※ 後半ぬるいエロあり。黒サガニ。




黄昏にまみえる・5

 

 

 

 

 

 

 ひとしきり笑ったシュラが沈黙してしまってから、どれくらいの時が経過したのか。
 微かに射し込む光はまだ弱く、部屋は薄暗い。
 シュラは両の手に顔を埋めたまま動かない。
 デスマスクは己の手を上に掲げて眺めてみる。
 シュラと違い傷の少ない手ではある。接近戦よりも遠隔操作による攻撃に重点を置く戦い方をしてきた手だ。
 力はそれなりにあると思う。しかし、サガと同様の最強の位置にいたアイオロスを――彼に戦う意志が無かったとはいえ――瀕死に追い詰めたシュラと同じ程度の力があるのか、と問われれば即答は難しいだろう。
 そもそも、能力、戦闘スタイルが違うのだから比較など意味がないかもしれない。だが、純粋な腕比べなどによる力では、どうだろう。
 少し前までは、模擬戦でシュラやアフロディーテをやり合えば、ほぼ同格だった。
 だが、あれから月日は過ぎ、環境が大きく変わり果て、各々の修練も変わってきた。
 あれから、シュラは驚異的なまでに力を付けている。身に付ける以外に道は無かっただけ、そう本人は言う気がしたが。
 自分は、どうだろう。そうデスマスクは自問する。
 強くなったか? 政務に携わることが多くなって、策略などの頭脳戦は強くなっている。こちらも、知略を身に付ける以外に道はなかっただけではあるが。
 相も変わらず、黒い方のサガにはやられっぱなしで、サガの悲しみを増やし続けている。
 つい先ほども危うく死ぬところだったのだ。
 サガを守るなどと殊勝なことを言ったところで、彼の内に潜むもう一人のサガに勝てないのだから、口先だけと笑われても何も言えないように思えた。

 力が全て、とは言わないが、それでも、力が無くては何も成すことは出来ないのがこの世の仕組みなのだと、身を持って理解させられた日々だ。

「力が、欲しい。強くなりてぇ…」
 ベッドの上で座り込んだまま、デスマスクは半ば無意識に言葉にしていた。視線は何も無いただの壁に向けられている。完全に独り言だった。
 その言葉に、シュラがゆっくりと顔を上げた。不思議そうに、だが静かにデスマスクの姿を見つめてくる。
「強さを求めるのは分かるが、力を欲するのは、何故だ?」
 子供のような、素朴な疑問を何となく口にしているような雰囲気だ。
 強さ、という単語に反応でもしたかと思いデスマスクは小さく苦笑する。それからシュラに視線だけを向ける。
 しかし、デスマスクは口を開かず、しばらくシュラを見つめたまま黙った。


 シュラは、飛んでいた意識が不意に戻ってきたような感覚を味わう。
 かなり頭がぼんやりとしていた。
 数回、瞬きを繰り返し、目の前の、ベッドの上であぐらを掻く銀髪の友の姿をしげしげと眺めてしまった。
 今、自分は、もしかして酷く突っ込んだことを聞いてしまったのだろうか。神妙な顔で考え込むような素振りをするデスマスクを見つめ、そんなことを思う。
 思考が、鈍っている。己の感情すらよく分からない感じだった。
 どうしたのだろうか、自分は。
 シュラは黙ったままのデスマスクを眺めながらそんなことを考える。

 デスマスクの声が、聞こえた。

「力が無けりゃ何もできねぇって分かった。何一つ守れやしねぇ。権力、財力、武力、知力…。力っつても、色んな形あるけどさ」

 無いと何も出来ない、そう繰り返す。

 霞がかっていた頭の中が晴れていくようだった。目が覚めるような気がした。
 これが、この男の答えなのか。

「結局、力が全てなんだよ。正義を唱えようとも力が無けりゃ無意味だ。何も守れない…」
 教皇やアイオロスのように。そう続くかのように感じて、シュラは一瞬、びくりと反応してしまう。背筋を冷たいものが流れ落ちる。
 しかし、デスマスクはそのまま再び黙ってしまった。
 シュラは視線を足下へと落とした。
「力が、全て…か」
 その言葉を小さく繰り返してみる。
 己の口で言葉にした途端に、ずしりと重みを増していく。
 彼らはすでに、答えを出してしまっているのだ。
 シュラ自身の答えは? 答えは出せるのか?

