どう動くか。
自分の銃はフランスと取り合ってる状態で、後ろに銃を構えたアメリカがいる。
シャイセッと口の中で呟くが、焦りの感情は表から消していく。代わりに道化じみたへらへらとした笑いを浮かべた。
「あーあ、だっせぇな。俺様ともあろうものが」
「降伏、したらどうだい?」
勝利を確信した不敵な笑みのまま、しかし、アメリカは固い声でそう言う。
「君たちの被害状況を見させてもらってるよ。この一年では、俺たちにやられた数よりも、君んとこの上司の命令で粛正された数の方が多くないかい?」
「……」
「こんな状態で戦い続けるのって、ナンセンスだと思うけどなぁ」
「――……、」
アメリカの言葉を最後まで聞くことなく、プロイセンはフランスに膝蹴りをお見舞いして沈めたかと思えば、そのまま後方のアメリカに向かって回し蹴りを放つ。しかし、アメリカはそれを容易く片腕で受け止めてしまった。
やはり、力はドイツと同等かそれ以上か。
足を捕まれるなどのヘマをする前に足は素早く引き戻す。
「ちょ…なんでいつもお兄さんばかり酷い目に合ってるの…」
足下からフランスが恨めしそうに訴えれば、即座に「お前が弱いからだろ」とイギリスが切り捨てた。
「容赦ねぇな、お前ら」
フランスから取り戻した拳銃を確認しながら、プロイセンはわざと面白がるような口調で呟く。イギリスが無言で眉根を寄せて睨んできた。アメリカはプロイセンから照準を外さないまま、しかし、引き金からは指を離している。
そんな彼らに対して、やはりプロイセンは感情を読ませる事なくヘラヘラと笑って見せるだけだった。
「何でお前らがムキになってんだよ?」
「てめぇ、いい加減にしろよ。明らかにおかしいだろ、今の戦況はよ!?」
「大英帝国様に心配される覚えは無ぇって言ってんだろ」
「そんなに滅びたいのか、てめぇは」
「だぁからぁ、お前に心配される覚えは無いってぇの」
「何が、心配される覚えはないだぁ!? 開戦前、てめぇんとこの上司の動きを封じようと俺らに接触を図って、戦争回避に走り回ってたのは、誰だよ!?」
「覚えてねぇ。忘れた」
「っざけんなよ、てめぇ…!」
「プーちゃん、何をそんなに殺気立ってるのかな? 何を焦ってんの?」
プロイセンに殴りかかろうするイギリスを止めながら、フランスが穏やかな口調のまま、声音だけを凄ませてそう言う。
「だぁから、てめぇらに教えてやる謂われはねぇんだよ」
「本当、そろそろいい加減に態度を改めないと、お兄さんもブチギレそうよ?」
言い方は穏やかだが、目が全く笑っていない。そんなフランスを眺めながらプロイセンはこの状況からの抜け道を探ろうと必死に思考を巡らす。
今この場で戦闘に入るつもりないという態度。しかし、ドイツと会うまではプロイセンを離してくれるつもりもなさそうだ。
どう考えても終局を迎えているのだろうこの戦い。これ以上やり合うのは避けたいとでもいうようなイギリスの言動。
何を焦っているのだろうか、この男は。
先ほどから先走りたがるアメリカを制する役回りばかりを引き受けているなと思い当たる。
アメリカの何を押さえたいというのか…。
「…ま、さか…」
引き攣った声が澪れ落ちる。
思い当たる事と言えば、それしかない。
もう、すでに、アメリカは完成させたということか、あれを。
ドイツがこの国の上司たちが造ることに執着し続けてきた、あの兵器を。
あの上司の人種迫害政策のおかげで、有能なドイツ人科学者たちはアメリカへと大量に亡命を果たしている。
技術の、知識の流出は分かりきっていたことだったのに、そんな事には頓着せずに、ひたすら人種選別に躍起になっていた上司たち。
ドイツよりも先に完成させなければ、と連合側も必死に開発を急いでいることは分かっていた。
あれを、アメリカはすでに完成させてしまったということなのか。
イギリスの妙な焦りは、使用を回避させたいからなのか、どうなのだろうか。イギリスはどういうつもりでいるのか。
そして、アメリカは、どの段階であれを使いたがっているのか。
この状況下で、あれを使われれば、完全にドイツは死滅する。
初めにあれの開発を考えたのは、この国、ドイツだ。想定される威力も把握済みなのだ。
ちくしょう、どうする!? どうすればいい?
そもそも、ドイツは、ヴェストはどこにいる!?
