黄昏にまみえる・7







 

 聖域に引き取られてからすぐに、デスマスクは教皇シオンから直に積尸気について教わった。現在、積尸気を使う者はおらず、前聖戦時に積尸気の使い手を間近で見てきたシオンだけがそれを語ってやれるという状況故だった。
 すでにシオンには直弟子であるムウがいたが、ムウはデスマスクのことを興味深げに眺めていたものだ。
 同じテレキネシスを使うこともあり、ムウはデスマスクにすぐに懐いた。デスマスクも面倒臭いという態度を取りながら、意外とムウの相手をしてやっていた。

 積尸気を正確に操れるようになれば、魯山にいる老師の元へと預けられた。
 小宇宙の制御方を学ぶ為だった。
 小宇宙とは何かを老師に学び、再び聖域に戻れば、今度は聖闘士としての基本を学ぶために修行へと出された。
 故郷イタリアへである。
 それも、生まれ育った土地らしいシチリア島へだった。ただし、己の出生がシチリアのどこの都市かも覚えてないデスマスクには何の感慨も沸かなかった。

 ギリシャの神々の話が多く伝え残る、地中海最大の島であるシチリア。この地での修行が、今のデスマスクの基礎を作ったと言っても過言ではないだろう。
 師匠という形でデスマスクに就いた聖闘士は、戦いに関してはかなりのものだったのだろうが、生活面では空っきしだったのだ。
 食事面は近くに住む老女に頼りっきりという有様。洗濯、掃除は出来るときにとりあえず、という状態。
 デスマスクが生活面での面倒を見てくれていた老女にイタリア料理のノウハウを習うようになるのに、そう時間は掛からなかった。
 ここで始めて、自分の生まれた国の郷土料理というものに触れたのである。
 イタリアは本土も北と南では食文化もかなり違うが、シチリア島はまたそれとは違う歴史と文化を育んできたという。
 海産物を多く使う料理も豊富で、南イタリアらしいトマトを使った料理も多い。
 農業地帯へ出れば、オレンジ畑にオリーブ畑が広がる豊かな土地。
 都市国家という意識からくる南北問題やマフィア犯罪の凶悪化など問題は山積みな国だったが、それでも、この特別自治州は色鮮やかに活気付いていた。
 しかし、そんな修行生活も一年も経たずに終わる。
 元々、幼い段階で黄金聖闘士の候補として突出した力を持っていたこともあり、師匠となった男も「もう、私に教えられることは無い」と修行の終了を伝えてきたのだ。
 聖闘士としての基礎は十分。あとは、聖域で黄金の先輩方に習うのが良い、と。

 そういうことで、短期間にあちこちと行かされたデスマスクだったが、黄金聖闘士としての基礎も学び終え、聖域へと帰還を果たした。

 聖域の結界を越えれば、サガが真っ先に出迎えてくれてデスマスクは諸手を上げて喜んだ。
 本音を言えば、サガに会いたくて仕方がなかったのだ。それを我慢して修行に耐えてきたのである。
 正直に、何よりもサガに会えなかったことが辛かったと言えば、サガも嬉しそうに笑ってくれた。

 その光景は、今でも瞼の奥に焼き付いている。



 双子座の秘密を知ってしまったのは本当に偶然だった。
 時折、入れ替わって聖域に姿を現していたカノンにたまたま出会し、そして、デスマスクは即座にサガではない別人だと見抜いてしまったのである。
 サガと同じ姿形をしていながらサガではない人間。幼いデスマスクは軽くパニックに陥った。
「誰? なんでサガの格好してんだよ? ………サガァ! サガアアアアアアアア!」
 ヒステリックに叫び始めたデスマスクに、カノンが仰天する。
 光速でデスマスクを引ったくるように抱えると、カノンは双児宮へと駆け込んだ。
「ちょ、お前、このガキどうにかしろ!!」
 カノンも焦りまくりであった。
「何こいつ! マジありえねぇ!」
 こちらも負けじと叫ぶカノン。サガは二人を宥めながら苦笑する。
「デスマスク、すごいなぁ。よく見破ったね」
 そう言い、髪を撫でてやれば、デスマスクは困惑しきった顔でサガにしがみついた。
「サガ!」
「あー、泣くな泣くな」
「泣いてねぇよ!」

 ここに来て、ようやく年相応な反応を見せるようになってきたデスマスクにサガは滅法甘かった。
 あの異常な環境にいた子供が、精神面に於いて落ち着いてきている証拠だといえるのだ。それだけに、サガはとにかくデスマスクには甘かった。

