才能〜後編〜

 

 

 

 

 

 

 

 その年の夏の大会にレギュラーとして出た二年生は、跡部と宍戸と滝の三人だった。
 編入してきた時期が時期なので、忍足は当然ながらレギュラー選手としての登録はされていない。忍足が活躍するのは、秋の新人戦からとなる。

 夏も終わり、三年生の引退に続いて、跡部新部長を中心とする新体制が整い始めた頃。
 忍足は、相も変わらず悩んでいた。

「忍足ー。真面目にやれよー」
「真面目にやってるやん」

 ネットを挟んだ向かいから文句を言ってくるのは、芥川慈郎である。
 つまんないを連発して跡部に訴える始末。

「あーあ。すごいゲーム展開やってるね」
「今日は駄目な方か…」
 スコアボードを見て、滝と跡部は口々に呟いた。
 絶好調と絶不調の差が極端過ぎる忍足は、試合結果も極端であった。
 昨日は芥川との対戦で6-2で勝っていたのに、今日は0-6で負けている。

「おい、忍足。いい加減に本気出さねぇとレギュラーから外すぞ」
「うわっ。部長さん、それだけは堪忍したってや。そないなことになったら、俺、ホームレスにならなあかんねん」
 忍足もコートからそんなことを叫ぶ。
「バカ言ってねぇで、真面目にやれ」

 大声で交わされる会話に、周りにいる部員たちからも笑いが零れた。
 三年生の引退直後というのもあるのだろうか、コートの中は珍しく和んだ空気が流れていた。

「あいつのあれ、どうにかしねぇと大会でも使い物になんねぇだろ」
 ベンチ脇にやって来た跡部に、宍戸が話し掛ける。
「どうするか、俺に言われてもな。監督が考えるんじゃねぇの? 監督が引き抜いてきた奴だし」
「監督、どうにかする気あんのかよ」
「その為の監督だろうがよ」
「監督、全然顔見せねぇじゃん」
「その内、来るだろうよ」
「マジで、あいつのテンションが判るのが試合中ってのも問題だぜ」
「だから、俺に言われてもな」

 他人事という感じで適当に流す跡部と、気になって仕方がないという宍戸の会話。

 今現在の忍足は、強力な戦力であると同時に、身の内に抱えた爆弾にもなりかねない存在と言えた。

 センスやテクニックは、おそらくレギュラーの中でも抜きん出ているだろう。それだけに、どうにかして本気を出して欲しいと思ってしまうのだ。

 二人の会話を黙って聞いている滝の隣で、向日がそわそわしながら割り込んで来る。

「あのさ、侑士がレギュラー落ちしたりしたら、退学になんのかな?」
「バーカ。んなことで退学になるかよ。ま、中学の間にそれなりの成績を残せなかったら、高等部進学での審議に引っ掛かるかも知れねぇけどな」
「審議で引っ掛かったらどうなんの?」
「特待生取り消しだろ」
「うっそ? そうなったら、侑士はどうすんのかな?」
「そんときは、一般で受験して入ることになるか、地元に帰るか、じゃねぇの?」
「ええー? 侑士、地元に帰るのかよ!?」

「こら! 何、勝手に俺を落第させてんねん。何が何でも、俺は高校卒業までは地元に帰れへんわ」

 ベンチ脇での会話をしっかり聞いていたらしい忍足が、向日に向かって大声を張り上げる。

「侑士、帰らないんだな!」
「当たり前やろ。何しにわざわざこっちまで出て来とる思うてんねん」

 とはいえ、このままの調子が続けば、さすがの監督も忍足の扱いを考え出すかも知れない。

 ようやく強い相手と出会えたのに。
 やっと、テニスを楽しむ事を覚えたのに。

 集中力というものは、どうやって鍛えればいいのだろうか。

 ある程度まで行くと、必ず気持ちが冷めてしまう。
 その先へ進みたいという願望はあるのだが、気持ちが付いてこない。

 本気を出すって、どうやれば良いのだろうか。

 

 

