黄昏にまみえる・2

 

 

 

 スニオン岬の下、波が激しく打ち寄せる窪み。そこにあるのは神話の時代に造られたという岩牢。
 神の力を持ってしか開けることは不可能と言われる場所。入れば、神の許しが出るまで脱出も不可能という。
 神の力を持ってしか出れないのであれば、中に囚人を入れるのも神の力を持ってしなくては無理なのではないのか。
 岩牢の作りが今一つ理解出来ずにデスマスクは首を捻る。
 その岩牢の前へと来ていた。
 引き潮を狙って近づき中を覗き込む。

 カノンの小宇宙の名残を感じる。確かに、カノンはここにいたのだ。
 しかし、今はどこを探してもそのカノンの姿は見えなかった。カノンは、死んだのか? しかし、だとしたら亡骸はどこに?
 腐敗するには早すぎる気もする。脱出不可能というのだから、どこぞに流れ出るということも無理なのだろう。

 カノンは、どこへ。

 岩牢の壁に手を当て、少しでもカノンの小宇宙が追えないかと力を集中してみる。

 カノンのサガに対する怒り、悲しみ、絶望。それを上回るほどの憎しみ、呪詛めいた感情。迫りくる死への恐怖、苦しみ。

 岩牢が残すのは感情の残骸だけだった。

「あんたら、どんな兄弟喧嘩してんだよ…」
 呆れ果て、デスマスクは深々と溜息を澪す。


「デスマスクか。何をしている?」
 岩壁の上から声を掛けられる。
 小宇宙を絶って動いているのか、声を掛けられるまでその存在に気付かなかったデスマスクの肩がびくりと震えた。本気でびびってしまった。
「サ…、あー…教皇様ですか。こんなところまでどうされました?」
 敬語を使っているのにそれが敬った言葉に聞こえないようで、教皇の法衣を纏い、教皇のマスクを被ったサガが僅かに顔を顰めるのが分かる。デスマスクの口調がいちいち嫌味を含んで聞こえるらしい。
 そして、それに対し毎度デスマスクは自意識過剰ですよ、と言ってやり益々サガの眉間の皺を増やすのだ。

「何をしていると聞いたのだが?」
 サガがもう一度問うてきた。
 デスマスクは軽く肩を竦めてみせる。
「見ての通りですけど? 岩牢を覗いてるだけです」
「……。何の為にだ?」
「さあ? 神にしか開けられないという岩牢に興味が沸いたから?」
 質問に疑問系で返すような口調に、サガが明らかに苛立った空気を纏っていく。
 デスマスクは飄々とした動作でもう一度肩を竦める仕草をしてみせるだけだった。
 サガは益々苛立った様子で右腕を振り上げる動作をした。
 内心で「あ、やっべ…」と思いつつもデスマスクはヘラヘラとした笑いを崩さすにいた。これは大技食らうか? とちょっと本気で危惧したが、すぐにそれは回避される。
 サガが頭を押さえ呻き始めたのだ。
「くっ、うぅ…くそぅ…。…はあ、デスマスク、すまん」
「ころころとまあ、忙しいなあんたも」
 黒いオーラを纏うサガを押さえ込み、本来の穏やかなサガに戻ってきたことに、デスマスクは露骨に安堵の表情を見せた。
 それを見てサガも苦笑するしかない。
「デスマスク、本当にすまん…」
「べっつにぃ」
 軽い口調でそう応えながら、デスマスクは崖を上りサガの側へと近付く。

 サガは黙ってその様子を見つめているだけだった。静かにデスマスクとスニオンの岩牢を眺めていた。

「俺の見解を述べようか?」
「なに?」
 サガがようやく傍らに来たデスマスクに視線を向ける。
「カノンの行方」
「……」
 表情が消えるサガから視線を外し、デスマスクは淡々とした口調で続けた。
「岩牢にカノンはいない。小宇宙も名残を感じるだけで本人から発する小宇宙は全く感じられない」
「……」
 サガのこの善悪の人格の分離は、カノンと分かたれてからなのではないのか、デスマスクはそう感じている。サガ本人はシオンから次期教皇がアイオロスだと聞かされてから発現したと思っているようだが、それよりも以前に、カノンとの別離から始まっているように思われた。
 シオンもそう見ているようであったことは、あの黄泉比良坂での会話から伺い知れる。

