能力

 

 

 

 

 

 

「樺地の記憶力って、ずば抜けてるよな」
「何を今更」
「凄いのは知ってたけど、あそこまで凄いとは思わなかったんだよ」
「お前は日本語の勉強からやり直せ」
「何だよぉ…。本当、冷たい反応ばっかりだな日吉は」
「冷たくて結構だ」
「でさ、樺地に教科書に載ってたグラフの事を―――」

 冷たくあしらおうとも、たいしたダメージを受けることもなく話を続ける鳳を、日吉は胡乱気に見遣った。
 レギュラー専用の部室で着替えながらの会話だった。
 全国大会に向けての練習も佳境に入ってきている。そんな中でも、鳳は相変わらずのマイペースぶりを発揮していた。

 二人とも周りからはマイペースな奴だと言われることが多いが、黙々と淡々と個人行動主義で動く日吉に対して、いついかなるときでも穏やかに和やかに周りを巻き込みながら動く鳳とでは、タイプが随分と違っているものだった。

 そういえば、常に己の感覚と己のペースでしか動かない跡部の性格もマイペースと呼ぶのだろうか。

 鳳の言葉を聞き流しながら、日吉は他愛もない考えに没頭していった。

 部活開始時刻まで、まだ三十分近くある。
 今日は、宍戸が少し遅くなるらしく、その宍戸の代わりと言わんばかりに鳳が日吉を誘い早めにコートに出て少しでも練習をしようということでこの時刻に部室に来ているのだが、そこには、二人とは違う目的で早めに部室に来ている人物もいた。
 本館の最上階にある生徒会室まで行くのが面倒だったのか、生徒会の仕事を部室に持ち込んで作業をしているのは部長の跡部である。
 中央に置かれたテーブルを陣取って真剣な面もちで何やらノートに書き連ねていた。
 面倒な計算でもやっているのか、その身に纏う空気は非常に険悪なものだ。あまり騒がしくしないのが賢明だろう。

 そんな事を思っていると部室のドアが開き、忍足と向日と樺地が入ってくる。
 面白い話でもしていたのか、笑いながら入ってくる忍足と向日。その後ろに、いつもの感情の読めない表情で樺地が続いた。

 樺地は、跡部の手伝いをするために来たのは分かり切っているが、忍足と向日が開始時間よりも早くに姿を見せるのは珍しい。
 やはり、全国大会への意気込みの現れなのだろうか。

 跡部は、僅かに顔を上げて新たに現れた三人を見遣るが、すぐに手元の資料に視線を戻してしまった。
 いつもなら「てめぇらもやっとやる気になったか?」というような皮肉めいたセリフを言ってくれそうなものだが、今日はそんな様子もない。

 静かな跡部を向日が不思議そうに見詰めたが、忍足は気にした風もなく自分のロッカーに向かった。

「ウス」
「ああ、そこに置いておけ」
 樺地が抱えてきた資料と思われる数冊のファイルを差し出せば、その置き場所を示しただけで、それっきり口を噤んだ。

「こんな時期でも生徒会と部活の両立かよ。っとに忙しい奴…」
 ロッカーからユニフォームを出しながら向日が呟く。
「感心なことやな」
 非常にやる気の無い口調で忍足が言ってくれるが、そんな言い方をされてもまったく誉められた気がしない。忍足も誉めるつもりで言った訳ではないだろうが。

 呑気な動作で着替える鳳を待ちながら、日吉はそんな三年生達の様子を観察していた。

 何か考えが行き詰まったのか、跡部が苛立った動作で顔を上げ、先ほど樺地が持ってきたファイルを手に取りパラパラと捲り始める。それから、樺地の方を見ることもせずに声を掛けた。
「おい、樺地」
「ウス」
「昨年の予算はどこに書いてあったか?」
「ウス。その薄いファイルの、三十二ページ目にあります」
「学祭の事はどこだったか?」
「ウス。そちらの分厚い方の、…十八ページ、三十行目からです」
「ああ、これか。…それと、体育祭だ」
「体育祭については、同じファイルの二十三ページに、あります」
「ありがとよ」
 跡部の問い掛け全てに即答する樺地。
 それに対し、跡部は樺地の事を一度も振り返る事なく樺地が言うままにページを繰っていた。疑う必要など全くないというように。

