春の目覚め・3

 

 

 



 五月七日。
 総統に代わり、大統領の座に就いた幹部の者によってドイツの無条件降伏が宣言された。
 直ちに戦闘を止め、近くの敵陣営に降伏を申し出よ、と。

 ドイツの無条件降伏の前に、上司が死亡し国が崩壊した北イタリアはすでに降伏済みだった。
 イタリアは国家の崩壊の影響からか長年の無理が祟ったか、一週間ほど意識不明の状態が続いていた。南イタリアから「弟を返せ、ちくしょう! 」と散々罵られた。
 そのイタリアもつい先日、無事に目を覚ましてくれた。体力は衰え、起きあがるのも辛そうではあったが。消滅を免れたのは、確実に先に連合 側に鞍替えしていた南イタリアの存在のおかげなのだろうと、プロイセンはぼんやりと考える。

 ドイツは、今尚、目を覚まさない。

 現在、プロイセンはアメリカとイギリスの軍が占拠している土地に身を寄せている。これ以上の面倒事は抱えたくなかったことから、ロシア地域で の降伏は避けた。今回の戦いは、対ロシアが激しかったせいで、ロシアの恨みも凄まじいものがあるはずだ。ロシアに捕まったら確実に命はない と軍人のほとんどが考えていることだろう。
 無事に生き残りたいなら、アメリカに降伏を申し出るのが一番無難だとほとんどのドイツ国民が思っているはずだった。

 眠り続けるドイツの額にそっと手を触れる。体温は低いまま。本来、子供体温かというくらいに体温の高いはずのドイツの体は冷たいままだ。人 間であれば死んでいるのではと思わせる冷たさだった。
 なぜ、目を覚まさないのか、なんとなく予測は付いている。連合の判断によっては、ドイツ帝国の解体すらもあり得る現在、ドイツは国としての機 能を完全に停止させてしまっているのだろう。それとも、単純に、ドイツ自身が目覚めたくないだけなのか。この現状を受け入れたくないだけなのか。
「くそったれ…」
 頬を撫でてやりながら、呻くように澪れ落ちる言葉。



 部屋の外が騒がしいな、とプロイセンは気付いた。誰かと言い争うアメリカの声が聞こえる。
「降伏するなら、もっと降伏らしくしてくれないか!」
 そんなことを大声で言っているようだった。
 誰だろうか?
 そう思った次の瞬間には、プロイセンとドイツがいる部屋のドアが蹴破られた。文字通り、蹴破ったのである。普通に内側に向かって押せば開くだろうドアを、豪快に蹴破った男。その男を見て、プロイセンは思い切り顔を 顰めた。
 こんな時まで見たくもない顔。同じドイツ国の者。何かと衝突の耐えない南部の国。バイエルンがそこにいた。
 バイエルンは凄まじい怒りの形相で、だがしかし無言のまま部屋へと進入してくる。
「何をしてくれてんだ、てめぇ!」
 騒ぎを聞きつけたイギリスが走り込んで来て怒鳴っているが、当然のように聞き入れる気は無さそうだった。
 プロイセンの前まで来て立ち止まると、そのままバイエルンは足を振り上げ、力任せに叩き付けるように下ろした。続けざまに横薙に蹴り込んでくる。
 もちろん、蹴りを受けてやるつもりもないプロイセンはさっさと身を躱す。
 部屋に備え付けられていた椅子とテーブルが木っ端微塵に砕けていた。
「今すぐにでも、貴様を殺してやりたいところだ…!」
 低い唸り声を上げて、バイエルンは言う。叫びたい衝動を押さえ込んでいるような声音だ。
「俺んとこの備品を壊してんじゃねぇよ!」
 イギリスが見事なまでに破壊された椅子とテーブルを見て頭を抱えていた。
 砕けた欠片を見遣れば繊細な模様が彫り込まれた高級そうなテーブルだと分かる。しかし、イギリスには悪いが、今はテーブルに構っている余裕はない。
「てめぇに殺されてやるほどお人好しじゃねぇな」
 蹴りを躱したままの屈み込んだ体勢で、プロイセンは目の前に立つバイエルンを睨み上げる。
「貴様が…付いていながら、なんだ、この様は…!」
 敗戦という状況を言っているのではないと、プロイセンにも分かっていた。意識を手放してしまったこのドイツの姿に対しての、怒りだろうことも。
 ドイツ帝国の名の元に統一という形で纏まって七十四年余り。わずか、七十四年でこの有様か。ドイツ革命による帝国の分解からヴァイマル政 へと移行した時でさえ、何とか耐え抜き持ちこたえたドイツが、今回のことで完全に倒れてしまったのだ。
 このドイツという地を治めてきた帝国。結果的に中心となって造り上げたのはプロイセンであった。戦いに明け暮れることなく生きていく為にドイツの地は統一されたはずだった。
 どうして、いつもこのような荒廃の道を辿るのだろうか。なぜ、これほどの暴走が起きてしまうのか。初めから、進むべき道そのものを間違えていたのか。
 返す言葉すら浮かばず、プロイセンはただバイエルンを睨む。
 バイエルンは、怒りが収まらないというように再度蹴り込んで来た。これも軽々と躱したが。
「何の為に、…ここまで戦ったと…! ドイツを守りきれずに、なのに、貴様はまだここに居座るのか!」
 その言葉に、プロイセンは冷笑的な笑いを浮かべた。
「まったくだな。何で俺様はこうやって生きてんだか」
 すでに、プロイセンという名の州すら無きに等しく、有名無実な状態だというのに。先の上司にその名前だけを利用され、国としての力そのものは削がれ続けてきたというのに。
 なぜ、消えずにまだこうして動ける。
「……―――」
 プロイセンの返答が予想外だったとでもいうのか、バイエルンは黙り込んでしまった。顰めっ面のまま顔をわずかに俯ける。
「なんでてめぇがそんな顔をしてんだ。バカじゃね?」
「やかましい!」
 言ってやれば飽きずに蹴りが飛んで来た。もちろん躱す。
「いい加減にしやがれ、てめえら! なんでドイツの連中は揃いも揃って喧嘩っ早いんだよ! 拘束具でも付けられたいか!」
 降伏した身にも関わらず、顔を合わせるなりいきなり破壊を伴う喧嘩を始めた二人に、イギリスが怒鳴り声を上げる。
「本当に、ドイツのとこは相変わらず粗野で無骨だね。そんなんだから、負けるんだよ。もっとスマートにやれないのかい?」
「黙れ、若造が」
 アメリカが軽い口調で言ってやれば、バイエルンがドスを利かせて呟き返す。
「今のはこの俺もカチンと来たよ。彼を殴ってもいいかい、イギリス?」
「駄目に決まってんだろうが! 捕虜の扱いは国際法で定めたばっかだ。ちょっとは守れよ」
「そんな甘っちょろいことを言うのは君ぐらいだよ。誰がそんなことを守ってるって思うんだい」
「アメリカ、まともな判断が出来ねえなら、てめぇも向こうに行ってろ!」
「イギリスもすっかり及び腰になってしまったね。国の衰退ってそういうものかい? 残念だよ」
「アメリカ! 向こうへ行け!」
 イギリスは怒鳴り、苛立ち任せに腕を振り下ろす。壁際に置かれたテーブルが砕かれる勢いで壊れていった。
 嫌な空気と沈黙が落ちる。
「あー、悪かったよ。お前らまで喧嘩始めんな」
 ガシガシと頭を掻きながらプロイセンが口を開く。決まり悪げな表情を浮かべていた。
「……」
「……」
 イギリスは不愉快そうに押し黙り、アメリカはやれやれという調子で肩を竦めるジェスチャーをしてみせた。

