向日葵の種
高飛車で威圧的で派手好きだが、決して見栄っ張りでも意地っ張りでもない。知らないことは知らないとはっきりと言い、堂々と周りの者に教えを請う事が出来る子供だった。跡部という少年はそういう性格だった。
幼い頃から頭の回転が速くて語学が達者で難しい計算も出来て、いわゆる「出来の良い子」だった跡部少年だが、一年の半分を欧米で過ごす事が多かった幼少時代は、その育った環境のおかげで漢字には少々苦戦していたという。
特に、「当て字」と言われる分野に苦戦していたなと、樺地は幼稚舎時代を振り返る。
「樺地、これ何だ?」
「う? ……それは、ヒマワリ、と…読みます」
「ヒマワリ? これが? 日まわりって書かなくて何で向日葵って書くんだよ?」
「…うぅ。よくは、わかりません…。ただ、漢名から来てる、と…聞いたことはあります…」
「あ? 漢名って何だ?」
「中国での名称…です…」
「ああ? 何で、中国の字を使うんだよ?」
「そこまでは、わかりま…せん。今度、調べて…おきます」
漢字に慣れようと生真面目に読書に励む跡部少年は、読みに躓けば常に側にいた樺地に尋ねて来た。樺地がいないときは、芥川や宍戸に聞いていたようだ。
「ヒマワリってさ、学名がHelianthus annuusっていうのを知ってるか?」
読書に飽きたのか、唐突に跡部がそんな事を言ってきた。
「…うぅ?」
不思議そうに樺地が返せば、跡部は腕を組み頭上を振り仰いで、ずっと以前に聞いただけの情報であるその記憶を手繰り寄せながら言葉を続ける。
「Helianthusはギリシャ語の太陽という言葉のheliosと、花という言葉のanthosから来てるんだとよ。だから、英語名はそのまんま太陽の花でSunflowerだ。」
「太陽…」
今も昔も、あの大きな花を見て、誰もが太陽を連想してきたということだろうか。
「日本語名のヒマワリは、花が太陽の動きにつれて回ることかららしいな。ただ、ヒマワリが向日葵なんて字を書くとは知らなかったが」
「太陽の動きに、つれて回る…のです、か?」
「そんな説があるというだけだ。『つぼみのときだけ太陽の方向を向き、夜に向きを戻す』とか『花が咲いてからは東を向く』とか『本当は全然回らない』とか、そんな諸説だらけなんだぜ。でも、本当のところは、どうなんだろうな?」
少しだけ楽しそうに跡部は笑い、それを見詰めながら樺地は和やかな気分に浸っていた。
ヒマワリ。
太陽の花、か。
ヒマワリを見ると、どうしてか樺地は芥川慈郎を連想してしまう。跡部にそういうと「俺もだ」と同意されたことがあった。
でも、芥川に言わせると「ヒマワリを見ると樺地を思い出すぜ」となる。
自分はあんなに夏っぽくもなければ爽やかでもないと思うのだが、芥川には樺地がヒマワリなのだそうだ。ヒマワリ畑で見るような大群ではなく、町中で見かける庭先に咲く数本のヒマワリがイメージに近いらしい。
大きいからなのかと尋ねれば、それもあるが、その姿そのものが樺地っぽいのだと返ってきた。
太陽だけを見詰めてぽつんと立ち続けている姿が樺地っぽいのだと。
その当時、その意味が分からなかったのだが、最近になって「そういう意味だったのか」と気付いた。自分にとって跡部が太陽そのものだと理解した時から、ちょっとだけ芥川の言葉の意味を納得した。
ところで、実際にはヒマワリは太陽を追って向きを変えたりするのだろうか。本当のところはどうなのだろう。未だにその謎だけは解決されていない。
頭の中で、ヒマワリが太陽の動きにつれて回る様を想像してみるが、どうやったら、あんなに堅くて太いヒマワリの茎がぐるぐる回るのかと、疑問しか浮かばなかった。
「ヒマワリ…」
「何? 樺地、何か言った?」
「ヒマワリの種…出来てる、頃…だと」
「ヒマワリの種?」
「ウス」