「これは私の双子の弟で、カノンだ」
「はあ!? お前、何あっさりバラしてんだよ!?」
「この子には隠せないよ。シオン様には私から説明して謝っておく」
「俺はドジってないからな!」
「分かってるって。デスが鋭いだけなんだ。小宇宙まで私に似せたお前を見破れる者なんか、そうそういないよ」
 サガの宥める言葉に安心してきたのか、同じ顔と姿をした二人を、デスマスクはまじまじと眺め出す。
「ふたごって何?」
「そっくりに生まれてきた兄弟なんだ、私とカノンは」
「兄弟?」
「そう」
「真似じゃないんだ」
「真似なくても同じなんだよ」
「へぇ…」
 不思議そうにただじっと見つめるデスマスク。
 カノンはようやく余裕が出てきたらしく、目の前の小さな銀色の頭をぽんぽんと叩いた。
「しっかし、よく分かったな、お前。サガを演じてる俺を見分けるのは教皇でも無理だってのに」
 釈然としない面もちでデスマスクは首を傾げる。なぜ同じだと言うのかが、むしろ不思議だった。
「だって、魂の色が違ってる。少しだけど、違う」
「ほぉ。魂に色が見えるのかよ」
「見えない?」
「生憎、俺にはそんな能力はないな。大した才能だよ」
 そう言ってカノンはデスマスクの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
 うん。全然違う。
 そんな二人を見つめながら、デスマスクはただそう思ったのだ。

 その後、カノンのことは今はまだ誰にも言わないで欲しいとサガに言われ、不思議に思いながらもデスマスクは頷いた。
 知っているのは、教皇シオンのみ。
 そう聞いて、その秘密を自分も共有できるということに、幼いデスマスクが少なからず胸をときめかせたのは無理ならぬことだった。


 聖域、十二宮での生活も落ち着いてきた頃、射手座のアイオロスと双子座のサガと共に星見の勉強もさせられた。
 背負う宿星によるものなのか、デスマスクは星見というものをすぐに理解してしまった。
 サガもまた、同じようではあった。
 双子座の宿命に何を読みとったのか、サガは沈痛な顔をすることが時折あったのは確かだった。
 それが双子であること、隠されたカノンの存在に関わること。その事がサガを悩ませ苦しめていたなど、当時のデスマスクが理解出来るはずもなかった。










 崖の上にそびえ立つ古代神殿跡の倒れた柱に腰を掛け、デスマスクは夜の空を眺めていた。
 顔は不機嫌そのものであった。
「選りに選って、あいつの背負う星座がコーマなのかよ」
 教皇からは「神を封印するほどの聖衣だ。役に立つやもしれん、髪の毛座(コーマ)を探し出せ」そう言われていた。
 聖衣を探すだけならよかった。しかし、聖衣は装着者がいなくては力は発揮しない。当然のように聖衣の装着者も探し育てなくてはならないのだ。
 その為に、このシチリアの地に来ている。それは分かっているのだが、髪の毛座に付いて調べれば調べるほどデスマスクの気分を重くしていった。 実にらしくない考えが脳裏を掠める。
「いっそのこと、聖闘士の素質なんか無けりゃよかったのに」
 星は何度読んでも弟子の宿命に変わりはないことを告げてくれる。
「蟹座の弟子が髪の毛座なんざ笑えねぇっての」
 死者に寄り添い見守る蟹座、生も死も超越した場所で封印の礎となる定めの髪の毛座。
「オリンポスの神々さえ怯え逃げることしか出来なかった荒神。目覚めさせるようなことをするのは危険だな…」
 シチリア島の下に眠ると言われているのは、テュポン。オリンポス神とは別種の神。ギガスと呼ばれる巨人族の神。封じたのは戦女神のアテナ。
 かつて、アテナは島を投げ付けテュポンを封じたという。その島がシチリア島であり、島の下敷きにされ苦しみのあまり炎を吐き出したとされるのが、エトナ山であると神話が残している。霊峰とされるエトナ山は現在も活動を続ける火山でもあった。
 邪神から地上を守る為の戦いの準備をしているのに、その邪神の一人を起こすなど本末転倒だろう。