焦りだけが渦巻いていく。
「くそっ…。ちくしょう!」
この状況下の打開策が、全く見えない。
「あーもう。年寄りは回りくどいから嫌なんだぞ。プロイセン、手っとり早くタイマン勝負しないかい?」
いきなりアメリカがそんな発言をした。
一瞬、タイマンの意味を国力でか、ここにいる人としてのアメリカとプロイセンとの勝負ということなのかを計りかねて、プロイセンは即座に言葉が出て来なかった。
「誰が年寄りだ! お前は黙ってろ!」
「年寄りじゃないからね! こんな眉毛と一緒にしないでくれる!?」
「年寄りはお前だろ、このクソヒゲ!」
しかし、またもイギリスとフランスの口喧嘩なやり取りで場の空気がすり替えられた。
どこまでを本気でやっているのか、見定めるのも難しい。
つまんないんだぞ、とアメリカが構えていた銃をクルクルと回し、そのまま腰のホルスターに仕舞ってみせる。
「上手いな、お前」
せっかくイギリスがすり替えてくれた空気に乗っかって、プロイセンもわざとどうでもいいことに感心してみせた。
アメリカは素直に誇らし気に笑う。
「当たり前だよ。ヒーローはこれくらい出来ないと格好つかないじゃないか」
まだ素直で、若い。だからこそ、加減を知らない怖さもある。それをイギリスは懸念しているだけなのか。
あのイギリスに限って、ドイツやプロイセンの為に走り回ってるなどとは有り得ないだろう。
今すぐに戦闘開始ということにはならない、ということだけは判断出来るとし、プロイセンは静かに視線をイギリスたちから外す。空を見つめ、ふぅっと大きく息を吐いた。
ドイツを探し出す以外に、動きの取りようがないらしい。しかし、どうやって探せばいいというのか。
頼むから、無事でいろよヴェスト…。
そう胸の内で呟き、ゆっくりと斜め前方に視線を向けた時、プロイセンは全身の血の気がざぁっと引くのを感じた。一瞬だが、足が強ばって動かないかと思うほどに。
イタリアが、必死にこちらに向けて銃を構えていた。明らかに銃を持つ手が震えている。苦手なイギリスがいるせいだろうか。
「プロイセンまで、やらせない!」
「なっ…!? イタリアちゃん! バカ、やめろ!」
プロイセンと僅かの差で感付いたイギリスが、素早い動きで銃を構えた。イタリアに照準を合わせ、引き金に指を掛ける。
完全に考えるよりも先にプロイセンの体は動いていた。左足を大きく蹴り上げてイギリスの手の中にあった拳銃を弾き飛ばし、アメリカの襟首を掴んで引き倒しながら体を沈め、そのままフランスへと足払いを掛ける。引き倒されたアメリカとバランスを崩したフランスがイギリスの上へと倒れ込んでいた。
「うっわぁ!?」
「ひぎぇあ!?」
「ぎゃ!」
弾き飛ばされたイギリスの拳銃から、空に向かって弾が発射されていた。
体勢が戻せないイギリスたちを放置し、プロイセンはイタリアの元へと駆け付ける。
「イタリアちゃん! 危ねぇ真似すんなって!」
「だって、プロイセンがイギリスたちに囲まれてたから、なんとかしないとって…」
拳銃を握ったままの腕を下ろし、イタリアはおろおろと必死に弁明をしようとしていた。
そのあまりに必死な様子に、プロイセンは思わずいつもの高笑いをしそうになるのを寸前で堪える。
「俺様は大丈夫だぜ。ありがとな、イタリアちゃん」
宥めるようにそう言って、イタリアの頭を撫でた。その途端、イタリアがぼろぼろと涙を澪し、プロイセンを慌てさせる。
「ぅえぇぇ? 俺が撫でたのが悪かったのか!?」
「ちが、違うんだ…。俺、やっぱり、足引っ張ってばっかで…。結局、守ってもらってるし…。本当に、役立たなくて…。ドイツが、…ドイツが酷い目に合ってる…かも知れない、のに…」
えぐえぐ泣きながら、イタリアは辿々しく言葉を紡いでいく。プロイセンは、そのイタリアの言葉に何を感じ取ったのか、反射的に彼の両腕を掴んでいた。
「ヴェストが、どこにいるのか、知ってんのか!?」
「ぅひ!? プ、プロイセン、怖いよぉ…」
「わ、悪りぃ…。それで、イタリアちゃん」
「あ、うん…。そこで、レジスタンスに捕まっちゃって…」
「…は?」
そこで、とイタリアは自分の後方を指さした。
「ええと、レジスタンスに捕まっちゃったけど、俺がイタリアだって知ってる奴がいたみたいで、なんか、解放してくれたんだ」
「………」
「ただ、ドイツの次に偉いやつに会わせてくれって、必死に言う奴がいたから、俺、プロイセンを探してたんだよ。そしたら、プロイセンが囲まれてて…それで…」
言いながら、イタリアはぼろぼろと涙を澪し続ける。
プロイセンは、イタリアのかなり後方にある茂みに上手く姿を隠していたレジスタンスと思わしき存在にようやく気づ付いた。
「ドイツの次に偉いやつに会わせろ、ね…」
ドイツの素性を知っている人間がレジスタンスにいるということか?
「イタリアちゃん、そいつに――――、」
「プロイセン…!」
「くそったれがぁ!」
イタリアと悠長に話をしている状況ではなかったことをようやく思い出す。
背後に忍び寄って来ていたイギリスにプロイセンは一瞬で身を翻し、蹴りをお見舞いする。しかし、躱された。
「あっぶねぇ…!」
ぎりぎりのところで蹴りを躱したイギリスが両手を挙げる仕草をしながら後退し、距離を取ろうとする。
「お前なぁ、もうちょっと人の話を聞けよ!」
「てめぇに話すことは無ぇって言ってんだろう!」
プロイセンは反射的にイタリアの手から銃をもぎ取ると、イギリスに向けて引き金を引こうとした。だが、それよりも先にイギリスに追い付いてきたアメリカの銃撃によって弾かれる。
「っ痛ぅ…」
「プロイセン…!」