「おい、向日」
「何だよ?」
「お前、忍足とダブルス組め。で、俺と樺地が組むから試合やろうぜ」
「お前と樺地って、最強じゃんか。勝てるかよー」
「やる前から負けた気になってんじゃねぇよ」
「何で、俺の相方が侑士?」
「お前と一番気が合ってそうな奴だから。誰とでもダブルスが組める器用者の滝は、今ジローと対戦中だからな」
「ま、いいけど。おーい、侑士ー!! 俺とダブルス組もうぜ!!」

 フェンスにもたれて座り込んでいる忍足を見付け、向日は大声で呼びかける。

「なんやてー?」

「お・れ・と・ダ・ブ・ル・ス・や・ろ・う・ぜ!」

 もう一度、同じ言葉を更に大声を出して言ってやった。
 隣で、跡部がうるさいと顔を顰めているが、無視である。

「ダブルス?」
 ラケットを抱えてコートの中へやって来た忍足がそう聞き返してきた。
「そう。俺と組もうぜ。そんで、跡部と樺地ペアを叩き潰す!」
「なんや、練習試合か。まあ、なんでもええけどな。ほな、やろか」
「おう!」

 審判を宍戸に頼み、跡部・樺地ペアと即席で組んだ向日・忍足ペアの練習試合が開始される。

 サーブは跡部からとなった。
 綺麗なフォームで力強いサーブが打ち込まれる。こちらも流れるような動きで、忍足は打ち返した。
 樺地が打てば、向日が返す。
 軽い肩慣らしのようなテンポの良い打ち合いが続いた。

 適当な打ち合いかと思わせていたが、いきなり、跡部が動いた。

 後衛にいたはずの彼は、躊躇いもせずにネット前まで走り込んで来る。コンビネーションは抜群の様で、跡部が動いた時には、すでに樺地は後衛の位置についていた。
 そのまま、樺地は後方に飛んできたボールを表情一つ変えずに打ち返す。
 巨体を生かして放たれる、パワーのあるボールを向日は辛うじて拾い上げた。しかし、弾みが付きすぎて高く打ち上げてしまう。

「甘いぜ!」

 跳躍すると同時に、高い打点から叩き込まれるスマッシュ。

「うわっ。危ねぇだろ!!」

 持ち前の反射神経を生かし、向日は身を捻ってボールの直撃を避けた。

「ちっ。避けたか」
「避けたか、じゃねぇ!! お前、わざと狙ったな!!」
「あー。うるせぇ。いいから、さっさと持ち場に戻れ」
「何だと!!」
「岳人。俺、サーブ打ちたいんやけど、ええか?」

 跡部に食って掛かろうとする向日に、後方から間延びした声が呼びかける。

 まだ、何か言おうとする向日に対して、跡部はしっしっと手を振り、追いやる真似をした。

「跡部、てめぇ!!」
「岳人ぉ。俺にサーブ打たせてや」
「……。侑士、こいつにサーブぶち当てろ」
「まかせとき」
「ふんっ。叩き落としてやるぜ」

 どうやら、開発中の新技を試したかったらしい跡部は、その後も懲りずに手首やグリップを狙ってスマッシュを放った。
 その度に、向日は怒り狂い、忍足は呆れた顔を見せる。

 しかし、デタラメな試合をしているように見えながら、試合展開は跡部・樺地ペアが完全にリードしていた。

「くそくそ跡部!」
「お前、ボキャブラリー無さ過ぎだろ」
「うるせぇ!」
「息上がってんぞ」
「うるせぇんだよ!」

 跡部が指摘するように、向日は早くもスタミナ切れを起こしている。 それでも、向日は身軽さを生かしたプレイを止めなかった。

――あー。なんでや。なんで、いつもこうなん。

 完全に跡部に弄ばれているゲーム。
 冷めていく感情。

 忍足は、唐突に集中力を切らした。

 ざわざわと周りがうるさい。

「俺、最低やわ」

 必死にボールを追い続ける向日。
 向日の取りこぼしたボールを、適当に打ち返してやる。

 ネットを挟んだ向こうにいる、跡部の視線が鋭くなった。

「そないに睨まんといてぇな。俺かて、どないしたらええか判らんのや」

 言い訳の様に、呟く。

 本当に、どうしたらいいのだろう。
 途切れた集中力を取り戻すのは容易ではない。
 ざわざわとした、周りの雑音が耳に付く。

 大きく開かれたゲーム差。
 それでも、向日は諦めるつもりは無いようだ。
 一点でも多く取ろうと、走り回る。息が切れて、足の動きも鈍くなり始めているのが、傍目にも判った。
 それでも、向日は意地になったように追い続ける。