 カノンさえ見つけられれば、この苦しむサガをどうにかしてやれるのではと思っていたのだが。
 それも徒労に終わるのか。
 結局、手掛かり一つ掴めずにいる。
 サガに気付かれないよう、そっと息を吐き出した。何一つとして上手くいかないものだ。

「カノンの小宇宙が消えた事は、私も感じている」
 俯き、苦しそうに呟くサガ。しかし、デスマスクは軽口を叩くそぶりを止めなかった。
「小宇宙は消えたが、カノンはどこにもいない。死んだなら、遺体が上がるはずだ。何せ、神にしか開けることが出来ない岩牢だからな」
「……」
「しかしだ。俺が知る限り、カノンの魂は黄泉には渡ってないぜ」
「…?」
 サガが驚きの表情を浮かべデスマスクを見つめる。
「カノンは黄泉へは渡ってない」
「どう…いう、ことだ…?」
「さあ? 死んでないんじゃないのか、としか分からねぇな」
「では、カノンはどこへ行ったと…?」
「そこまでは分からねぇけど。この下にあるらしいポセイドン神殿とか?」
「……」
 軽口にサガが微妙な眼差しを向けてくるので、さすがのデスマスクも少し黙る。

「カノン…」

 複雑な感情を浮かべるサガを置いて、デスマスクは「そいじゃ、お先に」と軽く手を振って自宮へと戻ることにした。



 テレポーテーションで十二宮の真下まで一気に戻ると、それから長く続く階段を足早に上り始める。第一の宮である白羊宮を通過しようとした時、幼いが落ち着いた小宇宙を放つムウが待ちかまえていた。
 ムウの師は教皇であったシオンだ。シオンの小宇宙の変化にムウが気付かないはずはないだろう。
 遠からず接触してくるだろうと踏んでいたが、やはり出来れば顔は合わせたくはなかったというのが本音だ。
「めんどくせぇな…」
 小さくごちる。
 光速で駆け抜けるべきだったなと思うが、すでに遅い。

 ムウは今日こそデスマスクを逃がさないという決意でも決めたかのような真剣な面もちで、通路を塞ぐように立っていた。

「デスマスク、教えて下さい。我が師シオンはどうされたのですか? アイオロスが逆賊として討たれた日より、シオンの小宇宙が途絶えたとしか思えないのです。それに、サガの小宇宙も十二宮から感じられない。一体、何があったというのですか? 聖域はどうしたというのですか!?」

 矢継ぎ早にそう質問してくる幼いムウ。

「今、教皇宮にいる教皇を名乗る方は、誰なのです!? とても、シオンの小宇宙とは思えない!」

 それ以上、口を開くな。そうデスマスクは念じる。
 それ以上、こちら側へ踏み込んでくるな。関わるな。
 真相に気付けば、お前を消さなきゃならない。
 シオンの全てを継ぐお前を消すのは惜しい。だから、何も言うな。

 そんな思いは通じるはずもなく、ムウは尚も言い募ろうとする。

「あなたが教皇と共にいるのを、最近よく見かけます。あれは誰――」
 言い終わる前にデスマスクはムウに積尸気を放つ。
「!?」
 驚愕に見開かれるムウの目。
 共に黄泉比良坂に降り立ったデスマスクは、無言のまま小さなムウの体を蹴り飛ばした。
「――ぐぁっ」
 死霊の手が地面を転がるムウの体に絡み付く。ジャミールでよく見た骸骨の化け物とはまったく違う感触にムウは悲鳴を喉元に張り付かせた。
「デスマスク、何を…!」
「知りたけりゃ、俺を倒してみな」
「え?」
「俺を殺してみろよ。できねぇなら、しっぽ巻いてジャミールに帰れ」
「何を言ってるのですか…?」
「お前の察しの通りだ。聖域にシオンはいない」
「!?」
「俺を殺してみろ。そんだけの覚悟と力があればな」
 デスマスクは死霊の手に拘束されたままのムウの体に再び蹴りを入れた。
 蹴り飛ばされたムウの体から死霊の手が離れていく。