―― 彼らと共に進むか、彼らの前に立ちはだかるか。

 選ぶべき答えは二択しか出てこない。それ以外に、無いということなのか。
 自分は何を望む? どの道を選ぶ? 選びたいと願う?

「一つ、聞いてもいいか?」
 しばらくの沈黙の後、シュラは再び口を開く。
「ん?」
「俺の会ってきたサガは、望んで今の地位にいるようには見えなかった。しかし、教皇の地位を望むような言葉を発するサガも見た…」
「サガは二人いる、とでも思っておけ」
「……」
 それで納得したのかしないのか、シュラは難しい顔で顎に手を当てる。
「何故、あの地位に座るサガを、隠し続けた? この様な怪我を負ってまで、それでも守ろうとするのだ、お前たちは?」
「サガが、大事だったからだって言ったろ」
「ディーテは、そうだと分かる。しかし、お前は、何か違う気がしてならなかった」
「………。さっすが。シュラさんは鋭いねぇ」
「茶化すな」
 強い口調で窘められ、デスマスクは肩を竦める。視線をシュラから外し、カーテンの掛かる窓へと向ける。
「俺が、サガに教皇の座を押し付けたようなもんだから…」
「……お前が? なぜ、そうなる」
「悪意と共に果てようとしたサガを、俺が邪魔した。教皇空位の聖域を理由に、サガを引き留めた。サガを、サガに…教皇の座と聖域の支配を、押し付けたのは、俺だ」
「……お前だけの責ではあるまい。現にサガの教皇としての動きは見事なものだ。サガも教皇として君臨することを望んでいたのではないのか?」
「かもな。でも、サガは…」
「悪意、と言ったな? 今のサガはどちらが正義だと言える?」
「俺らの知ってるサガに決まってんだろ」
「では、あのサガの状況は、どう見ればいいのだ?」
「教皇の座に座るサガに、サガは人質に取られてるようなもんだとでも、思っとけ」
「…なんだ、その例えは…」
 煙に巻くような物言いしかしないデスマスクに、シュラは呆れた溜息を澪した。

 彼らを放ってはおけない。

 今の自分に出せる答えは、これしかなかった。
 正義の定義など、今の自分にはまだ分からない。己の中の正しいと思えることに従うしかないと思えた。

―― 俺はただ、友を守りたい。

 サガに従い守ろうとする彼らを、守ろう。それが、今シュラに出せる最善と思える答えだった。








「修行地に戻っている者もいるとはいえ、空いていた十二宮の主が全て揃ったのか」
「ムウ、アルデバラン、アイオリア、シャカ、ミロ、カミュ。俺らより年下だが、確実に力はあるな。シャカなんか末恐ろしいぞ、あのガキ」
「ムウはジャミールに戻ったままだと言ったな?」
「デスが追いやった」
「仕方ねぇだろ! 他にどうしようもなかったんだよ!」
「カミュやシャカも修行地と聖域を行ったり来たりしているようだな」
「黄金聖衣を授かったとはいえ、まだガキだし、いろいろ修行中だからな」
「それに比べると、ミロとアイオリアは生粋の聖域っ子って感じだね」
「なんだその、聖域っ子って」
「聖域で修行しながら育ってる印象強いし、生粋の箱入りみたいな?」
「疑問系で返すな」
「聖域っ子…くっ…くくくっ」
「おい。なんかツボに填ってるやつがいるぞ」
「私は真面目に話してるのに。駄洒落なんか言った覚えはないぞ」
「聖域っ子とは…! その発想はなかった…!」
「何が面白いんだよ? お前の笑いのツボが分からん」