「茶くらい淹れてやる…」
 そう言い、イギリスは部屋を出ていこうとした。が、再びの来訪者に阻まれてしまう。
 来訪者はロシアだった。なぜか怒ったような笑顔を浮かべている。笑顔なのだが、確実に怒ってるだろうという顔。
「ねぇ、君たちは無条件降伏をしたんだよね?」
「だから、ここに投降してんじゃねぇか」
 ロシアの凄みのある笑顔の問いに答えるのはプロイセンだった。
 ロシアの笑顔が更に凄みを増していく。
「だったらさぁ、どうして僕のとこの飛行部隊が撃墜されちゃってるのかなぁ?」
「ああ?」
「ついさっき報告が入ったんだよね。君のとこの戦闘機に一部隊が撃墜されたって。ねぇ、降伏してるのに、どうしてかなぁ?」
 怒りの籠もった笑顔のままにロシアは出来る限りの軽い口調で言う。が、声音に怒りが漏れまくっている。
「………あいつか」
「………あいつだな」
 プロイセンとバイエルンは小さくぼそぼそと呟きながらも、露骨に視線を逸らしていた。思い当たる軍人がいるようだ。
 ロシアは怒りが収まらないというように更に間合いを詰めて歩み寄る。
「ねぇ、なんで降伏した君のとこの戦闘機に僕の飛行部隊が落とされてるのかなぁ? 彼だよね? いい加減に、彼を僕のところに引き渡してくれ ないかなぁ?」
「…いや、それは、どうかな」
 決まりが悪そうにプロイセンは視線を逸らしたまま呟く。が、そこにイギリスが割り込んで来た。
「おい。話に上がってる奴ってこいつだろ?」
 と写真を掲げて。
「そうだよ。この彼」
「あー…、まあ、そうかな」
 ロシアとプロイセンの返答に、イギリスは面白そうだという調子で話を続けた。
「今、この基地に投降してきてるぜ。報告に上がってきた」
「!!」
「……よりにもよってここに投降して来やがったのか、あいつは」
「それで、だ。俺たちもこの男には興味がある。ロシアをあれほどまでに苦しめる戦闘機乗りって奴を見たくてな。話も聞きたい。どんな戦闘機に乗っていたのか、どういう操縦をしているのか」
「いや、ただの古い型の戦闘機でデタラメな操縦してるだけだぜ、あれ」
「興味あるんだよ! ロシアを苦しめた戦闘機乗り、爆撃王にな」
 プロイセンはイギリスの意図が読めずに困惑気味に返答していく。しかし、ロシアの苛立ちは増すばかりのようだ。
「イギリス君が興味持ったからって、何なの?」
「この男は、今から我がイギリス軍の管理下で扱わせてもらうってわけだ」
「…!? ちょっと! 駄目だよ、彼は僕に引き渡して!」
「お前に渡せば殺すだろうがよ」
「当たり前じゃないか! こっちは懸賞金まで賭けてたんだからね!」
「じゃあ、尚更だ。こんな面白い人間は我がイギリス軍で引き取らせてもらう。現実に、この男はここに投降してきたんだ。ロシア陣営ではなく、このイギリス陣営にな」
「困るよ! 彼は僕にちょうだい!」
「断る。俺のとこで預かる。聞けば、殺戮にも関与してないらしいから、戦犯になることも無いだろうしな」
「ふざけないでよ、イギリス君!」
「お前相手にふざけるかよ」
「僕を怒らせる気?」
「お前こそ、イギリス・アメリカの管理下の土地に勝手に乗り込んで来て勝手な行動が許されるとでも思ってるのか?」
「………、」
 イギリスの思いも寄らぬ発言に、ロシアは完全に鼻白んでいる。
 イギリスがあのロシアを遣り込めるとは、何とも貴重な光景が見れたもんだとプロイセンは思いつつも、命拾いしたなあの男、と安堵の思いも込み上げていた。

