一年の始まり

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ彼が来るような気がした。



 窓を開け、冴えた空気を室内に取り入れながら、樺地は晴れた空を見上げる。
 一月一日。元旦。年の初め。新春。
 色々な言い方があるこの日。
 彼は、朝から挨拶に訪れた客人の相手を両親と共にし、昼過ぎには一族と関連グループの為の新年会の会場である某ホテルへと赴く。
 財界のトップを走る企業の跡取りである彼の正月は、大変に忙しいものだった。
 しかし、仰々しい上に顔を合わせれば自慢話か嫌味事しか言わない伯母たちがウザイと言って、毎年夕方前には会場を抜け出している彼。
 もはや恒例行事となりつつある彼の行動。
 ただ、正月に他家に入り浸るのは礼儀に反するとでも思っているのだろう、絶対に夕方過ぎにしか訪れないのはそのためだと樺地は思っている。
 そんなこと気にしなくていいのに、いくらそう思っても、彼は決して自分の考えを譲らないだろう。そういう人間なのだ。
 ご両親も、抜け出した彼が樺地の家にいることを知っているので、今では何も咎めないらしい。
 夜になって、新年会で余った開封されていないワインや焼酎(樺地家では到底お目にかかれないような高級品のようだ)を土産代わりに持って、彼を迎えに来るご両親。
 小一時間、樺地の両親と話し込んでから彼を連れて帰る。
 そんな光景が当たり前になってきた最近。



 樺地は、窓の向こうに見える豪邸をぼんやりと眺めた。
 この時間は、ホテルで新年会の真っ最中だ。
 あの家には、使用人しか残っていないだろう。

 窓を閉め、部屋を出る。
 階段を下りようと手摺りに手を掛けた時、隣の部屋にいた妹が顔を覗かせた。

「お兄ちゃん。今日、ケイ兄ちゃん来る?」

 顔を赤くしてそう尋ねる妹の姿に微笑する。
 本人は隠しているつもりなのだろうが、周りにはバレバレなのが何とも微笑ましい。
 妹の初恋の相手は、間違いなく彼だろう。そして、その想いは現在進行形だと思われる。
 ゆっくりと頷いてやると、妹は嬉しそうに笑って部屋へと戻っていった。


 リビングを通過して、庭へと出る。
 勘だが、彼はこっちから来るような気がするのだ。
 ぼんやりと庭に突っ立っていると、
「今日、ケイ君来るかしら?」
 母親がそう尋ねてきた。
「たぶん…」
 と短く答える。
 じゃあ、お雑煮の用意をしておきましょう、と母親も楽しそうにしながらキッチンへと入って行く。

 良く晴れた日だ。もうすぐ日が暮れて冷え込み出すだろうが、今はまだ暖かい日差しが降り注いでいた。



 何分くらいそうしていたのか判らないが、予想通りに、塀の向こうから彼が姿を現した。
 庭に出て待ちかまえていた樺地に気付くと、さすがに驚いた顔をしたが、彼はすぐにニヤリとした笑みを浮かべてみせた。

「正月くらい、玄関から入って下さい…」

 言っても無駄だと判っているが、それでもつい言ってしまうのだ。

「大丈夫だ。周りの確認は充分にやってる」
「気を付けないと…」
 その内、不審者と間違われて通報されますよ、と続けようと思ったが止めた。
 やはり、こんな形だけの忠告など本当に形だけの意味しか持たないだろう。
「判った、判った」
 案の定、そんな言葉を返しながら、彼は、身軽な動きで塀を乗り越えて来る。
 庭に降り立った彼は、楽しそうに笑いながら樺地を見上げた。

「明けましておめでとう」
「おめでとうございます」

 律儀に挨拶をしてくれる彼に、樺地もきちんと挨拶を返す。

「さて、と。おばさんに見つかる前に玄関に移動するか」

 庭から侵入しておいて、わざわざ玄関から入り直す気らしい。
 初めから玄関を回って来れば良いのに、と思うのだが、彼に言わせればその距離が面倒くさいという。

 樺地の家は、彼の家の真裏に位置する。
 場所は真裏になるのだが、彼の住む家の敷地が呆れる程に広いため、彼の家の玄関から樺地の家の玄関まで、歩いて十分も掛かるのである。
 そんな距離を行くのが面倒だと言う彼は、時折、こうやって自宅の防犯装置の設けられた塀を巧みに避けて樺地家の庭から侵入してくることがあった。
 それを黙認しなくてはならない樺地は、いつ見つかるかとハラハラしながら見守るしかない。


 学園ではどんなに横暴な態度を取ろうと、エレガントだとか、気品があるだとか言われて持て囃される彼。
 私生活では、かなり大胆でワイルドだったりするのだが、そのことを知るのはごく一部の人間だけだった。
 その貴重な人間の一人である、あの、どこでもすぐに眠ってしまう金髪頭の先輩の顔を思い浮かべる。
 しかし、その幼馴染みの先輩も、彼が人の家の塀を乗り越えてやって来ることは知らないはずだ。
 こういうワイルドと言うより、ただの腕白坊主でしかない彼の姿を知るのは自分だけだと思うと、嬉しいのか恥ずかしいのか、妙な気分になる。

「おい。樺地、行くぞ」

 突っ立ったまま動かない樺地に、彼は焦れたように声を掛けてきた。

「ウス」

 返事をして、彼を追うべく歩き出す。


 いつも通りの従順な樺地の返事に、彼――跡部景吾は満足そうにニンマリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.3.12
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ほのぼのというか、プラトニック・ラブというか。半端な二人の関係。(妙な発言をするな;)
しかも、3月に正月の話を思い付くという、相変わらずズレまくりな私の感性。

樺地の家に上がり込んで樺地父と酒を飲みながら話をする跡部、などというイメージがあったが(オヤジかよ;)樺地視点にしてしまったために、そういうシーンが書けなかった。
むしろ、そんな庶民くさい跡部は書かなくて正解だったのだろうか。

今、気付いたのだが、樺地家は田舎に帰らないのか?(先に気づけよ;)
うーん…。
20.5巻を見ると祖母と一緒に暮らしているようだから、樺地家が親戚一同が集まる本家ということで。きっと、2日に親戚 が集まるんだよ。

常に跡部の荷物を持って歩く樺地の姿を見ていると、二人の家がご近所だったら楽しい、とか思ってしまう。

 

 

 

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