不在
季節は秋へと移り変わり、部活を引退した三年生達は本格的に卒業と進級へ向けての勉強に取り組み始める。
そんな日々の中、偶然にも校内のカフェテラスで顔をそろえた元テニス部の面々は、久しぶりに出来るテニス話に自然と盛り上がっていた。
暦の上ではもう秋とはいえ、昼間は夏と変わらないくらいに暑さが残っている。
氷が大量に入った冷たいジュースを飲みながら、宍戸が今気付いたように言った。
「なあ。最近、跡部見なくねぇ?」
「え? そうなん?」
「そういや、今週に入って跡部と会ってない気がする」
「だろ?」
「そうなんか? 俺、全然気付かへんかったわ」
宍戸が言ったことで向日も跡部と顔を合わせていない事実を思い起こし、言われてもまったく気付かなかった忍足は不思議そうに二人を眺めてしまった。
「跡部はぁ、二週間くらい、大阪に行ってるんだよねぇ」
テーブルに突っ伏して寝ていると思っていた芥川が、顔を上げることなくそう言った。
「は? 何で?」
「何ででしょう」
「知ってるなら教えろよ、ジロー!」
「何でだっけー?」
「思い出せって。気になるだろう!」
「確かぁ、今週中には戻るんだっけ」
「なんやねん、それ。旅行にでも行っとんの?」
「あいつが学校休んでまで旅行に行くなら、絶対に海外だろ」
「せやなぁ。何で大阪におるん?」
「だから、ジロー、教えろよ!」
「……んー? なんだっけぇ? 眠い…忘れたー」
「こらー!!」
「中途半端な言い方すんじゃねぇよ、テメェ。起きやがれ!」
向日と宍戸が耳元で騒ごうとも、芥川は起きあがる気配を見せない。
そんなことで騒いでいる内に休み時間終了十分前を告げるベルが鳴り響いてきた。
向日は、ぐーぐー眠ったままの芥川を見下ろし、これ以上は話を聞き出す事は不可能だと悟る。
おもむろに、三人はお互いに顔を見合わせた。そして、いきなりじゃんけんを始める。
一発勝負で負けてしまった忍足がしゃがみ込んで悔しがるのを余所に、向日と宍戸は「じゃあ、宜しくな」と手を振って校舎に向かって歩き去ってしまった。
残された忍足は、今も尚眠ったまま起きない芥川を見詰めて、大仰に溜息を吐いた。
「また俺かいな…。ほんま、ジロさん起きたってぇな。たまには自力で帰ろう思わへんの?」
つまり忍足は、芥川を抱えて教室に戻る役目を押し付けられた訳である。
教室に戻っても跡部の不在の理由が気になり、落ち着かない。
五時限目が終わった後、すぐに跡部のクラスに向かった。滝が同じクラスなのを思い出したのだ。
「萩之介くーん!」
いきなり下の名前で呼ばれた滝が妙な顔をして振り返った。
「何? 気持ち悪い呼び方しないでくれる?」
「何だよー。俺が呼んじゃ駄目な訳? いっつも跡部には下の名前で呼ばれてんじゃん」
「岳人は俺のこと名字でしか呼ばないだろ」
「たまにはいいじゃん。親しみを込めてんだよ!」
「意味判んないし」
「んなことよりさ、跡部知らねぇ?」
「え?」
「跡部だよ、跡部。先週からずっといないだろ?」
「いないよ。もしかしてさ、そのことに気付いたのは今かい?」
「今っていうか、今日」
「酷い友達がいたもんだ。一週間以上経ってようやくいないことに気付くなんてさ」
「しょうがないだろ。クラスも違うし、部活引退してから、そんなに顔合わさなくなったんだからさ。それに、俺だけじゃないぜ。宍戸と侑士も気付いてなかったんだぞ」
「本当、友達甲斐の無い奴ら…」
「なんだよー? 滝は知ってんのかよ?」
「そりゃね、一応、本人から聞いたからね」
「えー? 何でジロと滝だけが知ってんだあ?」
何で俺らには何も言っていないんだと、明らかにヤキモチを焼いた向日は大仰に騒いだ。それを、滝は笑いながらさらりと流す。
皆に言う暇が無かったのか言うのが面倒くさかったのか、それとも照れ臭い為に言わなかったのか、その理由は判らないが、跡部本人が言わなかったのなら敢えて自分が言うことも無いだろうという結論に達してしまう。
「明後日には帰ってくるらしいから、直接本人に聞くと良いよ」
無情な滝の言葉に、向日が益々大騒ぎしたのは言うまでもない。
部室に向かう途中、肩に担いだ鞄から短いコール音が聞こえてきた。それは、メールの着信を伝える音である。一人だけの限定にしてある音だ。
樺地はゆっくりと鞄を開けて携帯電話を取り出し、フリップを開いた。
少しだけドキドキしながら、メールを開いて内容を確認する。
『セミファイナル敗退』
書かれている言葉それだけだった。
必要最低限の事だけを書いた文面が、このメールの送り主の悔しさや苛立ちをよく表しているように思えた。
樺地は小さく苦笑を零す。