 まだまだ色々と遣ることもあるのだろう。ロシアは苛立たしげにしながらも、
「今日のところは、引き上げてあげる」
 と言い放ち、踵を返す。
「君たちとは、本当に気が合わないね」
 部屋を出て行く寸前にロシアは僅かに振り返り、精一杯の嫌味を放った。イギリスが馬鹿にしたように笑ってみせた。
「お前と気が合ったことなんか一度としてあったかよ」
「アメリカ君に泣き付かないと負けてたような君が、何を偉そうに」
「――…! だが、現にアメリカは俺の横にいる。何の問題も無いだろう。お前と同盟を組む必要も無くなった訳だ」
「そうなんだぞ。俺は、イギリスの味方だからね。君と手を組ませるくらいなら、どこにだって飛んで行くんだぞ。だから、君とはどう足掻いても絶対 に仲良く出来ないからね」
 今までイギリスの傍らで我関せずな態度で事態を眺めていたアメリカが、いきなりロシアに圧力を掛けるかのように口を開き、その場にいた者たちを少なからず驚かせた。
 大戦の最中からその兆しは見え隠れしていたが、ここに来てあからさまになってきているようだ。アメリカとロシアとのイデオロギーの違いによる対立は。
 プロイセンは僅かにだが顔を顰める。後に、皆が敗者で勝者などいない戦いだったと言わしめたこの戦い。その中で強大な影響力を保持したままの国はアメリカとロシアだと言えた。
 この二国の対立が悪化するなど、厄介なこと以外に何もないだろう。

 俺たち――ドイツの処遇どうのだけじゃ収まらねぇんじゃねぇのか…。

 嫌な感じが拭えず、プロイセンは無意識に乾く唇を舐めて湿らせる。
 しばらく無言でアメリカを睨むように見つめていたロシアは、
「君たちとは、本当に気が合わないね。今後、僕は僕の好きなようにさせてもらうからね」
 言い捨て、今度こそこの陣営から出ていった。いつもの薄く笑った表情を消し露骨に不快と怒りの感情を浮かべたままで。
「うっわああああ! こっええええ!」
 ふざけているつもりは無いのだが、ふざけているとしか聞こえない発言をするのはやはりプロイセンで。馬鹿騒ぎでもやってないとおかしくなりそうなのだ。
「うるさいぞ、プロイセン」
 今の今まで、一切の口を聞かずに静観を決め込んでいたバイエルンがようやく言葉を発すれば、プロイセンへの苦言である。
「うるせぇ」
 とだけプロイセンは返した。
 バイエルンから顔を背け、そのまま横目でアメリカとイギリスを眺め遣れば、こちらも怒りに振るえるアメリカの姿が目に入る。
 戦いが終わると同時に新たな戦いが始まっている。元々、利害も一致していない連中だったのだ。敵の敵は味方というだけで手を組んだ連合軍という存在。その敵が降伏すれば、新たな敵は初めから気が合わなかった相手に戻るだけ。
 こんな連中に裁かれることになるのか、俺たちは…。
 そんな思いすらも浮かんでしまうほどに陰鬱な状況だった。

「茶ぁ淹れてくる…」
 イギリスがロシアに阻まれてしまっていた目的を再び口にすると、重い足取りで部屋を出ていく。
 アメリカは、近くにあった椅子を引き寄せると苛立ったままの動作でどかりと座っていた。
 プロイセンは、静かに眠るドイツの傍らに戻るとそのまま床に腰を下ろす。
 なぜかバイエルンが隣に座ってきた。
「なんだよ…。まだなんか文句あんのか?」
「………」
「何なんだよ…? 気持ち悪ぃな」
 プロイセンの悪態にも、どういうつもりかバイエルンは何も言わなかった。
 居心地が悪そうにプロイセンはもぞもぞと座り直し、それからドイツの頬に触れ、その存在を確かめるようにゆっくりと撫でてみる。
 依然としてその体は冷たい。
「今はまだ…」
「あ?」
 バイエルンの呟きにプロイセンは柄の悪い返答を返す。が、やはり、バイエルンはプロイセンの態度に文句を付けては来なかった。ただ、言葉 を続けた。
「今はまだ、消えてやるなよ」
「はあ? なんでお前からそんな心配されな――、」
「お前が消えて、これが正常な状態を保てるとは到底思えん」
 バイエルンの言う「これ」とはドイツを指しているのか。
「なんだそれ…」
「この戦いで、ドイツ軍として何をしてきたかお前も把握してるだろう。間もなく、連合側の手に寄ってゲットーの存在も世に暴かれる…」
「…だろうな」
「この狂気は、ドイツの抱える狂気だと思うか?」
「この可愛い弟がこんな胸くそ悪い計画立てるかよ」
「すべては愚かな人間どもの愚行だと言い切れるか? 国の化身として俺たちが存在しているのに?」
「てめぇは、ヴェストが狂ってるとでも言いてぇのかよ!?」
「ユダヤの民を排除する口実にするつもりだったのだろうが、純粋なゲルマン民族、アーリア人のみをドイツ国民にしようなどという不可能な考えがどこから出てくる」
「俺様も案外ユダヤ嫌いで――、」
「固定の民族を持たずに来た貴様のどこから民族の保存などというお題目が出てくるというんだ」
「固定の民族を持てなかった俺様だからこそ、そういう極論に出ちまったかもしれねぇぜ?」
「呆れる程の寛大な移民政策で国を保ってきた、今では見事なまでに保守派に成り下がった貴様から出てくるとは思えんがな」
「…ガチガチの保守派のてめぇに言われる筋合いは無ぇよ」
 なんでこんな会話をこいつとしないといけないんだとプロイセンは顔を顰める。
「慌ただしく、無理矢理に国を纏めた歪みが、ドイツに闇を落としてると、そんなことを考えたことはないか…?」
「……だったら、すべてはこの俺様の、」
「ドイツ帝国としてではなく、プロイセン王国復興を最後まで模索していたお前から出てくるとは思えんな」
「全部、俺様の持つ狂気だよ。侵略、虐殺から始まる歴史を持つこの俺様の」
「………可愛い弟か」
「当たり前だろうが」