拳銃に銃弾を命中させて弾いてくれたアメリカは「格好良いだろ!」と言わんばかりに誇らしげだ。その前でプロイセンは弾かれた衝撃で痺れを訴える左手を押さえていた。イタリアが状況の悪化に怯えた声を出すだけでおろおろとしている。今にも白旗を振り始めそうな雰囲気だが、白旗を出すことはなかった。もう、白旗を振って効果を示す時期は過ぎているとイタリアも理解しているのかもしれない。
「往生際が悪いんだぞ」
呆れた口調で言うアメリカに、プロイセンは忌々しげに舌打ちするだけだった。
そんな中、いきなりイギリスが拳銃の照準をプロイセンから外したかと思えば、その後方に向けた。アメリカも勘付いたようで、同様の動きをした。
「おい、そこの後ろに隠れてるやつら、出てこい」
「三秒以内に出ないと撃つよ」
「ちょっと待って…!」
イギリスとアメリカの言葉に、思わずイタリアが両手を広げてプロイセンとその後方に身を潜めるレジスタンスたちを庇おうとした。
ぎょっとするプロイセンを余所に、イタリアは声を張り上げる。
「待って、撃たないで! 彼らはレジスタンスだよ! 反政府軍なんだ!」
「レジスタンスといえば、俺たちにとっては味方じゃないか!」
とはアメリカで、イギリスは「プロイセンがいる前でレジスタンスを名乗るってのはどうなんだ、それ…」と疑い深げだった。
「本当なんだってば! お願い、撃たないで!」
イタリアは必死に叫ぶ。
プロイセンは何を思うのか、一度軽く目を閉じ小さく息を吐いた。そして、「イタリアちゃん」と小さく名を呼ぶ。イタリアが振り返るよりも先にその細い肩を掴み、軽く自分の後ろへと下がらせる。
「プロイセン、お願い! 彼の話しを聞いて――、」
「…ありがとな、イタリアちゃん。でも、もう、無茶は止めだ」
「!? …何、言ってんの!? やだよ! 俺、まだ頑張れるよ!」
「もう十分だぜ、イタリアちゃん。もう、イタリアちゃんのお兄様のところに戻れ」
「まだ俺はイタリアだよ! 大丈夫だってば!」
「お兄様のところに戻れって」
「やだってば! プロイセン、何で急にそんなこと言うの!? ねぇ、お願い、俺もドイツ探すの手伝わせてよ!」
「戻れって。いつものように白旗振っていいから――」
「嫌だって言ってるだろう!」
プロイセンの言葉を遮り、イタリアは大声を張り上げる。プロイセンの顔から表情が消えた。そして、静かに淡々とした言葉が発せられた。
イタリアはまた泣き出しそうになりながら、目の前に立つプロイセンを見つめた。
「もう、この国は正常に機能してねぇ。このまま俺らに関わってもろくなことにはならねぇよ」
「そんな、こと、言わないで…。お願いだよ。俺を遠ざけないで。ドイツを俺も探すから…」
「イタリアちゃん。戦闘時での引き際は大事だぜ」
「やだってば!」
プロイセンは再度イタリアの肩を掴むと、その背後にいたフランスへと乱暴な程の力で押し出した。
つんのめりながらフランスの腕の中に飛び込む形になってしまったイタリアが、プロイセンを振り返り、反論を口にしようとするが、それよりも先にプロイセンが宣言する。
「イタリアちゃんは戦線離脱な。降伏どうのは後で話し合え」
呆れたようにフランスが肩を竦めてみせて、それから逃げ出そうとするイタリアの両の腕を掴んで「お前が勝手に決めるんじゃないよ。とりあえずは、お兄さんが保護しておいてあげるけど」と言い返した。
「その引き際ってやつを、俺はお前に求めたいんだがな」
そう言うのはイギリスだった。
「それは無理な注文だって、言ってんだろ」
「プロイセン!」
イタリアの非難とも悲鳴とも取れる呼び声を、プロイセンは無表情のまま流す。
さて、一刻も早くどうやってこの状況から脱出するか。プロイセンはイギリスたちを眺めながら考えようとした。その時、再びイタリアが悲鳴のような声を発した。フランスの腕を振り切ろうと藻掻き、叫ぶ。
「ダメだって! お願いだよ、撃たないで!」
その声にプロイセンも振り返る。茂みから二人の兵士が立ち上がりこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。一人は負傷しているようで、もう一人の肩に掴まっていた。
「フランス兄ちゃん、お願い! 撃たせないで!」
イギリスとアメリカが用心深そうにその二人に銃口を向けていた。銃口を向けているだけで撃つ気は無さそうだが、イタリアは必死に助けを求める。
そんなイタリアを見つめ、プロイセンは薄く苦笑を浮かべた。そして、そのままイギリスの足下に自分の銃を放り投げると、彼らに対して両手を挙げる仕草をしてみせた。抵抗しないという意思表示のつもりらしい。
「プロイセン…?」
不安そうなイタリアの声を聞きながら、プロイセンは口を開く。
「十分だけ時間をくれ」
「あ?」
「あいつらと話がしたい」
その言葉にイタリアが嬉しそうに笑い、イギリスとアメリカは訝しげな顔をした。
「彼らはレジスタンスだろ? 君とは敵対関係じゃないのかい?」
「アメリカ、お願いだよ、彼にプロイセンと話をさせてあげて!」
「なんで、君がそんなに必死になるんだい?」
「だって、ドイツが…。ドイツの居場所が…」
「ドイツ? ドイツは本当にここにいないってことかい?」
「え、と…」
口籠もるイタリアを横目に見ながら、イギリスが銃を下ろしプロイセンに視線を向ける。
「いいだろう。ただし、俺らにも聞かせろ」
イギリスの言葉に、プロイセンは微妙な顔をする。
「この状況下でお前に拒否権はねぇと思え」
とイギリスに言われ、プロイセンは舌打ちをしながら不承不承という態度で頷いた。
のろのろとした足取りで歩いて来る兵士二人にそこで止まるように言い、プロイセンは彼らに歩み寄る。
二人共がぼろぼろだがドイツ軍の制服を着ていた。変装ではなく、つい最近に軍を抜けレジスタンスに荷担した者だろうと雰囲気から察する。
