※ ギガマキの盟の設定ネタバレ全開です。(ストーリーのネタバレはないけど。ストーリーはほぼ瞬が主役な話でした)
  ご注意を。




黄昏にまみえる・6

 

 

 

 

 街頭のテレビが事件の続報を伝え続けている。
 大きな駅で起きた爆弾テロの犠牲者の名前を読み上げる。続け様に起きているテロについてニュースは伝え続けていた。

 少年は若い女性に手を引かれながら街を歩いていた。
 女性が街頭のテレビを横目に見ながら「怖いわね」と呟く。
 色鮮やかなドレスが飾られたショーウィンドウの前を通っている時、ズドンっと腹に響くような地鳴りに似た衝撃音が響いた。
 途端に広がる悲鳴。
 熱さを伴った風が押し寄せてくる。女性は少年を抱きかかえ、そのまま横倒しになった。
 数台の黒塗りの車が通りを通過し、その内の一台が少年のいる付近で停まった。
 助手席側の窓が開き、黒く細い筒が見えた。銃口だと気付いた時には耳をつんざくようなけたたましい音が炸裂する。
 サブマシンガンが右に左にと動き回り、辺り構わずに銃撃が行われた。

 誰かが叫ぶ声が聞こえる。
「南はお荷物だ、北の独立を!」
「やつらに制裁を加えるべきだ!」

 叫けばれる言葉の意味は少年にはまだ理解など出来るはずもなく。
 ただ、北と南は今仲が悪いということは何となく分かる程度だ。何が南で何が北なのか分からなくとも。
 少年が生きていた町は北と南に分けるのであれば、南側だった。地中海一大きな島と呼ばれるところだった。
 北と南の主張のどちらが正しいのかなど分かるわけもない。都市国家意識が産み落とした確執の裏でマフィアが暗躍し、抗争は過激の一途を辿っていることなど、少年が知る術もなかった。
 少年はまだまだ幼い子供だった。
 まだ大人の保護下で生きるしかない幼少といえる年だった。

 気付けば、横たわる少年を抱きしめていた女性の背中から、べっとりとした赤い液体が流れ落ちていた。
 女性はしっかりと少年を抱き込んだまま固まっていた。守ろうとしてくれていたのだろうか。
 限られた動きの中で視線を動かせば、至る所に血塗れの人間が転がっていた。周囲は呻き声に満ちていた。
 少年のいる通りの向かい側では、いきなりの銃撃戦でパニックになる街人たちが右往左往している。
 そんな光景を僅かな視界から眺めながら、少年は不意に脇腹が熱いことに気付く。
 それが女性を貫通し少年をも貫いた銃弾だと知るのは先の話だった。
 今はただ、熱い脇腹とそこから流れ出るのが自分の血なのだと理解するのがやっとだった。

 熱い。痛い。痛い痛い痛い痛い。

 重く伸し掛かる女性の肩越しに、再び銃口が見えた。
 拳銃とサブマシンガン。数が増えていた。
 耳をつんざくような衝撃音が再び響き渡る。
 少年は声にならない悲鳴を上げた。

―― 殺さないで! 殺さないで! お願い、殺さないで!

 ただ必死に悲鳴を上げ続けた。

 お願い、殺さないで!

 記憶はそこで途切れる。








 少年の次の記憶は、瓦礫で溢れた壊れた街並の中で生きていたことから始まる。
 この街がどこなのか、自分が誰なのか、よく分からなかった。
 あの時、少年を抱き締めたまま固まっていった女性が誰なのかも分からないままだった。ただ、自分を守ろうとしてくれたらしい、それだけは理解出来ていた。
 色んな声が聞こえてくる。頭の中へと直接聞こえてくるのである。
「うるさい! 黙れ!」
 耳を塞ぎそう叫んでも、声は途切れることなく好き勝手に叫び、そして語りかけてくる。