「無理するな。足がふらついてるじゃねぇか」
「うるせぇ! 黙って続けろよ!」

 跡部の挑発に反発しながらも向日は試合を続けた。

 あと、二ゲーム取られれば、跡部達の勝利となる。

「岳人、大丈夫か?」
「へーきへーき」
「俺も後衛におるんやから、全部取ろうと思わんでええで」
「大丈夫、だって」
「ただの練習なんやから、無茶しなや」
「…今日、監督が来る日、なんだよ。練習でも、あんまり無様な試合結果は、残しておきたくないじゃん。侑士、今日は、調子良くないみたいだし。俺が、何とかするからさ」
「なんで、俺の調子?」
「だって、侑士、テニスの特待じゃんか。レギュ落ちなんかしたら、一緒に高校でテニス出来なく、なるじゃん」
「そないなこと気にしとったんか?」

 どうやら、先日の跡部と宍戸の会話をまだ気に掛けていたようだ。

「大丈夫やて。わざわざ特待で入るくらいや。本気出さんでも、そこいらの奴よりは充分に強いで」
「でも、さ」
「おい。呑気にしゃべってねぇで、続けるのか止めるのか、はっきりしろ」

 跡部の苛ついた声が響く。

「うるせぇ! 誰が止めるって言ったよ。さっさと続きやるぜ」

 怒鳴り返した向日は、そのままサーブ位置に付いた。
 深呼吸をして、狙いを定める。

 跡部や忍足に比べれば、明らかにスタミナ不足が否めない向日。 今も、サーブを打つのも辛いくらいに疲れているようだが、意地と気力だけで跡部に挑むつもりのようだ。

「岳人。サービスで決めよう思わんで、とりあえず入れり。後は、俺がフォローしたる」

 その言葉に、向日は無言のまま小さく頷いた。

 よく判らないが、忍足の為に無茶なゲームをしていたらしい向日を、これ以上裏切れないと思った。
 このままでは、自分は向日の足を引っ張るだけの存在になってしまう。
 そんなダサい真似はしたくない。
 絶対に、あと三ゲーム分の集中力を取り戻してみせる。

「勝ちに行かせてもらうわ」

 呼吸を落ち着かせ、グリップを握り直し、向こう側のコートを睨み付けた。

 

 

 

「ゲームセット。ウォンバイ跡部、樺地」
 宍戸の声がコートに響く。
 わっと歓声が上がった。
 跡部を讃える声に混ざり、向日と忍足を労う声も聞こえて来る。
 後半から、いきなり白熱した試合展開になったせいで、皆が固唾を呑んで見守っていたのだ。

 スコアは、7-5。

 タイブレークに持ち込むも、結局、跡部達に負けてしまった。
 それでも、後半から一気に追い上げてきた忍足のプレイに、誰もが驚きを隠せないでいた。
 忍足は、後半、ほとんど一人でゲームを取り続けたのである。
 跡部と校内試合をして、タイブレークに持ち込んだ者は、忍足が初めてと言って良かった。

「やればできるじゃねぇか」
 タオルを顔に被り、跡部は寝転がったまま呟いた。
 同じように、汗だくになっている樺地は心配そうに跡部を見詰める。
「樺地。お前も休んでろ」
「…ウス」
 そう返事をするものの、樺地は側を離れない。 苦笑を零し、跡部は気怠そうに上半身だけ起こした。
「水だ、樺地」
 そう言い付けてやると、少しだけ安心したように樺地はスポーツドリンクを入れた容器を取りに歩き去った。
 その後ろ姿を見送りながら、跡部は大きく息を吐き出す。

