修学旅行へ行こう! 〜前編〜

 

 

 

 

 

「修学旅行。行き先はドイツ。始めの二日間は全体での観光だが、後半はグループでの完全な自由行動。クラスに関係なく、三人から八人のグループで登録し、そのメンツで回ることになる」

「分かってるな? お前の任務は跡部を俺たちのグループに入れることだ」

「ああ。何としてでも跡部を死守してみせるぜ」

「そんなコソコソしなくても、跡部は僕たちと一緒に行動するんじゃない?」
「いや、甘いぜ、滝。クラスの奴らも跡部狙いだ。うっかり先に女子とかから声を掛けられてみろ。あいつのことだ、旅行までお前らと一緒なんてごめんだぜ、とか言って女子のグループに参加しかねないぜ」

「ねぇ、なんで跡部にこだわるのさ? そりゃ、一緒の方がおれも楽しィーけど」
「お前、分かってねぇな。いいか、ジロー。俺たちの行き先はドイツだ。外国だ」
「うん」
「言葉が違うんだぞ」
「うん」
「習慣も違う」
「うん」
「食事するにもメニューも読めない」
「…うん」
「そこで、ドイツ語がペラペラな奴が一人でもいたら、心強いと思わないか?」
「うん」
「俺たちの知ってる奴らの中では、跡部だけなんだ、ドイツ語ペラペラなのは!」
「そう。跡部さえいれば、辞書片手に片言ドイツ語でおろおろしながら買い物、なんて格好悪い真似しなくて済む」
「しかも、跡部はドイツやフランスに行き慣れてるから、向こうの習慣にも詳しい。旅行もスムーズに進むって訳だ」
「なるほど」
「と言うわけだ。ガクト、何としてでも跡部を俺たちのグループに入れるんだ!!」
「ああ、まかせとけ!!」


 平日の昼休み。 氷帝学園内にある図書館の片隅で、中等部男子テニス部の二年生四人は目前に迫った修学旅行のメンバー集めの相談をしていた。
 今日の放課後からそのメンバー登録の受付が始まるのだ。
 いかに、楽して楽しむか。論点はそれだけである。

「ところで、忍足は?」
「跡部に余計な虫が付かないように、張り付いてる」
「あ、そう」

 通訳代わりとして、二年生全体から狙われる羽目になりそうな跡部に少しだけ同情して、滝はそっと溜息を吐いた。

 

 

 

 

「でなぁ、跡部。聞けや。そいつ、おかしいねん」

 どういうつもりか、べらべらしゃべりながら忍足は朝からべったりである。
 始めは気にもしなかったが、ここまで張り付かれるとたいがいに鬱陶しい。

「んな、くだらねぇ話はどうでもいいんだよ。お前、何のつもりだ? ああ?」
「なんやねん、いきなり」
「いきなりじゃねぇだろう」
「なんで、いきなり怒るん?」

 故意なのか、無意識なのか判断が難しい忍足の困った表情。
 このまま怒鳴り付けていいものか。

「だから、何でいちいち付いて来んだよ…」
 怒気を削がれてしまい、妙に小声で文句を言ってしまった。
「なんでって。友達やん」
「はあ?!」

 見当違いの返答。しかし、忍足は傷ついた顔をする。

「うわ。なんやねん。傷つくわ、その反応」
「そういう事を聞いてんじゃねぇんだよ」
「跡部は俺のこと、友達思ってなかったんや。ショックやわぁ」
「だから、何でそうなる?」

 絶対におかしいぞ。 何だ、今日は。
 朝から妙に男子連中も馴れ馴れしいし。
 女子たちが跡部に近付こうと、馴れ馴れしくしてくるのはいつものことだが、何で、男子まで。しかも、その度に忍足が割り込んで来て…。

 ん?
 ようやく、忍足の行動パターンに気が付いた。

「お前。まさか俺に…」

 自分の想像にぞっとした。
 これは、嫉妬か?