 しかし、いつしか、そんな状況にも慣れていった。
 感覚が麻痺していっていただけかもしれないが、その状況に驚くことも慌てることもなくなっていった。
 荒廃した街には、少年以外に生きた人間はいなかった。
 壁に凭れ掛かり空腹を満たす方法を考えていると、その壁に白い顔が浮かび上がる。幼い子供の顔のように見えた。
 驚きもせずに横目で眺め遣ると、その顔は「寒い。寒い。寒い。寒い」と繰り返すだけだった。
 ただそう訴えるだけ訴えると、顔は消えていった。
 今度は反対側の壁に顔が浮かび上がる。
「向こうの通りの納屋に、食料が残っておりそうだ」
 ご丁寧に情報をもたらしてくれるのは、老人と思える顔。
「あ、そ。そりゃどうも…」
 少年は体を起こす。
 顔が教えてくれた情報に従い、移動を試みる。

 言われた納屋に行ってみれば、有り難いことに保存食と呼ばれる腐りにくい食材が保管されていた。
「これで、しばらく食えるかなぁ」
 干し肉を噛み千切りながらぼんやりと呟く。
 傍らに顔が浮かび上がり「いいなぁ。旨い? 旨い?」と聞いてくるのは、少年と同じ年くらいの子供のものだった。
「味はあんましねぇな。不味いってまではいかねぇけど」
「いいなぁ。いいなぁ」
「お前ら食えねぇじゃん」
「いいなぁ。だから、いいなぁって」
「死んでんだから諦めな」
 カラリと笑って少年は傍らの顔に向かって言う。
 顔は「いいなぁ」と羨ましそうに呟きながら消えていった。
「とりあえずの飯もあるし、寝床も探す手間省けたな」
 しばらくは、その納屋を拠点に少年は生活をすることにした。食材が尽きれば、また移動を考えればいいか、とそんな程度だった。




 そこは、一日にして全ての住民が死亡、または失踪している謎の現象に襲われた町として一部で話題に登り初めていた。
 何があったのか。
 州警察は捜査に乗り出すが、手掛かりとなるものは見つけられずに難航していく。
 事件、自然現象、集団自殺、集団失踪、あらゆる憶測が飛び交った。

 しかし、噂は怖いもの知らずの観光客を呼び寄せる。肝試し紛いの若者も多かった。
 銀灰色の髪に赤みかかった瞳を持つ少年。しかし、訪れる者は金髪であったり、黒髪であったり、焦げ茶色の髪であったりして、少年に僅かな好奇心を抱かせてしまった。
 自分と違うけど、これも人なのか、と。

 小さな子供の存在に気付いた肝試しの若者たちは、幽霊じゃないのか、そんなことを言って盛り上がった。
 少年のいる場所には必ず現れる白い仮面。
 何のマジックだ? それはなんだ?  どうやって、そのデスマスクを浮かせているんだ?
 そう質問してくる若者たちに、少年は小首を傾げた。
 デスマスク? 死仮面ってこいつらのことなのか?  こいつらは死仮面なのか?
「さて、我らは死人。死仮面と言われればそうやもしれんなぁ」
 老人の顔は暢気にそう宣う。

 ただのマジック、幻だと思っていた若者の一人が自ら「デスマスク」と呼んだ顔に触れてきた。
 ただの幻、マジックだと思ってたいたのに、それは半端に柔らかく、半端に堅い。
 人の死肉の感触だと理解したのかどうか。

 予測しえなかった感触。言い知れぬ恐怖に一人が絶叫を放った。
 正体の分からぬ恐怖は伝染する。肝試しに来ていた若者たちは半狂乱で逃げまどった。
 少年は、なんだこいつらダセぇの、そう思っただけだった。

 少年を指さし、「maschera di morte!」「dio della morte!」と聞きなれたイタリアの言葉で叫び悲鳴を上げる若者たち。
「死仮面? 死神? …俺が?」
 俺が、死神?  どういう意味なのだろうか?
 素朴な疑問は、されど昏い感情を肥大させていくのに十分ではあった。



 噂は驚きの広がり方をしていった。
 マスメディアが取り上げるようになるのに、時間は掛からなかった。
 少年は、隠れるように息を潜めてその集団をやり過ごした。
 しかし、深夜ロケをしていた男に遭遇し、騒がれた。
 苛立ちが限界に達していた少年は、感情を爆発させる。
 目の前で騒いでいた男が倒れるのを、少年は愕然として見つめた。

 今、俺は何をした? 俺がやったのか?