「種がどうしたって?」
「夏が終わった今、もう、種を取るのは…難しい、のでしょうか?」
「えー? 知らねぇなぁ。どうなんだろ?」
「種を、取りに行きたかった…です」
いきなりヒマワリの事を言い出した樺地を、芥川は不思議そうに眺めた。
「何で、今頃ヒマワリ?」
「この時期、いつも、思い出し…ます」
「何を思い出したって?」
「約束…」
「約束?」
「ウス」
「何の約束?」
「大事な約束…」
ヒマワリのイメージが相応しいのは芥川か樺地か。そんな論議が巻き起こったことがあった。跡部と樺地と芥川と宍戸の間でだけの論議が。
論議という割には、宍戸の「どっちかっつうと、ジローは姫ヒマワリだろ。小せぇし」の一言であっさり片付いてしまったのだが。
とりあえず、大きいヒマワリは樺地で小さい姫ヒマワリは芥川という線で落ち着いた。
子供達の他愛もないおしゃべりである。
しかし、樺地は自分のイメージがヒマワリというのがいまいちピンと来ないせいで、最後まで不思議そうにしていた。跡部もヒマワリというと芥川というイメージが強かったので、何となく樺地がヒマワリというのはしっくり来ないようであった。跡部の持つ樺地のイメージが「白」であることも大きかったのだろう。
それでも、芥川が自分のイメージは小さい姫ヒマワリというのを受け入れてまで樺地はでっかいヒマワリと言い張ったので、二人とも渋々そのイメージを受け入れた。
宍戸は本気でどうでもいい気分であったのは言うまでもない。男を花に例えても気色悪いだけだろ、と思ったくらいである。
その後、樺地は跡部が持つ別荘の近くでヒマワリ畑を見かける機会に恵まれた。
見渡す限りヒマワリである。黄色一色の世界が広がっていた。やはり、こういう光景は芥川に相応しいなと樺地はぼんやりと思ってしまった。
跡部の別荘の庭にもヒマワリが咲いているのを翌日になって見付け、ちょっと楽しくなったものだ。
昨日見た一面のヒマワリなどではなく、手入れされた庭から少し外れた場所に一輪だけ咲くヒマワリだ。
樺地は自分よりも背が高いヒマワリの花をじっと見上げていた。はぐれたように一輪だけぽつんと咲くその姿は、寂しそうでもあり、逞しくも見えた。
芥川が言い張ったのはこういうヒマワリの姿だったのだろうなと、ようやく思い至った。
周りからはぐれようとも、ただ、太陽だけを求め続ける、その姿。
「種が取れる頃に、もう一度来ようぜ」
「ウス?」
気付けば、隣に跡部が立っていた。
「こいつの種取って、俺様の屋敷の庭に植えてやるんだよ」
ずっと側にいられるように。
そう続いたように思えた。
樺地が自分を目の前のヒマワリに重ねてしまったのを、跡部に感じ取られてしまったのかと思った。
種が取れる頃に、もう一度。
でも、そんなささやかな約束は果たされる事無く時だけが過ぎてしまう。
跡部は、何としてでもヒマワリの種が出来る時期にあの別荘へ行こうとしていたようだが、忙しさに押されてその思いを叶えられずに終わってしまった。
使用人の誰かに頼めば早いのだろうが、跡部は自分の手で取りたかったのだろうと樺地は思う。自分もそうしたいと思ったから。
中等部に上がり、今まで以上に跡部の周囲は忙しくなっていった。
目まぐるしい日々の中、跡部も樺地も小さな約束の存在を意識の片隅に追い遣ってしまうしかなかった。
それでも、毎年、この時期になると必ず思い出す約束の存在。でも、毎年、秋の初めは忙しく、別荘などに行く暇も無いのが現状だった。
あれは、跡部の優しさだったのに。
自分一人だけでも、無理をしてでも行けば良かったのだろうか。
判らない。
ただ、もう一度、跡部とあのヒマワリを見たかった。それだけが心残りだった。
「行けば?」
「ウス?」
「だから、別荘行けば?」
「ウ、ウス…?」