一人は一般兵の姿だったが、もう一人の負傷した者の服装にプロイセンは眉根を寄せた。
「お前…SSか。若いな、幾つだ?」
「十七、になります」
「どこもかしこも人材不足か…。SSも形振り構わずだな。十代のガキまで入れてやがる」
そんなプロイセンの言葉に若者は少し戸惑ったように視線を俯けた。
「で? 俺に話があるって言ったやつはお前か?」
「あ、あの…! 総統閣下を除いて、我が国の次に偉い方は…」
「俺で良いんじゃね? 一応、兄貴分だし」
「…!」
若者が歓喜と安堵の入り交じった表情を浮かべたと思えば、力が抜けたのか、いきなりその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。
「おい」
「お、お許しください! この者は二日前の晩、仲間のSSに撃たれて殺されかけていたんです。夜中だったことと急いでいたようで、死亡の確認をすることなく放置されていて。そこを俺――私が勝手に助けて…。それで、その、ずっと高熱が下がらず、それでも国の大事を伝える必要があると本部に戻ると言って聞かずにいたもので……」
緊張しきった様子で必死に辿々しく説明を試みる若者の腕に、負傷した若者が手を伸ばす。その腕に掴まり上体を起こそうとした。
プロイセンは無言のまま屈み込み、手を貸してやる。
「お許しください。我が国を、私は、お守りすることが、出来ませんでした…。どうか、我が国を…」
「何があった? 簡潔に話せ」
浅い呼吸を必死に繰り返し、負傷した若者はプロイセンに縋り付くようにして見上げてくる。
そして、その目で見た光景をプロイセンに伝え始める。
二日前の夕刻に上司の命令で簡易の軍事裁判を行い、あの大佐の処分が行われたこと。そのことへの抗議を行ったドイツ。そして、直後に起こったドイツへの銃撃。
命令されるまま、動かないドイツを車へと運び入れたものの、我慢出来ずに移動の最中に反論を行ってしまった。国を守ることの意味を問い質そうとした途端に、車から引きずり下ろされ、そのまま自分も銃で撃たれたのだと。
ぎりぎりのところでレジスタンスに拾われ、手当を受けてみれば、至近距離から腕や胸などに四発撃ち込まれていたらしい。一命を取り留めたのが奇跡のようなものだが、このまま無事に回復するとも思えなかった。
「なぜ、祖国に向けての銃撃が起きた…? その程度で、なんでドイツは簡単に倒れた!?」
愕然とした、低く呻くようなプロイセンの声。
しばらくの沈黙の後、「おそらく…、あの命令の影響かと…」と若者の悲痛な声が答える。
「何があった…?」
プロイセンの問い詰めるような強い口調に、若者は恥じ入るように俯いた。
「先の作戦が失敗した折り、総統閣下が焦土命令を下されました…。私も、作戦の実行部隊として、閣下のお側に、おりました…」
背後にいるイタリアたちが息を呑むのが、気配で分かった。プロイセンは声も出せないまま、ただ、目の前の若者を見つめていた。
「…その時は、大臣が実行を拒否されたのです…。しかし、命令の撤回は今尚、成されてないままに、なっております」
耳鳴りがする。目の前が白く霞む。口の中がカラカラに乾くのを感じた。
気分が悪い。今にも吐きそうだ。
「ただ、その場で、箝口令は敷かれました。国家様にも伝えては、ならぬ…と」
血が、沸騰する。そんな感覚に襲われる。
「ただの、口頭での命令だと、思っておりました。大臣によって実行は拒否されて終わったものだと…」
頭がぐらぐらする。若者の声すら遠くに聞こえる。
「国家様へ与える、影響力というものを、今ごろに…気付き…。報告が、遅れたことを申し訳なく…我が国…」
酷く、吐きそうだ。
体が傾ぐ感覚に襲われ、思わず地面に手を付き体を支える。
苛立ちが、限界を迎えている。頭がおかしくなってしまいそうだった。
掠れた声が、無意識に零れ落ちる。
「不要になれば、また打ち捨てるのか、上司どもは。また、ドイツを殺そうというのか…? またドイツを…殺す気か!」
脳裏を掠めるのは、幼い少年の面影。幼いドイツのような面影。
全てを、破壊してやりたいと、本気で思った。
プロイセンは、込み上げてくる狂気めいた感情を抑える自信がすでになかった。
「プロイセン!」
イタリアが屈み込み、プロイセンの腕を掴んで必死に呼び掛けていた。
「プロイセン、大丈夫?」
イタリアの声が、プロイセンを現実へと引き留める。自分がベルリンの地にいることを思い出す。
「シャイセ! あのクソ上司、ふざけた真似を…!」
怒りに震えるプロイセンを見つめ、誰もが黙り込んだ状況の中でアメリカが不可解だと言わんばかりの調子でイギリスに質問をぶつけた。
「ドイツが上司に撃たれる? それ、どういう意味だい、イギリス?」
その質問する口調の、なんと無邪気なことか。
「…そのまんまだよ。上司が国を見捨てたんだろ」
その言葉にプロイセンが無言のままに手を握り締める。そうでもしていないと、理性が弾け飛びそうだった。
「上司が見捨てるって、何だいそれ!?」
「アメリカ。お前もよく覚えておくといいよ。上司は、人間は、時に俺たち国を簡単に切り捨て見捨てることが出来るってね。俺たちは民意と上司の命令に従い、見守るだけしか出来ないけどね」
フランスの言葉に、アメリカが信じられないとばかりにオーバーアクションで騒ぐ。
「まさか、そんなことって…。何だよ、それ! 上司が国を捨てる!? 意味が分からないよ!」
「そこのイギリスの坊ちゃんも、昔、上司に置き去りにされたことがあるんだよ。アメリカ、お前もせいぜい見捨てられないように気を付けることだね」
「うるせぇ! 余計なこと言ってんじゃねぇよ、クソヒゲ!」
「おー、怖い怖い」
