小さき気配
パタパタパタ、パタパタパタ。
小さな足で駆け回る音が、聞こえた気がした。
「ああ、この音は…。随分と、懐かしい」
私邸の中庭を縁側に腰掛け眺めていた日本は、切なさと懐かしさの混じったような微笑みを浮かべた。
開国し、イギリスと同盟を組み、国力を伸ばしていっていたあの時代。この家にイギリスを招いた時に、イギリスは「確かにこの家に小さな女の子が
いるんだって!」と何度も日本に言っていたなと、思い出す。
あれから随分な年月が経ちましたが、貴女はまだここにいてくれたのですね。
そう日本は心の中で呟く。
軽やかな足音が、側を駆け抜けて行ったように感じた。
いつ以来だろうか。
二度目の大戦では敵対関係になってしまい、国交が回復するに至るまでこの家にイギリスを招き入れていない。
本当に、いつ以来だろう。
「おお! 懐かしいなぁ。お前んちも変わらないなぁ! 庭も相変わらず手入れされてて綺麗だし、相変わらず家ん中を走り回ってるあのガキもいる
し」
両手を広げて、久方ぶりの日本の私邸に入ったイギリスが楽しげに周囲を見回しながら言う。その言葉に、日本は思わず「どんな容姿をした子供ですか
?」と尋ねてしまった。
イギリスが驚いたように振り返る。日本を凝視して動かない。
「何か?」
「今回は、否定しないんだな」
「え?」
「いや、ほら、前に来た時は、俺がどんなに…ええと、妖精?妖…?」
「妖怪、ですか」
「そう、その妖怪たちの話をしても、お前はずっと、私は一人暮らしです、私以外はいません!って言い張ってたから。今は、見えてるのか!?」
「いえ…」
日本は緩く首を振る。
「元々、見えていませんよ。まあ、遙か昔には見えていた気もしますが、もうよく覚えていませんね」
「え? だって、河童の奴はちょっと前までは日本とも話が出来たって」
「…ええ、話をしたことはあります。そのことを、この近年、思い出しています」
「は? 見えないのに話はしてた? 何だよ、それ。俺にも分かるように説明してくれないか?」
微笑みながら日本は「立ち話も何ですから」とイギリスを客間へと通した。
お茶をどうぞ、座卓に湯呑みを置きイギリスに勧める。それから、ゆっくりと視線を中庭へと移した。
「この国でいう妖怪たちは、怪異なる現象のことを言うのです。木々や山々、川や海に、吹き抜ける風、それらの中に荒ぶる神やその使い、妖怪たちの姿を見出してきた。それがこの国に根付く意識でした。はっきりとした姿は見えずともその気配、存在を感じる。それが妖怪というものでした」
「見えないのに気配を感じた気がするってだけで、そいつらがいるって確信を持ってたのか?」
「今でもそうですよ。突風に煽られ、その風で切り傷を作ることがあるのです。そうしたら、ああ、かまいたちが通ったな、と気付く。勘の良い者はかまいたちが通る前に避難したりしますが」
「見えないのに、その存在を受け入れてるってのか!?」
「見えないだけで、気配も存在感も感じられていますよ。この感覚はむしろイギリスさんの方がお詳しいのでは」
日本にそう言われ、イギリスは何ともこそばゆいという顔をする。妖精がいると言ってもアメリカやフランスに散々幻覚呼ばわりされてきたせいだろうか。
「見えていなくても、存在は否定しないんだな…」
伏せ目がちにイギリスは呟き、その唇に優しい微笑を乗せた。
「目に見えるものだけが全てではない、ということは私たちは嫌というほど知っていますでしょう?」
「そう、だな…」
「開国直後や戦中戦後などは、アメリカさんたちの影響もあって目に見えないものは否定する習慣が付いしまっていましたが。今はまた、国民の中に自然への敬意の念、妖怪たちへの畏怖や愛着などが僅かながらにも復活してきているようです。きっとその影響でしょうかね。今また、あの子の気配を感じて安らぐ気分になるのは」
「日本…!」
同類を見つけた!と言いたそうなイギリスの眼差し。日本は微苦笑を浮かべてそっと視線を外す。
イギリスと違い、相変わらず見ることは出来ないのだ。陰陽道も明治の時代に国を挙げて滅びの道へと追いやってしまった。今では、お家取り潰 しの令を潜り抜けて生き延びた流派が僅かに残るだけ。