 両手を見つめる。
 何が起きたのかさっぱり理解出来なかった。

 仲間が倒れる姿に気付いた他の人間たちが集まって来る。騒ぐ。少年を指さし、怒鳴り、悲鳴を上げる。
 少年は頭を抱え込み、絶叫した。

―― うるさい、うるさい、うるさい!

 それだけだった。それだけだったのだ。
 少年を取り囲むようにしていた男たちがバタバタと倒れていく。恐る恐る倒れた一人の首筋に手を当てれば、脈はなかった。口元を確かめても呼吸は感じられなかった。他の人間たちも同じだった。

 皆、死んでいた。

 外傷も苦しんだ形跡も無いまま、死んでいた。


 記憶が繋がる。
 押し込めていた記憶が表面に浮かんでくる。

 ああ、あの時も、俺が殺したんだ。

 俺が、殺したんだ。

 銃口を向けられ、必死に声にならない叫びを上げたあの時、感情が爆発した瞬間、全てが終わっていた。
 一瞬で一つの町が静まり返っていた。
 生きものの気配が綺麗さっぱりと消え去っていた。

 俺が、皆を殺したんだ。








 食料に手を伸ばすことなく、数日を過ごした。
 壁に浮かび上がる顔たちが心配そうに声を掛けるが、少年は無反応にじっと座り続けていた。
 なぜ、俺だけが生きてるんだろ。
 素朴な疑問であるほどに、昏い感情を落としていく。
 死神と叫んだ若者たちの声が耳を離れない。
 イングランドの人間が混じっていたのかも知れない、と思う。デスマスクとは、響きからしてイングランドの言葉だろうと推測が付けれた。
 イタリア語でも同じ意味の言葉を言われたな、と思い出す。

 死仮面。死神。

 何で俺、生きてんだろ。皆、死んじゃったのに。
「なあ、どうやったら死ねる?」
 壁に浮かんでくる顔たちに問いかけるも、君が私たちを殺したんであって、私たちには君は殺せない、と口を揃えて答えてくれた。
「そっか。お前らって、俺が殺した町の人間どもかよ」
 少年の口元に子供らしくない自嘲じみた歪んだ笑みが浮かぶ。
 なぜ、一人きりで取り残されてしまったのだろうか。自分はこの先、どこへ行けばいいというのか。
 全く、道が見えなかった。何も見えなかった。
 視界が暗くなる。頭が痛い。
「なあ、俺を殺してくれよ! どうやったら死ねるんだよ!?」
 そう虚空に向かって叫んだ時、いきなり腕を捕まれた。
「!?」 
「やっと見つけ出せたのに、死なれては困るな」
 柔らかい声音と裏腹に、少年の腕を掴む力は強い。
「何?」
 無性別な印象の、綺麗な顔をした人間が立っていた。肩にかかる青銀色の髪が隙間から差し込む光で輝いて見えた。
「君を、迎えに来た。政府機関が動き出す前に見つけられてよかった」
「誰? あんた人間?」
 目の前の者は一瞬呆けたような顔をし、それから小さく苦笑を浮かべた。
「よく人間っぽくないとは言われるけれど、一応私も君と同じ人間だよ」
「俺と同じ?」
「そう。君と同じ人間だ」
「俺、人間?」
 目の前の者は悲しげに微笑する。
 ゆっくりと腕を放され、そして、ゆっくりと体を抱き締められた。
「?」
「君は、私と同じ人間だよ。君はずっと一人でいたのかい?」
 抱き締めてくる腕と体が暖かかった。
 意味も分からず、鼻の奥がつんと痛んだ。目が熱くなってきた。
 優しい手付きが少年の銀の髪を撫でてくる。
「一人? 俺、一人だったのかな? ずっとこいつらと一緒にいたけど、生きてないから、やっぱり一人だったのかな?」
 抱き締める力が強くなるのを感じた。
 なぜだろうと不思議に思うも、不快ではなかった。
 頬を熱い滴が伝うのを感じた。
 何だろうかと思ったが、涙なのだと教えてもらった。少年は初めて泣いた気がした。
 泣くってこんな感じなんだ。そう呟けば、再び強く抱き締められた。