「シオンはいないって、どういう意味ですか!?」
「知りたけりゃ、俺を殺せと言っている!」
「なんで! 何でこんなことになるのです! なぜ、あなたを殺さなくてはならないのですか!?」

 痛みか悲しみのせいか、ムウの大きな目から涙がぼたぼたと落ちていく。

「シオンは、死んだとでも…言うのですか!?」

 デスマスクはこれ以上は何も答えない。

 涙を澪しながら、ムウは両腕を振り上げた。
「スターダスト――、!?」
 技が発動する前にまたもムウの動きを死霊たちが封じてくる。
 そのまま見えない波動で吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。目の前にデスマスクがいきなり現れたかと思えば、右腕を掴み持ち上げられ、再び蹴りを入れられた。
 デスマスクもムウと同じくテレポーテションとテレキネシスを使うのだと、今更に思い出させられた。
 ムウは蹴りの入った腹を押さえながら起きあがる。

「聖域で何が起きているというのですか!? あなたなら、何か知っているのでしょう!?」
 必死で問いかけるが、デスマスクは無表情のまま何も言わない。いつもの人を食ったような笑みすら浮かべていない。
「デスマスク!」
 呼びかけても冷たい一瞥があるだけ。

 なぜ声が届かないのかとムウは悲しみに暮れる。どうして、デスマスクは自分の声を聞いてくれないのだ。

 彼はいつも冗談ばかり言っていた。くだらないことで騒いで、その度にシオンから鉄拳を食らわされ、それをサガが宥めて、アイオロスが笑い転げて。そんな当たり前にあったはずの光景が、目の前から霧散していく。

「デスマスク…! どうして!?」

 聖域の死神。死者の魂を操る不気味な存在。冥界に最も近い場所にいる聖闘士。影でそのように呼ばれていた蟹座。
 自分の知っている冗談ばかり言って笑っていたデスマスク。
 どちらが本当の彼だというのか。ムウにはもう何も分からなくなっていた。

「どうして…! どうしてなのですか、デスマスク!?」
 そう叫んだ瞬間、強烈な力で地面に叩きつけられていた。ムウの意識はそこで途切れていた。



 気付けば、ムウは白羊宮の通路で横たわっていた。
 黄泉比良坂には肉体ごと飛ばされていたのか、体のあちこちが痛かった。
 慌てて周囲を見回すも、デスマスクの姿はどこにもない。
 小宇宙を追ってみるが、巨蟹宮にもいないようだった。
「…ふ、うぅ…。ううぅ」
 泣きたくなどないのに、涙が澪れて仕方がなかった。
 どうしたら、いいのだろうか。
 そう思っても、もう誰もムウには教えてくれはしないのだと、思い知らされ打ちのめされる。
 シオンもサガもアイオロスもいない。デスマスクも答えてはくれない。

「わたしは、どうしたらいいのですか、シオン」

 小さな問いかけに、答えてくれるものなど誰もいはしなかった。








 夜遅くに法衣姿のサガがアフロディーテを伴って教皇宮へ続く階段を上ってくるのが見えた。
 黒い方ではなく、いつものサガだと気づきデスマスクは僅かに笑みを浮かべる。
「猊下、随分と遅かったんだな」
 外ではサガとばれない為に「教皇様」もしくは「猊下」と呼ぶようになっていた。
 声のする場所に気付いたサガがこちらを見上げ苦笑している。隣に立つアフロディーテが露骨に呆れた顔をしてくれていた。
 デスマスクは教皇宮の屋根に上り夜空を眺めていたのだ。
「君はいったい何をしているんだい?」
「星を見てた」
「星?」
 呆れた口調のまま問い返すのはアフロディーテで。
「そんなところに上ったやつなど、きっとお前が初めてじゃないのか?」
 とサガがおかしそうに笑う。
「猊下。あなたはデスに甘すぎる」
「ははは。まあ、そう言うな。…それで? デスマスク、星はなんと言っている?」
 その言葉にアフロディーテも「ああ、星見か」と納得した様子だった。とはいえ、教皇宮の屋根の上で見る必要もないだろうに。
「ああー、別に大したことはねぇな。西に微かな災いの兆しありってところか」
「ほう。西か。気を付けておこう」
 そうサガが言い終える前に、デスマスクは屋根から飛び降りた。
 かなりの高さがあるのだが、衝撃もあまり感じさせない動きでアフロディーテは心底呆れ返った声を出してやる。
「君は蟹じゃなくて猿に改名したらどうだい」
「ああ?」
「二人とも止めなさい。体が冷えきる前に中に入ろう」
 口喧嘩を始めそうな二人の間に割って入り、サガはそう促した。
 サガがそういうなら、と二人して口を噤む。