「ちょお待て。跡部、なんや、そのリアクションは? お前、えらい勘違いしとるやろ?」
「勘違いだと?」
 それ以外に何があるというのか。
 俺が人気があるのは、いつものことだとして、何で、今日に限って。

 今日?

「あ?」

 一つ、思い出したことがある。
 今日が修学旅行のメンバー登録開始日であることを。
 生徒会に属している跡部も、放課後から生徒会室でその整理に追われることになる。

 不意打ちのように、いきなり振り返ってみた。
 一斉に視線が逸らされた。ということは、ほぼ全員が跡部に注目していた訳で。

「何で、俺?」
「お前、天然か?」
 失礼な言葉に、蹴りで返す。
「だから、なんでそないに暴力的やねん」
「お前が俺にべたべた張り付いていた理由は、修学旅行の為か?」
「決まってるやん」
 開き直って、素直に認める。

「だから、その理由は何だ?」
「ほんまに判っとらんの?」

 馬鹿にされているようで、カチンときた。
 押し黙って睨み上げる。
「そないに睨まんといて。悪気は無いねんから。ほんま、怖いって」
 降参というように両手を上げるジェスチャーをしながら、忍足は視線を逸らした。
 跡部は沈黙したまま。きっと、まだこっちを睨んでいるに違いない。

「まあ、なんや。どうせなら、テニス部連中で集まって旅行楽しみたいやん?」
「別に、お前らと連む必要性も感じないがな」
「俺らはあるねん」
「だから、何がだよ?」

 通訳として、などと言ったらどうなるだろう。考えるだけで恐ろしい。

 どうしたものか。ちょっと困った展開になってきた。

 このまま、跡部にヘソを曲げられてどこかに行かれてしまったら、こぞってクラスの連中が声を掛けるのが目に見えている。
 しかも、どう考えても、今の状況から言ってクラスの連中が声を掛けやすい状態になっている。
 ここで、優しく「跡部くん。忍足くんと喧嘩? こっちにおいでよ」なんて言われたら、跡部は行くかも。

 やばいで、これ。

「あっとべー!!」

 元気いっぱいの声が廊下に響き渡り、跡部が顔を顰めた。

「あ。ガックン!!」
 ちょっと救われた気分になった忍足である。

「お前ら、あっち行けよ!」
 コソコソと跡部の後を付いて回っていた連中を蹴散らしながら、向日岳人は走ってくる。
 蹴散らされる人数の凄いこと。その数に驚かされた。
 跡部狙いが、あんなにいたのか。

 跡部も唖然とした顔で散り散りになっていく生徒達を見つめていた。
 男子女子入り交じりで、かなりの人数だ。

 日頃から人気者状態でちやほやされてはいるが、こんな風に付けて回られるのは理解不能である。
 しかも、それから守るかのごとく忍足が付きっきり。

「俺、何かしたか?」
 妙な不安感に苛まれ、跡部が呟く。
「いや、みんな、跡部と旅行がしたいだけやねん」
「ああ?」

 だから、何で、その為にこんなに付きまとわれなければいけない。

 自分がどれだけ他人に対して威圧的かを忘れて、そんなことを思う。

 普通の生徒なら、声を掛けるのも命がけという状態が自分の周りで繰り広げられていることを知るはずもない跡部は、不愉快そうに眉根を寄せた。

「あっとべ!! やっと見付けたぜ!」
 ぜーぜーと肩で息をしながら向日が跡部の隣に到着した。

 後は頼むでガックン!! 心の中でエールを送りながら、忍足は澄まし顔を作る。

「修学旅行さ、俺らと一緒に行こうぜ!」
「また、修学旅行の話か…」
 うんざり顔になってきた跡部。
「何だよ。気心の知れた奴らと一緒の方が楽しめるじゃん」
「何で、旅行先までお前らと…」
 予想通りの言葉。
 それを予測して向日は即座に遮る。
「跡部!! お前は自分がどれだけ人気者か判って無さ過ぎ!」
「はあ?!」
 不可解極まりない、といった顔の跡部の腕を掴み、廊下を進む。
 近場で人気の無いところと言えば、渡り廊下しか無かった。
 とりあえず、どこでも良い。