「私はサガ。聖域という場所から来た。君の噂を聞いてね、ずっと探していたんだ」

 抱き締めたまま、サガと名乗った男はそう耳元で囁いた。




 サガはすぐに小宇宙を使いアイオロスとシオンに少年の保護を伝えた。
 それぞれ手分けをして町の中を探していたのだ。
 シオンからすぐにそちらに合流すると返答が来た。それまでそこを動くなと。

 決して小さいとは言えない町が一日にして、いや実際には一瞬にして無人の町と化した現象。その後も、その町に入ったと思われる人間たちが戻らない事態。ゴーストタウンで起き続けていた大量死亡事件の調査に、ついに政府が動き出したのは数日前のこと。イタリア政府だけではなく、海の向こうの大国も調査団を送り込み始めていた。
 少年の保護は、なんとしても政府よりも先に聖域でする必要があったのだ。政府などに渡せるはずもない。
 シオンはこの現象が積尸気によるものだとすぐに判じたのだ。この百年、現れなかった積尸気の使い手。それも凄まじい規模の力を発する者が現れた。
 喜ばしいことか悲しむべきことかは分からない。聖戦が近づいてる証といえるのだから。
 ただ、この積尸気の暴発は止めてやらねばならない。小宇宙の抑え方くらい教えてやらねば、あまりにもその者が哀れすぎると、シオンは即座に行動に移した。
 政府機関などに渡してしまえば、研究材料にされ狭い空間で生かされるだけなのが関の山だ、とシオンは言っていた。
 聖域に入るまでの幼少期を、軍部が実権を握り内戦で荒れた国で育ったサガにもその状況は容易く想像が付いた。
 見つけたのが自分で良かったと、本気で思ったのだ。

「名前を聞いても?」
「名前? なにそれ?」
「うん?」
「名前ってなに?」
「君を君として呼ぶ為につける呼び名だよ。今までなんて呼ばれていたか、分かるかい?」
「…知らない」
「そうか。では、君の本名が分かるまでなんて呼んでいようか」
「俺の本名って何? それ、分かるの?」
「調べれば、戸籍とか残ってる可能性が高いからね。調べてもらうまでは、どうしようかな」
 サガは小首を傾げるような仕草をする。
 少年よりも体格はいいのに、妙に可愛く見えて思わず笑いだしてしまった。
 怒るかなと、恐る恐る見上げれば、サガは嬉しそうに微笑んでいた。逆に少年は不思議そうに見つめ返す。
「よかった。ちゃんと笑えるんだね。感情が動くことはいいことなんだ。感情を制御する方法は覚えないといけないけれど、感情を消したり固めてしまう必要はないんだ」
 なぜか、その微笑みが眩しくて、少年は顔が熱くなるのを感じ目を逸らしてしまった。
 しかし、サガの手は少年の頭を優しく撫でてきた。



「サガ、よくやった。よく見つけたな」
 合流したシオンにそう声を掛けられ、サガは静かに頭を下げる。
「三ヶ月も探し回って見つからないんだもんなぁ。この町広いよ」
 アイオロスが腕を頭上に持ち上げ、体を伸ばすようにしながら、爽やかだが落ち着いた声音で呟いた。
 正確には、人が消え去り、ゴーストタウンとなっていく町の範囲が日を追う毎に広がっていたのだ。最初は一つの町だったものが、今は一つの都市がその状態になり果てていた。
「事件が起きてから一年か。よく、一人きりで生き延びれたな」
 よく生きてくれた、とシオンと名乗る老人の手が少年の髪を撫でくしゃくしゃに混ぜ返した。
 サガが片膝を付き、少年と目線を合わせてくる。そのまま、ゆっくりとまた抱き締めてくれた。
 少年は人に触れられるのが不思議と心地よく感じて目を細める。
「もっと早く見つけ出してやれていれば。本当に、すまない」
 なぜ、サガは謝るのだろうかと、少年は小首を傾げる。
「一人が寂しいと感じられないまでに、君は一人だったのだと思うと…」
 サガは静かに泣いていた。
 だから、どうしてサガが泣くのだろうと少年はやはり不思議に思い首を傾げるのだった。