そう言ってわざとらしくフランスは肩を竦めてみせた。
「何だい、それ…。おかしいよ、そんなの…」
認めたくないというように、アメリカは呟く。それに対して、フランスはあくまでも軽い調子を崩さずに話していた。
「おかしくないよ。今までも当たり前のように起きてきたことだ」
「当たり前って、そんなの、なんで…!」
「そういう理不尽に怒れるってことは、坊やはまだ若いって証拠だね」
「フランス、その坊や扱いは止めてくれ…」
呻くように言い、アメリカは沈黙したままのイギリスに再び目を向けた。指導を仰ぐ生徒のような眼差しでイギリスを見遣る。
「ねえ、イギリス。それじゃあさ、焦土命令ってのは…」
恐る恐るという調子で、尋ねる。
イギリスは、やはり口を噤んだまま答えようとはしなかった。フランスも今度は沈黙を選んでいた。
「敵に取られるくらいなら、使い物にならないように国を焼き払えって意味だよ」
アメリカの問いに、イギリスの代わりに答えたのはプロイセン自身だった。
「え?」とアメリカが言葉に詰まり、イタリアが凍り付いたように立ち尽くす。
一瞬の静寂。誰もが声を発しようとはしない奇妙な沈黙。
プロイセンは、ただ、報告の為に傷付いた体でここまで来た軍人たちの姿を見つめたまま動かない。
どこで、この戦いは歪んでしまったのか。
どこで、などはなく、初めから歪んでいたのだろうか。
「我が国…。この国の、正義は、どこにあるのでしょうか…」
泣き崩れるように呟く若者の声だけが、響いた。
「我々の…戦いは、何の為だったのですか…。我々の正義は、どこに…」
プロイセンは、屈み込んだままでゆっくりと空を振り仰ぐと、深く呼吸を繰り返した。そして、静かな口調で問いかける。
「ドイツは、どこにいる?」
感情を押し殺した、低い声音。
負傷した若者は涙を拭い、傍らの軍人の肩に縋り付くようにして崩れ落ちそうになる体を必死に支えながら、その問いに答える。
「郊外の、昨年に会議で使われた森の館に、お連れすると、聞かされていました」
プロイセンは、小さく息を吐く。
「分かった。よく、ここまで辿り付いてくれたな」
プロイセンによる労いの言葉。若者は今度は遠慮無く泣き出した。
それから、ゆっくりと若者の手が敬礼の動作を取る。やるべきことをやったと、泣きながら力無く笑った。
そして、そのまま腰から銃を引き抜いたかと思えば、銃口を口にくわえる。裏切りへの自責の念なのか、守れなかったことへの詫びなのか、絶望から来るものなのか。初めから、伝達が終われば自害する気でいたのだろう。
それを見ていたイタリアが悲鳴を上げた。しかし、引き金を引く前にプロイセンの手が銃身を掴んで妨害をした。そのまま銃を下ろさせる。
「生き残って、ドイツにお前が助けたと自慢してやれ」
そう言って、銃を取り上げたまま立ち上がった。
無事に生き残れるのか、甚だ疑問ではあったが、それは本人も自覚済みだったのだろう。
「おい、お前の持ってる武器も寄越せ」
もう一人の若者に向かって言うと、若者は慌てて背負っていたライフルと腰に下げた拳銃をプロイセンへと渡した。
負傷した若者は、蹲ったまま声を押し殺すようにして、泣き続けていた。
後方の茂みに潜んでいた残りのレジスタンスに、若者二人を連れてこの区域から離れるように言い、それからプロイセンはイギリスたちを眺め遣る。
「聞いての通りだ。お前らの目的は知らねぇが、会いたがってるドイツはここじゃねぇ辺鄙な場所にいるってことだ」
イギリスは表情一つ動かさない。プロイセンは続ける。
「ってことで、悪いが俺様は行かせてもらうぜ」
そう言い、イギリスたちに銃口を向けた。
「邪魔するってなら、ここでお前らの動きを封じさせてもらうぜ」
銃の照準を外すことなくゆっくりと後退する。プロイセンは自分の乗ってきた車に近づく。フロントガラスを割られ、ドアも穴だらけにされているが車の性能に問題が生じる程ではないように見えた。
「お前一人で俺らの相手が勤まるとでも思ってんのかよ?」
「何を言ってるんだい! 俺たちも一緒に行くんだぞ!」
「あ?」
「はあ!?」
アメリカの宣言にプロイセンとイギリスが頓狂な声を上げた。
「ここで行かないなんて、ヒーローのやることじゃないんだぞ!」
「坊やのヒーローごっこに付き合ってる暇はねぇんだよ!」
「ここで俺たちに足止めされ続けるのとどっちが良いか、よく考える事だね」
「……」
「アメリカ! 勝手に決めてんじゃねぇ!」
「俺が駆け付けなかったら確実に負けてた君に文句は言わせないんだぞ」
「てめぇ…!」
「うわぁ…。アメリカの坊やも言うようになったこと」
「さっきから、プロイセンもフランスも俺のことを坊や呼ばわりするの を、いい加減にやめて欲しいんだぞ。俺はもう坊やじゃない」
「銃の使い方も知らなかったガキが、言うようになったもんだぜ」
時間を取られ続ける苛立ちから、嫌味を含めた口調でわざとプロイセンは言ってやる。
「ああああ、もう! 年寄りは本当に面倒くさいんだぞ!」
「誰が年寄りだ! そんなに年食ってねぇよ!」
「ちょっと、年寄りなんて言わないでってば!」
思わず出たプロイセンの反論と、いつも通りなフランスの反論が見事に被ってしまった。
「ヴェー…。俺は早くドイツを探しに行きたいよ…」
なかなか進展を見せないプロイセンたちの会話にイタリアが涙声で割り込んで来る。プロイセンは眉を寄せ、イタリアに再び引き返すように言いかけるが、イタリアは「俺も行くからね!」と必死に睨みを利かせてプロイセンに凄んでみせた。
「……」
プロイセンは顰めっ面を作り、ガリガリと髪を掻きむしる。その隣でアメリカが変わらずのオーバーアクションで話を進め始めた。