―― この修行を打ち切るか。

 そんな考えが脳裏を掠める。
 絶対に聖闘士になって聖衣を手に入れるんです、そう言い続ける盟の姿がよぎる。
「あの教皇も納得しねぇだろうなぁ。妙に髪の毛座の聖衣にご執心だったし。盟も納得しねぇか…」
 どうするか。
 修行に入って三年目。
 その間にも聖域からの召集は何度も掛かった。召集に応じずにいるのは、牡羊座のムウと、五老峰に座し続ける天秤座の老師こと童虎。
 ムウは頑固に拒否し続けているらしい。どうやら、教皇は何度もシャカやアルデバランをジャミールに遣わせているようだが、それでもムウは拒否を続けていると聞いた。
 ムウはそれでいいと、デスマスクは思う。今はまだ、その時が来るまでは聖域に近づくなと、胸の内で念じる。
 老師は決して動かないだろう。
 それが老師の役割。しかし、教皇はそれが気に食わないようでかなり苛立っている。
 老師の役割、それを教皇は知らないということ。つまり、サガは意図的にもう一人の己に情報を与えずにいるということか、とデスマスクは推測していた。
 力は教皇の方に傾いているように見えるが、最終的な実権はまだサガが掴んでいる。
 そのことが唯一デスマスクに笑みを浮かばせる事象だった。

 力あるものが正義。力無き正義などただの無力。
 その力は、まだサガにある。


「師匠ぉ。またこんなところでさぼって。晩ご飯出来ましたよ。食べましょうよ」
 崖を登ってくる盟の姿が見えた。
 腰を下ろしていた古代神殿の柱から身を起こし、デスマスクは声を張り上げる。
「今日こそ、まともに食えるもん作れただろうな!」
 当然ですよ、と元気な返事が返ってきた。



「また聖域に戻るんですか? この頃、召集が頻繁ですね」
「それだけ忙しいんだよ、黄金は。師匠に黄金聖闘士を持てただけでも泣いて喜べ」
「へーい」
「可愛くねぇな、その返事」
「このシチュー旨いと思いません? 俺としては上出来ッスよ」
「話聞けよ、ガキ。味がまだ薄い。塩気が足りてねぇんだよ」
「えー? 師匠の舌は濃い味過ぎでしょ。塩分の取りすぎは血圧上がりますよ」
「誰が高血圧だ! 俺はまだ十代なんだよ」
「今は若者にも高血圧多いそうですよ」
「だから、高血圧じゃねぇっつってんだろ!」
 傍らの木皿を投げ付ければ、上手いこと躱して見せる盟。
 本当に身体能力も申し分無いだろう。
 どこまで鍛えればいいのか。心に迷いが生じていることに、デスマスクは自嘲するしかなかった。

 出会った当初の綺麗に短く切りそろえられていた黒髪は、今は何故かシルバーに染められ、前髪も長めで、後髪は長く狼の尾の様に垂らしている盟。
 服装も年を追う毎にストリートギャングかお前は? なセンスになっていっていた。
 呆れて「何そのセンス?」と問えば、師匠へのリスペクトです、と胸を張って返してきた。意味が分からないとデスマスクが言えば、「師匠を目指してんですよ、俺」と繰り返すのである。
「俺って、そんなイメージ?」
 若干、屈辱的な気分になるのは何故だろうかと、デスマスクは弟子を眺めながら思うのだった。



