クリスマスパーティー
毎年、十二月二十四日の夜に小さなパーティーを開くのが習慣のようになっていた。
これは幼稚舎時代から続くもので、跡部がこの時期を国内で過ごす年は必ず行われていた。
いい加減、長いな。まったく、よく飽きないものだ。
苦笑が零れる。
本当に、これこそ腐れ縁というものだろう。こういうのは、きっと、何年経っても変わらないのかもしれない。そういう縁も時折存在するのだと、祖父が言っていたことを思い出す。
今年は大きなクリスマスパーティーという名の中身は関連企業の忘年会みたいなものが跡部の屋敷で行われていた。元々、このようなイベントを開催しやすいように立てられた屋敷なので、会場にも出される飲食物にも不便は無い。
かつての財閥に引けを取らない巨大なグループ企業なだけに、関わる会社の数も半端ではない。そこの会長の一族となれば、どうしても後年の役員候補として見られてしまうのは仕方の無いことなのだろうか。
気が付けば、挨拶程度でも良いから必ず出席をすることが、半ば義務のようになっていた。
でも、まだ幼い子供だった頃、そんな大人の都合の催し物が楽しいと感じる訳もなく、ただただ、自分の貴重な自由時間が失われる事が面白くなかったものだ。
家族だけで過ごす時間など滅多に無いこの時期、幼い頃の跡部は憂鬱な記憶しか持っていなかったように思う。
いつからだろう。この日の夕方を過ぎた時刻になると、芥川が跡部宅に押し掛けてくるようになったのは。明らかに芥川が巻き込んだのであろう宍戸までが、その時刻にやって来るようになったのは。
芥川と宍戸の手によって持ち込まれたお菓子の類。しばらくして、その輪に樺地も加わるようになり、樺地の母が焼いてくれたケーキを樺地が持参して小さな小さなパーティーを開いては面白がっていた。
子供の持ち込む物で構成される、拙いが手作り臭いパーティーが跡部は嫌いではなかった。
いつの間にか、この季節を待ちわびるようになった自分に気付き、それこそ苦笑したものだ。
今年も例年と変わらない時間に社交界のパーティーを抜け出す。
会場となっている別宅から離れ、母屋へと戻る。
使用人のほとんどが別宅へ駆り出されている為、母屋には留守を預かる数名の人間だけが残っていた。
毎年恒例となってきた跡部の個人的なパーティー。
家の者達も慣れてきたもので、穏やかな表情のまま一礼してくれるだけだ。
もう、お集まりですよ。そういう意を込めて。
跡部の個人的な、親には内緒のパーティー。たぶん、バレているのだろうが、親たちは敢えて何も言わないでくれているので、跡部も気付かれてない振りを通す。
幼い頃から続く、子供だけのパーティー。
大人達は出来る限り関わらないようにしてくれていたのだが、今年は少し違った。
「フライドチキンなどがございますが、お飲物と一緒に少しでもお持ちしましょうか?」
執事のその言葉に、跡部は少々意外そうに振り返った。
それから、階段を上った先にある自分の部屋を見遣る。
いつもより、話し声が多いように思われた。
「ジローと宍戸の他にも誰か来たのか?」
「はい。クラブメイトと称される方を五名ほど芥川様がお連れになっております」
それだけであそこに誰がいるのか理解したのだろう。僅かに視線を俯けた跡部の口元に微笑が掠める。
それは一瞬のことで、幼い頃から跡部を側で見てきた執事でさえ、注意していなければ見逃すような小さなものだった。
こんな笑い方をする跡部は本当に珍しい。
それでも、態度を崩すことなく執事は静かに跡部の言葉を待った。
「…ああ、頼む」
「かしこまりました」
跡部と芥川と宍戸と樺地。そこに、馴染みの連中が五人追加か。
おそらく、その中に後輩二人の姿もあるのだろう。
食欲旺盛な中学生が九人もいたのでは、持参した菓子類はすぐに尽きてしまうのは目に見えていた。
今年は、ささやかなパーティーでは済みそうに無いようだ。
2005.12.14
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跡部のクリスマスがこんなのだったら可愛いかも…ということを夏頃に考えていた事を今ふいに思い出したので書いてみました。
もっと、家族がどうのこうの、みたいな話だったように思うんですが、書いてみるとこんな淡泊な感じになってしまう。
常に季節はずれの事ばかり考える私が(真夏にクリスマスやバレンタインの話を、正月に夏休みの話を思い付く)その季節にその季節物の話を書こうとするのはかなり珍しい。
思い付いていても、その季節には思い出す事がほとんど無い気がする。
欧州の上流階級の人達って日頃が接待で忙しいせいか、こういう行事はむしろアットホームなものを好む傾向があるように感じる。
(だから、勝手に跡部を欧州人とのハーフだかクォーターだかにしないように。設定見ても完璧に日本生まれの日本育ちですよ〜)
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