商売上手

 

 

 

 

 

 

「腹減って死にそー!」
「あとべー。まだー?」
「うるせぇ! 黙って待ってろ!」

 氷帝学園内の学生食堂の一角が賑やかしく、無意味に人目を引いていた。
 端から端へ、大声で言い合いをしている男子テニス部の三年生。周りから苦情が出ないのは、天下のテニス部故か。

「周りの子が驚いとるよ。跡部も一々言い返さんの」

 周りにいる生徒たちの心の声を代弁するかのように、忍足が跡部を宥める。
 言われて、跡部は周りに目を向けた。 明らかに不自然な空間が、跡部と忍足の前後に出来ていた。そこだけがしんっと静まり返っている。
 氷帝の帝王の異名を持ち、氷帝ホスト部などと揶揄されることもあるようなテニス部の部長でもあり、尚かつ、中等部の生徒会長をも務める男である。
 しかも、取り巻きから「様」付けで呼ばれていたりもする男。
 一般生徒からすれば、ただただ怖い印象しか無いらしい。

 一瞬目を伏せ、それから、ふっと表情を和らげた跡部は、穏やかな笑みを唇の端に乗せて呟く。

「悪かったな」

 周りの空気が一気にピンク色に変わったのを、忍足は見た気がした。

 ああ…。みんな、こうして騙される訳やね。

 何というのだろうか、こういうのを。ジゴロ? いや、少し違うな。
 例える言葉が浮かばないが、女に限らず、男さえ彼の前にひれ伏しそうな勢いに、呆れたものしか浮かばないのは確かだった。
 そんな、将来食うことに困まる事態になっても必ず周りからの無償の援助にあやかれそうなカリスマ部長を、忍足は胡乱げに眺めた。
 跡部は何食わぬ顔で並び続けている。

「あっとべー。腹減ったってばー!!」
「はーやーくー!!」

 端の席から、向日と芥川の叫び声が響いてくる。
 今度は言い返すことなく、跡部は眉を顰めるに留めた。

 二人は、じゃんけんに負けた罰ゲームとして、皆の食券を預かり昼食を受け取るべく長い列に並んでいるのである。

「くっそー。何でこの俺が負けるんだよ」
「勝負事強そうやのに、じゃんけんだけは弱いなぁ」
 久しぶりに負けた忍足は、席取りをしながら騒いでいる向日、芥川、宍戸、滝の姿を眺めながら呟く。
 ちなみに、騒いでいるのは向日と芥川の二人だけで、宍戸は二人を静かにさせようと奮闘しており、滝に至っては、ニコニコ笑っているだけだったりするが。
「順番まだかよ…」
 跡部景吾。じゃんけん勝負で、ただいま五連敗中であった。


 ようやく順番が回ってきて昼食を受け取った二人は、騒ぎ続けている端の席へと急いだ。
 一人が三人分のメニューを抱えて歩く事になる為、足取りも慎重になる。
「はやくー」
「うるせぇんだよ」
 急かす向日に言い返しながら、跡部も席に着いた。
 全員に昼食が行き渡り、待ちに待ったランチタイムの開始である。
 弁当持参派の者も、朝練のある日だけは学食のお世話になることが多かった。

「あれ? 侑士、今日もうどん?」
「今日は、月見うどんやねん。昨日食ったのは、きつねうどんや」
「うどんには変わりねぇじゃんか」
「そんだけで足りるのか?」
 心配そうに声を掛けてくれるのは、やはり宍戸だ。
「大丈夫やねん。俺、元々食細いし」
「侑士は華奢なんだからさ、ちゃんと食えよー」
「俺が華奢やったら、跡部はどないなんねん」
「跡部は、着痩せして見えるだけじゃん」
 向日の言うとおりで、すらりと上背のある忍足は無駄な贅肉が付きにくい体質なのか、あれだけハードな運動してもかなり痩せていた。
 一見、華奢に見られがちの跡部は、実際にはかなり筋肉質だったりするのだ。無駄な筋肉を付けないような鍛え方をしている為に、細く見えるだけの話である。

「今月はそこまで節約しないとまずいの?」
 サラダを突っつきながら滝が声を掛ける。
 今月に入ってから、忍足は弁当が無い日は決まってうどんばかりを食べていた。
 そのせいか、ただでさえ痩せているのに、最近ではますます細くなったように思えた。

「どうしても欲しいラケットがあんねんけど、それ、四万超ててん。それ買おう思うたら今月の予算をオーバーしてまうから仕方ないねんな」

 実家を離れて一人暮らしをする忍足は、毎月の使える生活費の限度額を決めていると聞いたことがあった。
 生活費が足りなくなっても、実家から追加で送ってもらうことは不可能らしい。