 原因など、考えたくもなかった。

 アメリカが無関心を装った風体でじっと聞き入ってるようだった。

「てめぇは、何が何でもドイツを狂気の固まりにしたいらしいな」
 苛立ちが言葉として澪れ落ちていく。
「また、独立騒動でも起こす気かよ」
「この状況下で独立などしたところで袋叩きに合うだけだ。安心しろ、今しばらくはドイツの元に収まっておいてやるよ」
 腹立たしいことにバイエルンがドイツの元を離れる気が無いと分かって安堵する自分がいた。そんな自分にプロイセンは小さく舌打ちしたくなった。
 バイエルンの財力と権力が残れば、ドイツの復興も早いはずだ。腹立たしいが、それが今現在の余力の差だった。
「だいたい、てめぇがバイエルン王室復興を目論でクーデターを起こしてなけりゃ、あの男が政治家として台頭させるきっかけも作れなかったかも しれねぇのに」
「あれは、今思い出しても腹が立つな。俺の王室復興は掻き消えたのに、あの男だけが成功してくれやがった」
 忌々しいという表情でバイエルンが吐き捨てる。本気で恨んでいたようだ。
「本当、あの男は政治家としては有能だったよ。何が不利益で何が有益かよく見極めてたしな」
「世界恐慌を乗り切ったことでも内政方面は優れていたのは確かなんだが…」
「外交が致命的にダメだったな」
「本気で世界征服できると思ってたのかね…」
「ヴァイマル期に首相まで上り詰めた手腕は評価してやるが、俺様の、プロイセン王室復活、ドイツ皇帝復活を邪魔したのだけは許せねぇよな。 上司のやつに遺言で言わせたはずなのに、あの野郎、プロイセン王室復活のとこだけ握り潰しやがって」
「独裁主義を狙ってる奴が皇帝の存在なんざ認める訳がないだろう」
 言いながら虚しくなってきたのか、バイエルンも溜め息を吐く。
「あー、ちきしょう。あの遺言さえ世に出せていたら…!」
「せめて、バイエルン王室を復活させることが出来ていたらな…」
 今度は二人揃って虚しい溜め息が出た。
 本当に悪運ばかりが強い上司だったよと、プロイセンは今更のようにぼやくしかない。
 黙って二人の奇妙な会話に耳を傾けていたらしいアメリカが、不意に愉快そうに口笛を吹いた。ドイツ革命によって王国が滅亡した後も、プロイ セン、バイエルン共に王室復活を虎視眈々と狙っていた事実に驚いたのと呆れたのと半々という気分だろうか。
「本当に、見事なまでに内部がバラバラだね。そんなだから負けるに決まってるよ、君たち」
 似たようなことをドイツ統一の時にフランスのやつに言われたな、とプロイセンは思い返し、苦虫を潰したような顔をした。
 バイエルンは「ガキが黙ってろ」と小さく呟くに留めていた。

 それから数分の後、イギリスが丁寧に高級そうなティーカップのセットとスコーンを持って戻ってきた。
 優しい香りが幾分か気分を落ち着かせてくれる。
「お茶と茶菓子だけは美味いのにな。他がまともに食えねぇってのは全く謎だぜ」
 遠慮無くまったりとお茶を味わうプロイセンの言葉に、イギリスが無言の睨みを向けてきたが、それ以上は何も言わなかった。
 自分から飯が不味いという話題にはいかないようにイギリスは咳払いをして話を変える。
「ところで、例のあの爆撃王だが、あれはいったい何なんだ!? 話を聞かせろ、戦闘機見せろと言っても、偉そうな態度で風呂に入らせろ、飯 を食わせろの一点張りだったぞ。捕虜の自覚あるのかよ…?」
「ああいう性格のただの急降下マニア。面白い奴だろ?」
「……」
 一言で終わらせてくれたプロイセンにイギリスは疲れたように溜め息を吐いた。
 こいつの国の人間だけあって、常識とか礼儀とかが無くても当たり前かもしれない、と思うことにしたらしい。
「あ、そうだ」
 イギリスの苛立ちなど素知らぬ顔でプロイセンは尚も話し掛けてくる。
「おい、イギリス。人探し頼まれてくんね?」
「あ?」
「こいつの身内が生き残ってないか調べておいて欲しいんだが。で、もし見つかったら、ヴェストに知らせてやってくれ」
 そう言い、小さなメモ紙をイギリスに差し出してくる。
「何でてめぇの…、」
「気が向いたらで良いからよ」
 プロイセンの静かなトーンに何となく断り損ねたイギリスは「気が向いたらな」と小さく返し、メモ紙を受け取ってしまった。
 そんなイギリスをアメリカが呆れたように眺めていた。




 戦後処理についてどうするか、アメリカ相手に話している最中だった。アメリカはロシアの動きが怪しいのが気に食わないと呟いていた。
 まだ、日本は降伏をせずに戦っていると情報を耳にしたプロイセンは、何とか日本と連絡が付かないものか思考を巡らせていた。
 そんな時だった。イタリアが必死の形相で駆け込んで来たのは。
「プロイセン! どうしよう! 日本が、日本が…!」
「イタリアちゃん!? どうしたよそんなに慌て―――、」
「アメリカ! お前、何を考えてるだんよ!? 今の日本は降伏するのも時間の問題だって分かりきってるじゃないか!」
「アメリカ、てめぇ! 自分が何をやったのか分かってるのか!」
 イタリアに続いてフランスとイギリスまでもが駆け込んで来た。
「…おい、何だよ? 日本に何があった?」
 胸がざわつく。イタリアがプロイセンの側によろつきながら歩み寄ってくる。
「プロイセン…、どうしよう…。日本に原子爆弾が使われたって…」
 イタリアがプロイセンにしがみついたまま泣き崩れていく。
「―――な、んだと…?」