久々に疲れる試合だった。 樺地のパワーと素早さを持ってしても、本気を見せた忍足には敵わなかったのだ。

「激ダサだな」
 見上げれば、逆光の中に宍戸が立っている。
「うるせぇよ…」
 それ以上、宍戸の嫌味に言い返す気も起きない。
 油断すれば本当に危なかっただろう。最後は、気の抜けない接戦だった。
「お前があそこまで追い詰められるなんて、夏の大会で戦った立海の真田以来か?」
「そうかもな…」
 上半身だけ起こした体勢のまま、斜め後ろに手を付き空を見上げた。

 コートの向こうでは、忍足の神業のようなプレイに感激した向日がプロポーズまがいの言葉を投げかけ続けて、忍足を辟易させている。

「あー。俺は今ので今日の体力は使い切ったから、監督が来るまでどっかでサボるぞ」
「堂々と言い放つな。部長がそんな事でいいのかよ?」
「部長だから、良いんだよ」
 丁度、樺地がペットボトルを持って戻ってきた。それを受け取り、樺地を伴って跡部はコートの外へと歩き出した。

 

 

「跡部の野郎。汚ねぇ真似ばっかしてさ」
「どっちか言うと、まんまと跡部に填められた気がするわ」
「えー? 何がだよー?」
 フェンスに寄り掛かるように座り込んだ向日と忍足は水の入ったペットボトルを片手に、そんな会話を交わしていた。

 樺地を連れてコートを出ていく跡部の姿が見えて、忍足は大声で呼び止める。

「あーとーべー。ちょお、聞きたいことあんねんけどー」

「聞きたけりゃ、お前がここまで来い!」
 立ち止まった跡部は、無駄な労力を使うのは面倒だと言わんばかりに、出入り口付近の壁にもたれて忍足達を待つ素振りを見せる。
 相変わらず、尊大な態度の跡部に向日はぎゃあぎゃあと文句をいうが、跡部は素知らぬ顔で聞き流す。

「俺と岳人にダブルスさせたんは、監督命令か?」
「半分だけ正解だな」
「はあ? 何それ!?」
「半分ってなんや?」

 監督命令の意味が判らない向日が間抜けた声を上げ、半分しか当たらなかったと言われた忍足は興味深げに問い返す。

「不抜けたプレイばっかするお前を見た監督が、調子が戻るまでダブルスをさせてみようかって、提案してきたことはあったけどな。指示された覚えはないぜ」
「じゃあ、今日のはただの思い付きか?」
「思い付きだな。向日みたいな奴と組まされれば、後半は嫌でも追い詰められるだろ。お前、ぎりぎりまで追い詰められないと本気になれねぇらしいから、ちょっとやってみただけだ」

 足を引っ張っていると暗に言われたような状態の向日は、口答えはしないが露骨に不服そうな顔をした。
 それを見遣った忍足は微苦笑を浮かべる。

「思い付きは、成功か?」
「今日のところはな」
 呆れた眼差しを向けてくる忍足に、跡部は人を喰ったような笑みを浮かべてみせた。
 本当に、妙な思い付きばかりをする男だ。
 前半、向日に集中攻撃を仕掛けていたのは、忍足を追い詰める為の手段だったのか、そう聞きたかったが、向日の前でそれを聞くのは躊躇われた。

 用が無いなら、行くぜ。
 そう言って、跡部は今度こそコートを出ていった。

 

 

 あと一時間程で部活終了になるという頃に、ようやく監督の榊がコートへと姿を現した。
 監督の行動は把握しているのか、さっきまでいなかったはずの跡部もいつの間にかコートの中にいた。
 一体いつ戻ってきたのか、不思議がる芥川に質問攻めにされていたが、跡部は笑うだけで答えてくれなかった。

 観覧席の上から練習風景を眺めていた榊は、満足気に一人頷く。
 眺めるだけで何も言わない監督を、皆、気になるようでチラチラと目を遣りながら練習を続けていた。
 不意に、榊が両手を打ち鳴らして皆の注目を集める。