「跡部。お前は狙われているんだ!」
 いきなり語りモードに入る向日。
 案の定、跡部は「何を馬鹿げたことを言ってやがる」と顰め顔。
「見ただろ、さっきのあの連中。みんなお前を狙ってるんだぜ!」
「まあ、俺が人気があるのは判るとして、何で狙われる?」
「ええと…」
 考えていたセリフを忘れたらしい。

 流れから次に来るであろう言葉を読んだ忍足が続ける。
「旅行やで? 判っとるん?」
「んなこと、言われなくても判ってる決まってるだろ」
 狙われている、の言葉をどう解釈して良いのか困っているのだろう。少し、引き気味な跡部である。

「ドイツゆうたら、大部屋なんかあらへんやろな。大きくて、四人か五人部屋。そんなもんか?」
「あ? ああ、そうだろうな…」

 話が読めない。

「そないな狭い部屋に跡部様と一緒になれる機会なんて、普通あらへんからな」
「そーそー。それで、俺たち、跡部をそいつらから守ろうぜ! って話合ったんだ」
 ようやく、用意したセリフを思い出したらしい向日が割って入る。
「守るって…」
 かなり引いている。
「跡部を狙ってる奴らからに決まってるじゃん。俺たちの大事な部長を傷物にされて堪るかよ」
「ちょっと、待て! 狙うって、そっちの意味か?!」

 また凄い話を作り上げたものである。おそらく、向日と宍戸の二人で決めた話だろう。というより、宍戸のシナリオか。
 まあ、確かに、今日一日の状況を考えれば、納得してしまいそうになる設定だ。
 こうなるだろうと読んでいた宍戸に少しだけ敬意を払いたくなった。

 ただ、その後、跡部が人間不信に陥らねば良いが。

 そんな事を思いながら、忍足は向日と跡部の遣り取りを眺めていた。

「日頃は、怖いテニス部の鬼部長でも」
「誰が鬼だ、こら」
「旅行だと、ただの中学生だ。そんな状況で、親しい訳でもないクラスメイト一緒になってみろ」

 跡部の抗議を綺麗に無視して、向日は語る。

「眠ってる隙に憧れの跡部様に一度触れてみたい、とか思ってしまうのが人情ってものだ」
「そもそも、親しくない奴らとメンバー組まねぇだろ」
「……」
 語る端から跡部に話の筋をへし折られるせいで、またしても向日は言葉に詰まった。

「せやかて。テニス一本で来たお前が、俺ら以外のグループに入ってみ? 同じクラスとはいえ、そこまで親しい奴、おるか? 信用の置ける奴が」

 信用出来るというレベルまで行くとなると、はっきり言っていないだろう。これは、部活に所属している生徒に共通するものだろうが、例に漏れず、跡部もクラスよりも部活での方が知人が多い。

「だから、俺らと一緒のグループに入ろうぜ!」
 もはや、語りをすっ飛ばして説得に入る。

 跡部は、すでにどうでもいい心境なのか、それとも、先ほどの「皆が狙ってる」発言が利いたのか、文句は言わなかった。
 顰めっ面は変わらなかったが、
「ああ。好きにしろ。俺の名前も入れて提出しとけよ」
 そう言って、さっさと教室に戻り始めた。
 その後を、忍足が慌てて付いていく。
 一応、今日一杯はボディガードである。

 去り際、向日がガッツポーズを取るのが見えた。忍足も小さくポーズを取って返してやる。


 教室に入るなり、
「あの、跡部くん!!」
 と、十人近くの勇気ある者達が走り寄って来たが、即座に忍足が蹴散らした。

「悪いが、跡部は俺らのグループやで」

 高らかに宣言してやる横で、跡部が明らかに引きつった表情で立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

2004.11.23

 

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