「シュラはどうしてる?」
 人払いをした教皇の私室でデスマスクはアフロディーテに問いかけた。サガがお茶を入れて来ようと言い、奥の部屋へ行ったのを見計らってだ。
 アフロディーテは僅かに憂いた表情を浮かべる。
「あれ以来、一度も笑わなくなった。言葉もほとんど発しない。完全に感情を消し去ってしまったかのような感じだよ」
「…そっか」
 聞いたものの繋ぐ言葉が見つからずに、デスマスクは沈黙する。
 アフロディーテはそんなデスマスクを眺めながら、小さく、だが苦々しい笑みを浮かべるだけだった。

「君の方こそ、何かあったんじゃないのかい? だからあんなところに上ってじっとサガを待っていたんだろ?」

 デスマスクの目が僅かに動き、サガのいる部屋へと向けられる。
 サガは常に小宇宙を絶って動いているので、気配以外には探るのは難しいと言えたが。それでも、まだ奥の部屋から出て来そうにないことを確認すると、ようやく口を開く。

「今日、ムウのやつにシオンについて聞かれた。教皇は誰なんだと、必死に聞いてきやがったよ」
「ムウは聡い子だからね。それにシオンの直弟子だ。教皇がシオンじゃないのかどうかは、すぐに分かるか」
 まずいな…とアフロディーテは呟く。

「目一杯に痛めつけて、ジャミールに帰れって脅しといた」
「君はまたそういう乱暴なことを」
「他に思いつかなかったんだよ」
「ムウは、どう動いてくるかな」
「まだ何の力も持たないガキだ。どうしようもねぇだろ」
「今は、ね」

 あの日から、二人は共犯者という秘密を抱えた。
 全てを知りながら、全てに気付いていながら、それでも守りたいと。サガだけはこんなところで死なせないと。それが二人に共通した思いだった。
 それが聖域に背くことになっても、己の信条に従うことを選んだのだ。いや、己の感情を優先してしまったというべきかもしれない。しかし、二人にはそれ以外に何もなかった。
 今のサガが何を求め、望んでいるのかに気付きながらも。その結果が、サガを悲しませるだけだと分かっていても。それでも譲れないと思ったのだ。
 ただ、シュラは違う。出来れば巻き込みたくはなかった。しかし、シュラは最悪な形で関わってしまっている。
 寡黙だが真摯に生きていたはずのシュラ。それが知らず悪に荷担させられ、その手で英雄を討ってしまったシュラに、何を言えばいいというのだろうか。

 真実を告げる? 隠し通す? 友を欺いて?

 自分たちは、どうすべきなのだろうか。未だ答えは出ないでいる。


「神妙な顔をして、何の話をしている?」
 トレイにティーカップ三つを乗せてサガが戻ってくる。
 無言になった二人の前にカップを並べながら、サガはもう一度視線を向け問うてきた。
 アフロディーテは小さく、しかし美しい笑みを浮かべてみせる。
「サガのいない世界など興味はないって話をしてた」
「あんたがいない聖域に関心も未練もねぇなって」
 二人が揃ってそんなことを言うものだから、サガは困ったような切なげな微苦笑を浮かべるしか出来なかった。