 基礎訓練をさぼるなよ、と盟に言いつけ、デスマスクは召集の掛けられた聖域へと戻る。
「お疲れ」
 無人の白羊宮に足を踏み入れれば、最上階にいるはずのアフロディーテが出迎えてくれた。
「よう。聖域の状態はどうよ?」
「聖域は正常に動いてるよ。教皇は近頃焦ってるのか八つ当たりが増えて来てるね。何ともみっともない」
 そう吐き捨てアフロディーテは露骨に溜め息を吐いてみせた。
「八つ当たりねぇ」
「その矛先が問題さ」
「あ?」
「シュラ」
「何だと?」
「君が不在がちになってから、汚い暗殺は全てシュラにやらせてる。私に回せと言っても、私には最後の砦としての仕事に徹しろと聞く耳も持たない」
「くっそ…。思った通りかよ。やっぱシュラを壊しに掛かったか、教皇」
 精神を静かに追いつめ、思考することを放棄させる。疲れ果てた先に出来上がるのは使い勝手の良い傀儡。暗殺道具。
 ずっとデスマスクとアフロディーテが邪魔し続けていたが、デスマスクを聖域外へ出すことで可能となったということだ。
「そのシュラは?」
「任務以外は宮に引き籠もりがち」
「はぁ…」
 分かっていたことだ。覚悟してここまで来たことだ。しかし、やはり溜め息を吐きたくもなる。
 十二宮の階段を登りながら、デスマスクはアフロディーテに近況の確認をしていく。
「今回の召集の目的は?」
「別に何も」
「はあ?」
「ただ、黄金たちが言うことを聞くのか確かめておきたい、そんな印象だね」
「…強いと思ってたんだけどなぁ、あの教皇も。随分とみっともない真似を始めたもんだ」
「幻滅した?」
「いや、いっそこれから先を遣りやすくなって助かるね。教皇に情を掛けずに済む」
「なるほど。そういう捉え方もありか」
 そんな会話を交わしながら進めば、金牛宮の主が顔を覗かせた。
「おや、お戻りですか」
「よっ! ついさっき着いたとこだ。またすぐにシチリアに戻るけどな」
「それは寂しい。また昔のように晩飯食わせてくださいよ」
「俺にそんな注文してくんのお前くらいだろ」
「そうですか?」
「今じゃすっかりびびられて誰も声掛けて来ねぇぞ」
「それはもったいない。あなたのご飯は絶品なのに」
「飯の話だけじゃねぇって」
 デスマスクは遠慮無しにげらげらと笑い、アルデバランは食べ物の話から離れない己の思考に少しだけ顔を赤らめた。
「三、四日はこっちにいるから、明日か明後日にでも晩飯誘ってやるよ」
 赤らめた顔を今度はぱあっと明るくしてアルデバランは満面の笑顔を見せる。それがまたおかしくてデスマスクはげらげらと笑った。
「食いたいもんあったら、今の内に言えよ。作っておいてやっから」
「それは有り難い! 是非にもスペイン料理の何かを。久しぶりにあの味が食べたくて仕方が無かったのです」
「りょーかい。その辺で作っとくよ」
 アルデバランの満面の笑顔で金牛宮を送り出され、そして、通過し終えたところでアフロディーテが「堪らない! 耐えられない!」と爆笑した。
 大人顔負けの巨体にも関わらず、変わらない屈託の無さ、純真さに「何であのデカ物で可愛いんだよ、あの子は!」とアフロディーテは笑い続ける。
 本人の前で爆笑しなかったのは、可愛いなどと言うと本気でアルデバランが傷つき落ち込むのが分かっていたからである。アフロディーテも一応気遣いをしていたらしかった。

 階段を登り続け、無人の双児宮、自宮である巨蟹宮を通過し、獅子宮へと差し掛かる。
 ここでも宮の主が顔を見せる。
 何なんだ、今日は。
 立ち塞がるように入り口に立つアイオリアを、二人は怪訝そうに眺めやった。
 何かあったのか。そんな懸念が脳裏を掠める。
「俺も、飯食いたい…」
 ぼそりと聞こえたのは、そんな言葉。
「は?」
 思わずデスマスクの口から間抜けた声が出た。
「…アルデバランが、デスマスクが飯食わせてくれるって、約束してくれたって、今、小宇宙で自慢してきた…」
 何やってんだ、こいつらは。
 ぶはっと堪えきれなかったアフロディーテが吹き出す。そのまま爆笑である。
 アイオリアは、顔を赤らめながら弁明にかかった。
「この頃、シュラも鍛錬に付き合ってくれないんだ。教皇は、その、最近なんだか…」
「あー分かった分かった。欠食児童どもに明日は飯食わせてやっから、アルデバランと一緒に金牛宮で待ってろ。あと、シュラのことは俺も気になってっから、調べておく」
「あ、ありがとう…」
 いつもの挑み掛かってくるような気迫は全くなく、アイオリアは宮を抜けるまでずっと俯き加減だった。

「何がどうなってる? 出迎えなんかされたの初めてだぞ」
「今まで騒がしいうるさい乱暴凶暴としか思ってなかった先輩が、いなくなってみたら思いの外に不便だと気付いたんだろ」
「不便って飯だけだろ。ってか、今までもそんなに食わせてやってた覚えはないぞ」
「でも、君はよくストレス溜まると黙々と料理をしまくって、大量に作った挙げ句に自分では食べずに周りに押し付けていただろ」
「ただの憂さ晴らしじゃねぇか」
「それでも、年少の子らには美味しい料理が食べられる楽しい一時だったってことなんだろうね」
「俺の存在意義って飯だけかよ」
 そうぼやけば、またもアフロディーテが爆笑してくれた。



