目覚め
「跡部、さん。こんなところで寝ると、風邪、引きます」
「う…ん」
「跡部さん。一度、起きてください」
「判っ…た」
明らかに適当な返事。
これは駄目だ。完全に寝惚けている。
ソファの上で眠ってしまった跡部を見下ろし、樺地はどうしようかと途方に暮れた。
樺地が側にいるとはいえ、彼がこうも無防備に寝顔を晒すのは珍しい。
連日のハードな部活練習に加え、学園祭に向けての準備などにも奔走していた跡部である。ここに来て一気に疲れが出たのだろうか。
明日は日曜日で部活も無い日だが、もしかしたら樺地の知らない用事が入っていないとも限らない。
このまま樺地家に泊まって行くのか、遅くなってでも帰るべきなのか、本人の確認は取っておかねばならないだろう。
起こすのが可哀相に感じるほど可愛らしい寝顔を見せてくれているが、ここは頑張って起こすしかない。
心が痛むが、頑張ろうと決意する。
「跡部、さん。このまま、泊まりますか?」
「あー…?」
「跡部さん。少しで、いいので、起きてください」
「あー…。あし、たぁ…。明日、なんか…あった、か?」
それを聞きたいのはこっちである。
眠気と戦うように、跡部が必死に瞼をこじ開けようとしているのだが、そうとうに辛そうだ。気の毒に思えてますます樺地の胸は痛むが、もう少しだけ辛抱してもらうしかない。
「泊まって行っても、問題は、無いのですか?」
「明日…は、何曜日だ?」
「日曜、です」
「…う…ん。予定は、無い…はず…」
もはや、限界らしい。
力尽きたように跡部の体から力が抜けた。
一気に脱力してくれる姿に一瞬ヒヤリとしたが、規則正しい呼吸から再び深い眠りに落ちたのだと分かって樺地は胸を撫で下ろす。
とりあえず、ソファで眠ってしまった跡部をそのままに、樺地は階下へと降りた。
キッチンにいる母親に跡部が泊まって行くことを伝え、それから、跡部家に電話をして、跡部が樺地家に泊まることを伝えた。
途中、居間の掛け時計に目を向けてみれば、時刻は夜の十一時を指していた。
このまま自分も寝てしまおうと思い、両親と祖母に「おやすみ」の挨拶を済ます。
そのまま樺地は使われていない和室へと向かった。そこの押入から来客用の掛け布団と枕を取り出し、再び二階の自室へと戻る。
ソファの上の跡部は、先程と変わらない体勢で眠り続けていた。
跡部の体をそっと抱き上げ、ベッドへと運ぶ。跡部をベッドに寝かして、自分は床に布団を敷いて寝ようと思っていたのだ。
「かば…じ…?」
振動を与えないように細心の注意を払いながらやっていたつもりなのだが、跡部の眠りを妨げてしまったようだ。
うっすらと目を開け、焦点の定まらない眼差しで周囲を見詰めている。
ベッドに横たえ、布団を掛けてやりながら「すみません」と起こしたことを謝ろうとした。
それが、いきなり凄い力で引き倒された。
「!?」
そのままベッドの上に転がされる。跡部を下敷きにしないように身を捻るのが精一杯の抵抗だった。
「あと、べ…さん?」
「うー…」
もの凄く不機嫌な声を出している。
どうやら、目覚めたのではなく寝惚けているらしい。
半端に覚醒させてしまったようで、すこぶる機嫌が悪いようだ。こんな状態の跡部は、本当に始末が悪い。下手したら、起きているときよりも凶暴である。
参ったな、と樺地は思った。
抱き枕か何かと間違えているのか、跡部が目一杯抱き付いてくる。
しかも、寝惚けているせいで力の加減がされていない。
二百キロを超える鳳のサーブを難なく打ち返す腕力は伊達じゃない。
このままでは、本気で絞め殺されそうである。
ベッドの上にいながら、死闘を繰り広げる羽目に陥りそうであった。
「跡部…さん。ちょっと、苦しい、のですが…」
耳元で訴えてみるが、効果は無かった。
どうしよう。
身を捩って、跡部の腕から逃れようと試みる。しかし、跡部の締め付けはますます強まるばかりだ。
迂闊に引き剥がすと、自分の身が危ないことは今までの経験から理解している。
以前にも似たような事があり、その時の樺地は跡部の腕を強引に引き剥がそうとしたのである。それが気に食わなかったらしい跡部は、あろう事か、樺地に四の字固めというプロレス技を仕掛けてくれたのだ。それも寝惚けたまま、恐ろしい力で。
あの時はまともに首が絞まり、一瞬だが、お空の上のお花畑が垣間見えた気がした。
このままこの体勢を維持するのは辛いが、だからと言って、四の字固めやコブラツイストは勘弁してほしいところだった。
どうしたものか。
どうにかして、少しだけでも楽な体勢はないかともぞもぞと動くが、どうやっても苦しい。
こうなれば、再び跡部が深い眠りに落ちるのを待つ以外にないのだろうか。
小さな子供をあやすように、跡部の頭を撫でてやる。
妙な体勢のおかげで腕が痺れてきたが、ここは我慢しかない。