 沈黙のまま、静かに香りの良い紅茶を飲んでいると、十二宮の方からざわめきが聞こえてくることに気付いた。
「なんだ?」
 デスマスクは立ち上がり、窓へと近づく。
 十二宮の一部分がやたらと明るいことに気付く。
 宮の数を数え、それが獅子宮の位置だと判断したデスマスクは、小さく舌打ちをし、身を翻した。
「あいつら…!」
「デス、どうした?」
「リアにまたちょっかい掛けようってアホがいるらしいわ。ちょっと行ってくる」
「それなら私も、」
「お前はサガの側にいろ」
「…了解した」
 そんなやり取りを瞬く間にやってしまい、サガが口を挟む間も無いままにデスマスクは階下へと駆け出して行く。
「お前たち、また危ない真似をする気じゃないだろうな」
 心配げに言うサガにアフロディーテは優しく笑んでみせるだけだった。


 宝瓶宮を走り抜けながら小宇宙を探るが、主のカミュは不在らしかった。今までの彼らの言動から憶測すれば、カミュはミロと共に獅子宮へ赴いているのかもしれない。
 そんなことを考えながら磨羯宮を走り抜けていると、宮の主に呼び止められた。
 逸る気持ちを抑えながらデスマスクは足を止め振り返る。
「どうした?」
「獅子宮に行くだけだ」
 シュラの問いにデスマスクは簡潔すぎる言い方をする。が、シュラはそれだけで事情を察したらしい。
「俺も行こう」
 と共に並び立ち、下の宮へと進もうとした。
「あー、そう。うん、まあ、いいけど…」
「なんだ? 不服か?」
「いや? 心強い限りで」
「……」
 何とも微妙に噛み合ってない会話にシュラは片眉を上げる。
「とりあえず、急ぐぞ」
 茶化す引っかき回すはデスマスクの得意技と判じたのか、シュラはそれ以上の言及を止めた。


 獅子宮の入り口に辿り着けば、煌々と篝火が灯されている。
 こんな夜更けに嫌がらせか、と思いたくなる明るさだ。
 デスマスクが教皇宮ではなく巨蟹宮にいれば、速攻で苦情を言いに乗り込んでいただろうに。

「雑兵風情が黄金聖闘士の宮で何の真似だ?」
 ドスを利かせた声を投げかけてやる。
 入り口を見張ってた雑兵の一人がぎょっとして振り返った。
「デ、デスマスク様! シュラ様!」
 慌てて片膝を付き敬意を示してくる。
「何の真似だと聞いてんだがな?」
 人を食ったような笑みを浮かべ、デスマスクは再度問いかけた。
 片膝を付いたまま兵士は必死に媚びを売るような笑いを浮かべ、弁明を試みようとしていた。が、それを聞き終えることなくデスマスクはその命を刈り取る。
 ごとり、と倒れ伏す男を見向きもしないで、獅子宮へと足を踏み入れた。

 主の許しがなければ入ることは出来ないはずの居住スペースに、幾人もの男たちが入り込んでいるのが目に映る。
 入り口の端に座り込み膝を抱える幼いアイオリアの姿。部屋を荒らす男たちに食って掛かっている蠍座のミロとその傍らに水瓶座のカミュがいた。

「許可なく宮の中まで入り込むとはなぁ」

 幼いとはいえ黄金聖衣を授かった、聖闘士の最上級の位である黄金に対して随分と慣れ慣れしいことだ。
 無言のままに手刀を振りかざそうとしたシュラを制し、デスマスクは無造作に男たちに向けて積尸気を放った。
 唐突に崩れ落ちていく仲間に気付いた残りの男たちが、恐怖に体を竦ませていく。
「ひっ!? 蟹座の死神…」
 小さく漏らされたその言葉にデスマスクの米神がぴくりと振るえる。

―― ほんっとに分相応ってのを知らねぇ連中ばっかだな。

「誰の指示だ? 誰の許可だ? アイオリアの取り調べ、潔白の証明はすでに終わったはずだったが?」
「……、で、ですが…、反逆者の、弟など…」
「雑兵が黄金に楯突くか。いい度胸じゃねぇの。身の程ってのを知ってんだろ? 当然、楯突く以上は殺される覚悟もあんだろ?」
「聖闘士の戦いは常に一対一だ。これは明らかに多勢に無勢。私闘は禁じている。まして、私怨絡みなど言語道断であろう。それらを全て破ったのだな、貴様らは。死罪は覚悟の上での行動とみた」
 デスマスクの言葉に次いでシュラが静かな口調でそう語った。しんっと静まり返る獅子宮。