 処女宮に足を踏み入れれば、いきなり異空間に飛ばされた。
「おい、こら! シャカ、何の真似だ!?」
「私たちを侵入者扱いかい?」
 慌ててデスマスクは傍らのアフロディーテの腕を掴み、天地も分からない空間で身を浮かせる。足を着ける地面すらも消失していた。
「簡単にトラップに掛かるとは。あなた方の実力も知れると言うもの」
 姿は見えないが、確かに処女宮の主の声がする。
 発言の内容に、デスマスクは半ギレな笑みを浮かべた。
「だぁれが、お前に小宇宙の基礎を叩き込んでやったと思ってんだぁ?」
「はて。誰であったか」
 空間を操るのはサガ、デスマスク、シャカの専門分野といえた。仕組みも対処方も分からぬ以上、アフロディーテはデスマスクの腕に捕まったまま静観を決め込む。下手に動いて自滅するのは御免被りたい。
 うっかり黒薔薇を放って、それが歪められた空間で自分に向かってくるというパターンが大いに考えられるのである。
 この宮の主の性格からいって、絶対にあると思われた。

 デスマスクが空いた方の腕を振り上げ、掌に小宇宙を集中させていく。淡い光が見えたかと思えば、それを横薙ぎに払った。
 何をどうしたのか、空間が粉々に砕けるように消滅していく。その後ろから現れるのは、通常の処女宮の神殿。
 宮の中央に座するシャカの姿が見えた。
 異空間から抜けたことで、デスマスクはアフロディーテの腕を離すとツカツカとシャカの元へ歩み寄った。そして、遠慮無しに拳骨を落とした。
「何をする!?」
「それはこっちのセリフだ! つか、この程度避けろよ」
「いきなり殴るとは無礼な」
「無礼はお前だっていってんだよ!」
 面白いなぁこの子、とアフロディーテは完全に他人事である。
「何のつもりだ、てめぇ?」
「あなた方の力を試しただけのこと」
「お前に試される覚えはねぇんだよ!?」
「私の技も見事であろう?」
「単に、新技の実験台か? ああ?」
「はて。私は――」
「だああああ! まどろっこしい! さっさと用件だけを言え! 何の用だ!? 目的無しにものぐさのお前がこんな周到な真似しねぇだろうが!」
 のらりくらりと話すシャカの言葉を遮って、デスマスクは声を張り上げ喚いた。もう喚きでもしないと収まらない。隣でアフロディーテがうるさそうに顔を顰めているが、無視して喚く。
「騒がしい男よ」
 目を閉ざしたまま澄まし顔でシャカはそう呟く。
 ぶっとアフロディーテが吹き出した。今日のお前笑い過ぎだろう、とデスマスクは横目で睨む。
「あなた方の力を確認した上で、確かめたいことがあった」
 声のトーンが変わり、シャカは静かな落ち着いた声音でそう語り掛けてきた。
 デスマスクが表情を引き締め、シャカに向き直る。
「何だ?」
「教皇の行いは正義であろうか?」
「……」
「お前はどう見る?」
「本体は正義であろう。しかし…」
 シャカは何か感じ入るところがあるのか、珍しく言い淀む。
 デスマスクは表情こそ変えないが、笑みを浮かべそうになっていた。
 簡単に悪とも正義とも断定しない辺り、さすがはシャカというべきか。
 本質を見抜いている。本質を見抜けてしまうが故に、このような状況では逆に判断が鈍ってしまうのだろうが。

「そうだな。行いが他者にどう見えようが、本質は正義だろう。正義であろうとし続ける方だ」
「うむ。正義は確かなのだな」
「悩め悩め。ガキは悩んでなんぼだぜ」
「私は常に神仏と対話し悩み考えている」
「その先に何が見えるか、存分に悩んでおけ」
「デスマスクに諭される謂われ様をするとは、私もまだまだ未熟か」
「おい。なんだ、その言い種は」
 アフロディーテが予想通りに笑い出す。
「だから、お前は笑い過ぎだろ」
 言えば尚更にアフロディーテは腹を抱えて笑い続けた。