「さっきも言ったように、俺たちは今は軍を率いていない。ここでのことは完全に俺たちの独断で動いてるのであって、上司や国の判断とは離れてる。ということで良いんだよね、イギリス?」
「え? …ああ、そうだな」
「ということだよ、プロイセン。戦闘行為に入ることなく、ドイツの元に案内してくれよ」
「は?」
「ちょ、何を勝手に!?」
「ドイツと話が出来ない限りは、俺たちもどうしようもないじゃないか。ここにだって、ドイツと直接話を付けに来たんだぞ。話を付けないと、俺のやることにイギリスがずっと文句を付け続けるんだからね」
「べ、別に文句を付け続けてる訳じゃ…」
「さっさとドイツを見つけて、話を付けるんだぞ! それで、俺のしたいことをさせてもらうんだからね。それで良いね?」
「お兄さんは、構わないよ」
「…分かったよ、好きにしろ」
「………」
不可解極まり無いという顔をするのはプロイセンで、アメリカはそんなことを気にするはずもなく「案内してくれよ」とプロイセンをせっついた。
「これは俺たちの問題だ。てめぇらに首を突っ込まれる謂われは――」
「今のお前に拒否権は無いと言ったはずだが?」
「…くそっ」
「プロイセン、急ごう? せっかくアメリカたちが時間をくれたんだ」
「…分かってるよ、イタリアちゃん。だけどな…」
「俺は帰らないからね。何度も言わせないで。時間の無駄だよ」
いつにない強気なイタリアの発言に、プロイセンは大仰に溜め息を澪した。
結局、移動はプロイセンの車にイタリアを乗せて、アメリカの運転する車にイギリスとフランスが乗り込んでいた。
荒っぽいアメリカの運転にイギリスが文句を言っていたが、アメリカは最後までお構いなしだった。
目的の館が遠目に見えて来た時、アメリカが車を並んで走らせながら、窓から身を乗り出すようにしてプロイセンに向かって大声で話掛けて来た。イギリスが「前見て運転しろ!」と怒鳴っていたが、やはりアメリカは気にも止めない。
「プロイセン! こんな郊外の、森の中の屋敷に、ドイツはいるのかい!?」
その問い掛けにプロイセンは答えないまま、睨むように前方を見つめ続ける。
「プロイセン? 君んとこ、本当に、どうなってんだい?」
「あのクソチョビヒゲ野郎…。本当に国を殺す気でいやがったのか…?」
アメリカには聞こえないだろう呟きがプロイセンの口から澪れ落ちる。隣に座るイタリアが顔を俯けた。
「Hey! 何だい? 聞こえないんだぞ!」
「何でもねぇよ!」
今度はアメリカの方に顔を向けて大声で答えてやった。
館が辛うじて見えるという位置で車を止め、後は歩いて向かう。
上司たちが秘密裏に会議などを行う為に使われていた三階建て程の高さを持つ館は、外側をコンクリートで固められ一階と二階部分には窓の無い作りという、見る者に重苦しい威圧感を与えてくれた。
記憶では、地下もあったはずだ。あれは非常事態用の地下壕だっただろうか。
館の構造を思い出せる限り思い出そうと必死に頭をフル回転させていると、イタリアが震える手でプロイセンの袖を掴んだ。
「ねぇ…、ドイツは、無事だよね…?」
何も答えることが出来ないまま、プロイセンは館に向かって歩みを進めるしかなかった。
館の表門の前で一旦立ち止まる。門柱に身を寄せて、そっと館の玄関口を眺め遣る。当然ながら、頑強な扉が閉まっているだけだが。
扉から外壁へと視線をずらしてみる。窓があるのは三階部分のみで、しかし、その三階の窓辺に見張りが立っている様子はなかった。
この館の警護に割かれている人数は少ないのかもしれない。
このまま正面突破をしてしまうか、どうにか気付かれないように侵入するか。プロイセンが思考を巡らせようとしたとき、イギリスが問いかけてきた。
「ドイツの居そうな場所は見当が付くのか?」
まさか、こいつら本気で手伝う気でいるのか? そんな思いがまともに顔に出ていたらしい。イギリスが即座に「別に、心配して言ってんじゃねぇよ!」と怒鳴ってきた。
「ばか、イギリス。声でかい!」
フランスに注意され、イギリスが腹立たしそうにプロイセンを睨んできた。何で俺様が睨まれてんだよ、と釈然としない気分に陥りつつ、プロイセンは、口を開く。
「ヴェストを閉じこめるつもりなら、最奥の部屋から通じてる地下壕だろうな」
「地下壕…! 本当、お前んとこって地下に潜るの好きだねぇ」
「大戦中はどこも地下壕造ってんじゃねぇか」
「お前んとこは、多すぎじゃない? 今も上司は地下から出てこないんでしょ?」
「……、」
確かに、あの上司になってから妙に地下が好きかも、と一瞬思いかけ、そんなくだらないことを考えてる場合かと頭を振る。
「うっせぇな。放っとけよ」
「はいはい。…で? どうやってあの館に入るわけ?」
フランスの軽口に付き合っていると自分のペースが崩れそうだ。妙に苛々した気分に陥りそうになりながら、プロイセンはこの館の構造を考え続ける。
「あー、小細工すんのも面倒くせぇな。どうせ、見張りもヴェストんとこにしか置いてねぇんだろ、これ」
そう呟き、正面切って歩き始めた。
「え? おい!?」
「Oh, やっぱり、ヒーローは正面から堂々とだね!」
驚き戸惑ったようなイギリスの声と、テンションだけは高いアメリカの声を背中に聞きながら、プロイセンは館の玄関口へと向かった。
予想通りに厳重に鍵を掛けられている扉に銃弾を撃ち込み、豪快に蹴破る。人ではない力でこそ出来る荒技だ。それほどに、扉は重く鍵は頑強なものだった。
完全にプロイセンの中にはそっと忍び込んでなどという考えは無いようで、蹴破った玄関を潜って堂々と館内へと足を踏み入れていた。
「正面突破にも程があるだろ、バカ」
呆れたという言葉にも耳は貸さないという素振りで、館の中を進む。