彼らの力がもう決して表舞台に出ることが無いように、日本に妖怪たちの姿を見ることはおそらく、この先も訪れないだろう。
「走り回っている子供は、どのような姿をしておりますか?」
日本は始めの問いかけを再び口に乗せる。
その存在を感じるのに見ることが出来ないもどかしさ。イギリスはそれに気付いたのか、悲しくも優しい笑みを浮かべる。
「前に来た時に見た姿と同じだな。あいつらって、俺らみたいに姿が変わらねぇんだな」
「永遠の時を生きるもの、時を止めてしまったもの、いろんなものたちがいますからね」
時を止める、とは己の中の時の流れを止めてしまったことだとイギリスは説明無しに気付いたらしい。一瞬だが、悲しい顔をして見せた。
自分の中の時を止めてしまうほどの悲しい出来事に遭遇した存在だということだろう、と。
「あのガキ、いっつも楽しそうに笑いながら走ってんだぜ。女の子だ。赤い着物を着てて、髪は肩の上で切り揃えられてて、年はとにかく小さいガキだってことくらいしか、俺には分からねぇけど」
日本は湯呑みの茶を静かに啜り、そのまま湯呑みを両手に包むようにして持った。
「座敷童子…ですね。座敷童子というのは、幼くして逝った子供の霊だとも言われています。座敷童子のいる家は栄え、座敷童子の去った家は衰退するといわれる妖怪です」
「それって、良いやつ…なのか?」
「無邪気な可愛い存在ですよ」
目を細め、足音がする庭に面した外廊下に顔を向ける日本を、イギリスは真面目な顔つきのまま見つめた。
日本は足音が絶えず駆け回っている外廊下を慈愛に満ちた眼差しで見つめていた。静かに、ただ見つめていた。
日本に付き合い、イギリスも静寂を守る。どれくらいそうしていたか。ぽつりと、日本が呟いた。
「あの子は、まだこの家にいてくれてるのですね。まだ、この私を、この国を見捨てずにいてくれているのですね…」
そう呟く日本が泣き出すのではないかと、イギリスはハラハラしながら見守っていた。そう思うほどに日本の表情は切なげだった。
声を掛けることも出来ないままに、イギリスはただじっと日本とその側をうろうろしている座敷童子を見つめていた。
しかし、日本は泣くことはせず、それどころか、ゆっくりと立ち上がると小皿を持ち出し、座卓に置かれていた茶菓子から大福を一つ乗せた。そして、それをそっと縁側の端に置く。置いただけで、何もせずに再びイギリスと向かい合うように座ってしまう。
「……?」
何をやっているのかと不思議そうに大福と日本を交互に見遣るイギリスの前で、座敷童子がその大福を取り上げて満面の笑みを浮かべてみせた。そして、大福を食べる為か、そそくさとどこかに走り去ってしまう。きゃっきゃと笑う声だけを残して。
「あ!?」
イギリスの反応に、日本が小皿を置いた場所を振り返る。無くなっている大福に気づき、日本は少しだけ驚いたように目を見張り、それから、嬉しそうに優しく目を細めた。
「…ちょ、日本! あれ! あいつ、大福持って…!」
日本の行動も座敷童子の行動も理解出来なかったイギリスは、つい取り乱したように声を上げてしまう。
しかし、日本はゆったりと笑い、「こういうやりとりは、本当にいつ以来ですかね。また出来るとは思ってもみませんでした」と小さく呟いた。
その呟きに、直接渡すことはせず、間接的に渡すのが日本のやり方らしいと気付いたイギリスは、軽く咳払いをして気持ちを落ち着かせる。
それから、縁側に置かれた空になった小皿から目を離さない日本に向かって言ってやった。
「…あのガキ、すっげぇ嬉しそうにお前を見て笑ってたぜ」
見ることが叶わないことがもどかしいのだろうか、やはり。
「そう…ですか」
今度こそ泣くのではないかと思うほどに、日本は嬉しそうに切なそうに微笑んでいた。
本当に、もう二度と、日本があの存在に触れることは出来ないのだろうかと、イギリスは考えずにはいられなかった。
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10.12.05
妖怪好きが半端に炸裂…。
こう、水木ファン京極ファンとしては、日本さんも気配くらいは感じてて欲しいなぁとか…。
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