セミファイナルに進むだけでも凄いことだと思うのだが、彼は優勝以外に価値は無いと思っているのだろう。
ベストフォー入りおめでとうございます、なんていう文章を送ったら、それこそ怒って電話を掛けてきそうな気がした。
返信をどうしようかと考えていると、再びメールの着信音が鳴る。 先ほどと同じ人物からのメールだった。
今度のメールの中身は『明日の昼には戻る。お前も迎えに来い』という、いかにも彼らしい文章になっていた。
とりあえず、『ウス』と書いて返信しておいた。
「宍戸さーん! しーしーどーさーん、いませんかー?」
三年生の教室だというのに畏れることもなく大声を張り上げるのは、二年生の鳳長太郎である。
「おい、宍戸。犬っころが呼んでるぞ」
「犬っころじゃねぇ!」
わざわざ鳳の来訪を教えてくれたクラスメイトの頭を軽く小突きながら、宍戸は開け放たれた入り口に目を向けた。
宍戸に向かって大きく手を振っているその姿は、いつもの嬉しそうなものではなく、何故か妙に焦った様子だった。
「どうした、長太郎?」
「これ、これ見てくださいよ!」
興奮気味に差し出してきたものは、鳳の携帯電話。フリップが開かれ、画面には写真が表示されている。
「これが何だよ?」
「友達が送ってきたんスよ。この人、見えます?」
「ああ? この画面中央のか?」
「そうです!」
「うーん? 誰だこいつ」
「これ、跡部さんですよ!」
「ああ?」
眉を潜め画面を食い入るように見詰める。かなり離れた位置から撮ったのだろう、中央の人物は小さくて判別するのが難しい。
ただ、周りの景色もしっかり入っているので、その場所がテニスコートであることははっきりと判った。
「何だこれ?」
宍戸の質問には答えず、鳳は、今度はメールの本文を見せてきた。
「よ、よよよ読んでくださいよ」
「何焦ってんだよ」
「いいから!」
「判ったって…」
訝しげな顔をしながらも、宍戸は鳳の携帯を受け取りその内容を読む。
メールは、いきなり『こいつ、あの氷帝の跡部だよな?』という文章から始まっていた。
それに続く文は、『俺、大阪でやってるワールドスーパージュニアテニスに出てんだけどさ。聞いてくれよ、すっげぇんだぜ!昨日の三回戦でさ、第一シードで優勝候補だったピアースが予選勝ち上がりの日本人に負けたんだよ。信じられるか?あのピアースがだぜ!』
ピアースというジュニア選手を知らない宍戸は何がどう凄いのかいまいち判らず、小首を傾げた。
とにかく、優勝候補だったいうくらいだからそれなりに強いのだろうと思うことにして、続きを読む。
『こっちじゃ、ちょっとした騒ぎだったぞ。第一シードが予選勝ち上がりに負けるなんてことになったからさ。その予選勝ち上がりの名前を聞いて驚け!あの跡部景吾だ!』
宍戸の手から携帯がスポッと抜け落ちる。
「うわっ。落とさないでくださいよ、宍戸さん!」
驚いた鳳が慌てて落ちた携帯を拾い上げた。
宍戸は妙な表情を浮かべたまま鳳に視線を固定する。
いきなり予想を上回る情報が入ってきてしまった為、頭の中での整理が遅れてしまったようだ。
氷帝というテニスの名門校でプレイしてきた宍戸だ。プロテニスの大会やジュニアテニスの大きな大会の名称くらい頭に入っているはずだった。
しかし、今の宍戸の口からは、間抜けた声で間抜けた言葉しか出てこなかった。
「なあ、このワールドスーパージュニアテニスってなんだっけ?」
2005.10.7
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大阪で行われるジュニアテニスの世界大会の一つ。大阪市長杯と呼ばれるやつですね。
勝てば獲得ポイントも大きいそうで。
ウィンブルドンかフレンチオープンのジュニア選手権あたりに出て欲しかったが、夏が終わるまではワールドツアーを回るのは不可能だと気づき、素直に国内にしました。(学校の部活で部長やってる時点で、ジュニアサーキットには参戦していないんだろうなぁ、と)
跡部は、いずれテニスでプロに転向するのだろうか?
なんとなく、 職業テニスは似合わないような。テニスだけで食っていくというイメージがあまり浮かばないんだよなぁ。
社会人テニスでは続けていそうだけど。
手塚やリョーマは当然のようにプロ入りを目指すんだろうな。
真田はどうだろう? 真田もプロに転向するタイプだろうか?
とりあえず、大学までテニス中心の生活をしてるといいね。インカレで優勝争いをしてると良い。
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