 少年は、幼いなりに理解はしていた。
 自分に関わったものが全て死に絶えていることを。だから、町のどこへ行っても一人なのは仕方がないのだと思っていた。
「あんたたち、俺と一緒にいても死なないの?」
 だから、死なない人間に出会えたことはかなり衝撃的ではあった。
「死なないよ。私たちは君よりも強い小宇宙を持っているからね」
 そう答えてくれたのはサガだった。
「案ずるな。いずれ、誰とでも触れ合える方法を身に付けさせてやる」
 シオンの言葉に、思わず少年は顔を上げる。
「そんなこと、できるのか!? もう、誰も死なない!?」
「ああ。だから、私たちと共に来なさい。蟹座よ」
「蟹?」
「お前を守り導いてくれたお前の守護星座よ」
「蟹が?」
「蟹ではない、蟹座だ。キャンサーだ」
 ぐふっと笑いを堪えきれずに吹き出したアイオロスをサガは肘で小突く。
 そこで笑うことか? と目線で訴えれば、だって、シオン様とのやり取りがおかしすぎるだろ! と必死の弁明が小宇宙で返ってきた。
 そんなやり取りをしていると、二人揃ってシオンに叱られてしまった。



 少年の身元調査は難航した。
 テロに巻き込まれた人間の数も多ければ、その後の少年による力の暴発で命を刈られた人間の数も多かったのだ。
 だが、時間を掛けて死亡確定がされていない、未だ行方不明扱いの子供の存在に行き着いた。何人かに絞り込み、少年の最初の記憶であるマフィアの銃撃戦に巻き込まれた子供を特定した。
 そして、年齢に驚いたのだ。
「え? 当時で三歳!? じゃあ、今は四歳なの!?」
「四歳…」
「どう見ても七、八歳くらいの外見してない!?」
 アイオロスの騒ぐ声をシオンはやんわりと制した。
「自己防衛だろうな。小宇宙が生まれつき強いのが幸いしたのか。生き残るために体の成長を早めたのやもしれん」
「そんなことってあるんですか?」
「あるも何も、目の前におろうが」
 サガは、不思議そうに自分の服の裾を掴んだまま離さず付いて回る少年を見下ろした。
「君は、まだ四歳なのか」
「?」
「ならば、もっとゆっくりと楽しいことを私と一緒に見て回ろう」
 そう言い、サガは少年を抱きかかえる。
 少年は嬉しそうに笑いながら、ふと思い出したように疑問を口にした。
「ねえ、俺を抱えてくれた女の人って、誰だった?」
「すまない。母親かお姉さんか、そこまではっきりと断定は出来なかった」
「ふぅん…」
 最後の瞬間まで繋いでいた手の感触を思いだそうと、少年は自分の手を見つめる。しかし、ただ優しかったな、としか思い出せず、少年は僅かに落胆した。
「俺が、みんなを殺した」
「……」
 サガが無言のままきつく抱きしめてきた。
 少年はそのまま黙った。これ以上、余計なことを言うとサガが泣いてしまうと感じて、少年は口を噤むことを覚えてしまった。