 向日が感心したように軽く口笛を吹く。
 日吉もさすがに驚きを隠せなかった。傍らの鳳はロッカーの扉を閉めようとしていた手を止め、ぽかんとしてしまっている。

 一体、どういう頭脳をしているのだろうか。
 記憶力がずば抜けて良いことは知っていたが、必要な情報の全てをストックし、且つ、瞬時に取り出し可能とは。
 情報が多すぎて迷うことは無いのだろうか。
 日吉は感心したように、鳳は尊敬の眼差しで、巨体のチームメイトを見詰めた。

 樺地の記憶の仕方は、いわゆる普通の暗記とは違う。
 瞬間記憶力とでも言えばいいのだろうか。全体の光景を一瞬で頭の中にインプットし、後々でも頭の中でその映像を再生することが可能だという。
 例えるなら、時間の無い朝、新聞をざっと流し見てから学校に行き、教室に入ってからその記憶の中にある新聞の記事を再生して隅から隅まで読むことも出来るそうだ。
 樺地のテニスのプレイスタイルはこの才能を応用したものである訳だが、そういうスタイルを指示したのは跡部だという。

 樺地は記憶力だけではなく、運動能力もずば抜けている。だから、常人には不可能な真似も可能なんだよ。

 樺地について尋ねた時に、自慢げに答えてくれた跡部の姿を日吉は思い出す。
 一年の夏の終わり頃。たまたま跡部と二人きりになる機会があり、その時に、その場しのぎで持ち出した話題だった。


 跡部が気怠げな動きで椅子の背もたれに体重を掛けて後方を振り返った。
「おい、忍足」
「あ? なんや?」
「46250×1652イコール?」
「は? えーと…なぁ。…76405000」
「サンキュ」
「………」
 いきなり問いかけられてしまったせいで、思わず反射的に答えてしまった忍足が不愉快そうに顔を顰めている。

 何だ、今の会話は。

 樺地に感心していたら、不意打ちのように忍足が思いも寄らない特技を見せてくれて、またしても鳳と共に唖然とさせられる羽目になった。
 得意科目は数学と聞いていたが、こういう暗算が得意だとは知らなかった。
 とてもじゃないが、日吉や鳳には数秒で暗算出来る桁では無かったように思う。

「お前なぁ。ええ加減にせぇよ。俺を電卓代わりに使うな言うとるやろ」
「電卓出すのが面倒くせぇんだよ」
「電卓ぐらい出せや」
「いいじゃねぇか。こっちの方が早い」
「電卓代わりに使われて、こっちは腹立つっちゅうねん!」
 着替え終えた忍足が声を荒げて跡部に詰め寄っている。
 その忍足の袖を向日が引っ張った。
「侑士。んなこといいからさ、さっさとコートに行こうぜー」

 彼らにとっては、忍足の暗算も、忍足を電卓代わりに使う跡部も、そんなものは見慣れたいつもの光景でいちいち気に留める必要もないらしい。

「んなことってなんやねんな。俺には大事なことや」
「今はテニスだテニス」
「話が噛み合うてないで、ガックン」

 彼ら三年生達は、いつもこんな遣り取りをしているのか。

 思い掛けないところで三年生達の日常を垣間見た気がして、日吉も鳳も、何とも不思議な気分を味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006.1.2
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こういう可もなく不可もなくといった他愛もない日常をもっとちゃんと書きたいな。

単に人間インデックスな樺地と人間計算機な忍足を書きたかっただけなので、ラストを締めようがなかった。
グダグダなままに終わってしまってる…。すんません(==ゞ

 

 

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