 あれが、よりによって、日本に落とされた、だと…?
 どうして、そんなことに…。
 何で、日本に…。何で、日本なんだ。

「アメリカ、お前…」
 プロイセンはアメリカに怒りの籠もった視線を向けた。アメリカは静かにそれを受け止めていた。
「日本の上司は再三の勧告にも従わなかったじゃないか。何度も降伏の機会を与えてあげてたのに、全て拒否したのは日本じゃないか!」
「だからって、じゃあ、何で二発も落とした!?」
 アメリカに詰め寄るのはイギリスで。
「何だよ、君たちは! 俺に散々ドイツより先に原子爆弾の開発を成功させろって言っておいて、使うべき時に使っただけなのに、それなのに今度は文句を言って、俺を悪者扱いでもする気かい!? 君たちも作れって言ったくせに、なんだよ!? どういう了見だよ!?」
「……―――、」
「………」
 イギリスとフランスは共に言い返すべき言葉が見つからずに押し黙ってしまう。
 イタリアの小さな泣き声だけが響いていた。
「日本の上司は、慌てて降伏を申し出て来たよ。どうして、それがいけないんだよ」
 間違ってはいないと、アメリカは悔しそうに呟いていた。
 重苦しい沈黙が支配する空間。
 誰も何も言葉を発せないまま、時間だけが過ぎていくようだった。
 そこに、再び慌ただしい足音が近づいてくる。
 アメリカの部下と思われる軍人だった。
「報告します」と敬礼し、アメリカだけではなく、その場にいるものにも聞こえるように伝令を口にした。その内容に、プロイセンとイタリアは愕然とし 、アメリカは怒りを爆発させた。
 ロシアが日本の領土内に攻め込んだ、という内容のものだった。
「shit! 日本はもう降伏したんだぞ! 今攻め込むのは卑怯以外に何もないんだぞ!」
 アメリカは叫ぶと同時に部下を伴い基地から出ていってしまう。
 ロシアと戦争する気じゃねぇだろうな…、そう物憂げに呟くのはイギリスだった。





「貴方は、本気で言っているのですか!?」
「この案が一番妥当じゃねぇかよ。影響力はある割に実害は少ない」
「……それは、そうかもしれませんが…、しかし…」
「他にどうやってこの混乱を沈められるって言うんだよ」
「プロイセン…。貴方は、今度こそ…」
「俺様は最強! 心配ご無用!」
「……ドイツが聞いたら、怒りますよ」
「ヴェストに怒られるのなんか慣れてるってぇの」
「プロイセン…」
 どこまでも軽い明るい調子で言うプロイセンにオーストリアは悲しげに視線を落とした。
「これ以外にも、まだ何か案は出てくるだろう!?」
 フランスが気遣わしげに言い寄ってくる。それすらもプロイセンは跳ね返した。
「王国の滅亡、参謀本部の解体、それでもしぶとく生き残り続けたこの俺様がようやく消えるんだぜ? 潰したかったプロイセン様をやっと消せる機会だってのに、嬉しくないのかよ?」
「……そりゃ、散々邪魔ばっかしてくれたお前には腹立つことばかりだけど、こんな遣り方は…。全部お前一人に押し付けてるだけじゃないか」
「俺一人で十分だろうが。これ以上ヴェストに余計なものを背負わせられるかよ」
「ドイツが、また暴れるよ?」
「暴れねぇよ、賢い俺のヴェストは」
「闇に葬られて、平気だと、貴方は思うのですか…」
「俺の役割がそれだったってだけの話だろ?」
「プロイセン…」
 代案が浮かばないまま、オーストリアもフランスも苦渋に満ちた表情で押し黙るしかなかった。

 法令第46号に則り、1947年2月25日より「軍国主義の象徴とされたプロイセン王国の解体指令」の効力が正式に発揮される。

 それは、戦後処理の大締めとも言えた。





 ゆっくりと目が開かれる。
 眩しい。思わず手のひらを翳し光を遮ろうと試みるがどうにも体が重い。
 今度は両の腕に力を込めて上半身を起こしてみた。起こしてみて自分がベッドに横たわっていたことを自覚する。
「どこだ…?」
「!! ドイツ! ドイツ、起きたんだね! 良かったよぉ! 俺もうドイツとお喋りも出来ないかと心配で心配で…!」
「イタリアか…。何でここにいる?」
「ドイツ、お前はずっと意識無くして眠ってたんだよ」
「…? 戦況はどうなった?」
「もう、全部終わったよ。俺たち負けちゃった。今は敗戦処理ってやつで追われてる」
「負け…た?」
 呆然とした様子で動きが固まってしまったドイツをイタリアは気遣わし気に見守る。
「イタリア、何を騒いでいるのです? おや、ドイツ、ようやく目覚めましたか。プロイセンを呼んで来なくてはですね」
「兄さん? 兄さんは無事なのか!?」
「今のところ、無事ですよ。…とりあえず、貴方が目覚めたのなら仕事は貴方に回すべきですね。今までの内容が記されてますから、これに目を 通しておきなさい。私はプロイセンを呼んできてあげますよ」
 オーストリアから渡された書類の束を受け取り、まだどこかぼんやりした様子のままドイツは種類に目を通していく。自分が意識を手放してから起きた出来事を把握するために。一枚一枚に目を通し、ゆっくりと書類を捲っていく。
 そして、最後の記述に目を向けたドイツの目が大きく見開かれた。震える手元から、ばさばさと書類の束が落ちていく。
 ドイツはまだ動きの鈍いままの体を強引に動かし、ベッドから降りようとした。
 慌てたイタリアが止めにはいるが、錯乱したかのようにドイツは暴れる。
「ドイツ落ち着いて! まだ無理しちゃダメだよ!」
「兄さん! 兄さんは…!」
「何をしているのですか! 静かになさい!」
 一人で戻ってきたオーストリアをドイツは呆然と見つめる。
「オーストリア…、兄さんは、どうなった? この解体指令とは何だ!? 俺は認めてない! こんなもの認められるか!」
「落ち着きなさい! それはプロイセンを初めとするドイツ諸邦たちの合意の上です」
「こんなものが認められるか!」
 叫ぶドイツの目の前に一枚の書面を突き出すオーストリア。そこに書かれた解体指令についての記述。最後にサインされているのは、プロイセ ンを筆頭にバイエルンやザクセン、自由ハンザ都市たちなど、ドイツ内の有力国たちの名前だった。
「貴方のサインの代わりとなるには、十分すぎる連名でしょう」
「ふざけるな! 俺は認めない! 認めんぞ!」
「落ち着きなさいと言っているでしょう!」
「落ち着いていられるか!」
「他に、国を守る方法が無かったのです!」
「こんなことで守る国などいらん!」
「馬鹿を言いなさい! 貴方は、報復戦争を引き起こしたいのですか!?」
 そう叫ぶオーストリアの声に、抵抗していたドイツの体からがくりと力が抜け落ちた。
「すでに、各地でドイツ人狩りや追放運動が始まっているのです。これ以上、貴方の国民たちを苦しめるつもりですか…?」
 半分立ち上がり掛けていたドイツの体はよろめき、力無くベッドの上に座り込んだ。
「なんで…、こんなことになるんだ。…こんな結末を望んで戦った訳じゃない。なんで、こんな…!」
 絞り出すような声でドイツは呟く。
 唇を噛み締め、オーストリアは顔を俯けた。
「許してください。私は永世中立国となることで、この度の戦犯を免れることになりました」
「お前に責は無いだろう…。俺が、もっと…」
 迷い子のように不安げに、ドイツは呟き顔を両手で覆った。泣き出す前の子供の様に。
「あの、オーストリアさん、プロイセンは?」
 そのイタリアの問いにドイツは驚いたように顔を上げる。
「兄さんは、無事なのか!?」
「ですから、今のところ無事だと最初に言ったでしょう! 探してみましたが、見つからなかっただけです!」
「兄さんは、消えてない…」
 掠れた声で呟いた時、「よぉ、ヴェスト! やっとお目覚めか!」という騒々しい声と共に乱暴に扉が開け放たれる。
「兄さん!? 兄さん…!」
 足を縺れさせ、ベッドから転げ落ちるようにして、ドイツはプロイセンの元へと駆け寄った。
「何だ? ヴェスト、そんなにお兄さまに会えたのが嬉しかったのか!」
 茶化すように軽い口調で話し続け、ふざけるようにドイツの背中をばんばん叩いてやるプロイセン。
 イタリアは、泣きたくなるのを必死で堪えた。オーストリアは「今のところは無事だ」という言い方をしたのだ。
 プロイセン王国解体指令は、半年後の二月二十五日を以て動き出す。その時に、プロイセンがどうなるのかなど、まだ誰にも分かっていないのだ。