数分もしない内に、通路を曲がった先から数人の走る靴音が響いてきた。
さすがに、あれだけ豪快に扉を破壊してやれば中で待機中の軍人たちも血相を変えて駆け付けて来るというものだろう。
どうするの? という無言の問いを向けてくるイタリアに返事を返すことなく、プロイセンは進んだ。
角を曲がり、数メートルの距離を置いて三人の軍人と対峙する。
「プロイセン…様…」
プロイセンの顔を知る者が、呆然とした面持ちで呟いていた。それから、泣きそうな顔をし、ガクリと膝を付いてしまう。
「貴方様がここにいるということは、私のやっていることは、間違いであると、そういうことなのですね…?」
プロイセンは答えない。
アメリカはこの目の前の光景を怪訝そうに眺め、イギリスとフランスは気分が悪いとでも言いたげに眉根を寄せている。
「私は、ただ、総統閣下の命令に従って動いたまででした。しかし、それは間違いであった…と…」
男の言葉に、残りの軍人たちも愕然とした表情を浮かべて後退る。
「ああ、祖国よ…お許しください…」
呆然とした声のまま呟かれる言葉。その後方で、耐えきれないというように一人の男が絶叫をした。
「あああああああああ!!!」
狂ったように叫びながら、躊躇い無く隣の男に銃撃を浴びせ、そのまま自分の米神をも撃ち抜いてしまった。その全てが一瞬のことのように思えた。
訳が分からないというように、フランスが顔を顰めている。
血をまき散らし倒れ込む二人の軍人の姿に、「ひっ」とイタリアが悲鳴を喉に引き攣らせていた。
死に行く仲間をぼんやりした眼差しで眺め、膝を付いたままの軍人はプロイセンに笑い掛ける。
「この戦いで、私は総統閣下に忠誠を誓いました。閣下の命令は絶対でした。しかし、私は、祖国を裏切るつもりも無かった…」
握りしめた拳銃に涙が落ちていた。
「祖国よ…、お許しください、我が祖国よ…」
そう呟き、やはりその男も自らの命を絶ってしまう。
「なんで…?」
悲しそうに呟くのは、イタリアの声か。
「気分悪りぃ…」
「何だよ、これ…。お前んとこ、本当、どうなってるわけ!?」
心底気に食わないというようにイギリスが吐き捨て、フランスが理解出来ないと騒ぐ。
尋常ではない空間だといえた。このような環境で正常でいられるほうがおかしいのかもしれない。
プロイセンは黙ったまま、三人の亡骸を置いて先を進む。
「このままでいいのかい?」
こちらも理解不能だという顔で問いかけるのはアメリカだった。
「後で、始末に誰か寄越す」
ただ、簡潔にそれだけを言った。
それ程までに大きな造りの館ではないので、最奥の部屋にはすぐに辿り着いた。
その部屋で警護中であった二人の軍人が、やはり愕然とした顔でプロイセンを見つめていた。
「やはり、この作戦は、間違っていたのか…」
そう呟く男の隣で、無言のまま自決を図ったもう一人の男が倒れ込む。
「プロイセン様、祖国様はこの下におられます」
自決した仲間の姿を見ることもなく、男はプロイセンにそう伝える。
「扉の鍵はこちらに。ただ、拘束具の鍵は、私たちにも渡されてないままです。おそらく、元帥がお持ちかと」
無言でプロイセンは鍵を受け取った。
男は、静かに壁際へ後退する。
「私の忠誠は本物だった…。ドイツ軍人に反逆はあり得ない。命令に従うのが軍人の勤めだ…。それが、どうして、間違いとなってしまったのか…。なぜ、命令に従ったことが間違いとなってしまったのか…」
男は、感情の籠もらない声で言葉を発し続けていた。
その発言にアメリカが反論をしようと振り返った時、男は無表情のまま、銃口を自分の米神に押し当てていた。今までの者たちと同じように。
イタリアが悲痛な声を上げる。アメリカが「止めろ」と叫んでいた。
プロイセンもイギリスも、フランスも動かない。動けないのではなく、動かなかった。
「祖国よ…。我が祖国よ」
銃声が、鳴り響いた。
倒れた軍人たちを見つめながら、プロイセンは苛々と髪を掻き上げる。
「どいつもこいつも、忠誠、忠誠…! 俺の時代の風習が、ここに来て足を引っ張るのか…」
忠誠宣誓、軍旗の誓い、そう呼ばれるものが、軍人たちの判断を迷わせ、鈍らせていたように思えてならなかった。
プロイセン王国時代から続く国家に忠誠を誓う儀式を上手く利用し、忠誠の対象を国家ではなく総統自身にすり替えてしまった上司の政策は、見事なまでに軍人たちを縛り付けていたのだ。
「プロイセン?」
怯えながらも気遣わしげに問いかけるイタリアの顔を見ることも出来ずに、プロイセンは南側の壁へと足を向けた。
見た目、巨大な書架に見えるそれを豪快に引き倒す。派手な音を立てて床に叩きつけられた書架は半壊していた。
「ひぎゃ!」
悲鳴を上げてイタリアはフランスに飛びついていた。
「こういうものは、静かに横に引けば開くだろうが…」
いちいち破壊活動をしてくれるプロイセンを呆れ顔で睨みながら、イギリスがぼやく。
うるせぇと呟き返し、プロイセンは書架の後ろに隠されていた壁のへこみに鍵を持った手を差し入れる。
しばらくガチャガチャとやっていたが、ようやくカチリと鍵が開く音がした。ドアの取っ手と思もわれる部分を内側に向かって押せば、壁が扉のようにギシギシと音を立てながら開いて行った。
扉を潜ればすぐに階下へ下りる階段が出現する。
その階段をプロイセンは駆け下りた。
「ヴェスト!!」
階段を下りて直角に右へと曲がる。突き当たりに重厚な扉。ここだと分かった。
今更、手段など選ばずというやつで、プロイセンはショットガンを取 り出すと扉に向かってぶっ放した。
追い付いてきたアメリカとイギリスが狭い地下に反響する銃撃音に顔を顰めて耳を塞いでいた。
扉を蹴倒し、中へと入る。薄暗い内部。広さもかなりありそうだ。