「その内、貧血起こすぞ」
「大丈夫やって」

 忍足の生活環境は知れ渡っているのだから、ラケット代くらい皆にカンパして貰えば? と向日が聞いたことがあったが、きっぱりと断られた。
 お金を恵んで貰うんはあかん。別に、俺生活に困っとるわけやないねんから。そう言って、やんわりと微笑むのだ。

 大丈夫かなぁ、という皆の心配げな眼差しを受けながら、忍足はゆっくりとうどんを啜っていた。

 

 

「あれ? 侑士、今日も学食?」
「今日、弁当作るの面倒やってん」
「へぇ…。俺も今日学食なんだ。一緒に食おうぜ」
「ええよ」
 いつも弁当は自分で作っていたんだ、と今更のように気付いた向日は心底びっくりしていた。朝起きれば、すでに朝食も弁当も出来上がっているという状態の向日には、到底耐えられない環境に思える。

「侑士、今日はうどんじゃないの食おうぜ」
「せやねぇ。うどんの次に安いんのどれかいな?」
「……」
 セリフが同い年と思えなくて切なくなる。 結局、和定食セットにした向日の隣で、忍足はピラフの単品にしていた。
 小柄な女生徒並の食事量である。身長が百七十八センチもある運動部所属の男子生徒の食事としては、どう考えても少なすぎると思われた。

「侑士ぃ…」
「なんや?」
「節約生活も良いけどさ…」
 何故か、向日の方が泣きそうな顔をしている。 少女じみた外見がますます少女っぽくなってしまって、可愛らしいことこの上ない。
 笑いをかみ殺しながら、忍足は何とか普通に声を掛けることに成功した。
「はよ食べ、冷えてまうで」
「……」
 しかし、向日は食べようとしない。

 困ったな。どうも、自分の節約食生活が周りの者達に良からぬ影響を与えてしまっているようだ。

「俺、食が細い言うてるやん」
「……」
「見てる方が気分悪い。飯がまずくなる」

 いきなり、上から声がして、それに続いて何かが落ちてきた。

「…?」

 見れば、ピラフの上に鮭の切り身が乗っていた。勿論、調理されたものである。
 頭上を振り仰ぎながら、忍足は笑いを零す。

「めっずらしぃ」
「うるせぇ」

 跡部からのお裾分けのようだ。

「食わねぇなら返せ」
「あかんあかん。貴重な栄養分や。ありがたく頂きますよって、跡部様」

 自分の分を分けるという事は可能だったのか、ということに気付いたらしい向日は感動した面もちで跡部を見詰めていた。

「侑士! これやる。これ食べて!」
「ちょお待ち。くれるんは嬉しいけどな、岳人。それ、思いっきり自分の好かんもんやろ」
「いいじゃんか! 侑士は好きだろ」
「好き嫌いはあかんで」
「俺は良いの」

 定食に付いている吸い物と漬け物を忍足に押し付けることで、向日は少しだけ落ち着いた。

 無言のままに、空いている向日の隣の席に跡部が移動してくる。その向かい、忍足の隣には樺地が座った。

「跡部、今日は弁当って言ってなかった?」
「ああ、弁当だぜ」
 そう言って、広げた弁当を示す。そして、向かいに座る樺地に目を向けた。樺地の前には、向日と同じ和定食セットが置かれていた。
 なるほど。樺地に付き合って、わざわざ学食に弁当を持ち込んで食べているのか。

「ウス」
「ああ。樺地まで気ぃ使わんでええねんて」
「ウス」
 忍足のピラフの上に、樺地は豚カツを一切れ乗せてくれたのだ。
「嫌いなもんを押し付けるお前と違って、樺地は優しいな」
 楽しげに跡部が宣う。
「なんだよー!?」
「事実だろ」
「俺が嫌いでも、侑士は好きなんだから問題ねぇじゃんか!」

 言い合いを始めようとする二人を余所に、忍足は樺地に向かって笑いかける。

「ありがとぉな」
「ウス」
 和やかな二人。その向かいの席で始まった口喧嘩がうるさい。
「二人とも、はよ食べや。時間無くなるで?」
 ぴたりと止む口喧嘩。
 それから、そそくさと食べ始めた。

 

 

「侑士、今日は弁当?」
「せや。今日は弁当やねん」
 ちょっとだけ安心する。
 さすがに、弁当の時は、自分たちが食べるものと同じくらいの量があるので、忍足の体力の心配も半減するというものだ。