 その時、プロイセンはどうなるのだろうか。
 ドイツは、耐えられるのだろうか。
 自分は、何をしてやれるだろうか。
 イタリアの心を、不安と悲しみが占めていた。

 プロイセン王国解体指令が正式に国連で議決されたと同時に、ドイツは目を覚ましたのだ。
 その意味を、イタリアは考えずにはいられなかった。




 アメリカとロシアの対立は悪化の一途を辿っていた。
 ドイツの敗戦処理については連合の四カ国による分割統治という形で話が付きそうだったが、肝心のアメリカとロシアの話が上手くいかない。
「分割…ね。大ざっぱに言って、アメリカ、イギリス、フランスの統治下とロシアの統治下の二つって形になりそうだな」
「俺はアメリカの小僧の統治下か。まあ、悪くはない、か」
「俺とザクセン、ブランデンブルグがロシア側になるな」
「ドイツ自体はどうなる…?」
「圧倒的に領土が広いお前ら側になるに決まってるだろうが」
「ロシアには渡せんか。まあ、当然だな」
 分割される区域が書かれた地図を広げて、プロイセンとバイエルンは静かな口調で話を続ける。
「あいつらの喧嘩、俺らの国を割るだけじゃ済まなさそうだな…」
「これは、遅かれ早かれ、世界を巻き込むぞ」
「最悪、世界を割るかもな…」
 神妙な顔で話をしている二人の元へドイツがやってくる。暗い顔つきのまま、プロイセンたちを見つめていた。
「よお、ヴェスト! もう動いても平気なのかよ!」
「兄さん、せめて兄さんはフランス側に…」
 懇願するような声音。そんなドイツに最後まで言葉を言わせないようにプロイセンは遮った。
「勝負事は潔さが肝心だぜ、ヴェスト。ここは連合のやつらのお手並み拝見といこうぜ」
「兄さん…」
 ドイツの肩に腕を回し、わしわしと髪を撫で回してやる。そして、そっと小さく呟いた。
「ヴェスト。お前がヴェスト(西)で良かったよ」
 その穏やかな声音に、ドイツは何も言い返せないまま黙り込んでしまった。



 ドイツ国内での戦後処理は着々と進んでいく。
 反比例するように、アメリカとロシアは険悪な雰囲気を漂わせ続けてくれていた。
 ロシアが、自分の統治する土地をロシアの物とし、アメリカ、イギリス、フランスとそれらに統治されるドイツの民の自由な行き来を禁止するように言い出すのも時間の問題だった。





「兄さん…?」
「悪りぃ、さすがに痩せ我慢も限界だな。ちょっと寝るわ」
「なに、を…? 兄さん!」
「うるせぇな、聞こえてるよ。あーちくしょう。眠ぃな…」
「兄さん! 悪ふざけはやめてくれ!」
「けせせせ…。よく持ちこたえたな。さすが俺様、かっこいいぜ」
「兄さん、何を言って…!?」
「…ちょっと寝る。おやすみ、ヴェスト」
 世界会議の休憩時間、ロビーでプロイセンは暢気に眠りについた。
 消滅という形は取らずに、どういう仕組みか、ただ眠りについてしまったのだ。ただし、生きているとも思えない姿での眠りだった。心臓の鼓動も 、呼吸も、全てが停止した、それでも消滅はせずにその国の化身である体は残ったまま。
「兄さん! なんで!? そんな…!」
 1947年2月25日、プロイセン王国解体指令が正式に施行される日に行われた会議での事だった。



 1949年5月23日 ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立
 1949年10月7日 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立



 西ドイツは憲法というものを作ることを拒否した。東ドイツとの統一後に憲法を持つことにするという意志を表明し、憲法ではなく基本法という形 を取った。
 生命の息吹の消えたプロイセンの体は、ザクセンとブランデンブルグが共に東ドイツへと連れていった。ロシアが旧プロイセン州は僕の統治下にあるんだよと言って引き下がらなかった為でもあった。
 別れ際、ブランデンブルグがプロイセンのことは絶対に守るから、とドイツに誓ってくれていた。ロシアに見つかることなくそっと約束をして去って行った。