 まだ何か問いたげなシャカを捨て置き、デスマスクはアフロディーテを伴い十二宮を上っていく。
 天秤宮は当然ながら不在、次の天蠍宮も主は不在だった。アフロディーテが「宝瓶宮かな」と呟き、デスマスクは「なるほど」と納得する。
 この度の召集で久しぶりに親友のカミュも戻って来ているのだろう。見た目の派手ともいえる華やかさや、生粋のギリシャ生まれのギリシャ育ちということからも、黄金聖闘士の見本のような扱いを受けるざるを得ないミロだ。何かと祭典には表に出される。気丈で気位の高いミロだけに、息を抜く場が限られていたのだろう。
 カミュが帰還した時は、ミロは毎度のように宝瓶宮に入り浸っているというのはアフロディーテ情報だ。
 そんな話をしながら人馬宮へと足を踏み入れる。
 当たり前だが、ここも無人の宮だ。
 しかし、デスマスクとアフロディーテは無言のままに足を止めた。何をするでもなく、しばらくの間そこに立ち尽くした。
「いつもは、足早に通り過ぎてしまうのにね。君がいるせいで、私まで立ち止まってしまったじゃないか」
「なんだ、嫌だったか?」
「やはり、ここにはアイオロスの気配が色濃く残っているね」
「そうだな」
「シュラが、時々ここに一人で立ち止まっているのを見るんだ」
「ふーん」
 気のない返事をしながら、デスマスクはアフロディーテを横目で見遣る。
 デスマスクの不在の間も、アフロディーテは一人で色々と調べたり牽制を掛けたり、守る為に動いたりと駆け回っていたのだろう。
「アイオロスは、この状況をどう思うかな」
「さあな…」
「やはり、嘆くだろうか。黄金聖闘士らしからぬ、とか言って」
「さて、どうだか。そもそも、あの時のアイオロスはサガと戦うことを避けて逃げることを選んだように見えた。戦うことを避けたがってたように見えたよ。俺がそれを問えば、戦う理由が見当たらないよ、だとさ」
「戦う理由が見当たらない、か。シュラ相手でもその態度だったのかな」
 そのおかげでシュラは英雄と英雄殺しの二つの名を得る羽目になったのだ。
「アイオロスは、サガをどうして止めなかったんだろう。なぜ、サガが謀反を起こしたと告発しなかったのだろう。小宇宙で叫べば皆に聞こえたかもしれないのに。そんな余裕もなかったのだろうか」
「さてな。案外、アイオロス自身にも分からねぇんじゃねぇの? 俺らがサガを討たなかったように」
「……。アイオロスはアテナを守り抜いたけど、仲間は見捨てたのかな…。私たちは、アイオロスに見限られていたのだろうか」
 アイオロスの気配が色濃く残る人馬宮で何ともなしに立ち止まってしまったが、アフロディーテにはあまり良い影響を与えないようだと、デスマスクは内心で己の失態に舌打ちしたくなった。
「いずれ、分かるだろうさ。さっさと上に行こうぜ」
 自分から立ち止まっていながら、デスマスクは敢えてそんな物言いをする。アフロディーテは「そうだね」と小さく呟きデスマスクに続いて人馬宮を後にした。

 二人は無言になってしまったまま磨羯宮へと入る。
「シュラー、通るぞー」
 わざとらしく大声を出しながらデスマスクは通路を歩いた。
 シュラの小宇宙は感じるから、奥の居住スペースにいるのだろう。
 そんなことを思いながら宮を通過しようとした時、背後から声が掛かった。
「デスマスクか。戻っていたのか」
「おお。今し方な」
 顔を見せたシュラはアフロディーテに聞いていた以上に表情が無いように見えた。
 疲れてんなぁ。
 デスマスクは内心でごちる。
「いつ戻る?」
「ん? ああ、三、四日は聖域にいるつもりだ。後は教皇様次第かね」
「今から報告か?」
「そ。そのためにこの長い長い階段を必死こいて上ってきたんだよ」
 場の空気を崩すような軽口に、シュラの表情がふっと緩む。
 それを見たアフロディーテが僅かに笑むのがデスマスクにも分かった。
「お前らさ、今日は非番なわけ?」
「私は朝方まで任務だったからね。後は空いてるけど」
「俺もこれといった任務は入っていないが?」
 二人の返答にデスマスクはやんわりと笑った。
「じゃあ、今日はこの後、俺の宮で酒盛りしようぜ! ずっと酒飲んでねぇんだよ、ガキのお守りでさ」
「弟子の育成をガキのお守り呼ばわりとは」
 そういうシュラの顔は呆れながらも笑っていた。



 教皇の間にて帰還の報告と髪の毛座の聖衣の捜索についての進展を伝え、デスマスクは教皇の前から辞した。
 表情の見えないマスク、表情の読めない声色。教皇の真意は探れないままだった。サガは、何を思っているのか。
 焦りを抑えるように、まだ滞在の日数はあると、デスマスクは自分に言い聞かせる。