 教皇宮の政務室で早急に必要と思われる案件を纏めながら、デスマスク、アフロディーテ、シュラの三人は現状の確認をしていた。
 射手座を除く全ての黄金聖衣の所持者が揃ったのだ。表向きは双子座のサガは失踪中だが、実質には教皇の座に存在している。聖衣は双児宮に保管されたまま。
 射手座の聖衣だけが、今なお行方不明だったが、おそらく時期がくれば表舞台に出て来るのだろうとデスマスクは踏んでいる。
 意志を持つと言われる聖衣だ。時がくれば必然的に姿を表すはずだ。
 自分たちの前にか、聖戦が訪れた時にかは分からないが。

「さて、黄金も揃ってきたわけだけど。教皇はどう動くのかな?」
「サガは、アイオリアとミロを守って欲しいと言ってたな」
「やっぱり、あの二人が一番気に掛かってるか」
「うむ。確かに一番危なっかしく見えるのは、その二人かもな」
「守れってのは、教皇からなのか、外部からなのか…」
「どっちもじゃね?」

 アフロディーテは少し考えるような仕草を取る。
「サガは、最近どうだい?」
 その問いにデスマスクは一瞬の間を空け、そして口を開く。慎重に考えながら言葉を発している風である。
「主導権は変わらず黒い方にあるな。サガの力が押さえ込まれ気味だ」
「そう…か」
「……」
 サガに会いたいな、そうアフロディーテが呟く。シュラは僅かに表情を動かす。
 純粋なまでの真っ直ぐな思いが、少しばかり眩しく感じたのだ。






 月がいつもより大きく見える夜のことだ。
 世間では、スーパームーンが見れる貴重な夜だと騒がれていたが、聖域に生きるものには、あまり関係しなかった。  月が及ぼす影響には関心はあったが、珍しい現象などには関心は薄い。
 それでも、満月の空を見上げれば感嘆の声が漏れてしまうもの。
「でっけぇ月…」
 デスマスクは心持ち愉快そうに声を出していた。
 己の宮を抜け、教皇の間へと赴いている最中である。
 寝ようとベッドへと潜り込もうとした瞬間に感じ取った教皇の禍々しい小宇宙。
 また連れ込みやがったか、と思わず舌打ちをしてしまった。そして、デスマスクは手遅れになる前にと教皇の元へと急ぐことを選んだのだ。

 教皇の私室へ入るも不在。となれば、浴室か、と見当をつけそちらへと足を向ける。
「いい加減にしろよ、この色ボケが」
 裸身の少年が広い浴室の床に横たわっている。意識はあるようだ。まだ、命は取られていない。
 つまり、情事の最中ということである。
「私が何をしようと勝手」
 突然の乱入に、黒いサガが迷惑そうな顔をした。デスマスクは一層苛立ってきた。
「ああ、勝手だよ! だが、問題はその後だ、その後! そのガキをどうする!?」
「ガキとはまた。お前と同じ年くらいだろう」
「俺の年なんざどうでもいいわ!」
「うるさい蟹め」
「あああ!?」
「終われば捨てるだけよ。顔を見たものは処分する。今まで通りにな」
 ガンッとデスマスクの拳が浴室の壁を抉る。
 愉快そうにサガは笑った。
「この者が死のうが生きようがお前には関係のないこと」
「ああ、俺には関係ないね! だが、サガには大有りだ! お前の所業をサガにまで押し付けんな!」
「本当にうるさい蟹だ」
 興ざめしたというように、黒いサガは腕を振る。
 横たわっていた少年が起き上がり、ふらふらと浴室の外へと出て行った。
「……何をした?」
「魔皇拳で記憶を消してやっただけよ。宮の外へ出れば全て忘れる」
「――…」
 デスマスクは殊更ゆっくりと息を吐き出した。
 記憶の操作。出来るにも関わらず、サガを追い詰めることを楽しむように、己と関わりを持った者を殺していくこの黒いサガ。
 どういう心境の変わりだろうか、とは思うが、今はサガの負担を回避出来たことに安堵しきっていた。

