RAINBOW RAINBOW

 

 

 

 

 

 

 

 教室と廊下の両方で歓声が上がった。

 丁度、四時限目が終わったところで、学食へ行く者や教室で弁当を広げる者の姿が見え始めた時のことだ。

「何事…?」

 半分夢の中で四時限目を受けていた宍戸は、周りの騒ぎ声に目を覚ました。

「おい、見ろよ。すげぇおもしれぇ!」
「何?」
「雨、雨!」
「はあ?」
「丁度、この校舎がさ、雨の境目になってんの!!」
「はあ…」

 寝ぼけているせいもあって興奮する友人の気持ちがよく判らず、間抜けた返事を返した。すると、腕を引っ張られて窓際に連れて来られた。
 そこからは良く晴れたグランドが見える。
 これが何? と友人の顔を見た。
 今度は頭を強引に廊下側に向けられた。
 廊下の窓から見えるのは、薄暗い雲と土砂降りの雨。

「ん?」

 振り返ってグランドを見れば、やはり晴れている。

「何だ、これ?」
「だからぁ、雨の境目だって!」
「ふぅん…」

 やはり、寝ぼけていて頭が働かないのだろうか、これの何が面白いのか理解出来なかった。

「お前なあ、そんなつまんねぇ反応すんなよ。こんなの滅多に見れねぇんだぞ」

 確かに、珍しい現象だ。校舎を挟んで晴れと雨。

「うん。珍しいな」

 感想はそれだけだった。
 別に冷めているわけでもリアリストなわけでもないのだが、これといった感動は無かった。だからといって、騒ぐクラスメイトを子供だとか馬鹿みてぇとも思わない。
 そんな事より、弁当を食べたい。それが正直な感想。

 やはり、まだ頭が寝ているのかもしれない。

 感動を伝えようと必死の友人を視界の端に捕らえながら、宍戸は自分の席へ戻る。
 弁当を出そうと鞄を探っていると、前方入口で聞き慣れた大声が聞こえた。

「宍戸さぁぁん!」

 一瞬だけ、教室が静まりかえる。
 雨から視線が逸らされ、その視線の全てが前方入口に集まった。
 このクラスではすっかり馴染みのものとなってしまったその姿。

 誰かが呟く。
「わんこが来た…」

「犬じゃねぇ」
 呟いたクラスメイトの頭を軽く小突いてから、宍戸は入口に近寄った。

「宍戸さん、見てくださいよ!」
 満面の笑顔で廊下側の窓と、教室の向こうに見えるグランドを指さす後輩の姿に、宍戸は脱力する。

 こいつは、それを言う為だけにわざわざ三年の教室にまで来たのか?

「見てるよ」
「凄いっスよね!」
 感激屋の後輩こと鳳長太郎は、すっかり舞い上がっている。
 嬉しそうに言い募るその姿に、耳をピンっと立てて、尻尾をブンブン振り回す大型犬を連想しそうになって、慌てて頭を振った。

 宍戸のクラスメイトから「わんこ」呼ばわりされていることを、勿論、本人は知らないはずだ。

 犬。それも、宍戸に懐く犬。
 皆の言いたいことはそれである。
 宍戸が手懐けた、忠実な犬。

 いや、別に鳳は悪くない。しかし、どうしても、皆がからかいで発するその表現に非常に卑猥なものを想像してしまいそうで、宍戸は居たたまれなくなるのだ。
 想像する自分も自分だが。

「おい、長太…」
「あ!」
 宍戸の発言を遮って、鳳はいきなり駆け出した。宍戸の手を握って。

「あー。宍戸が攫われた」
 クラスの誰かがそう呟いた。

 

 

 

「おい、長太郎!?」
「宍戸さん、虹、虹!!」
「虹が何だって?」
「虹が出そうです!」
「それがどうしたんだよ!?」

 叫ぶように会話をしながら、全速力で走った。
 鳳が手を離そうとしないから、宍戸は半ば引きずられるように走る。

 三年の教室がある校舎を走り抜け、渡り廊下を使って隣の校舎に入った。
 階段を駆け上がり、最上階まで休まず走る。

 足の長さが違うから、当然、走る速度も違ってくる。
 それを、鳳は手を離さずに全速で駆けてくれるのだから、宍戸は堪ったもんじゃない。

 呼吸が乱れて、酸欠を起こしそうになった時、ようやく鳳が立ち止まった。
 ガチャガチャとノブを回してドアを開ける音がする。
 いきなり目の前が明るくなって、宍戸は目を細めた。