そんな簡単に言われても、はいそうですかと行けるものではない。子供だけの力でほいほいと行ける距離でもないのだ。そんな簡単に行けるのなら、今頃、跡部の屋敷はヒマワリ畑だろう。
そんな樺地の困惑を気に留めることもなく、芥川はコート脇で休憩するテニス仲間に大声で呼びかけた。
「なあ、岳人ぉ! おめぇ、跡部の別荘行かねぇ?」
「何でぇ、跡部の別荘ぉ?」
向日も大声で返事をする。どちらもその場から動いて相手の所へ行こうとは思わないらしい。
「樺地が行きてぇんだって! でも、跡部、今忙しいから無理だって諦めてっから!」
「だったら、樺地とお前で行けばー?」
「どうせならさぁ、皆で行かねぇ? 跡部の別荘、おもしれぇじゃん」
「どこの別荘?」
「幼稚舎の時にさ、一回だけ行ったとこ、覚えってっか?」
「もしかして、あのすっげぇ広いやつか? 近くにさ、ヒマワリ畑があった」
「そこそこ!」
「うおー!! 行く行く! あそこ面白かったんだぜ!」
「んじゃ、決まりな!」
本人の意思も都合も無視して、勝手に別荘行きが決まってしまった。
樺地は、せめて跡部に一言伝えてから、と主張しようとしたが、却下された。
「変なとこでくそまじめな跡部が、立て込んでる仕事放棄して別荘行くわけねぇぞ。跡部必勝法、それは強行突破っしょ!」
無茶苦茶である。
日程は、今週の金曜から日曜に掛けてとなったらしい。ちょうど、今週の金曜が学園の創立記念日で休みになっているので、一般生徒は三連休となる。テニス部は土曜に練習が入ってるはずだが、そこは監督を説得するか、無断で休んで後日みんなで一緒に怒られるか、という選択肢を選ぶつもりのようだ。
いつの間にか、向日が忍足と鳳の説き伏せに掛かっていた。
「跡部の家の人達って、『景吾ぼっちゃまのお友達』にはすっげぇ優しいんだぜ。もう、マジで至れり尽くせり、美味いもん食い放題! ついでにテニスコートが四面あるから、テニスもし放題!」
他人の別荘なのに、勝手知ったる何とやら状態の向日である。彼らが、毎回跡部の別荘で好き勝手に振る舞っているだろう姿が容易に想像できるようだった。
「そりゃまた、良さげな場所やな。それやったら、監督にそこでちゃんとテニスするからて、小さい合宿っちゅうことで認めてもらえるんとちゃうか?」
「合宿! いいな、それ! 侑士、監督に上手く言ってくれよ」
「ええよ。そのくらい朝飯前や」
「合宿って、それだと、俺らも強制になるじゃねぇかよ」
宍戸が面倒くさげにぼやくが、向日と芥川に「お前みたいな庶民が滅多に行けないような別荘だぞ。お前、こんなラッキー逃すなんて激ダサだぜ」などと失礼な事を言われまくり、その挙げ句、別荘合宿の参加まで承諾してしまっていた。意外と宍戸は押しに弱いらしい。
お祭り騒ぎならば向日と芥川とは良く言ったものだと、滝は他人事のように眺めながら呟いていた。
木曜日の夜。
部活終了後、生徒会の方に顔を出して一仕事片付けてから帰宅した跡部が、自室のドアを開けると、そこは、まるで強盗にあったかのような惨状になっていた。
「…………」
あまりの散らかりぶりに二の句が継げないでいる跡部に、部屋で待機していた芥川達がにこやかに「お帰りー!」と出迎える。
「さて、監督の許可も取ってある。お前んとこの執事さんの許可も取った。空港までは跡部の運転手さんが連れていってくれるって言った。向こうの使用人とも連絡は付いて、今頃は俺達が泊まりやすいように整えてくれてるはずだ。バッチリだぜ!」
「何が、バッチリなんだ? ああん?」
「もちろん、跡部様の別荘に合宿という名のお泊まり大会!」
「何だそりゃ!?」
「お前、服持ち過ぎだろ。せっかくお前が帰ってくるまでに着替えくらい用意してやろうって思ったのに、どの服を持って行くかで、すっげぇ悩んだじゃねぇか」
それでこの凄まじい散らかし状態なのか?