「殺さずにいてやったのだ。この埋め合わせはお前がしてくれるのであろう?」
「――!?」
 いきなり目の前にサガの手が見えた。そのまま壁に押さえつけられる。
「何を!?」
「お前も随分と良い体つきをするようになってきたな」
「……」
 ようやく言われていることの意味を悟り、デスマスクは歯噛みをする。しかし、それで済むのであれば安いものだと、思考を切り替えた。
「ふぅん? 俺に興味あり?」
 わざと嫌みたらしく言い、値踏みするように視線を投げつける。
「ほう? 怯えるどころか、私を誘うか」
 ますますサガの笑みが深くなる。
「俺は高いぜ?」
「面白い。要求はなんだ?」
 デスマスクは数瞬だけ考えかけ、すぐに止めた。
「俺を抱きたいなら、俺以外を抱くな」
「ほう? 誠に面白いことを言う」
 押さえつけていた腕が一度退き、再び形を変えて押さえつけてきた。
 デスマスクの纏う夜着を切り裂き、両の腕を纏めて後ろ手に縛り付けてくる。そのまま冷たい床に転がされた。
「ああああああ! いちいち服破んなよな! 俺の服!」
「うるさい」
「弁償しろ弁償!」
「全て聖域よりの支給品だろうが」
「経費節約っつって、なかなか新しいのくれないんだよ!」
「お前、自分の置かれている状況を理解しているか?」
 呆れた色を含み始めるサガの声。
 しかし、デスマスクには服の方が重大だった。帰りどうするんだよ、である。
 サガは盛大に笑い声を上げる。久しぶりに愉快なものを見たという風体だった。
「よかろう。しばらくはお前で遊ぶとしようか? 従順なくせに言うことを聞かぬ僕よ」
「………」
 仰向けられ、上に伸し掛かるサガをデスマスクは静かな目で見上げていた。
 サガは、この状況を嘆くだろうか。
 脳裏をよぎるのはそれだけだった。己の体に起きるだろう出来事にはあまり頓着はなかった。





 黒いサガの抱き方は意外にも静かだった。
 デスマスク相手だけに乱雑な扱いをするかと思いきや、気持ち悪いくらいに丁寧に扱って来る。
 腕が痛いと訴えれば、容易く束縛を解く。
 柔らかく口付けられ、漆黒に染まったサガの髪がデスマスクの頬を掠めていった。
「しつけぇ、な…。もう、さっさと…しろよ…いいから」
 上がる息が熱い。もうずっと、同じ箇所を丹念に解しに掛かっているサガ。デスマスクは何度も「しつこい!」と声を上げるが無視されている。
「情緒の無いことを言う」
 サガは愉快そうに笑い出す。今まで反抗や抵抗をしてきたものなどいないのだ。皆、恍惚として従順だった。皆が同じ反応で飽きてきていたところだという。
「教皇様が相手じゃな、恍惚にもなろうさ」
「お前は命令には従うが、私の思いには一切従わんな」
「従がって、んじゃん…。ぅううん! ちょ、本当に、あんた、いい加減にしろって…」
「命令のみで、後は私が何を言おうが聞き入れぬではないか」
 サガの指が大きく動く。デスマスクは身体を仰け反らして沸き上がる衝動を何とか流そうとした。
「サガの…、言うことなら、聞くぜ?」
 この状況でも、強気な態度を止めないデスマスク。
 黒いサガは浮かべていた笑みを歪めた。
「そんなにサガが大事か。私もサガであるのだがな」
「知ってる。だが、あんたはサガの中にいる別人格だ。むしろ、あんたのその性格って―――に近い気がする…ぜ?」
 掠れた声で囁くデスマスクの言葉に、サガの笑いが禍々しいものに変わった。
 一気にサガの熱がデスマスクを貫き、激しく叩き付けてくる。
「あ、がぁ…! ぐうぅぅ。い、ってぇぇ」
 そのまま、一瞬だけサガから力が抜けた。その一瞬で、全ての気配が変わってしまった。

