このサイトでちょこちょこ出てくる捏造バイエルンさん。

本家さんで初期の頃にプロイセンと共にモブキャラっぽく出てきてた人(国)です。

 *本家さんから画像とセリフの文章をそのまま拝借。
本家サイトの「オーストリア継承戦争まとめ」 漫画に出てくる1コマです。

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プロイセンより 「女王は認めません。シュレジェンは俺のもの」
バイエルンより 「女王は認めません。王位継承権は俺のもの」
ザクセン 「女王は認めません。モラヴィアは俺のもの」

フランスより 「女王は認めません。バイエルンに同意します」
スペインより 「女王ええなぁ。でも悲しいことに フランスに同意することになってしまいました」

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一番右がプロイセンなのは言うまでもなく、そうなると、そのプロイセンの隣の短髪の方がバイエルンかと。真ん中がザクセンか。
後ろ(左側)2人はフランスとスペインなので。

ザクセンは位置的なものや歴史から言って、すごくポーランドっぽい性格なイメージがあったんですが、モブでちゃちゃちゃーと描いたと思われる絵でも、そんな感じに描かれてて、非常にウケてしまいました。なんかイメージ通りだ。(笑)

バイエルンは我が道を行くアニキって印象を持ってしまう。頭良さそうだけど、プロイセン以上に時に戦闘型になりそうというイメージがある。(基本的に保守派だけど) モブ絵なのにそんな感じで、やはりウケてしまった。


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以下、バイエルン州、バイエルン王国の簡単な説明です。

現在のバイエルン州 … ドイツ連邦共和国の連邦州のひとつ。ドイツ南部に位置する。
正式名称は「バイエルン自由州」  ドイツ語で書くと「Freistaat Bayern」

プロイセン州無き今、ドイツ最大の州。政治力も経済力も大きく、国(ドイツ)に対する影響力もすごそうです。
IT国家らしい、と聞いた。

ドイツ人の多くがプロイセンにアイデンティティと郷愁を求めた東西分断時代も、さほど東ドイツ(プロイセンとザクセン)を取り戻そうという意識は無かったもよう。

というよりも、プロイセンとザクセンが嫌いなバイエルン。 現在も北部(元・プロイセン)と南部(バイエルン)の仲は微妙らしい。食事スタイルも違えば、言語も微妙に違ってたりする。
でも、地理的にオーストリアと近く、バイエルン王国とハプスブルク帝国のころから、歴史的にも文化的にも所縁が深いせいで、「ベルリンよりウィーンに対抗意識がある」といわれる。

ドイツ人である前にバイエルン人だという意識が強い。 バイエルン人は独自のアイデンティティを有していると州外の者から言われ、彼らも自認しているそうで。
有名どころで、「我々は『バイエルン自由共和国』である」と意識している、というやつですね。

ドイツから独立するのではないかとしばしば言われてたりする。実際に、第一次大戦で敗戦するなり、速攻でバイエルン・レーテ共和国を成立させて独立宣言しようとした。(成立後すぐさま軍の討伐を受けて消滅しているけど)
また、ヒトラー、ナチス党の躍進させることになってしまった事件であるミュンヘン一揆の背景も、バイエルン総督フォン・カールによるヴィッテルスバッハ家復位とバイエルン独立の目論見にあったらしい。


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簡略過ぎるバイエルン王国の流れ。


10世紀に神聖ローマ帝国によってバイエルン大公国(公国)が設けられる。

バイエルンの地は1180年からヴィッテルスバッハ家が治めてきたが、1806年にマクシミリアン1世(バイエルン選帝侯としてはマクシミリアン4世)の時代に神聖ローマ帝国が崩壊すると、近隣の領土を併合した上でナポレオン・ボナパルによって王国に昇格、バイエルン選帝侯の王位を獲得する。ライン同盟の一員となる。
1815年にはプファルツを回収、併合してドイツ連邦に参加。
1872年のドイツ帝国が成立する際にも、王国は維持したまま帝国の1領邦となる。

ドイツが第一次世界大戦に敗れると、混乱の中で勃発したドイツ革命により、1918年にルートヴィヒ3世が退位し、バイエルン王国は滅亡した。

帝国の滅亡までバイエルンは南ドイツの主要な領邦、選帝侯として影響力を保持した。


現在のドイツ連邦共和国の連邦州としてのバイエルン州も、ほぼ旧バイエルン王国の領域を継承している。



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