「それで、名前だけど」
 身元が判明するまで、便宜上、守護星座のままキャンサーの名で呼んでいたが、おそらくこれだろうと判明した名前をアイオロスは口にしかけた。
 しかし、少年はいらないと拒絶する。
「え?」
「デスマスクのままでいい」
「デスマスクって、それ、どう見ても褒め言葉じゃないだろ!」
 思わずアイオロスは却下の声を上げる。
 積尸気の制御は出来るようになっても、彼を慕うかのように集まる霊魂たちは変わらずにいた。少年もそれらを追い払うことはしないので、自然と少年の周囲は死仮面だらけになっていくのだ。少年の小宇宙によるものか、霊魂たちは顔だけは具現化して見せることが可能という不思議な現象を起こしてくれていた。
 払おうと思えば払えるらしいが、「話聞いてくれるし、あいつらも話聞いてほしいだけだし」と言って放置している。
 そして、少年の不気味さに怯えた者たちが「死の顔」「死仮面」と陰で呼び始めていたのだ。
 それをどう解釈したのか、少年は「デスマスクと呼べよ」と周囲の者たちに言い放っていた。
 本名が分かるまでは、と黙認していたが、本名が分かってもその名にこだわるとは。
 アイオロスは頭を抱える。
 サガは静かに少年の肩を抱き寄せた。
「なぜ? 親が付けてくれた名が分かったのに?」
「俺が殺してる」
「君のせいじゃない」
「いっぱい、死んでいった」
「でも、君のせいではない」
「俺に近付いていなければ、死ななかった」
「君に責はないんだ!」
「俺はこいつらと一緒にいる。だから、デスマスクでいい」
 うーんと唸りながらアイオロスは疑問を口に乗せる。
「なんで英語?」
 そこを突っ込むのか、とサガは内心で苦笑した。
「このギリシャだと意味分かるやつ少ないから、躊躇わずに呼んでくれる」
「そんなにデスマスクがいい?」
 サガの問いに、少年はこくんと頷く。幼いながらも、意志の強い仕草だった。
 うーんとアイオロスは唸ったままだ。
 サガはやんわりと笑った。
「そうか。本当の名は知らなくていい?」
「いらない」
「もったいないな」
「いらない!」
「そうか。じゃあ、いつか知りたくなったら、私かアイオロスかシオン様のところにおいで、デスマスク」
 少年は弾かれたように顔を上げ、サガを見た。
 サガはやんわり笑うだけだ。
 アイオロスが「サガ、ちょっと! 本気か!?」と慌てている。
「まあ、いいのではないか? 本人がその名がいいと言っているのだし」
「しかし、デスマスクだぞ。死仮面だぞ!? なんか物騒すぎるだろ!?」
「デスマスク。名前にする名かどうかはともかく、別に物騒でもないだろ」
 サガとアイオロスがそんな言い合いをしていれば、少年が固い声音で呟く。
「俺は、デスマスクでいい。それで十分だ」
「………」
 アイオロスが物言いたげにじっと少年を見遣る。少年は視線を真っ直ぐに向けたまま、ただ、じっと遠くを見据えたまま呟きを繰り返した。
 サガは屈み込むと少年の頬を両手で包み込んだ。すっかり冷えきった頬だった。
 まだ何か言う気なのかと警戒する少年に、サガは再び笑いかける。
「デスマスクか。君は不吉とかそんな意味合いで選んだのかな?」
「……俺にはそれでいい」
「私には憂いと慈しみを感じるよ」
「?」
「デスマスクが作られ使われる意味を知っているかい? 亡き人を悼み記憶に残すためだ」
「………」
「君は君が思っているほど悪しき存在でも昏い存在でもないんだよ」
「なんだよ…、知ったような口利くな」
「デスマスク。いいんじゃないのかな、君の覚悟が感じられて」
「……―――」
 少年は俯き、唇を噛みしめた。なぜか涙が澪れそうになっていた。
「……何なんだよ。みんなして、好き勝手に言いまくって。何なんだよ!?」
「独りを知る君は、優しい子だよ。デスマスク」
 またサガの腕に捕らわれ、抱き締められた。
 今度は堪えることが出来ずに、涙が澪れ落ちていった。









「お師匠ぉ! お師匠ってば!」
「う…ん?」
 薄目を開ければ眩しい光が飛び込んできて、思わず顔を顰める。
「お師匠! ちょっと、何寝てるんですか! 本当、何ですかこの国! シエスタとか言っていきなり堂々と仕事止めて昼寝始めるし!」
「この土地の気候で、昼間に仕事なんか出来るかっての」
 寝ぼけた掠れた声で言い返しながら、デスマスクは横たわっていたソファから身を起こした。
 妙な気分でごきごきと肩をほぐす。
 随分と懐かしいものを夢で見たものだ。サガと出会った幼少の頃の光景。
 最後までアイオロスはこの名前に反対していたっけ。
 そんなことを思い出せば、苦笑じみたものが唇の端を掠めていった。