「!?」

 デスマスクは驚愕に目を見開く。

「くそっ…。あの野郎…マジでか」
 目の前にいるサガは、愕然とした面もちで己が組みしくデスマスクの身体を見下ろしていた。
「デス…?」
「サガ。あー、もうさ、ついでに最後までやってくんね?」
 開き直るにも程があるが、サガは呆然自失といった状態で微動だにしない。デスマスクの中にある熱は、固さを失いつつある。
 最中に、主人各であるサガを表に押し出してくれたのだ、あの黒いサガは。デスマスクとサガに対する嫌味か遊び心なのか。
 あの黒いサガが、確実に楽しんでやっていることは分かるような気がした。
「デス…。私は…」
 デスマスクはサガが何かを言おうとするのを塞ぐように、その身体を抱き締めた。
「サガ。無事か?」
「それをお前がいうのか? 私に組み敷かれているお前が」
 嘆いていいのかどうしていいのか分からないのだろう、サガは完全に困惑していた。死体が転がってないだけマシというだけだ。
「俺を気にしてくれるなら、このまま何とかしてくんね? 一回くらい出したいんだけど」
 呆れたように、サガが小さく吹き出す。
「本当に、お前は…」
 デスマスクはサガの青銀の髪を掻き上げる。そのまま頬を寄せ、そっと口付けをした。
「サガ。このまま、最後まで…。中途半端に放置されんのって、けっこうきついんだよ」
 サガは完全に笑い出していた。
「本当にお前は。どうして、いつもそうしていられるんだ」
 おかしそうに、悲しそうに、サガは笑っていた。



 神の化身。
 そう称されるだけはあるよなぁ、とデスマスクはサガを見上げながら考える。
 綺麗。麗しい。美しい。
 男相手には、どの表現があっているのだろうか。
 優しい快楽に身を寄せながら、非常にどうでもいいことを考えていた。





「あー、背中いてぇ」
 結局、最後まで浴室でしていたため、デスマスクは堅いタイルの床の上でずっと横になっていたのである。貫かれた後孔よりも背中の方が痛くて仕方がなかった。
「すまない。私も寝室へ行くことに考えが及ばなかった」
「俺も全くその発想しなかったから、別に気にしないでくれ。背中が痛いだけだから」
「だから、その原因は私に…」
 暖かい湯の張られた広い浴槽内に二人して浸かっている。サガはそっとデスマスクの背中を撫でた。申し訳なさそうに。
「サガとやんのも悪くねぇし。謝んないでくれる?」
「デス…。お前は…」
「俺以外を抱くなっつってやったから、当分サガも俺で諦めてくれよ」
 サガは苦笑しながらも優しくデスマスクの身体を引き寄せ、その腕の中に抱き締めた。
「あー、でも、ディーテが怒り狂うな」
 おかしそうにデスマスクは言って笑う。
「たぶん、その内ディーテも混じりそうだけど、サガは大丈夫か?」
「………」
 ちょっとどころか、かなり頭がくらくらしてきたように、サガは顔を覆ってしまった。

 そして、その内どころか「その時」は速攻で訪れてしまい、サガは益々顔を覆ってしまうことになる。

「デスマスク! サガ! なんだ、この小宇宙の乱れ方は!? 何をした!?」
 もの凄い勢いでアフロディーテが教皇の間の浴室に乗り込んで来るのに、そう時間は掛からなかった。
 湯から上がることなく、デスマスクが事の成り行きを適当に話せば、アフロディーテは低く唸ってしまった。
 二人仲良く湯に浸かる姿を睨むようにして見つめながらも、デスマスクを一方的に責め立てる気にはなれなかったらしく、その代わりにというように提案を持ちかける。