 一度は上司の政策で東ドイツとの国交断絶、東ドイツの存在を認めないという動きを取らされた。

 1961年8月13日 突如としてロシアが東西ベルリン間の68の道をすべて封鎖し、後にベルリンの壁と呼ばれるものを建設し始める。
 ドイツはロシアに猛抗議したが、アメリカやイギリスは動くことをよしとせずに静観するに留めた為、壁の建設を認めてしまう結果となってしまった 。
 ドイツは、壁を乗り越えようとする市民たちが命を落としていく様をただじっと見つめるしか出来なくなっていた。

 兄さんは、どうなってしまったのだろうか。

 脳裏をよぎるのはそんなことばかりだった。





「よお、ドイツ」
 西ベルリンの目抜き通りに面したカフェでコーヒーを飲んでたドイツの目の前にイギリスが姿を見せたのは、よく晴れた日の午後の事だった。
「イギリス? どうした、今日は何か会議が入っていたか?」
 疲れたように、どこかぼんやりとした力の籠もらない声で言うドイツを見遣り、イギリスは苦々しく笑った。
「とんだ腑抜けた面だな」
「好きに言え。用が無いならとっとと――、」
「用があるから来てやってんだろうが。すぐに追い返そうとするなよ」
「俺に用だと?」
「お前の兄貴ってやつから頼まれてたものをお前に伝えに来た」
「何? 何のことだ!?」
 立ち上がり、イギリスに掴み掛からんばかりの勢いで詰め寄るドイツを制止させながら、イギリスは一枚の紙をテーブルに置いた。
「何だ…?」
「プロイセンから頼まれていた人物の所在地だ。分かったらお前に教えろと言われてたんでな。それだけだ。邪魔したな」
 口早に言い、これで用は済んだとばかりにさっさと立ち去ろうとするイギリスに、紙に書かれた内容を読んだドイツが唖然としたまま、それでも小さく「Danke」と呟くのが聞こえた。
 イギリスは軽く肩を竦めるジェスチャーをしてみせただけで、本当にそのまま立ち去ってしまった。
 紙には、大戦の末期に会ったあの大佐の息子が生きていること、西ドイツ側で暮らしていることなどが記されていた。来週に開かれるヴァルキューレ作戦に参加したものたちを弔う式典に出席することまで書かれている。
 ドイツは、ゆっくりと上着のポケットから小さな布に包んだ鉄十字を取り出して見つめる。自決を強いられた大佐の亡骸から外し取ったあの鉄十字。
 いつか、生き延びた親族に会うことがあればこれを返そうと思い、持ち歩いていたものだった。
 君たちの父君は立派な軍人だったと伝えてやりたいと、密かに願い続けていたものだった。
 プロイセンがイギリスに頼みごとをしていたことにも驚きだったが、それ以上にドイツの取るだろう行動をすでに読まれていたことに、泣きそうになってしまう。
 いつだって、プロイセンはドイツの一歩先を歩いていたのだ。今でも、未だに追いつけないでいる。
「兄さん…」
 子供のように形振り構わずに泣き喚くことが出来れば、どんなに楽だろうか。そんな虚しい思いが胸中を占めていた。


 敗戦から数年が経過した今、ドイツに住まう年老いた者たちは、物悲しそうに祖国の地を眺め、一様にこう呟いていた。
「私たちの知っているドイツという国は、1945年に一度死んでしまったのですよ」
 国の化身という存在を知らぬ庶民たちの口から呟かれる言葉。
 そんな国民を見つめながら、ドイツは本当にそうかもしれないな、と他人事のように考えていた。
 プロイセンという後ろ盾を無くしたドイツに、価値はあるのだろうか、と。
 己の存在意義すらも見失いそうになる日々だった。
 息苦しくて仕方がない日々を過ごすばかりだった。
 すべての戦犯を背負い、一人で悪の名を受け取り、闇に葬られてしまった亡国。
 その国の名を口にすることさえタブーとされてしまった今でも尚、決して忘れたくないと、その影を必死に追い求めるしかない日々だった。



 70年代に入って上司が代わり、政策が大幅に変更されていくことになる。
 ドイツが上司たちに再三訴えていた東方外交が開始されることになったのだ。

 これは、ドイツにとっても賭けだった。
 プロイセンの消滅ではなく機能停止という姿をバイエルンはお前の執着のせいだろう、と言い切った。
「人の思いは何よりも強いと言われるだろう。望まれる限り国は存在し続ける。お前が望む限り、あの男は、呪いのように存在し続けるだろうよ」
 呪いだろうと何であろうと、兄を消滅させずに済むのなら、なんだってやってやる、そんな気分だった。
 ドイツが求めれば、プロイセンは再び動き出す。あの国には固定の民族も文化も無いと言われてきたが、確かにプロイセンという国にもプロイセンの作ってきた文化があったはずだ。ただ、それら全てがドイツへと受け継がれてプロイセンだけのものではなくなってしまっただけで。
 周囲が何と言おうと、プロイセンを消させはしない。