どのくらいの時間が経ったのか判らないが、樺地はずっと跡部の髪や背中を撫で続けていた。
少しずつだが、跡部の腕から力が抜けつつあった。
やっと楽な体勢が取れるようになり、樺地はほっと一息吐く。
「このまま…で、いいか…」
今更、床に布団を敷いて寝直すのも面倒に思えてきたので、このまま一緒に寝ることにした。幼い頃からこのように一緒の布団で寝ることもあったから、目を覚ました跡部が驚くこともないだろう。
背を向けるのも何だか寂しいので、樺地は跡部を抱き込むようにして目を閉じた。
長時間に渡る攻防戦のおかげで、疲れ切っていた樺地は一瞬で眠りに落ちた。
カーテンの隙間から陽差しが差し込み、その眩しさに跡部は目を覚ました。
体を動かそうとして動かない事に気付く。
「何、だ…? どこ、だ…ここ…?」
視界を巡らせば、自分を抱きかかえて眠る樺地の姿があった。
何で樺地に抱きかかえられて寝ていたのか思い出せず、跡部は首を捻る。
自分の置かれた状態について何があったか思い出そうとするが、包まれる樺地の体温が気持ち良くて再び眠ってしまいそうだ。
「うー…眠みぃ」
目が覚め切っていない跡部は、樺地の胸元に額を押し付ける仕草をしながら気合いを入れる。
完全に意識が覚醒するまで時間が掛かりそうである。
樺地の腕の中でまどろみながら、少しずつ昨夜の遣り取りを思い出し始めた。
「そういや、一度、こいつに起こされたな…」
泊まって行って大丈夫なのかと、心配そうに尋ねてきていた樺地を思い出す。
その後、何か、樺地を引き倒した気がしなくもないのだが、はっきりと覚えていない。
ちょっと心配になって樺地の顔をまじまじと見詰めた。良かった、今回は殴ってはいないようだ。
以前、寝惚けた跡部は起こそうとしてくれた樺地を殴り倒しているのである。その時の樺地の頬の腫れは二日ほど引かなかった。
半分意識が飛んでいる状態なおかげで、本当に力加減が出来ないらしいのだ。しかも、大半が記憶に無いのだから、始末が悪い。
今回も、この状況を見れば自分がどういう寝方をしていたのか考えるまでもないだろう。
殴らなかった代わりに、またしても、巨大な抱き枕にしてしまったらしい。
樺地には申し訳と思うが、おかげでこちらはぐっすりと眠れたので助かっているけれど。
「なんか、久しぶりに寝た気がするな…」
自覚が無いだけで、自分は疲れ切っていたのだろうか。
傍らの温もりが気持ち良くて、跡部はゆっくりと樺地を抱き寄せた。
「起きるの、面倒くせぇなぁ」
そんなことを思いながら緩慢な動作で視線を動かせば、ベッド脇に置かれた目覚まし時計が目に入った。
時刻は六時五十八分。
目覚ましがセットされているのが七時だという事も判る。
先にタイマーを切ってしまわないとうるさいだろうなと思いつつも、体を起こすのが面倒でそのままになってしまった。
ああ、七時になる。
鈍った思考のまま、跡部は時計を眺めていた。
ピッ…と一瞬だけ目覚ましのベルが鳴りかけた。しかし、鳴る直前に樺地の手によって止められてしまったので、目覚ましはその役割を果たすことが叶わなかった。
ゆっくりと体を起こし、樺地は手にした目覚まし時計を見詰めて満足げに微笑む。
さっきまで熟睡しているように見えた樺地がいきなり素早い動作で目覚ましを止めてくれたので、さすがの跡部も度肝を抜かれた。
時々、こいつは電池で動くロボットじゃないのかと、本気で思いたくなる事がある。
こういう時、つくづくと思ってしまうのだ。
どういう神経伝達回路を持っているのかと。
今ので、すっかり目が覚めてしまった。
まだ、こんなことをやっていたんだなと、跡部は呆れたように笑う。跡部が知る限り、これは樺地が幼稚舎の四年生の頃からやっていることと記憶する。
「それ、楽しいか…?」
「ウス。四年間、連勝中…です」
「セットする意味がねぇじゃねぇか」
「念の、為…です」
「…意味判んねぇし」
樺地は、毎朝目覚まし時計と競争をしている。
目覚ましをセットしておきながら、目覚ましよりも先に起きるのが楽しみなのだそうだ。
2006.3.17
************************************
目覚ましと競争する樺地が書きたかっただけでして。
一緒に寝ているにも関わらず、どこまでも色気とは無縁な話。
抱き付く、キスするは日常茶飯事な二人というイメージで。挨拶と同じレベルなので、照れや恥じらいとも無縁。(お前の樺跡のイメージって…)
以前、ラジプリでキェェェの人が目覚まし時計セットしなくても起きれるとか目覚ましより先に起きれるとかそんな話をしてたような覚えがあって(記憶が曖昧(笑)そこから発生した話。
抱き付くのが好きだったり、寝ているところを半端に起こすと凶暴だったりするのは、Gackt氏のイメージから来てたり。(書きながら頭に浮かんだのがGacktだったもんで)
|