「しっかしさぁ。一人暮らしってのも大変だよなぁ」
「まあ、帰ってから自分で飯作らなあかんゆうのは、ちょっとしんどいけどな。それ以外は、気ままでええよ?」
「飯が無いってのが、一番の問題じゃん」
「岳人は小さいのに、ほんま、よお食うわ」
 軽く三人前など当たり前のように食べてしまう、見かけに寄らず大食漢な向日は、小さいという単語にすかさず反応した。
「小さいって言うな! 侑士がでかすぎるんじゃん!」
「確かに、中学三年の平均値は超えとるな」
「そうだよ。侑士の身長が打ち止めになる頃、俺は絶対伸びてるんだから!」
「それでも、俺の身長は抜けん気ぃするわ」
「言ってろよ。ぜってぇ抜いてやるからな!」

 でこぼこコンビという呼び名なぴったりな外見を持つ二人の遣り取りを、クラスの女子たちが実に微笑ましく見詰めていることに二人は気付かない。

「目立ちまくってんぞ。バカップル」
「何だよ、それー?」
「おお。ありがとさん」
「まったくだ。もっと感謝しろ」
 またしても、じゃんけんに負けた跡部は、三人分の飲み物を買いにわざわざ学食にまで行っていたのだ。
「ありがとー。じゃんけんクソ弱の跡部様」
「何か言ったか? アーン?」
「何でもあらへんて。はよ、食べよ」
 また喧嘩を始めようとする二人を宥めながら、忍足は食事を促した。

 弁当には前日の晩ご飯の残りが必ず入るとか、朝ご飯には弁当に入らなかった残りが出るから、毎食同じもの食べてる気がするとか、そんなことを向日が話す。
 しかし、お手伝いさんが家事全般を取り仕切っているという跡部宅には、そのようなことは無いらしく、向日を驚嘆させた。

「お前んとこは、世間ズレし過ぎ。ありえねぇって」
「ありねぇってなんだよ。失礼な奴だな」
「お坊っちゃまは、もう少し侑士の生活態度を見習えっての」
「お前に言われたかねぇよ」

 そんな言い合いがまた始まったかと思えば、いきなりパシャッという機械音が聞こえた。

「ん?」
「あ?」

 薄型のデジカメを持った忍足がニンマリと笑う。

「何やってんの?」
「何勝手に撮ってんだ。アーン?」
「気にせんといて。ただの記念や」
「は?」
「ああ?」

 さっさとデジカメを仕舞うと、忍足は食事を再開した。
 怪訝そうに見詰めてくる二人に気付かない振りを続けながら、頭の中では、今のツーショットはどれくらいの値が付くだろうか、と計算していたりする。

 俺の貴重な小遣いやな。

 テニス部レギュラー、準レギュラーのオフショット写真ほど人気のあるものはない。しかも、自分はそのテニス部のレギュラー。一般生徒が見られないレアな光景など日常茶飯事で出くわす。
 こんな美味しいポジションを利用しない手は無いだろう。
 しかも、隠し撮りされて困るような写真は流出しないように圧力を掛けたりと、出回る写真の管理も出来る良いポジションだ。

 一番の高値は、跡部と宍戸。次に向日、鳳、芥川。万人受けではないが、根強いファンを持つ滝と日吉。大穴として、一部で恐ろしい値が付くのが跡部と樺地のツーショット。
 忍足もかなりの人気だが、さすがに自分の写真が出回るのは良い気分では無いので、出来る限り撮らない。

 今回は、新聞部からの依頼だった。今度の新聞でテニス部の特集を組むから、跡部部長の意外な一面を撮ってくれと頼まれたのである。

 と言うわけで、冷静沈着と思われがちな部長と元気いっぱいな向日の口喧嘩の風景。それも食事中。
 微笑ましいと同時にどこか間抜けで笑いをそそられる良いショットが撮れた。


 来月は、食費を削る生活をしなくて済みそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.4.24
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この忍足君は、本やゲーム、PCの周辺機器とかに金を掛けてしまうせいで、ラケット代が足りなくなり、食費をけずっていたりして(笑)

それにしても、忍足の話なのに跡部が出張り過ぎ。跡部好きも大概にしろって感じっすね…。

実は、跡部は株式か先物取引をやっていて、中一の時から親から小遣いを貰うことなく生活している、というエピソードがあったが、跡部が目立ちすぎて忍足が霞むので書かなかった。(親が証券会社役員、そして、旧財閥並のグループ企業と思われる雰囲気に、村○ファ○ドの社長さんの少年時代の話を連想してしまったんだな(笑)
それを聞いた忍足は跡部に株の極意を聞き出してそうだ。

学生が犯罪に手を染める事無く金を稼ごうと思ったら、人気者の写真を学園祭とかで売りさばくのがお約束かな、と。

 

 

 

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