「分かった。私も宣言しよう! 部外者を連れ込むくらいなら、今後は私かデスを連れ込むように!」

 サガは完全に湯の中に顔を沈めてしまった。







「なあ、サガ。スニオン岬で話したこと覚えてるか?」
「スニオン?」
「カノンの所在について」
「……ああ。覚えているな、そのことなら」
「カノン? って誰だい?」
「サガの双子の片割れ。弟だ」
「え?」
 サガの髪に櫛を通していたアフロディーテの手が驚きに止まる。
 サガはそのアフロディーテの手に手を重ね、隠していてすまない、と小さく詫びた。
「いや、構わない。聖域のことだ、隠す必要性があったのだろう? 私のことは気にしないくれ、サガ」
 アフロディーテはサガの髪に櫛を通す作業を再開しながら、小さく呟く。
「聖衣を賜った時に、話には聞いていた気がするが。本当に双子座は双子だったのだな…」
 サガは申し訳なさそうに小さく笑んでいた。

 真新しいシーツの敷かれたベッドの上で、バスローブに身を包んだサガは上半身をクッションに凭れさせ足を伸ばし座っている。そのサガの太腿に頭を乗せて寝転がるのはデスマスクで、サガの後ろに座り込みアフロディーテはそのサガの髪を櫛で丁寧に梳いていた。
 デスマスクは腕を伸ばしサガの頬に触れる。
「俺、言ったよな? カノンは黄泉には渡ってないって」
「…ああ、そう聞いたな」
「カノンは、死んでない。だから、あんたがカノンになろうとするな」
「…? どういう、ことだ?」
 頬を撫でるデスマスクの手を、サガは思わず掴んでいた。
 デスマスクは自分の手を掴むサガの手を引き寄せ、軽く口付ける。
「あんたは、光だ。強すぎる光だった。逆にカノンは文字通りあんたの影だったんだよ。あんたの光が作り出す濃い闇を引き受けていたんだカノンは。あんたたち二人は、きっとそれでバランスを保っていたいたんだと思う」
 サガの目が大きく見開かれていた。呆然とデスマスクを見つめている。アフロディーテは静かに事の成り行きを見守っていた。
「シオンが、サガからカノンを引き離すなって、最後まで言ってた理由がやっと理解出来た気がしたよ」
「どういう意味だ、デスマスク!」
 サガは、寝転がったまましゃべり続けるデスマスクの腕を引き寄せていた。デスマスクは引きずられるようにして、上半身を起こさせる。
「さっき、黒い方のサガとじっくりと対峙してみて気付いた」
「だから、何にだ!?」
 そう問いながらも、サガはもうデスマスクが言おうとしていることに気付いているのかもしれなかった。
 声が、僅かに震えている。
「もう一人の、黒い髪のサガは、あのサガの性格は、カノンにそっくりだった。ガキの頃のカノンにだ。まあ、カノンはあそこまで残忍でもなかったように思うがな」
「あれが、カノンだと!? 私の中にカノンが、いるだと?」
「あんたが自分でカノンを作り出したんだよ。本物のカノンじゃなく、あんたのイメージするカノンを。切り捨てた闇を引き受けてくれる存在として、あんたが作り出したカノンもどきだ」
 デスマスクの腕を掴むサガの力が強くなる。無意識なのだろうが、骨が軋む音が聞こえてきそうで、デスマスクは顔を顰めた。
「私が切り捨てた闇だと?」
「サガ、あんたは光で有り続けようとし過ぎてたんじゃないのか?」
「私が、カノンを…切り捨てた? 私が…?」
「サガ? サガ!」
 頭を抱え込むようにして、サガは低く呻く。受け入れたくはなかった現実。
 否定し続けた現実。
 どれだけデスマスクが名を呼び問いかけようと、今のサガにはすでに聞こえていない。
「サガ、しっかりしろよ! サ、ガ? ぐっぅう…」
「サガ、落ち着いて! サガ!? サガ、止めてください!」
 突然のことに、アフロディーテも悲鳴じみた声を上げてしまう。
 サガの手が、デスマスクの首へと掛かる。あの日、アイオロスが追われたあの日、デスマスクの首を締めてきたのは黒い髪のサガだった。しかし、今、デスマスクの首を締め付けてくるのは、青銀の髪を持つ、デスマスクたちのよく知るサガである。
 怒りと恐怖に支配されたサガ。
 デスマスクは己の首を締め付けてくるサガの手をそっと撫でた。息苦しい中でも、口元に笑みを浮かべてみせる。
 優しい感触に、サガの手がびくりと震えた。
「俺を、殺す…の?」
「……!?」
 サガの手から力が抜け落ち、デスマスクの首から離れていく。
「デス! デスマスク!!」
 名を叫びながら、サガは愕然と己の両の手を見つめている。
 デスマスクは静かにサガの体を抱き締めた。
 本当にしょうがねぇな、この人は。
 そう、心内で呟きながら。