アメリカが部屋の外で何かをいじっていると思えば、壁沿いに仄かな明かりが幾つか灯った。
仄かな光の中に浮かび上がるのは、壁に括り付けられたドイツの姿。
「ヴェスト!! 無事か!? おい、ヴェスト!」
かなり抵抗もしたのだろう、何度も銃弾を撃ち込まれたらしい痕、赤黒く汚れた軍服。床を汚す、流血の痕。なかなかに凄惨な現場と化していた。
「ヴェスト! 返事しろ!」
意識を手放してしまっているドイツからは反応はない。
枷と鎖を外そうとするが、恐ろしいまでに堅い。頑強過ぎる。ドイツの力で破壊されないように随分と前から用意し作られていたのだろうか。
「技術の無駄使いしてんじゃねぇってんだよ…!」
舌打ちをしながらも、必死に枷を破壊しようと試みるが、どうにもならなかった。
「国相手にここまでするかね…」
イギリスの言葉が、忌々しく響いた。
「うっわ…」
「ドイツ…」
フランスとイタリアが扉の手前で固まったまま、動けないでいた。その二人を押し退けてアメリカが室内へと入って来る。
「俺にさせてくれよ。こういう時こそヒーローの出番なんだぞ」
「何がヒーロー…」
イギリスが小言を言い掛けたところで言葉を切る。
ドイツにも引き千切れなかっただろう、プロイセンさえ苦戦している枷と鎖にアメリカが手をかけた。
「ぐぬぅぅぅ!!!」
妙な気合いの声と共にその両の腕に力が込められ、そして、ブチンっとあまりにもあっさりと枷は壊され、鎖は引き千切られていた。そのまま残りの枷も引き千切っていく。
「…アメリカ、お前…」
イギリスが驚きよりも呆れたという声を出す。
「………」
これが、今現在の国力の差というやつなのか。そんなことを思いながら、プロイセンはアメリカを眺めやった。
「二人とも何やってんだい! 手を貸してくれよ。ドイツ、重いんだぞ!」
枷と鎖を外してやったドイツが倒れ込んできた為に、アメリカが咄嗟に支えてくれていたようだ。
ぎゃあぎゃあ喚くアメリカから、プロイセンはドイツを受け取った。
「ヴェスト! ヴェスト、返事しろ! ヴェスト!」
座り込んだ状態で後ろから抱き抱えるようにして呼び掛け続ける。
「ドイツ…! ねぇ、ドイツってば!」
イタリアが這うようにして近付いてきた。泣き出しそうな声でドイツの名を呼ぶ。
ドイツの指先がぴくりと動き、それから、ゆっくりと瞼が開いた。
「イタリ…ア…?」
掠れた声で焦点の定まらない眼差しでイタリアの存在を確認する。
「ドイツー!」
飛び付くイタリアを受け止めることも出来ないまま、ドイツは尚も視線を彷徨わせるとプロイセンを探した。
「ヴェスト、ここだ」
静かにバサバサになってしまった髪を撫でてやると、ドイツの視線がそれを追うように見つめてきた。
「兄さん…。すまない、とんだ失態だ…」
「ああ、後で説教してやっから覚悟しとけよ」
「ははは…。説教、か…」
それだけを言うと、ドイツは再び瞼を閉じた。
「ドイツ!? ねぇ、ドイツ! ヤだよ、ドイツってば!」
ドイツに縋り付いて叫ぶイタリアの肩にプロイセンは優しく手を乗せる。
「イタリアちゃん、ヴェストをここから出すから、手ぇ貸してくれ」
「…え? あ、ああ。うん」
俺が背負っていくというプロイセンの背に、何とかドイツの重い体躯を乗せようと奮闘した。もちろん、アメリカやフランスの手出しがあって出来たことだが。
体温の下がった冷たい弟の体を背中で感じながら、プロイセンは地上へ向けて歩いていく。
司令部に戻れば、ドイツの保護と現状を無線で流してやろうか、そんなことを考えた。
ドイツの意識は戻らないままだった。
「ケーニヒスベルクは落ちた…。ウィーンもロシアに占拠されたか…」
あれ以降、目を覚まさないままのドイツの隣に座り、プロイセンは呟く。
すでに、ロシアの軍はベルリンの間近まで迫ってきていた。これから、ベルリンでの戦いが始まるだろう。
次に戦場であったら本気で倒すからな、と律儀に宣言してくれたイギリスたちは、本当に今回のことは国として関わっていないという態度で済ますつもりらしい。
次の戦いでケリを付けると、今のドイツに何をする訳でもなく立ち去った。ドイツの様子を気にしながら。
イタリアは最後まで一緒に戦うと、連合側に付いた兄のロマーノの元へ戻ることを拒否したままだった。
無茶はしてくれるなと、そう言うしかなかった。
「っとに、あの大英帝国様も随分と大人しくなったもんだ…」
乾いた笑いを澪し、プロイセンは立ち上がる。
「さぁて。ちょっくら、最後の戦いに行ってくるぜ、ヴェスト」
上司が降伏を認めない限り、戦いは終わらない。戦況は見ずとも分かる状況だというのに。くだらない拘りで国民を殺し続けるのか。
四月二十九日、幹部の人間が総統の許可無くイギリスとアメリカへ降伏を申し出た。
四月三十日、総統官邸地下壕において、総統がピストル自殺を謀る。遺言に決して降伏は認めない、という言葉を残して。
「死んでも迷惑な野郎だな…」
降伏すべきかまだ戦うか、揉めに揉める幹部連中を眺めながら、プロイセンは呟いていた。
3話へ
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10.11.28
何度も何度も手直し書き直しで、すみません。
残りは戦後処理の話です。あともう少し…!
* ちなみに、この話を書き始めたきっかけ…
「本家のド.イツさんが苦労人なお人良しすぎて、なんか、ド.イツさんは悪く無いんだー悪いのは上司や人間だよー!な気分になるんだよ、時々…」という中二臭い発想からだったり。
いつの間にか愛が普に傾きまくってておかしな事になってますが。
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