 目を開けると全面に白い布が見えた。
 白い布で顔を覆われているらしいと気付き、プロイセンは布を払いのけようと藻掻き、そして、顔どころか全身を白い布で覆ってくれていることを理解した。
「何だこれ!?」
 バサバサと布を剥ぎ取り、丸めて床に叩き付ける。叩き付けた拍子に埃が舞って思いっきり咽せてしまった。
「お。マジで起きた」
「本当に起きたね」
 見渡せば、古びた屋敷の屋根裏部屋のような場所。
 目の前にいるのはザクセンとブランデンブルグの二人。
「俺様を布で覆うなんざ、何の真似だてめぇ」
「死体か蝋人形がいるみたいで気持ち悪いんだからしょうがねぇだろ。適当な倉庫に放り込まれなかっただけありがたいと思えよ」
「死体…!? っつうか、なんだこれ。体がすっげぇガチガチなんだけど…」
「そりゃ、二十年も死体やってりゃガチガチに筋肉も強張るだろうよ」
「はあ!? 何言ってんだ、てめぇ。意味分かんねぇぞ!」
 喚くプロイセンにザクセンは「あーうるせぇ!」と言って耳を塞ぐ真似をしてくれた。
「本当に起きるとはねぇ。ドイツも凄いことをやる。ここまで来ると、もう呪いか呪詛に思えてくるね。愛されてるね、本当」
「ああ!?」
 全く事態が飲み込めないプロイセンにブランデンブルグが点けっぱなしになっているテレビの画面を指し示した。
「お前が眠っちまってから二十年は経ってんだよ。本当、ロシアの相手すんの疲れるわ。お前が起きたなら今後はお前がロシアの要求聞きにいけよな」
 適当な説明をくれるのはザクセンで。
「二十…? ってか、あれ? 何で俺様、生きて…?」
「だから、ドイツの執念だろ?」
 テレビの画面をみれば、東方外交がどうのと言っている。
「来月にさっそく西ドイツとの首脳会談があるから、プロイセンが上司に付き合っていけよな。俺はドレスデンに引きこもるぞ。もうロシアとは会いたくない!」
 ロシア怖いとふざけ半分に騒ぐザクセンに苦笑を浮かべ、ブランデンブルグはプロイセンに説明を続ける。
「つい先日、西ドイツが俺たちのいる東ドイツを主権国家として認めるという態度に切り替えてきたんだよ。東方外交を開始するって宣言してきてね。公共電波には乗せなかったけど、ドイツははっきりこう言ってきたよ。かつてのプロイセン王国とザクセン王国の地を必ず取り戻すって」
 プロイセンは顔を顰めたままテレビ画面を見つめ続けていた。
 そして、意味を理解するにつれ、怒りが込み上げてきた。怒りに震える声が澪れ落ちる。
「あいつは、自分が何をやらかしているのか、分かっているのか!? 滅びるべき国を生き長らえさせるだと…!?」
「もちろん、承知だろうね。分かってやってるに決まってる。お前を取り返す為なら何でもする気になってるよ、あれは」
「何より、この二十年の間、東ドイツという国の化身は出現していない。俺たちが相変わらずばらばらと存在しているだけだ。これはもう、二つのドイツを認めない、ドイツは一つだと言い続けるドイツの執念しか無いんじゃね?」
 プロイセンは笑うことも出来ずに、ただ、無言でテレビの画面を見つめ続けていた。
「とりあえず、来月の首脳会談には行けよ。顔くらい見せてやれよ、可愛い弟に。じゃねぇと、そろそろ暴走しそうだぜ?」
「何のつもりだ、あいつは…!」
「だから、お前への愛じゃないの?」
「お前で精神が安定するならいいじゃねぇか。せっかくなんだからもうちょっと生き残ってやれよ」
 本当に面白いことが起きるなぁと愉快そうに宣う二人を余所に、プロイセンはただ西ドイツからの映像を見つめ続けていた。



 三月十九日 第一回東西両ドイツ首脳会談。
 現在の上司という男に付いてプロイセンは会場へと向かった。
 用意された部屋。周囲には状況を見守ろうと各国のジャーナリストたちが遠巻きに待機している。
 西ドイツ側が入って来たらしい。上司と思われる男の背後に付き従うドイツの姿。
 戦後の最後に見た姿から、また随分と逞しくなったように見える。
 立派にやってるみてぇじゃねぇかよ。プロイセンは薄く笑いを澪した。
 やはり、顔を見れば嬉しいと思ってしまうもの。じっと見詰めてやれば、ドイツがその視線に気付いた。まさか、この場に直接プロイセンが出てくるとは思ってなかったのだろう、ドイツは驚きと歓喜の表情のまま固まってしまった。
 そんなドイツに向かって、「何をしてくれてんだ、バカ」と口だけを動かして言ってやる。
 それに気付き、ドイツは慌てて表情を厳しいものに変えて、同じように唇だけを動かして言い返してくる。「文句を言われる筋合いはない。やりたいようにやってるだけだ」と。
 言うようになったじゃねぇか。
 腹立たしさは、すっかり萎えてしまっていた。

 この俺様が消えずにいることを呪いとか呪詛とか言いやがったっけな、ブランデンブルグのやつは。
 そういや、バイエルンの野郎は俺が消えたらドイツは正気を保てないのではないかと気にかけていたな。

 ドイツの感情が執着が、プロイセンを今尚この地上に留めているのならば、本当にドイツが消えてしまうその時まで消えることは叶わないと思っていいのだろうか。消える時は共にと考えてもいいのだろうか。
 まだ、ここにいることに存在することに、価値を求めていいのだろうか。
 きっとこのまま東西に別たれたままになるだろうが、それでも、ドイツと同じ世界に存在し続けることを許されるのだろうか。
 もう少しだけ、弟と共に同じ時代を生きていくことを許されるのだろうか。

 ロシアは、再び起き上がったプロイセンを見て、涙目になって喜んでくれていた。純粋に、奇妙な機能停止という形を取ったプロイセンを心配してくれてたらしい。
 だったら、ベルリンに建てたあの壁をどうにかしろと言ってやったが、それとこれとは話が別だよ、とロシアらしい回答が返ってきただけだった。



 僅か数時間で終わってしまった会談。上司たちには実りある会談になったのかどうか。
 ドイツは再び目覚めたプロイセンの姿を見れただけで満足そうではあったが。ただし、半泣きの目は隠せてなかったが。

 仕方ねぇから、まだまだ甘ちゃんのドイツの為に消えないでいてやるぜ、と半ば言い訳じみた言葉を呟き、難しく考えることは放棄する。

 とりあえず、こうして直接会える機会は貴重らしいので、ドイツにバナナなどのこちらでは寝てる間に高級品になってしまっている果物を寄越せと さっそく注文してみた。もちろん、上司に見つからないように水面下での取引の要求である。
 泣き笑いから苦笑いに変えて、ドイツはただ黙って頷いていた。









――了――

 

 

 

 

 

 

 

 

11.4.16
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最後までしつこくプロイセンが現代に生き残ってる理由捏造にこだわっててすみません。

それから、漢数字とアラビア数字が入り交じっててすみません。
さすがに西暦を漢数字で書くと読みにくいので、あえて数字を使ってしまいました。



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