体調不良

 

 

 

 

 

 

 

 季節の変わり目というやつは、どうも苦手だ。
 気分的にも滅入るし、体調も崩しやすい。

 スポーツをすることで鍛えてきたこの数年は、風邪というものとは無縁で過ごせていたのだが、今年に限ってはそうもいかないようだ。

 昨日、部活中に雨に降られたのが堪えたのだろうか。

 どうも、朝から体が重く感じられて仕方がなかった。三限目を終える頃には手足の関節が鈍い痛みを訴えだしていた。

 完璧に風邪だ。しかも、高熱が出る兆候まである。

 この大事な時期に、最悪だな。

 大事を取って早退するのが本人にとっても部員にとっても最善の策だと分かっているが、今日は、三日後に迫った地区予選のオーダーなどを詰めて話し合わないといけない。
 今日を逃せば、監督を交えて会議をする機会はもう無いのだ。

――熱、出るなよ。せめて放課後まで保ってくれ。

 己の体にお願いをしたくなるほどに、跡部の体調と気分は絶不調を極めていた。

 

 

 

 昼休みになり、向日や宍戸たちが「昼飯は屋上で食べようぜ」と誘いに来くる。出来れば動きたくなかったが、騒がしい教室にいるのも気分が悪いと思ったのか、向日たちの誘いに乗ることにした。

 外は良い天気だった。

 陽差しは暖かいが、時折吹く風がかなり冷たく感じて仕方がない。
 他の者たちは涼しげに風に吹かれていることから、跡部は己の体調が最悪なのを改めて認めざるを得なかった。

 少しでも陽差しがよく当たる場所で出来るだけ風が当たらない場所を選んで座る。

 皆の視線を騙し騙し、跡部は平静を装い続けた。

 時期が時期だけに、部員相手には弱っているところを見せたくないという意地だけでその場に居続けていた。

 食欲もあまり無くて、ちびちびと食べやすそうな物だけを口に運ぶのが精一杯である。
 半分も食べずに跡部は弁当箱を仕舞った。
 壁にもたれて軽く目を瞑る。

 中等部に上がってからは病気知らずで来ていたおかげで忘れていたが、幼い頃はしょっちゅう熱を出しては寝込んでいたことを思い出いてしまう。
 幼い頃の跡部は、病弱とまではいかないが、体はあまり丈夫ではなかった。
 体力作りの意味も兼ねてテニスを始めたのは、幼稚舎の低学年だったか。当時習っていたピアノとヴァイオリンに支障がないようにとテニスが選ばれたのだ。
 ラケットを使うので、指を負傷するケースが少ないのである。
 実際に、有名な演奏家や指揮者たちの趣味がテニスというのも良く聞く話だった。

 風が冷たい。
 少しでも動くと、関節がギシギシと軋むようだ。
 これは、本当にまずいな。

「ウス」
 不意に視界が翳ったかと思えば、聞き慣れた後輩の声がする。
「あん? どうした、樺地?」
「ウス。顔色が、良くない…です」
 跡部の問いかけに樺地はそう呟き、そっと跡部の額に手の平を当てた。
 出来る限り周りの者に気付かれないように小声で、さり気ない動作で樺地は動いていた。しかし、必死に隠していた体調不良をあっさりと見抜かれたことに跡部は怒りを覚える。
 乱暴に樺地の手を払い退け、向こうへ行けと鋭い視線を向けた。
 樺地は動かない。それどころか、跡部を抱きかかえようと腕を差し伸べてきた。
 どうせ、早退しろと言っても聞かないのだろうから、せめて、放課後まで保健室で横になっていろと言いたいらしい。
「余計なお世話だっ」
 どうしようもなく意固地になっている跡部はそんな樺地の提案をも払い退けた。
「ウス」
「ウスじゃねぇだろっ」
 払い退けられても樺地は負けじと跡部に手を差し伸べる。跡部はそれを払い退ける。その繰り返し。

 樺地は少々怒った様子で跡部の腕を掴もうとした。その手を跡部が掴み返し、もう片方の手を伸ばせば同じように掴まれる。
 座ったままの体勢とはいえ、向き合った二人は両手を掴み合い、まるで、レスラーが力比べをしているかのようなことを始めた。

「お前ら、何やってんの?」
「暑苦しいぜ。昼真っからじゃれあってんじゃねぇよ」

 妙な取っ組み合いを始めた二人を向日と宍戸が怪訝な顔をして見ている。

「じゃれて、いません」
「これが、じゃれてるように、見えんのかよっ」

 かなり必死な声音で二人が同時に言い返し、周りの者たちは益々怪訝な顔をした。

 樺地が本気を出せば跡部をねじ伏せることなど簡単ではある。しかし、鍛えられた跡部の力もかなりのものなので、下手すれば二人ともが怪我をしかねない。
 手加減をしながら、しかし、手抜きは出来ない。難しい力比べだった。

 本人達にしてみれば、この状況はかなり本気の喧嘩に近かったりするのだが、周りの者達にはいつものじゃれあいにしか見えていないようである。

 恐らく、樺地も跡部も本気で腹を立てているということに気付いているのは、先ほどから神妙な顔で沈黙を守っている芥川と忍足の二人だけだろう。

「体に、障り…ます」
 いい加減に諦めて保健室に行って下さいという意味を込めて樺地が訴えるが、跡部は樺地の手を押し戻そうと足掻くだけだった。

 悲しげに樺地は溜息を吐くと、掴み合っていた手から力を抜いた。それと同時に跡部の手からも力が抜ける。
 ただでさえ具合が悪いのに、力任せの掴み合いをしてしまった跡部はかなり辛そうであった。

 樺地が諦めたものと思い、遠慮無く跡部は全身から力を抜いて壁にもたれ掛かった。

 その隙を衝いて、樺地は跡部を肩に担ぎ上げる。

「!?」

 ぎょっとした跡部は、咄嗟に抗議の声も上げられなかった。

「か、樺地…?」
 いきなり目の前で起きた予想外の展開に向日達も唖然とするしかない。
 樺地が跡部を荷物の様に扱う光景も驚きだが、それに対する跡部の抗議の力の無さにも驚きを隠せなかった。
 この時になってようやく、跡部の体調不良に気付いたのである。

「は、離せっ。こら、樺地!」

「お先に、失礼…します」

 跡部の抗議には一切耳を貸さずに、樺地は先輩達に頭を下げて、跡部を肩に担いだまま屋上から退出した。
 閉ざされたドアの向こうから、往生際の悪い跡部の力の無い抗議の声が微かに聞こえ続けていた。

 

 

「…樺地の奴。あれ、怒ってた?」
「かなり、な」
「跡部の事になると、本当、あいつ怖ぇよなぁ…」



 このまま、放課後まで樺地は絶対に跡部の側から離れないつもりだろうなと、その場にいた全員が確信を持って言える気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

2005.11.28
************************************

跡部と樺地の喧嘩は、癇癪を起こした幼稚園児のようなレベルのくだらないものだと笑えて楽しい。
この話、跡部が朝から保健室で寝てりゃ問題無いんじゃん、と書き終えてから気付いたり(笑)

低レベルな喧嘩をする樺地と跡部を書いてみたかっただけです。
喧嘩らしい喧嘩になりませんでしたが。

跡部と樺地は、主従関係でありながら精神的なところでは対等な付き合いをしてると良い。


戻る