 どうやら、屋上に着いたらしい。

 よろよろと、鳳の後に続いて屋上へと出た。

「わあ!」

 鳳が空を見上げて感激の声を上げていた。

 宍戸は壁にもたれて呼吸を整えようと必死である。
 肺が酸素を求めるが、上手く吸い込めない。苦しくて、吐きそうだ。

「宍戸さん、宍戸さん!」

 宍戸が死にそうな思いをしているのに、無邪気に鳳は感動していた。

「凄い。本当に虹が出ましたね!」

 座り込み、深呼吸を繰り返しながら宍戸は空を見上げた。
 確かに、はっきりとした綺麗な虹が出ていた。

「ああ、虹だな…」
 とりあえず、返事だけはしてやる。

「あ、あれ? 宍戸さん、大丈夫ですか?」

 今頃、気付いたのか、こいつは。

 心配そうに隣にやって来る鳳の頭を叩いてやろうかと思ったが、生憎とそんな元気は残っていなかった。

「き、綺麗ですね…」
「……綺麗だな」
「え、と。あの、すみませんでした。虹が出そうだったから、宍戸さんと見たくなって、思わず走ってしまって…」
 余程、苦しそうな顔をしているのか、鳳はすっかり落ち込んでしまったようだ。
「この状況下でへたばってる俺は激ダサだな」

 空には、見事な虹なのに。
 それを見る余裕もなく、喘ぐ男が一人。

「そんなことないです! 俺が、宍戸さんの足の長さ考えなくて走っちゃったから」
「足が短くて悪かったな」
「そ、そそそそそそそういう意味じゃないんです」
「冗談だよ」

 泣きそうな後輩を見て、少しだけ笑いが零れた。

 少しずつ、虹が薄くなっていく。

「あー…。消えそう」

 悲しそうな声を上げる後輩の腕を取り、立ち上がった。

「宍戸さん?」

 全力疾走したせいで、足がふらついている。
 全力疾走は鳳も同じはずなのだが、こちらは呼吸も乱れていない。 恐ろしいスタミナの持ち主だ。

 屋上の端にあるフェンスの所まで歩いてくると、今度はフェンスに凭れるようにして虹を見上げた。
 宍戸の隣に鳳が座り込む。宍戸を見下ろさないように気を遣っているつもりなのか。



「Over the Rainbowって歌があっただろ」
 先日の音楽の授業で歌わされた曲のタイトルを口にする。ミュージカル映画の主題歌らしいが、宍戸はよく知らなかった。

 鳳が何を言い出すのかと、不思議そうに見上げてくる。

 音楽の授業では、歌詞の全てを英語で歌わされるという恐ろしい目に遭わされ、そのせいで記憶に残っていた。
 英文を読み取るのに必死で、発音なんか滅茶苦茶だった。
 その話を滝にしたら、笑いながら歌詞の意味を訳して教えてくれた。

「虹を越えて行けたら、お前はどうする?」
「え?」

 走り回って、疲れて座り込んで、虹を見て。

 いきなり日常から切り離されたような感覚を味わった。


――虹の彼方のどこかに、昔、子守唄で聴いた国がある――

――虹の彼方のその国は、空は青く、あなたが見たい夢が本当に叶えられる――


 夏で終わったテニス。一気に押し寄せる進路と卒業という名の現実。

 先に進むことの意味が判らなくなっていた。
 テニスがしたい、それだけだった。
 その為には、何を選べば良いのか。
 何を選択し、何を切り捨てて行くのか。それが判らなくなった時、宍戸は一歩も動けなくなってしまっていたのかもしれない。