それよりも、勝手に人のタンスを開けるなと言うべきか。
「待て。意味が分からねぇ!」
「だから、お前の持ってる別荘に行くって言ってんの!」
「何で、いきなり別荘なんだよ!?」
「いきなりじゃねぇよ。五日前から決まってたんだ。お前には言ってなかっただけで」
「ふざけんな!」
「樺地も行きたがってたんだぞ!」
「ああ? 樺地だと?」
「二人で好きなだけヒマワリの種取って来い。俺達は好きなだけテニスしてっから」
「何が――あ? ヒマワリ?」
「ウ、ウス…」
「ヒマワリって…」
「ウス」
ようやく、今があの約束の時期だと思い出したらしい跡部は呆然としつつ、部屋の隅で申し訳なさそうに、でも、ちょっと嬉しそうにしている樺地を見遣った。
そのまま跡部は口を閉ざしてしまう。
何をどう解釈していいのやら、かなり混乱している。すっかり、文句を続ける気力を削がれてしまった。
「景吾様。お食事は車内で召し上がられてくださいませ。車のご用意出来ておりますので、皆様もどうぞ」
こいつら、跡部家の使用人全員を丸め込んだのか?
「行ってらっしゃいませ」
深々と頭を下げて送り出してくれる執事を呆れたように眺めた。そして、嬉嬉としてリムジンに乗り込むテニス仲間達の姿に目を向けた。
久しぶりに目眩を覚えそうだった。
いつもなら、こういう行為は跡部の専売特許であったはずなのに、今回は見事にしてやられた。
――こいつら、マジで有り得ねぇ。
2006.4.16
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学名の「Helianthus annuus」はヘリアントゥス・アンヌスと読むらしい。ラテン語なので、発音の訳し方が難しいね…。
暇つぶしに何となく向日葵を調べてたら色々と諸説ばっかりが出てきて私が驚いた。
思わず、跡部に語らせてしまったよ(笑)
実際に向日葵って太陽の動きに合わせて回るの? 回らないの?
時期的には、秋にも関わらず部を引退してないので、中学1年か2年の頃か?
跡部と樺地が、向日葵の種を取り来ようと約束したのは幼稚舎の4年か5年か6年か。(どれだよ;)
2泊3日で行こうとしてるところから、別荘は国内と思われる。
きっと、飛行機代から全てが跡部持ちになってると思う。
アニプリのファンディスクで諏訪部さんが置鮎さんとの対談で、部員に対する跡部のことを「親分肌的で」と言いつつも「逆に利用されてるのかもしれないですよね」という発言をされていたのを思い出したので、あの性格の跡部を利用するっていうのは、こんな感じか? と思いやってみた(笑)
あ、しまった!
「ともだち」で向日と跡部は中等部からの付き合いと書いたのに、ここでは幼稚舎からすでに友達やってるよ!Σ( ̄□ ̄;)
今、20.5巻を見たんですが、氷帝の開校記念日は4月!?
創立記念日とは別物で…とはいかないよなぁ。は〜…。
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