 すでに押し掛けてきていた雑兵の半数が動かない状態になっていた。

「デスマスク様…! あなたは、こんな反逆者の、肩を持つと言われるので――、」
「身の程をわきまえろって言わなかったか? お前らカスと一緒にしてんじゃねぇよ、クソが」
 反論しかけた男もまた、言葉なく倒れ伏していく。
 見えない力で命を刈り取られていく仲間の姿に震え上がる男たちを眺め、デスマスクは底意地の悪い笑みを浮かべてみせるだけだった。
 そして、残った男たちに立ち去るように指示する。
 デスマスクが反逆罪として全て処分したと、他の仲間に伝えておけ。黄金聖闘士への侮辱は反逆と見なす、とも付け加えて立ち去らせる。

 獅子宮の周囲を見回しシュラが露骨に溜め息を吐いてみせた。
「殺しすぎだお前」
「お前こそ、俺が止めなきゃ、あいつら切り刻んでここを血の海にしてただろうが」
「そんなことは…、」
 そんなことはしないと言い掛けて、確かに己の聖剣と呼ばれる手刀を振るおうとしたことを思い出し、シュラは押し黙った。

「さて、と…。こいつら片付けてくるわ」
 そう言ってデスマスクは倒れ伏した幾人もの雑兵たちを指先を動かしただけで消し去った。
 背後でアイオリア、そしてミロとカミュが息を飲む気配を感じたが気にしないことにした。
「黄泉比良坂というやつか?」
「ああ、そこ通っていった方が近道だ。で、そのまま十二宮の下にでも捨てて来らぁ」
 シュラの問いにぞんざいな口調で答えながら、デスマスクもその場から姿を消し、黄泉比良坂へと下りた。


 翌朝、獅子宮を襲った雑兵たちが青ざめた顔をしながらも生きて訓練を受けている場面に遭遇したミロが素っ頓狂な声を上げていたが、それすらもデスマスクは無視することにした。







 満月が明るく、どうにも寝付けない。
 しばらくシーツの上でごろごろやっていたが、ついには眠るのを諦めた。デスマスクは宮の外へ出て夜風に当たりながらゆっくりと息を吸い込む。少し頭がすっきりしていくような気がした。

 こういう月の夜は黄泉に渡れずにいる霊たちが騒いで堪らない。

「あー、ったく。めんどくせぇな」

 手のひらに軽く力を込め、そこに青白い光を灯す。
 その周りを小さな青白い光たちが集まり漂い始めた。デスマスクの傍らに纏わり付くものたち。時折、顔の形を空中に浮かび上がらせては必死に何かを叫ぶものもいる。
「愚痴なら聞いてやっから、気が済んだらさっさと向こうに渡れよ。輪廻の流れに乗り損ねちまうぞ」
 静かな声で語りかけてやれば、青白い光が柔らかく瞬いた。

 聖域は、見方を変えれば巨大な墓場ともいえた。歴代の聖闘士たちが眠る場所。聖闘士になれないまま志半ばで逝ったものもいただろう。
 名のある聖闘士から名も無き兵士たちまで、アテナの名の下に散っていった多くのものたちが眠る地。
 強固な結界が張られ、外からの侵入は不可能と言われているが、それは逆を言えば聖域から外へ出ることも不可能なのである。
 聖域内を漂う霊たちは外へ出ることも出来ないまま聖域の中をただ漂うしかない。
 聖域と言いながら、悪霊の溜まり場になり得る要素も持っていたりすることを知るものは以外に少ない。