 感情まで凍り付いてしまったかのように、何も考えずに、何にも関わらずに、ただ漠然と過ごそうとしていた。

 それが、ここに来てこの虹騒ぎ。

 隣で大いに騒いでくれた後輩に、呆れと憧れという奇妙な感情を抱いていた事に気付く。

 空を見ていたら、ぼんやりと霞がかっていたような頭の中が、少しずつ晴れて行く気がした。


 隣では、鳳がまだ悩んでいた。

「ええと…。そうですね。とりあえず、宍戸さんを探しに行きます」
「は?」

 感傷的な気分のままに発した質問に深い意味は無かったのだが、しかし、かなり予想外の返事が返ってきた。

「はあ?」
「だって、虹を越えてしまったら、ここじゃない場所にいるって事でしょ? 俺の意志で行くのなら良いですけど、映画みたいに竜巻に巻き込まれてという問答無用な状態だったら、俺、淋しくて死にそうです。だから、宍戸さんを探しに行きます」

 理解出来ない。

「映画は、そういう話なのか?」
「女の子が主人公の冒険ものですよ。竜巻に巻き込まれて、知らない世界に飛ばされて、そこで冒険が始まるんです」
「へぇ…」

 あの歌が使われていたという映画は、冒険ものだったのか。

「それで、何で俺を探すんだ?」
「だって、宍戸さんがいたら大変な状況も楽しくなりますから。ずっと一緒が良いです」

 やはり、意味が判らない。

「あ、でも。俺が一人で知らない世界に飛ばされるのなら、二度と宍戸さんに会えませんよね。だったら、死に物狂いで帰る方法を考えるかも」

 いや、別世界に行ったらどうする、という質問をした訳ではないのだが。

 そもそも、自分で言っておいて何だが、あの質問にまったく意味は無いと思う。
 たぶん、先に進むことの意味が欲しくて、無意識に口に出た言葉。

「やっぱり、冒険するなら大好きな人と一緒が良いですよね。俺は宍戸さんと一緒じゃなかったら、泣きますよ」
 どさくさに紛れて、告白じみたことまで言われた。でも、わざと、気付かない振りをして聞き流してやる。

 目を瞑り、深く息を吸い込んだ。


 固まっていた時間が流れ始めるようだった。


 これは、終わりではなくスタート。
 まだ、何も始まってはいない。

 ハングリーになれ。恐れる暇は無い。挑み続けろ。

 高等部に上がれば、テニス部でまた下っ端からやり直しだ。そこから駆け上がっていくことになる。
 今のレギュラーは全員が内部進学を選んでいた。全員が、仲間であると同時にライバルだ。
 迷っている暇は無い。


「――って、宍戸さん、聞いてます?」
「悪りぃ、聞いてない」
「酷いですよ! 宍戸さんが聞いてきたんじゃないですか!」

 ゲラゲラと笑い、宍戸は空を見上げた。

 虹は、もう消えてしまっていた。

 僅かな間だけ見せる、光の幻想。

 余裕が無ければ、気付く事もない光景。

 見落とさなくて良かったと、心からそう思った。



「宍戸さん。俺、お昼まだです」
「俺だって食ってねぇよ」
「虹も消えちゃったし。お昼食べに、行きましょう」
「お前が、勝手に暴走しなけりゃ、今頃もう食い終わってんだろうが!」
「うわっ。ごめんなさい!」

 鳳の頭を軽く小突いてから、宍戸はもう一度だけ空を見上げた。


 雨が降った後だけに、空は澄んでいて、どこまでも青く高かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.4.21
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自分でも、何が言いたいのかよくが判らない話です…
後半、収集が付かなくなり、何故かオズの魔法使いの主題歌の話題になるも、宍戸の手によって無視された。鳳一人が馬鹿やってるみたいだ。

鳳宍を書きたかったのですよ。青春してる青臭い鳳宍を。

書いてみれば、青臭いではなく説教臭い話になってる気がした。
私の書く話は、じじくさい説教臭い話が多い気もする…凹



校舎を境にして雨と晴れという現象は、中学・高校時代に二度ほど見たことがあります。その後、見事な虹も出た。
ほとんどの生徒が授業そっちのけで大はしゃぎしていたな(笑)

タイトルは、TMの曲名から拝借。

 

 

 

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