「本当、信じられませんよ。シエスタの時間だから帰れって、客の俺を追い出したんですよ、あの店のマスター!」
「おお。もうそんな会話がこなせるようになったか」
「おかげさまで、日常会話には困らない程度にはイタリア語覚えましたー」
「じゃあ、その内にギリシャ語の勉強だな」
「えー? まだ語学するんですかぁ?」
「遊びながら覚えてんだから、楽だろうが。こんな楽な師匠いねぇぞ」
「自分で言っちゃう時点で台無しだと思いますよ」
「こっちじゃアピールしてなんぼなんだよ」
「ふーん」
 最終的にデスマスクの発言を思い切り聞き流す態度を取って、盟はキッチンへと入って行ってしまった。
 デスマスクはそんな弟子の後ろ姿をしばらく眺めた後、テーブルの上に乱雑に広げたままにしてある書類を手に取った。
 盟を弟子にして半年が経過している。
 言葉は、母国語の日本語以外に英語がかなり堪能だった為、最初から会話で苦労することはなかった。
 イタリア語は勉強じゃなく遊んで実体験で覚えていけ、というデスマスクの方針通り、色々と連れ回してやっている内に聞き取りと話すことに関しては三ヶ月程度でクリアしていた。後は文字の読み書きに慣れるだけだ。
 修行の方は、基礎体力作りという、基礎の基礎から始めなければいけなかったが、それでも泣き言も言わずに食らい付いてきた。

 どう見ても恵まれた坊ちゃんな雰囲気をした子供なのに、何だろうか、この異様なまでの執念は。

 それが、デスマスクの盟へ改めて抱いた感想だった。始めは「めんどくせぇな」が感想だったのだ。

 唐突に増え始めた聖闘士候補生。聖域を離れたことを機に、色々と探りを入れてみた。分かったのは、ほとんどが日本人、もしくは日系人だということ。
 なんだこれは。
 そう思っても仕方がないだろう。
 聖域には報告をせず、水面下でアフロディーテとシュラとに連絡を取り、それぞれの持つ情報網を借りた。
 デスマスクの元へ送り込まれてきた、もしくは割り当てられてきた盟という少年、その素性を辿るのに少々難儀したが、それでも辿り着けた。
 盟の素性はかなり巧妙に隠されていた。表向きは孤児として登録されていたのだ。
「本名は城戸盟。グラード財団って日系企業だったのか。そこの御曹司とはね。お坊っちゃんが、なんでわざわざ聖闘士なんかに?」
 書類を読み直しながらデスマスクがぶつぶつと言っていると、背後で陶器が小刻みにぶつかる固い音がする。
 首を捻って振り返ってやれば、盟がコーヒーを入れたカップを二つ、トレイに乗せて持っていた。その手が微かに震えていた。
 素性がバレた、そう思ったのか。
 なぜ素性を隠しているのか。後暗いことでもあるのか。いや、そんな感じではないな。
 デスマスクは真っ正直すぎる印象を受ける弟子をまじまじと見遣った。
「なあ、なんでお前、こんなとこに来たの?」
「え?」
 コーヒー寄越せ、とトレイごと奪い取ってやると、盟は我に返ったようにのろのろとした動作でデスマスクの向かいのソファに座った。
「うまく行けば財団の総帥の座が待ってる人生なんじゃねぇの? 身内に恨まれて売り飛ばされでもしたか?」
「そ、れは…。まあ、そんなところです。よく分かりましたね、さすがお師匠!」
 狼狽えたのは僅かな間だけ、すぐにいつもの軽いノリを取り戻してみせる盟。
 デスマスクは、おもしろい奴だな、と内心で笑みを浮かべた。わざと助け船を用意した質問ではあったが、頭の回転が早いのは確かだろう。
 素性も気になるが、実におもしろい弟子が来たもんだ。
 今更ながらに興味が沸いてきた。

 良い記憶も思い出も持たない故郷に戻されて、非常に不愉快な気分で過ごしてきたこの半年だったが、少しだけ気分が上昇するのをデスマスクは自覚せずにはいられなかった。












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12.12.23


小説・ギガントマキアのシチリア師弟な話に入るはずだったのに、半分以上がデスマスクの名前の由来と過去捏造話で終わってしまったよ!

ラストでやっと盟が出てきたよ! なんだこれ!?

もうちょいギガマギなネタを引っ張りたいけど、どうしようか。

その7へ