 退室する為に扉を開ければ、アフロディーテとシュラが待っていた。
「何なの。今回に限って、気持ち悪いくらいに持て成されてんだけど俺」
「こんな持て成し滅多に味わえないと思って、今くらい素直に受け取りな」
 笑いながらアフロディーテは言い、デスマスクの背中を叩いた。
 やはり、この男がいないと面白くないなと思ってしまう己にアフロディーテは苦笑いしたくなる。それを隠すように、思いっきりデスマスクの背中を叩いてやったのだ。


 今度は三人で十二宮の階段を下りていく。とはいえ、目的地はシュラの磨羯宮なので、今度はそう歩かなくて済む。
 結局、巨蟹宮ではなく磨羯宮になっていた。理由は単純にシュラが貯め込んでいるだろう酒類が目当てなだけだったが。デスマスクが長期不在にしていた巨蟹宮に行ったところで、食材など全く無い状態だからどうしようもないのだと気付いたのだ。
 上から十二宮を見つめると、報告の度に行ったり来たりと大変な仕組みだな、などと今更のように思ってしまった。
 色鮮やかな双魚宮の庭を横目に通過し、上って来る時は奥に小宇宙を感じただけのカミュとミロが宝瓶宮の外で談笑する姿を目にする。
「お、久々に見る三人組の姿だ」
 と面白がるような口振りで言うのはミロである。
「三人組…」
「ちょっと、こいつらといつも連んでる訳じゃないよ。一緒くたにしないでくれないか」
 シュラの納得の行かなそうな声に、アフロディーテの抗議の声。それらを見事に聞き流しつつミロは笑顔を絶やさない。
「デスマスクはいつ戻ってたんだ?」
「数時間前。さっき上に行くのにここ通っただろ」
「あれ? そうなのか?」
 本当に気付いていなかったようだ。
「ああ、通っていたな。出迎えなくて失礼した」
 カミュは気付いていたらしく、顔を見せなかったことを謝罪してくる。
「ああもう。いいって、そんなの。出迎えられるキャラじゃねぇだろ、俺」
 相変わらず表情の乏しいカミュをデスマスクはのんびりと眺め遣る。彼の赤みがかった髪を風が撫でていく。
 表情こそ少ないが、その僅かな表情の変化を見過ごさないように注意していれば、彼が冷徹な人間ではないことはよく分かるものだ。むしろ、感情の起伏はミロよりも豊かだろう。表に出す手段を持たないだけで。
 同じく聖域を離れられる身となり、弟子を取っている者同士。デスマスクはこの僅かな滞在期間中にカミュからも弟子の様子を聞き出しておきたいと思っていた。
 アフロディーテがデスマスクの肩を掴み後方に押しやるようにする。
「むしろ、カミュも昨夜戻ったばかりじゃないか。君が出迎えられる立場であって、こんな蟹をわざわざ出迎えてどうするんだい」
「こんな蟹って何だ、蟹って」
「ああ、そうか。カミュ、お前も戻ったばかりだったな。お疲れ」
 デスマスクの軽い抗議にわざと被せるようにシュラが発言し、聞いていたカミュが小さく吹き出した。
 それを見ていたミロが、僅かに驚いたような顔をし、そして、すぐに嬉しそうに笑っていた。
 それらの動きを観察しながら、アフロディーテは、カミュとミロも色々と抱え込み出してるな、と察していく。
「ああ、失礼した。なんというのか、その、三人の変わらない遣り取りが、随分と懐かしくて、心地良かったもので」
 それは、カミュにとっては大笑いに入るのかもしれない。くつくつとおかしそうに声に出して笑い続けていた。
 そんなカミュをミロはまた心配げに眺めているのだ。