 泣き崩れるサガをアフロディーテと二人掛かりで宥めながら、デスマスクは話し続けた。
「カノンはちゃんといる。カノンはカノンとして存在してんだよ。だから、あんたがカノンを作り出す必要なんかないんだ。カノンの存在を否定しちゃ駄目なんだ」
 今度はサガはアフロディーテに抱き込まれたまま、静かに聞いていた。
「サガ。あんたはサガであって、カノンじゃない。サガで有り続けてくれ」
 デスマスクは必死だった。理屈がおかしかろうが、どうでもよかった。サガの意識をこちら側に繋ぎ留めることが出来るなら、何でもするつもりだった。
 サガの小さな呟きが、澪れ落ちていく。
「私の中にも悪がいる。私こそが悪そのものだと、カノンは言ってたな。カノンは…間違ってはいなかった訳か」
 それは、酷く悲しいまでに己を嘲け笑うような声だった。






 黒髪のサガからの呼びつけは、次の日から始まった。
 深夜に教皇の私室に呼ばれ、ベッドへと放り込まれる。
 何が気に食わないのか、両腕を上に伸ばされ縛り付けられる。いきなり殴られた。
 反抗すれば首を締め付けられた。 
 黒髪のサガは歪んだ笑みでデスマスクを虐げる。
「お前は実におもしろい。本当に、いつも最高のタイミングで最後の止めを刺してくれるな。昨夜を境にまたあやつの気配が沈んだわ。私の行動を諫めもせん」
「!?」
 愕然とデスマスクは目を見開いて固まってしまった。

 また?
 また、俺のせい? 俺は、また間違えた?
 なんで?
 慎重に考え選んで行動を起こしてたはずなのに。なんで!?

 デスマスクの体から力が抜け落ちていく。
 サガを、守りたいだけなのに。全てが逆効果を発揮し続ける。
「俺…サガの側にいちゃいけないのかな…」
 小さく呟きが漏れる。脱力し、絶望がちらつく。
 どうしたら、いいというのか。

 サガ。サガ!
 お願いだ、俺を置いていかないでくれ。
 心の内で叫びを上げる。

 命を刈り取る力を持ったデスマスクに、優しく笑い掛けてくれた幼い日が脳裏をよぎる。

―― デスマスクを作る目的の一つは、死者を悼み忘れない為なんだよ。

―― 優しい子だ。強くて優しい子だよ。

 優しいのはあんただよ。

 力の制御を覚えたのはサガの言葉が発端だった。
 サガがいたから、生きて来られた。
 サガ。もう一度、話をさせてくれ。サガ! あんたに会いたいんだ。

「ちくしょう。諦めて堪るかよ」
 黒髪のサガの戯れ言などに、惑わされるものか。
 あんたを倒してやる。
 思考を昔に戻したことで、デスマスクはゆっくりと己を取り戻していった。動揺なんかしてる暇は無い。
 このサガを出し抜いてやる。
 自分の体を押さえつけて来るサガに向かって、デスマスクはゆったりと笑んでみせた。
「何を焦ってんだよ? そんなに、カノンにそっくりだって言われたのが腹立った? あんたが作り物だって言われてると思った?」
 サガが拳を振るう。しかし、体を捻り躱してやった。
「急に元気になったな。そうでなくては、面白くない。威勢がよくなくてはな。また適当な者を連れ込んでやるところであったわ」
「俺以外は抱くなって言ってんだろうが」
「では、私を飽きさせぬよう、楽しませてみよ」
 相変わらずの上から目線に、デスマスクは落ち着いて笑い返す。
「仰せのままに。教皇様」