「忍足、向日。後で私のところまで来るように」

 それだけ言うと、さっさとコートから去って行った。

 

「監督、何しに来たんだろ?」
「冷やかしか?」
「一応は顧問なんだから、そういうこと言わないの」
 芥川の言葉に宍戸がチャチャを入れ、滝がたしなめる。
 呼び出しをされた忍足と向日は、不思議そうに監督が去った後の観覧席を眺め続けていた。

 

 

 部活終了後。
 榊の元を訪れた二人は、いきなり、今度の新人戦にダブルスで出る気は無いかと言われた。
 忍足はシングルスで出るものだと思い込んでいた向日は、驚いて即座に返答が出来なかった。その隙に、忍足がダブルスでやらせて下さいと返事をし、向日を驚かせる。

「え? 何で? だって、侑士…」
「俺、岳人とダブルスやるの、おもろい思てな」
「向日。忍足は構わないと言っているが、お前の意見はどうだ?」
「え…と。侑士が良いのなら、俺も構いません」
「では、明日からはダブルスのフォーメーションを中心に練習するように。以上だ。行ってよし」
 氷帝名物とまで言われている、榊の「行って良し」を受け、二人は職員室からの退出を余儀なくされた。
 いつも思うことだが、これはかなり一方的な態度である。
 これ以上の質問は受け付けない、という意味も含まれているのだろうが、忍足は職員室を出る前に一つだけ質問を試みた。

「あの、監督。もしかして、跡部からダブルス試合の報告を受けました?」
「試合後、すぐに報告に来たが。何か問題があるかね?」
「いえ。聞きたかっただけですよって。ほな、失礼します」
 軽く礼をして、静かに扉を閉めようとした。
 榊の声がそれを止める。
「忍足」
「はい?」
 職員室の出入り口である引き戸に手を掛けたまま、忍足は振り返る。

「我が部の方針は理解しているかね?」

 そのセリフに、体が一瞬強ばるのを意識した。

「はい…。敗者切り捨て、ですやろ」
「うむ。まあ、それでも間違いではないがね」

 何が言いたいのか理解出来なかった。
 忍足に「もう後は無いぞ」と言っているのかと思ったが、どうも違うようである。

「おっしゃってる意味、判りませんけど…」

「敗者の意味だ。私は勝つのではなく負けるな、と常に言い続けて来た。しかし、その意味に気付く者はなかなかに少ない」

「……」
 向日が忍足の袖をぎゅっと握りしめた。不安そうに榊と忍足を交互に眺めるが、どちらも向日には目を向けない。

「俺も、言うてる意味分かりまへんわ…」

「何事も、勝つ事よりも負けない事の方が大変であるし、大切だと思わないか?」

「だから、言うてる……」
 負けない事?
 負けるとは、どういう状態を指す?
 戦う相手とは誰だ?

「…え、と…。つまり、監督は…」

「私の言う方針は、試合結果ではなく、試合への姿勢を言っているのだがね。難しい年頃の子供達には理解することは少々困難なようだ」

 今年の夏の全国大会では、跡部は決勝戦で立海大付属中の真田に破れた。しかし、切り捨てられるどころか、今では立派な部長になっている。

 敗者切り捨ての敗者とは、誰の事を指す?

「負け試合いになって尚、諦めることなく挑み続ける事の苦しさ難しさ。それは、お前もよく知っているだろう」

 コートの中では常に孤独な戦いだ。
 自分の弱さが目の前に何度も立ちはだかる。

「負けないこと…」
 戦う相手は、コートの向こうにいる相手選手であると同時に己自信でもあるということか。己との戦いでもあると、そう言いたいのか。

 監督の手によってレギュラーから落とされた者達の負け試合の内容を思い出そうとした。
 確か、初っ端から点差を付けられたことにより、その先輩は、傍目にも闘争心と集中力を失っていた。点差が開いた時点で「もう、駄目だ」と思い込んでしまったのだろう。
 ボールを追う姿もどこか惨めに見えた。
 もしも、あそこで、せめて1ゲームだけでも取り返してやると、必死に走り回っていたのなら、その後の監督の対応も変わっていたのだろうか。
 試合結果のことだけではなく、その結果に付いてくるその者の姿勢、気持ち。敗者とは、這い上がる力を失った者の事を言っているのか。

――己の気持ちに、負けるな。

 そういう事を言われているのだろうか?