 唯一、冥界と行き来をする蟹座が、たまに巨蟹宮に霊道を作り出してはガス抜きをするかのように、迷い出てきた霊たちを冥界へと送り返しているのである。これも昔から行われていることであるようだった。
 デスマスクも当たり前のようにやっていた。
 というか、やらないとデスマスクの周りは死霊の集まりになってしまうのでやるしかないのだが。
 ちなみに、巨蟹宮の死仮面たちは、聞いてほしいことを吐き出してしまえば勝手に黄泉へと渡れるものたちであるため、デスマスクも好きにさせて放置している。
 面倒くさい、邪気のあるものは、問答無用で黄泉へ送り返す。判断基準はそんなもの。
 巨蟹宮に張り付いている(正確には浮かび上がっている)死仮面たちはよく観察すれば常に違う顔ぶれだったりするのだが、まあ、不気味がって足早に通過する者たちには気付くことはない話しである。

 そんな死仮面たちが一気に騒ぎ立て始めた。
「何だ…?」
 デスマスクを呼んでいるらしい。
 宮の中へと戻れば、死仮面たちが必死に訴えてくる。いや、デスマスクに知らせてくるのだ。

 教皇宮で人が死ぬ、と。

「…!」

 即座にその意味を理解したデスマスクは光速で十二宮を駆け上がった。

 教皇宮の前に辿り付き、守衛たちを下がらせる。完全に人払いをするように言い、教皇の私室へと飛び込んだ。

 ベッドの上で一糸纏わぬ姿で座るサガと、デスマスクと同じくらいの年と思われる裸身の少年の姿が目に入る。

 サガが少年に向けて手刀を放とうとする前に、デスマスクは積尸気冥界波を放つ。
 少年がその場に崩れ落ち、サガの放った波動が壁際の台座を吹き飛ばす。

「無闇に殺すなっつってんだろ! 教皇宮を血で染めるな。あんたの正気を疑われるだけだぞ」
 肩で息をしながら、デスマスクは忌々しそうに吐き捨てた。
「ふんっ、余計な真似を」
 そう唇の端を持ち上げ嫌味な笑いを浮かべるのは、黒い方のサガだ。
「お前もよく殺すではないか」
「黄泉比良坂の入り口に置いてきてるだけだ。生きる意志が強けりゃ還ってくる。弱けりゃ死ぬ。それだけだ」
 デスマスクの答えに、サガは面白くないという顔をしてみせる。
「蟹座は慈悲深いのか残酷なのか分からんな」
「そんなもん知るかよ」
 言いながら、デスマスクは腰に手を当て、盛大に溜息を吐き出した。

 本当に、間一髪だった。

 これまでも、勝手に呼びつけ抱いておきながら、事が終わればその場で首を落として殺す、ということをやってくれているこの黒いサガ。
 なぜ意味なく殺すのかと問えば、顔を見られたのだから処分しただけだ、と答えてくれた。
 その度にデスマスクが呼び出され、死体処理を任される。
「俺は清掃屋じゃねぇぞ」
 何度そう叫びそうになったか。
 しかし、デスマスクを呼びつけるだけまだマシなのだと分かっていた。

 一度、何の気まぐれか、殺しておいて意識を主人格のサガへと引き渡すという真似をやってくれたのである。
 ベッドの上で気が付けば、明らかに自分が殺したのだろうと分かる死体が転がっているのだ。サガの絶望は途方もないものだった。


 最近、サガと会う時間が減ってきている。顔を合わせるのは黒いサガばかりだ。
 意識の主導権が、黒いサガへと傾いているような気がして、デスマスクは泣きたい気分に陥るのだ。

 どうしたら、サガをこちら側へと繋ぎ留めれるのだろうか。

 どうすれば、サガに諦めさせずに生きてもらえるのだろうか。

 そんな思いばかりが思考を占めていた。  



 

 

 

 

 

 




12.9.16
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デスマスクの(ハイテンションな)言動が「ハーデス十二宮編だけではなく、最初から最後まで全てが演技だったら」という解釈から作っていってる話ですね。
まあ、必然的に中心にサガがいますよね。

ディーテのサガ好きとちょっとベクトルが違うデスのサガ好き。

っていうか、むしろ山羊座の扱いに困る気がするんだが。「教皇が悪(シオンではなく黒サガ)だと知らずに荷担してました」な設定になっていってる山羊座。お前は13年間なにを見てたんだ、と問い詰めたくなる山羊座。年中組が出来ないじゃないか。

その3へ