 それから、デスマスクは夜毎に教皇宮にその身を沈めた。
 教皇の気の済むまま、お好みに合わせて怯えや道化を演じてやった。
 サガが表に出て来た時には、アフロディーテを呼び傍らにいさせた。
 サガを一人にしないように、今まで以上に神経を張り巡らせ続けたのだ。








 聡いカミュとシャカが色々と気付き始め、不安を抱え込み出していることに、シュラやデスマスクたちが気付くのは簡単なことだった。
 三人の間で、ムウ同様に聖域から離した方がいいのでは、そういう提案が上がるのも時間の問題だった。
 それから程なくして、デスマスクとアフロディーテは教皇に進言すべく、謁見を求める。
 この二人相手だと許可は簡単に下りた。

 教皇の間で、二人は玉座に座る教皇を眺めやる。
 小宇宙は押さえこまれ、外部の者にサガだと悟らせないのは相変わらずだ。
 教皇は静かに二人の言葉を聞いていた。しばらく考え込むような仕草をする。
「カミュとシャカには弟子を取らせるべきだと?」
 教皇の問いにアフロディーテは静かに頷いた。
「現在、今までになく聖闘士候補が相次いでいます。カミュとシャカは若年ながら才に溢れ指導者としても秀でていると思われます。あの才能を使わぬのは惜しいことかと」
 教皇はしばらくの間アフロディーテとデスマスクを凝視する。
 マスクの下の表情は伺えない。

「そうか。そうだな。では、早急に手配をさせるか」

 その静かな声からは、どちらのサガなのか判断が付かなかった。




 カミュとシャカが弟子の育成の為に聖域を離れた後、デスマスクが教皇に呼び出された。
 何事かと僅かに警戒するデスマスクに、教皇は「ただの仕事だ」と言い放つ。
「シチリア島のエトナ山に封じられているという髪の毛座(コーマ)の聖衣を探しだせ。我が野望に役立ちそうだ」
 そう教皇は言った。
 しかも、ただ探しに行くのではなく、シチリアで髪の毛座の聖衣を使える聖闘士を育てよ、と付け足して。
「俺に、弟子を取れと?」
 呆気に取られたようにデスマスクは呟く。
「俺に聖域を離れろと言うのか?」
「そう聞こえなかったか?」
「ふざけるな! あんたの相手が出来るのは――、」
「アフロディーテとシュラがおろう。あれもなかなか使える。安心してシチリアへ発て」
「弟子の育成なんざ、何年掛かると思ってんだよ!?」
 使い物にならなくなるパターンでも早くて二年から三年。通常で六年。そんなところだろうか。
 言い募るデスマスクを教皇は静かに一蹴する。
「勅命である。任務を遂行せよ」
 返す言葉も無くし、呆然と、デスマスクは玉座に座る教皇を見つめるしかなかった。

 この判断を下したのは、どちらのサガなのだろうか。それがひどく気に掛かった。













--------------------------------
12.12.3


サガの世界って狭いと思うんですよね。デスやシュラの方が外に出てて世界は広いと思う。
サガの言う「悪」のイメージって、「悪=カノン」という単純なものだったりしたのかなぁとか、ちょっと思った。

デスを正当化しようと思って始めたこの話ですが、そうする為にはサガ大好きっ子にするしか浮かばなかったんですよ。しかし、ちょっとサガ大好きっぷりにも程があるだろうな感じになってきたね。

相変わらず、出て来ないのにカノンカノン言っててすみません。
この話ではエロな描写は避けるつもりだったのに、黒サガさんにエロ抜きは無理だった。

その6へ