「ああ、そうだ。こんなとこで聞くのも何だけどな。お前のとこに来た弟子には東洋人もいたりするのか?」
 デスマスクは敢えてそんな空気を壊すように話題を変えた。
 ミロの視線を感じるが、気付かない振りをした。
「ん? そうだな。数ヶ月前だけれど、新しい弟子が来たんだ。ロシア人かと思ったが、父親が日本人なのだと言っていたよ」
 よく知っているな、とカミュは不思議そうに小首を傾げている。
 やはり、日系人か。
 デスマスクは、これで日本人及び日系人の聖闘士候補性の数は何人目になるだろうかと、頭の中で計算を弾き出していた。
「何でそんなこと聞くんだ?」
 生真面目な顔付きをしてミロが問いかけて来る。
「あ? 東洋人の聖闘士なんて珍しいと思わね? 俺の弟子も日本人なんだよ。今まで東洋人っつったら、老師と鷲座の魔鈴くらいしか見たことねぇからさ」
「ああ! そういや、先月だっけ? 鷲座の魔鈴の元に弟子が来たんだが、魔鈴と同じく日本人なんだと言っていたね」
 アフロディーテが思い出したとばかりに声を上げ、新たな情報をもたらしてくれる。
「ほぉ。この聖域にもか」
 デスマスクは、何気ない風を装いながらかなりの関心を惹かれていた。
「なんだ? 妙に日本人の弟子が多くないか?」
 ミロが口にした疑問。
 アフロディーテもシュラもすでに感じとっている疑問と謎。
 だが、今はまだそれらを教えてやるわけにはいかない。己で知る以外には。
「偶々にしては、多いな」
 カミュも何か考えるように呟く。
「偶々は偶々なんだろうがな。多いつっても、カミュの弟子は父親が日本人っつうだけだし。後は俺んとこの弟子と魔鈴の弟子とで二人じゃねぇか」
「ん? …確かに、なぁ」
 煙に巻かれていると感じているのだろう、ミロは探るような目つきでデスマスクを見つめてくる。そんな視線には気付きませんという素振りでデスマスクは視線そのものを最初から合わさなかった。
「お前も疲れてんだろ。引き留めて悪かったな」
 と話を打ち切り、デスマスクは宝瓶宮を出ようとする。
 ミロがやはり真面目くさった顔付きのまま、考えるようにしながら言葉を発しようとしていた。
「明日さ、アルデバランの要望で晩飯をご馳走してやることになってんだよ。たぶん、アイオリアも来るぜ。場所は金牛宮な」
「え?」
 ミロが言葉を発する前に、デスマスクはそう言った。
 聞きたいことがあれば明日そこに来いと含めていたのだが、気付いたのはカミュの方だった。
「私たちも、招かれていいということだろうか?」
「ええ?」
 と変わらず間抜けた声を発するのはミロただ一人。
「構わねぇよ。むしろアルデバランが大喜びだろ。随分と寂しがってそうだからな」
 けたけたと笑い、軽く手を挙げてデスマスクは階段を下りていく。

 明日の夕飯は久々に美味しいものが食べられるよ、というアフロディーテの声かけにシュラが「それ、俺も行くのか?」と真顔で返していた。



 磨羯宮に到着し、居住スペースへと遠慮無く入り込んで見れば、見事に荒れた生活を送っていた痕跡があちらこちらに残っていた。
 アフロディーテがわざとらしく溜め息を零す。シュラは「勝手にお前達が入ってくるから、掃除する暇が無くてだな…」と口籠もりながら言い訳を呟いていた。
 そんな二人を置いてキッチンスペースへと入っていたデスマスクも、やはり盛大に溜め息を吐いた。
「見事に酒しかねぇな、お前」
「し、仕方がないだろ。任務で出掛けることが多いのだから、食材などの買い置きなど…」
 デスマスクが聖域を離れてからのシュラの食事風景が目に浮かぶようだと、デスマスクはまた小さく息を吐く。
 まだ、ごにょごにょと口籠りながら言い訳を続けているシュラの腕を引っ張り上げ、立たせた。
「?」
「明日の晩飯の材料もいるしな。ついでに今日の飯の材料と酒のつまみを買いに行こうぜ」
「あ、いいな、それ。私も久しぶりに街に下りたいよ」
「俺もか?」
「どうせ酒飲む以外に何も用事無いんだろ? 久しぶりに戻った友の買い出しくらい付き合えよ」
「友だったのか、お前」
「俺様、泣いていい?」
 本気の真面目な顔で、友かと問い直したシュラにデスマスクは嘘泣きの動作をしてやれば、アフロディーテが大爆笑してくれていた。
「だから、お前は笑いすぎだっての」
 言いながらデスマスクも気付いてはいた。逆をいえば、それほどまでに笑っていなかった反動なのだろうと。















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13.3.16

話に進展が無かった。
というか、現状確認とこれから為すべき事の確認を行う面々。

アイオロスは、壁に未来への伝言を残すことはしたのに、なぜその当時の仲間を頼らなかったのか。頼れる状態じゃなかったのか、端から頼る気など無かったのか。
などと、ふと思った疑問がディーテの言葉になった。
年中の子らを見限っていたのだろうか、と。アイオロスはその話が回想のみでアイオロスの視点から描かれることが無い為、色々と謎が残る。

まだ十二宮で騒いでそうだよね。盟の話の決着と星矢のペガサス聖衣獲得までを次で書きたい。本当はこの話で書くつもりだったけど、ちょっとまだ時間経過が足りなかった。


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