 跡部と榊の二人から、揃って同じ事を言われているのだろうか。


「勝つ事の前に、負けない事だ。覚えておきたまえ」

 そして、再び「行って良し!」のジェスチャーを目の前に突きつけられた。

 

 

 どう反応していいのやら判断しかねて、ぼんやりとドアを閉めて廊下へと出る。
 隣に立つ向日がぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。あれだけ走り回ったにも係わらず、まだまだ元気が残っているようだ。
 少しでも頭の中を整理しようと、ゆっくりと呼吸を繰り返してみる。
 向日が、ずっと黙っていた反動のようにしゃべり続けた。

 夕日の差し込む廊下を共に歩きながら、忍足はやんわりと微笑を浮かべた。

「何だよ。跡部のやつ、一々監督に言いつけてやんの」
「ほんま、手回しの良い坊ちゃんやわ」
「何か、いっつも、侑士は跡部を庇ってねぇ?」
「別に、庇うとかやあらへんよ」
「そうかなぁ」
「いつも思うねんけど、跡部はおもろいな」
「跡部が変なのは、昔からだぜ」
「あっはっはっは。変なんかい」
「どう見ても、変だろ。すっげぇナルシストだしさ」
「そこは否定せぇへんわ」
「ホントに、いっつもいっつも跡部の野郎、好き勝手しまくってさ。むかつく!」
「せやかて、その跡部の勝手な行動のおかげで俺はおもろいテニス見付けたし。岳人ともダブルス出来たし。ええんとちゃう?」
「…なんか、いっつも侑士は跡部の肩を持つよな」
「そないなことあらへんて。俺は岳人とおった方が楽しいんやで」

 その言葉に、向日が満面の笑顔を作る。

「マジ? 侑士は俺といる方が楽しい?」
「岳人と一緒におるの飽きんし、おもろいわ。跡部は、遠くから観察するのがおもろいねんな」
「ぎゃはははは。跡部は観賞用なんだ!」

 いきなり上機嫌になった向日を眺めて、忍足はつくづくと思う。

――そういう立ち直りが早いとことか、ほんまに見てて飽きんわ。

 落ち込むことを知らないタフさに、無意識の内に引きずられている。
 こういう影響なら受けても良いと思えたから、ダブルスを容認したのだ。
 ダブルスの基本は、コンビネーション。それは、信頼関係から成り立つもの。

 馴れ合いのテニスをするつもりは毛頭ないが、自分に足りないものが補えるのならやってみるのも悪くない。

「そう言うわけで、明日からも頼んます、相棒さん」
「任せとけって、侑士」

 こっちに出て来てから、四ヶ月。
 やっと、楽しいと感じるものを見付けられたように思う。

 本当に、個性の強い、変わり者の多い部だ。よくもまあ、ここまで個性の強い連中が集まったものだと感心するほどに。

――氷帝に来たの、正解やったわ。おとん、おかん。感謝してますよって。


 今度、帰省するときには、家族に何か良い土産でもを買って帰らねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.3.23
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相変わらず、勝手な設定が捏造されてます。
氷帝の天才と呼ばれるのに、まったく天才らしいプレイをさせてもらえない不遇の天才。
負けても天才と呼ばれるプレーヤーということは、プレイ時の気分の浮き沈みが激しい選手だろうか、などと思った事から出来た話。

跡部と忍足はお互いにお互いの事を天才だと思っていて、内心では認め合ってるというのもちょっと面白いなぁ、とか思ったりもする。

榊監督の敗者切り捨てというシステムは良いとして、あの人はちゃんと人間のモラルなどの指導もしているのだろうかと、気になって仕方がないです。そのせいで、しつこく何度も敗者切り捨てについてのSSを書きまくる(苦笑)

 

 

 

 

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