサッカーの試合の邪魔をしていた。
2007.4.29
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どうやっても忍足のイメージが「氷帝のおかん」にしかなりません。
跡部と宍戸の体質が「商売上手」というSSで書いたものと逆になってることに今気付きました。
原因はたぶん、「商売〜」が原作の跡部をイメージして、こっちはアニメの跡部をイメージしてしまったせいかと思われますが。
アニメの後半でのあの華奢さは無いと思う跡部の体格。
跡部があれですごい大食らいだったら笑えるなぁという思い付きから書いたのに、最後は関係ない方向に行ってしまった。
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